後藤さんとロインを交換しあってから数日。ぎこちないながらもロインで挨拶したり、奇行に走った後藤さんからスタンプ爆撃をくらったりしつつ。
いつの間にか階段下で過ごす二人での昼食が日課となっていた。あまり会話もなく、楽しい雰囲気があるわけでもないが。不思議と苦ではなくて。ちょっとずつ、ちょっとずつ、仲を深めている。
紆余曲折ありつつも最初の目的を果たした俺はちょっと自信が湧き、勢いのまま下北沢をうろついていた。目的は当然、結束バンド発祥のライブハウス『STARRY』である。
特に目的はなく、気分は聖地巡礼。とはいえ急ぐ理由もなくて、休日ということもあり観光気分で俺は下北沢をぶらついていた。スマホを使わずこの足で見つけるのも楽しいかも。
しかし、ちょっぴり後悔中。下北沢の雰囲気は、こう、とっても、全体的にオシャレである。安易に適当な私服で来るんじゃなかった。
出来るだけ人目に付かないよう背を縮こませて道の端を歩く。
下北沢に来たのは初めてだ。
こういう場所に興味も関心もなかった。俺なんかとは縁のない場所だと認識している。それは今も大して変わっていない。オシャレな格好の人を見かけると、俺なんかがここに居ていいのか少し不安になってしまう。
でも、わざわざ来て速攻で引き返すのはもったいない。せめて、スターリーを一目見たい。可能なら中にも入ってみたい。
この足で見つけてやるぜ、という最初の気概をゴミ箱に捨ててスマホで検索。今いる場所からそう離れていない所にあった。
マップアプリで経路を確認しつつ、足早にそこへ向かう。そして、俺はついに見つけた。
「ほ、本物のSTARRY……」
地下へと続く階段。その奥は太陽からの光を遮り、ダークな雰囲気を醸し出している。点灯している『STARRY』の看板がこちらを睥睨しているように思えて。一歩踏み出すのに躊躇いが芽生える。
入りにくい。俺の中の陰キャがビビっている。現実のライブハウスってこんなに怖く感じるのか。
しかし、ここまで来た。後は、少し中を覗くだけ。雰囲気をちょっとだけ味わうのだ。
「……よ、よしっ」
小声で気合を入れて階段を降りていく。魔境と言っていた後藤ひとりの台詞を思い出しつつ、俺は入り口の前に立った。
緊張する。心臓がドキドキしてる。
俺は高鳴る胸を落ち着かせるように深呼吸をし、取っ手へと手を伸ばした。
「――チケットの販売は5時からですよ」
「ぉおっ!?」
いきなり声をかけられ口から変な声が飛び出てしまう。
慌てて手を引っ込め降りてきた階段を見ると、そこには金髪の美人が立っていた。ジロリと訝しげな赤目が俺を捉えている。
伊地知星歌。伊地知虹夏の姉であり、『STARRY』の店長をしている女性。とても三十路近くとは思えない端正な顔立ちをしていた。
「あ、あっその、えっと……」
「……?」
テンパリ過ぎて言葉が出てこない。
こんな美人と相対するのは初めてで。アニメで見た登場人物が目の前にいることも合わさり、緊張と焦りで頭が真っ白になっていた。
そんな俺を不審そうに見つめてくる伊地知星歌。
彼女の視線には警戒心が宿りつつある。このまではまずい。
「ラっ、ライブを! ライブを見ようと思って……」
「……いや、だから、チケット販売は5時からです。そこにも書いてあるでしょ」
俺の背後を指さされる。見ると、確かにチケット販売は5時からだと書かれた看板が壁にかかっていた。
これは、完全に俺のミスだ。時刻は午後3時前後。ここに来るのには明らかに早過ぎる。
こめかみをツーと汗が伝っていく。
「あ、ああ、そうでしたね。ちょっと来るのがはやかったかなぁー、はっ、ははは……」
「……ちなみに、今日はどのバンドを?」
「えっ」
想定外の質問に戸惑う。そんなの調べてないし、考えてもいなかった。ただ少し中を覗こうと思って来ただけで。どのバンドがライブするかも分からないのに答えられるわけがない。
結束バンド、なんて答えが拙すぎることは分かる。まだ本格的な活動をしていないのに知っているのはおかしいからだ。下手をしなくても、口に出した時点であらぬ疑いを持たれかねない。
ここはどうにか誤魔化さないと。
「バンド……、バンドはですね、その……。と、特に決めてないというか……。なんとなく来てみただけっていうか……」
「つまり、どんなバンドが出るのかまったく知らない、と」
伊地知星歌の眉間に皺が寄っていく。俺から距離を取るように一段上にあがる。
ダメだ。この状況は、あまりにもまずい。俺への不信感しか出てこない。なにより自分の言い訳の下手っぴさが恨めしい。ここは一時退却だ。
「本当は、何が目的で?」
「あ、いや、別にそんな……。と、とりあえず、早く来すぎたので一旦帰りますねっ」
俺はぺこぺこと頭を下げながら、彼女の横をおっかなびっくり通り過ぎて階段を上がっていく。
「まさかとは思うけど……、虹夏目当てってことはないだろうな?」
「ち、違いますからっ。妹さんのことは知りませんのでっ。とにかく、失礼しました!」
怒気を孕んだ質問と敵意を向けはじめてきた視線から逃れるように、俺はスターリーから走って逃げる。
そこはかとないデジャヴ。俺は走りながら、入学式の日、土下座ピンクを置いて校門から逃げ帰った時を思い出していた。
――――――
伊地知星歌は走り去っていく男の背を見つめていた。男の顔、声、表情、仕草。それらを脳裏に刻みつけつつ、遠くに消えていった背を睨みつける。
あまりにも怪しかった。若い顔つきで妹の虹夏と年齢が近そうであることを考慮しても、見逃せない不審感が星歌の胸中に燻っている。
「――店長」
「あ?」
おそらく自分に向けられた声に、不快感と不機嫌さを隠さないまま星歌はドスの効いた返事をして背後を振り返った。
そこには星歌の見知った顔。青いショートカットで片目を薄っすら隠した女子高生。整った顔立ちは女性にしては格好良く、男女問わず目を惹きつけられる容姿。虹夏の親友であるベーシスト山田リョウだった。
「お前いつから……」
「店長が歩いてたから尾行してた」
「つまり最初からかよ……。まあいいや。それより、どう思った?」
明確な言葉のない質問。しかし、言わずとも最初から聞いていたリョウには通じる。
「怪しい。不審すぎる。あと、挙動不審」
「……そうだな。分かりやすすぎるくらい怪しかった。今日のバンドについても、スターリーについても、何も知らない感じだったな」
「でも、知ってたこともある。逃げてく時に」
「――虹夏が私の妹だって、知ってやがった」
ぎりりと無意識に噛み締めた歯が不快な音を奏でる。星歌の眉間の皺はますます深まり、苛立ちが目つきを鋭くさせていく。
リョウの目も、普段とは違い真剣さを帯びていた。そこにいつも漂う緩さはない。
「リョウ。今の奴、学校で見たことあるか?」
「ない。でも、いるかもしれないから、探しておく」
「頼む。それと、虹夏にはまだ言うなよ。憶測だけで話しても怖がらせるだけだからな」
「相変わらずのシスコン」
「うるせぇ」
リョウの軽口に呆れつつ、いつもと似たような会話をすることで苛立ちが少し収まっていく星歌。目頭を指で揉み、眉間の皺を緩めながら、ゆっくり階段を降りていく。
脳裏をよぎるのは、いつだったか、自宅で何気なく見ていたテレビのニュース。女子大生がストーカー被害に遭い重傷を負ったという不快な事件。当時は軽い気持ちで怖い怖いと流し見ていたが、先ほどの男を見てからは考えを改めざるを得なかった。
星歌にとって虹夏は大事な妹だ。それを表現するのは難しく、家族だからという言葉だけでは想いを出しきれないほど。普段から口にすることはないが、本当に、心の底から大切な人だった。
虹夏の可愛く愛らしい笑顔を思い出す。天使のような癒しの表情。それはつまり、星歌だけでなく他の人も興味を持ち、異性は時に恋愛感情を持ってしまうだろうということ。実際、虹夏は中学で何度か告白されていることを星歌は知っている。
全て後腐れなく断ったらしいが。
もし、もしそんな大切な妹に異常な恋愛感情を抱き、害そうとする存在が出てきたら。その結果、虹夏が傷ついたりなんてことになったら。
考えただけでも、脳が沸騰しそうなほどの怒りが星歌を支配しそうになる。
「虹夏は、私が守る」
誰に聞かせるでもなく、世界に宣言するように。星歌は確かな決意と共にSTARRYへと入っていった。