痛む額と鼻をさすりつつ、秀華高校校長の長くかったるい話を聞き流す。
今は入学式。俺は、名簿順で着席したので必然的に隣となったピンク髪の女生徒ーー後藤ひとりについて考えていた。
もし、俺の勘違いでなければ、彼女はアニメで見たことのある人物で。『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品の主人公だったはずだ。
陰キャ根暗コミュ症芋ジャージの生命体。ナメクジのいそうな暗くじめじめした場所を好み、被害妄想からの奇行による自滅という機能を備えているくせに褒められると途端に調子に乗るちょろちょろな生態を持ち、時々溶けたり萎れたり顔面崩壊したりする存在だったはずだ。
……本当に人間か、と疑いそうになる所があるが、後藤ひとりは紛れもなく人の間から生まれた女の子である。たぶん。
同姓同名の別人で俺の勘違いの可能性もあるにはある。しかし……。
「……ぅへ。へへぇ……ふふっ……」
さっきまで隣の俺に怯えていたと思ったら気持ちの悪い笑いを漏らして俯く彼女は、まあ、控えめにいって間違いなくぼっちの後藤ひとりだ。客観的に自分が見えていない感じと小声でぶつぶつ自分の世界に浸り周囲をドン引きさせる様は見事としか言いようがない。
トレードマークのピンクジャージを着ていないのは、今日が入学式だからだろう。俺が最初に違和感を覚えた点だ。本人の判断か、親の判断かは分からないが、大事な日にはきちんと服装は合わせられるらしい。おそらく、明日からは制服指定の規則など気にもせずピンクジャージに身を包んで登下校するようになるはず。
「ぅぅ……帰りたい……。あの暗闇が恋しいぃ……」
それにしても、本当に、その、あれだ。
引く。
ずっと震えてるし、猫背なことと伸ばされた前髪で表情は見えないし、小声でボソボソ喋ってて気味悪いし。後藤を挟んだ俺の向かい側の女生徒はちょっぴり涙目である。
悪い子ではないのだろうけれど……。わざわざ自分から声をかけて積極的に関わりたいかと言われればノーな人種だ。
そりゃあぼっちにもなるさ。
ひとまず、隣の生物は放置して。
俺は『ぼっち・ざ・ろっく!』を知っているし見たことはある。だが、それも随分前の記憶なので所々あやふやだ。視聴したのもアニメだけで、原作の漫画の方を読んだ記憶はない。文化祭の黒歴史ダイブまでの大体の流れはなんとか思い出せたが、それだけだ。
それに、俺が生まれ変わって既に15年以上経っている。アニメや漫画の世界に転生したんだと喜ぶ感覚は皆無だ。自分の性格が暗いのもあって気楽には捉えられないし、この目で見てきた現実は明確なリアルとして脳裏に刻まれている。薄っぺらには見られない。
けれど、微かな高揚があった。
後藤ひとりを認識した瞬間から、燻るような興奮が胸の奥でざわめいている。生まれて初めて感じる気持ち。
話してみたい。そう思った。
自分の中の何かが、変わってくれるかもしれないと。僅かな期待を抱いて。
――――――
入学式は終わり、教室での自己紹介とこれからの学校生活についての説明と資料を貰い、本日は帰宅となる。
話しかけるのなら、今だろう。
……ちなみに、後藤ひとりの自己紹介はコメントし難いものだった。名前はかろうじて聴き取れたが、他の台詞はボソボソの小声過ぎて最前列の俺には何も分からない惨状。担当の先生も反応に困って、ささっと着席を促して次に回した。名前しか分からない取っ付きにくい同級生の誕生である。
新入生と保護者が談笑してごった返す廊下を通り抜け、終わりと見るやいなやぬるりと教室を抜け出していた後藤ひとりを追う。
彼女は自分の両親を探す様子はなく、足早に校門へと向かっていた。
この麗らかで明るく陽の気に満ちた学校から遠ざかりたいのだろうか。気持ちは分かる。元気で未来への期待感と可能性を秘めた学生たちを見ていると、どうしても消えたくなってしまうのだ。自分のような不純物が紛れ込んでいて申し訳なく思えてしまう。
家族と話すのならここではなく、家でいい。自分のテリトリーでまずは落ち着きたいと考えるのは、根暗共通なのだろうか。
あれこれと無駄なことに思考をさきつつ、緊張を紛らわすように乾いた口内の少ない唾を飲みこむ。
俺は足を速め、意を決して声をかけた。
「あっ、あのっ」
彼女は足を止めない。自分に声をかけているとは思っていないのだろう。俺は少し強めに、彼女に声をかけていると分かるように声を出す。
「あのっ、後藤さん?」
「ひぇっ、あっ……えっえっ……? あっ、わたっ、私です、……か?」
ビクリと大袈裟に震えた後藤ひとりがびっくり怯えながらも何故かにちゃりと口角を上げながらこちらを振り返る。
「ピャァッ!?」
俺を見た瞬間、意味不明な奇声をあげてカチコチに固まってしまった。
確かにさっき怖がらせてしまったとはいえあんまりな反応に困惑しつつ、俺は一歩一歩距離を縮めながら口を開く。
「えっと、その……。ちょっといいかな……?」
「ァ……ゥァ……」
硬直した彼女は意味のない呻き声を口から垂れ流している。
俺は出来るだけ友好的な笑みを浮かべようと、ぎこちなく口角をあげて優しく微笑む。すると、後藤ひとりがぷるぷる震えだした。
まずい。怖がらせたか? 一応聞いているだろうから早く話してしまおう。
「あー、えーっと……」
うっかりしていた。後藤ひとりに声をかけることばっかり考えていて肝心の話題を失念していた。
何か、なんでもいいから話さないと。
「……今日はいい天気です、ね?」
「すすっ、すみません……!」
がばりと頭を下げられる。
ダメだ。俺の提供する話題が壊滅的なのもそうだし、会話のキャッチボールがそもそも出来ていない。周囲の注目も集めはじめてしまっている。なんとか、なんとかしないと。
ふと、彼女が肩に下げたバッグが目につく。それに付けられたバッジは確かどっかのバンド関係の物だったはず。
後藤ひとりと言えばロック、つまり音楽だ!
「そ、そのバッグってもしかし」
「――どうか御命だけはご勘弁くださいお願いしますぅっ!!」
「え?」
いきなり土下座をかました上に大声量で謝罪を叩きつけられた。脈絡なく突然行われた奇行。まったく意味が分からない。
状況に理解が追いつかない。困惑だけが脳内を埋め尽くす。気付いたのは、彼女が躊躇なく地べたに土下座してるので手足とか服が汚れてしまうということだけ。
自分のためにも彼女のためにも立たせなければ。
「えっあっ……、とにかくっ、とにかく立って!」
「すみませんすみませんすみませんっ!」
やばい。こいつはヤバイ!
見くびっていた。俺は致命的なほどに、後藤ひとりという生物を見誤っていた。
彼女は、俺が想像していたよりずっと、とんでもねぇ妄想奇行女だったのだ!
「お金ならっ……! お金ならありますのでぇっ……!」
ヤベェ女が何をトチ狂ったのか震えながら財布を差し出してきた。
俺も震えている。ただ声をかけただけでこんなカツアゲみたいな状況になった意味不明な現状に。
マジで意味が分からない。なんでこうなった? 思考がグルグル回るが当然答えなど出ない。
「……はっ!?」
「はうぅっ!?」
我に帰る。眼前にいる生命体の悲鳴を無視して周囲を伺う。
大多数が未だ校舎内にいるとはいえ、校門付近にも人は大勢いる。その中には新入生はもちろん、その保護者たち。二年三年の先輩方もいるし、教師だって何処かにいるはずだ。
その誰もが土下座をかます奇行女を見て、次いで俺を見て。どちらが悪そうか決まりきった光景を前に、俺に侮蔑と警戒を滲ませた視線をよこしながらヒソヒソ話をしている。
呼吸が浅くなっていく。なんでこんな奴が存在してる、消えてしまえ、そんな声が聞こえてくる気がして。
俺は駆け出した。門の外へ逃げ出すように。騒ぎを聞きつけて集まってきている人混みをかき分け、校門からつんのめりながら飛び出て、必死に足を動かして学校から遠ざかる。
最悪だ。最低だ。
憂鬱な痛みが頭痛を誘発させる。
このまま死ぬか、消えてしまいたくなった。