嫌いなもの……   作:ウヤムヤ

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八話

「こちらに。もうあまり時間も残されていませんから、最後に話をしましょう」

 そう言ってアースはベンチに座るように促し、こちらも了承した。

 そうして、二人で並んで座ると互いに顔を合わせることはなく、不思議と夜空に輝く月を見上げた。

 気まずいわけでも、話のネタを探しているわけでもなく、ただ少し、その時間が欲しかったのだ。

『ねぇ、アース』

「……なんですか、立香」

 十秒くらい経っただろうか。

 二人の間にある空間に黒猫が陣を取り、身体を丸めた頃。

 それと違わない時間で彼女に声を掛けると、優しい声色で答えてくれた。

『アースはどうしてこんなことを願ってしまったの?』

「それは……」

 そして(かね)てより疑問であった質問をする。

 『こんなこと』とは勿論今回の事件、この夢の件だ。

 起きた原因とされる因子と後押ししたエコについてはわかった。

 しかしその原動力となるアースの抱いてしまった『願い』がなんなのかは不明だ。

「……エコから聞いていないのですか?」

『『ある不安を抱いてしまったから無意識に願ってしまった』。それは聞いた。でも肝心な願いそのものは教えて貰えなかったんだ』

 あの少女が言うには「“不安”こそが夢のアース(彼女)の根底にして形作ったもの。そして、それこそが現実のアースが無意識に心の底で感じていたもの」なのだという。

 『願い』そのものは本人に聞けとのこと。エコ曰く「至ってシンプルな答え」らしいが、察しが悪いのか、どうにも答えに辿り着けなかったのだ。

「……そう、ですか……。ええ、確かに、これは『私』が言うべきでしょう。現実の私は自覚が出来ていなかったようですから、あちらに戻ってもわからないかもしれませんし」

 そして、決心が着いたアースはその『願い』を語る。

「私が……いえ、『彼女』が不安に抱いたのはただ一つ。立香、貴方のことですよ」

『……俺?』

 唐突に名指しされたことに驚き、素っ頓狂な声があがってしまう。

 何故そこで自分の名が上がってしまうのか?

「はい、エコから聞いているのではないのですか? 『彼女』は離別をまだ経験していないと」

『……うん、それは聞いたけど』

 アースは自ら進言している通り箱入り娘の令嬢だ。知識そのものは膨大ではあるが、世間や人との関わりというものにはとにかく疎い。

 必然、関わりがないのだから離別は経験していないはず。

「離別を経験する前に、彼女は貴方と出会い、多くのことを学び、共有しました。時間も、記憶もです。それは、歩みは遅くても確かに彼女の情緒を育むものだった」

 他のサーヴァントと違い、アースとは出会ってからそんなに多くの時間を過ごすことはまだ出来ていない。

 それでも、あの箱入り娘にとっては自分と過ごした時間は大事な物だったようだ。

「結果、彼女は『執着』するようになってしまった。貴方を失うことを心の何処で怖れ始めたのです」

 近しい間柄の人を失うのは誰だって嫌なはずだ。しかも彼女にとってそれは『初めて』になるかもしれない者。

 であれば、そういった感情を抱いてもおかしくはない。

「貴方は脆弱な人間です。『人類最後のマスター』という立場もある。何か一つでもボタンを掛け間違えたらあっけなく死んでしまう。そんな環境に貴方はいる」

 彼女達のような超常の存在からすれば、人間は儚く脆い存在なのだろう。

 それは事実。しかもより危険な状況にその身を置いている。

「……ええ、そうですね、仕方がないことです。そうしなければ世界は存続できないのだから」

 だがそれも、今アースが苦々しくも口にした通り、仕方ないのことではある。

 そういった事態であり、選択肢なぞないような状況でもある。

「ですが、一度思い立ってしまったそれは凝りとなり、常に『不安』という形で心の底に眠っていたんです」

 きっと些細なことだったのだろう。

 日常の触れ合いの中か、戦闘に赴いた時か……。いつかは不明だが意識してしまった。

「そうして、この間の最後の異聞帯――ミクトランにおけるORTの一件でついに明確に感じてしまった。このままでは、いずれ貴方は……」

 そして、それを抱いたまま『あのORT』との決戦に臨んでしまった。命が幾つあっても足りないような、あの恐ろしい化け物との死闘を。

 十二分にあり得た未来を何度も想定してしまった……。

「だから無意識とはいえ愚かにも願ってしまった。『貴方にいなくなってほしくない』と」

 事実、あの異聞帯では一度命を落としていた。テスカトリポカと交渉したおかげで一命を取り留めたが、それがなかったら間違いなく自分はもうこの世にいない。

 そうした現実が起こることを彼女は怖れた。

 だがそれは、

「当たり前の感情だと思いますか? ……ええ、そうですね。人間により近くなった“この私”ならわかります。それは『人間としては正しい思考である』と」

 人間であれば大切なものを守りたいという衝動に駆られるのは当然だ。何せそれは一つの生存本能でもある、自らの子や愛した者を守るのは種を繁栄させる為には不可欠なものだからだ。

「ですが、彼女は違う。彼女は『アーキタイプ:アース』。本来、そう在ってはいけない、許されないのです。特定の個人に入れ込むなど」

 しかし、そもそもの根本的な話しとして、彼女は人間ではない。動物の範疇で収まるものではない。存在の規格、出力からして違う。

「その結果どうなったかは……ご覧の通りです。偶然が重なったとはいえ、個人に執着しただけで今回のような事件が起きてしまった。意識しようとしまいと『アーキタイプ:アース』が周りに与える影響は大きい」

 様々な要因が重なった結果ではあるが、それでもそれら全て彼女に起因するものだ。

「……きっと、この一件が終わっても、また『私』は貴方に迷惑を掛けるでしょう。もしかしたら次は今回以上の被害の可能性も……」

 無意識でこの域なら、もし何かの拍子でタガが外れた場合どれほどの被害を出すことか……。

 その辺りを見越してエコは今回の事件を起こさせたようだが、それでも、果たして危険性がなくなったわけではない。

 下げることは出来てもその要因を取り払うことは不可能なのだ。しかもその下がる割合もそう大きくはないのだろう。

 それは、今眼前で哀しそうな表情を浮かべるアースが物語っている。

『――アース』

 だが同時に、その姿を見て確信することができた。

『ありがとう』

「………………え?」

 唐突に感謝を告げられ困惑の色を示す。

 それはそうだろう。何故このタイミングで言われたのか理解が出来ない。

「なん、で……?」

 困惑の感情はそのまま口から漏れ出る。

『だって、どんな事件や理由でもさ、元は俺を為を想ってくれてのことだったんだろう』

 それに対して出した答えはシンプルなものだった。

 ただ『自分のことを考えて、想ってくれてありがとう』。純粋に感じ入った気持ちを伝えたのだ。

「ちが、違います! ただ身勝手の独りよがりで、貴方が考えてる程……私、は……っ!」

 優しいその気持ちが今は痛い。自分はそれを向けられ、受け入れていいような存在ではない。

 罪人だと言わんばかり、罰するように、自分に言い聞かせるように、嗚咽混じりに言葉を吐く。

『ううん、違わない。アースは、自分が思ってるよりずっと優しいよ』

 しかし、それは許さないとばかりに否定の言葉で遮る。

 問題はあった、間違いもあった、過ちもあった。

 起きてしまったものはなかったことにするのは難しい。

 よく知っている。分かっているつもりだ。

 数多の世界を見て、知って、感じて、そして壊してきた自分が言うのだから間違いはない。

 でも、だからってそこにある想い。抱いた感情を否定していいわけではない。

 それをしては、今まで壊してきた世界の人達に対する最大の侮辱になる。

 ――だから、それだけは絶対に自分はしてはいけないのだ。

 覚悟をした者同士が、互いに退く気がないからぶつかり合うとかならまだしも、アースにはそんなものはない。

 完全に想定外の事態。これを追求するのはわけが違う。

 

 ――もし。

 もし無知であったなら、きっとキミに当たれただろう。

 知らなくていい事実を目にし、背負わなくてもいい罪を背負い、苦しまなくてもいい苦しみに悶えることもなく、ただの一般人であったのならそれが出来たはずなのだ。

 自らの境遇を呪わなかったことがないとは言わない。

 それはそうだろう。魔術や異能とは無縁の一般人で、ボランティア感覚で献血をしたら知らない土地に飛ばされ、世界規模の事件に巻き込まれ、出来る人が自分しかいないからと言われ、無理難題を押し付けられ、精一杯生きるためだけに足掻き続けて……。

 こんな辛いだけの経験が何になるのか……生きることで精一杯の自分にはわからなかった。疑問の方が大きかったし、果たして何かの糧になるのかと思っていたのだ。

 

 ――ああ、でも、そのおかげでこうしてキミを恨まなくて済むのは、ちょっと救われた気分なんだ。

 

 苦しいのは自分だけではない。誰もが想いを抱いて足掻いている。

 それを散々見てきたから、知ってきたから、こうして眼前で自らの存在と想いに苦しむ彼女に手を差し伸べられるのだ。

「あ……」

 自然と抱きしめる形で引き寄せていた。

 彼女の身体は本当に消えかけで、まるで霞のようだ。うっかり力加減を間違えたら何処かに飛んで行ってしまいそうな程に希薄。

 それでも、『大丈夫』と伝えたいからできる限り強く抱きしめる。

「本当に……貴方という人は……どこまで……」

 優しさは時として毒だと知った。

 思いやりは時として罰になるのだと理解した。

 だって、そうでなければこんなに涙が溢れるわけがない。

 辛いのに温かくて、苦しいのに幸せで、嬉しいのに泣いている。

 ――……ああ、人間の感情とは儘ならないものですね……。

 シュミレートを何度も行い、多くの経験も積んだというのに、ついぞ最後まで解明は出来なかった。

『アース!』

 抱きしめてくれていた彼の慌てふためく声が聞こえた。

 ――どうやら本当に時間らしい。

 自らの身体を構成する要素が分解を始め、光の粒子となり、消えていく。

 彼は驚いているようだが、こちらはもう覚悟は出来ていた。

 寧ろ予想より長く保った方だから、そういった意味では驚いているが……。

「……時間、ですね」

 だが、結末は変わらない。

 元より無謀なことではあった。彼を危険から遠ざけようとして夢に囚えようとする考え事態は悪くなかったかもしれないが、聖杯の様な魔力リソースも無しに維持させるのは不可能だ。

 それでも、少しでも彼を命の危機から遠ざけたかったからここまで頑張れた。

 元はただの『彼女』の不安が反映しただけの存在だというのに、よくここまで保ったと我ながら褒めてあげたいくらいだ。

 ――……そうですね。少しくらい頑張ったご褒美をもらってもいいですよね。

 今回の騒動の元凶ではあるが、発端は現実のアースの無自覚にある。

 そういった意味では自分もある意味では被害者だ。

 何故なら、所詮は夢の存在。泡沫の内に消える運命なのだから。

 なら、もう少しくらい良い思いをしても許されるのではないか?

 答えてくれる相手はいないから、結局は自分で決断するしかなく、出した結論は……。

「立香……最後に、貴方の顔を、もっと近くで……」

 そうして、感情の赴くまま願望を口にする。

『……うん』

 最後の我が儘ということもあり、彼は素直に聞き入れてくれた。

 本当に、理想のエスコート役だ。

 微笑み、互いの顔を鼻先に触れる程顔を近付け、

「――――ん」

 そのまま更に接近して……唇と唇が触れ合った。

『え――?』

 時間にして二秒も掛かっていない。本当に触れる程度のそれに、しかし呆然とするには十分であり、すぐに元の鼻先が当たる位置にアースは距離を置いた。

『アース……?』

 今何を? 理解の追いつかない彼はそう訊こうとするが――

「――――」

 眼前に開かれた黄金の双眸を見た瞬間、軽い目眩を覚えた。

『うぅ……あ、れ……? アース、さっき……何か、した?』

 それは一瞬のことであり、すぐに鳴りを潜めた。

 ただ、どうにも先程何をされたのか記憶があやふやで思い出すことが出来ない。

 故にアースに訊ねてみるが、

「……ええ、お別れの挨拶をしただけです」

 紅い瞳を細め、微笑を浮かべてはぐらかすだけだった。

 そうして、ベンチから立ち上がると夜空に浮かぶ月を見上げながら数歩歩いた。

 身体から漏れる粒子はまるでホタルの光みたいで、これを纏う様に優雅に歩く姿は幻想的であった。

 しかし、その光が多くなればなる程にアースはどんどん薄れていく。

 もはや亡霊の如き半透明の姿になったと同時、こちらに向かって振り返った。

 月を背景にした微笑む絶世の美女。その構図はまるでかぐや姫を彷彿とさせる。

「さようなら、泡沫の貴方。もう相見えることはないでしょう。でも、忘れないで……私の想いは貴方と共にいつまでも……」

 それが別れを告げる言葉だと理解するのは一瞬で、身体もすぐに動いてくれた。

『アース!!』

 本当に数メートルもない距離だったのに、駆けて、伸ばした手は……永遠に彼女に届くことはなかった。

 

 

 触れる寸前、文字通り彼女は消えた。

 その身は光の粒子となり、空に還るかのように舞い上がっていく。

 ただ、それを見送るしか出来ない彼の瞳からは一筋の涙が流れていた。

 肉体はなくなり、意識すら消えかけていた中、それを目撃した彼女はもはや届かない声で伝える。

 ――さようなら、『私』だけの貴方。

 この世界で育んだ感情と共に彼に対する想いも膨れていった。

 最初はただ役目を果たそうとしただけだったが、いつしか『この世界のアース』にとっても掛け替えのない存在になっていった。

 ――この『私』はきっと、貴方に……。

 だから確信を以って断言できるのだ。

 人に近くなったからこそ、その胸に宿っていた想いの名を知ることができた。

 ――恋、していましたよ……。

 誰がなんと言おうと、『このアース』は彼が好きだった。愛していた。

 その想いは誰にも渡したくはない。

 例え、自分自身だったとしても、絶対に渡してなるものか。

 この“恋”は私だけのもの。私が自らの意思で自覚し、得たものだ。

 欲しいのなら自らも同じ境地に立ってみせろ、と此処にいない現実のアース(オリジナル)に向け宣言する。

 

 そうして、自らの想いに恥じる所がない彼女は、満足そうに夜空の彼方……月の向こうへと消えていった。

 

 

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