足早にスターリーに入って、いつものようにカウンターで可愛いリンゴジュースを飲みながらパソコンで作業していた星歌さんの隣に座る。
彼女は、勢いよく入ってきたと思ったら挨拶も無しに近くに陣取った俺を見て、やや口を開けて驚き、訝しむように眉間に皺を寄せた。
「どうした、そんな急いで」
俺は返事もせずに顎に手を置いて考えこむ。
いざ目の前にして伝えようと思うと、何から言っていけばいいか迷ってしまう。
自分でも冷静さを欠いている自覚はあるので、ここに来るまでに頭と心を整理してきたつもりだったが……。どうやら本当につもりになっていただけらしい。どう切り出そうか。
もうちょっと落ち着いて、何かしらのワンクッションを挟んでから伝えた方がいいのかも。そもそも、他の誰かも聞いてそうなここで話す内容でもないし。
「……ほんとにどうした? もしかして、学校で何かあったのか?」
眉間に皺を寄せたまま黙りこくった俺を心配そうに見てくる星歌さん。深刻そうな雰囲気でも感じているのか、気怠げだった表情が真剣味を帯びはじめている。
まあ、ここでうだうだ考えて時間を潰しても仕方ない。とりあえず、虹夏さんに危険が迫っているかもしれないことを伝えよう。
「……その、実は」
――微かな物音を耳が捉える。スターリー入り口扉の奥から、薄っすら足音と女性たちの話し声が。
ふと、虹夏さんたちが喜多郁代を連れてくることを思い出した。次いで、俺がここにいると面倒な空気になって流れを変えてしまう可能性があるリスクが脳裏に浮かぶ。
「すみません。話はまた後で。俺はちょっと……、奥の方で清掃でもしてます」
「はあ? あ、おい」
判断はすぐに済む。
守るべき対象である虹夏さんはスターリーに来たから、ひとまず安全だろう。絶対に今すぐに話をしなければいけないわけじゃない。内容も内容なので、じっくり話せる状況を作ってからだ。
今優先すべきは、喜多郁代が無事に結束バンドへ再加入すること。その流れを俺が邪魔しないことだろう。
と言うわけで。星歌さんには悪いが、俺はさっさと奥に引っこむ。
「あ、それと店長。今から来る赤い髪の子には俺のこと話さないでくださいね。ややこしいことになりますから」
「え? それってどういう……」
「それじゃあ、しばらく隠れてます」
「隠れるって、おいっ、みのる!?」
何がなんだかと困惑した声音で呼び止めてくる星歌さんを泣く泣く無視して、駆け足で奥のスタジオへ。
急いで扉を開けて奥へ滑りこむと同時に、スターリーの出入り口が開いて結束バンドの面々が入ってくる音が聞こえた。
――――――
奥に隠れてしばらく。
ありがたくも星歌さんは俺について話さず、臨時のバイトとして喜多郁代にメイド服を着せて働かせることに。他の面々も、秀華高校出身の喜多郁代に俺のことを話すのは躊躇われるのか、特に話題にはしていない。
今のところはバレずに過ごせていた。
扉の隙間から覗くと、時折、後藤さんが俺を探すようにきょろきょろしていたが。あと、姉に聞いたらしい虹夏さんが俺の様子を確認しにきて、苦笑しつつ喜多郁代と鉢合わせないよう上手く誘導してくれたりして。
スターリーの人たちのあたたかい気遣いに頭が下がる思いだった。なので、心の準備と整理も兼ねてきっちりスタジオなどの掃除をしている。
このまま隠れているだけだとサボりと同じだし。そんなの雇ってくれた星歌さんに申し訳ない。
俺はひとり黙々と機材の隙間やコードに薄っすら積もった埃なんかを綺麗に取っていく。元々しっかり清掃されているし、開店して間もないライブハウスなのでそこまで汚れてはいないけど。それでもあるところにはあるから、見逃さないように注視して取りくむ。
もちろん、機材のアレコレは分からない。よって、触ったら不味そうなとこや下手に弄れそうにない箇所は軽くするのみにとどめた。
そんな感じで黙々と作業しているうちにライブ予定のバンドやお客さんが入ってくる時間帯に。清掃場所を控え室に移したり、喜多郁代が受付をしているうちにお客さんに紛れてトイレに行ったりする。
移動する際にリョウさんと目があって首を傾げられたが、人差し指を立ててしーっとすると頷いてくれて、無言で人差し指と親指で輪っかを作っていた。これはあれだ、オーケーとかじゃなくて後で何か奢れのサインだろう。だって口から涎が垂れ始めているもの……。
どうにか喜多郁代(ついでに後藤さん)にバレずに時間が過ぎて。ライブも終わって後片付けをする時間になる。
そろそろ、後藤さんが頑張って喜多郁代を引きとめる頃合いだろう。
もし俺が姿を見せるとしたら、喜多郁代が結束バンドに正式加入した時か。同じバイト先でずっと顔を合わせないなんて不可能なので、早いうちに蟠りは解いておきたい。
それまでは暇だ。特にやることもなく、扉付近の壁に背を預けて聞こえてくる話し声に耳を傾けるのみ。
加熱していた思考も今になってようやく冷えてきて、疲労感を覚えた頭でぼんやり天井を見上げていた。
「あ、ここにいましたね」
「え? あ、どうも……」
見つかったことに一瞬身構えるが、声の主が音響担当のPAさんだったことに気が付き脱力する。
と同時に、微かな緊張感が。彼女とは面と向かって話したことはなく挨拶くらいしかしていない。星歌さんに負けず劣らず美人であることもあり、こうして顔を見合わせるのはどうにも落ち着かなかった。
それと、口と耳にピアスゴリゴリなので、ちょっとビジュアル的に怖いのもある。まあ、これに関しては慣れが必要だろう。後藤さんは未だに怖くて顔をまともに見れないらしいけど。
「店長に様子を見て来いって言われて……。何かあったの?」
「あー、えっと、ありがとうございます。別にその、何かあったってわけじゃないんですけど……」
「そう、ですか? それにしては、今日はなんだか変な動きしてた気がしますけど……。大丈夫?」
事務的な確認ではなく、本当に心配した様子で俺の顔を見てくるPAさん。
その心遣いはものすごくありがたいが……。どう説明したものか。ストーカーの件について今ここで言っても仕方ないし、やっぱり最初に話すのなら星歌さんにだろう、
何か、別のことで誤魔化そうか……。
「もしかして寝不足? ゲームでもし過ぎちゃったとか?」
空気を重くしないためか、揶揄うように言ってくれるPAさんの言葉に、それだっ! と頷く。
「そ、そうなんですよ! 最近ちょっとゲーム時間が増えてて……。あと、暇潰しに見てた実況動画とかが意外に面白かったので、えと、つい……」
少し食い気味に肯定すると、彼女は少し驚いた様子で口元を覆い隠す。そして、微笑ましいものを見るような目でくすくすと笑った。
「うふふ、そうなんですねぇ。夢中になる気持ちは分かりますけど、やり過ぎはダメですよ〜?」
「うっ……。すみません……」
優しく注意してくれることに少し罪悪感が芽生える。嘘を言ったわけではないが、誤魔化してしまったのは申し訳ない。
最近ようやく前を向けたので、いろいろと興味が薄れていた物に手を伸ばしている。ゲームもそのうちの一つだ。動画投稿サイトでゲーム実況などを見るのは、前世からの趣味でもある。とはいえ、ゲームは好ましいがやり過ぎるほど没頭することは出来ないし、動画を見るのも最近ではほんの少しだけだった。
だから、寝不足ではない。どちらかというと、ここ数日はよく眠れている方だ。
「……ちなみに、本当にちなみにでいいんですけどぉ。どんな人の実況動画を見てたんですか?」
「え? あー、確か、えっと……」
そんなことを聞かれるとは思わなかった。斜め上を見上げてどうにか思い出す。
「音戯アルト、だったっけ……? 女性の配信者でした」
「ええっ!?」
「うわっ」
突然の大声でびっくりした。
いつも細い目をまんまるに見開いたPAさんが俺を見つめている。
「あの、どうかしました?」
「あ、ななんでもないですよ? ただ少しびっくりしただけで……」
「もしかして、知ってる人でしたか? チャンネル登録してるとか」
「そういうわけじゃないんだけどね? えっと、あっ! ゲーム! どんなゲームが好きなのか教えてくれる!?」
「ええ? いや、まあ、いいですけど……」
なんだか露骨に話を逸らされた感があるけれど。
まあ、この話題を引っ張ってもボロが出そうだし、実況動画関係よりゲーム関係の話の方がマシだ。
PAさんは予想以上にゲーマーだったようで。話題逸らしの違和感も忘れてゲーム談義が意外と盛り上がった。
そうしているうちに俺を含む学生組はそろそろ帰る時間となり。喜多郁代を引き止めようと後藤さんが踏み出して盛大に倒れてしまう音がスターリーに鳴り響く。
音に反応して様子を見に行ったPAさんを見送り、俺は深呼吸する。どう声をかけようか考えつつ、俺はその時を待った。