すくりーむ・ざ・ぼっち!   作:博一

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消沈する

 

 

 

 俺はいつの間にか家の自室で天井を見上げていた。

 薄ぼんやり覚えているのは、どこかで項垂れていて。警官の人の質問に適当に返事をして。引っ張られるままパトカーの後部座席に詰め込まれたところまで。

 気付くと家にいて、両親に泣きながら抱きしめられた。その後、本物の犯人は捕まったとか、警察もきちんと事態を把握していて謝辞が来ているだとか、学校側にも説明しているだとか。何か、いろいろ言っていた気がする。

 そのどれもに、俺は雑で曖昧な返事しかしていなかったと思う。

 

 無気力だった。ただひたすら、疲れている。制服を着替える気力も、ご飯や風呂に入る元気も、何もない。今はただ、ぼーっとしていたい。

 瞼が重く、視界がゆっくり閉ざされていく。まどろみが意識を沈ませる。

 

 ふと、両親が言っていたことを思い出す。後藤ひとりは学校を休んだものの、無事に家へと帰ったこと。俺が帰ってきたので少ししたら後藤家がお礼に来るとか、なんとか。

 起きて出迎えなければいけない。けれど、起きてなんていられない。

 後藤さんが無事だったのなら、それでいい気がした。

 

 ほんの少し、微かな救いがあったように思えて。

 俺は眠気に身を委ねた。

 

――――――

 

 その後、俺は数日ほど学校を休んだ。

 全身の筋肉痛と両足の極度の疲労の影響もあるが、主に精神的疲労からくる虚脱感で気力が湧かなかったから。

 俺は本やゲームで暇を潰しながら、どこか色の薄い視界の中ぼんやりと時間を無意に過ごしている。

 

 結局、あのホームでの逃走時以降、後藤さんとは会えていない。俺が寝こけてしまった当日の夜には両親と共に家へ来たらしいが、後藤さんも限界だったらしくふらついて転けそうになってしまい、顔合わせは後日となっている。

 両親経由で後藤パパママから聞くところによると、彼女も精神的疲労でダウンしているそうで。布団や押し入れに引きこもってギターに没頭し、学校中退したいだとか電車怖いと自作即興ソングを歌いつつ奇行に走っているそう。

 意外と元気そうなので安心した。うじうじとギターを弾いて意味不明なことをしている内は大丈夫そうだ、と謎の安心感を抱く。

 

 そんなことより驚くべきは、俺の家と後藤家が割と近場にあったことだ。なんと、徒歩十分程度。これには俺も後藤さんもびっくり。

 中学で会わなかったのはギリギリ学区違いだったため。そんな二人が地元を離れて同じ学校に進み知り合うとは。世の中狭いものだと実感する。

 両親は運命の出逢いかもっ、などと興奮していたが面倒なのでスルー。

 

 あれこれ新発見がありつつ、気分の晴れないまま学校復帰日となった。俺に合わせて後藤さんも登校しはじめるらしい。同時に今日の放課後、改めて後藤一家が挨拶をしに来るそうだ。

 そのためか、登下校は駅で待ち合わせて一緒に行くこととなっている。誰が提案したか分からないが、勝手にそう決められた。単純に、痴漢にあった電車へ後藤さんを一人で送り出すのは心配だったからだろう。

 件の電車だが、事件が告知されて乗員や駅員、見回りの警察の目も厳しくなっているらしい。とはいえ万が一があるし、精神的恐怖が拭えるわけではない。

 一人ではなく二人の方が安心感があるのは確かだ。俺のような役立たずが一緒で本当に安心できるのか疑問だけれど。少なくとも、後藤さんの壁にはなれる。

 

 靴を履き、心配そうに見送ってくれる母に手を振って、玄関の扉を押しひらく。

 憂鬱な気分は、未だ晴れない。

 

――――――

 

 後藤ひとりは、自分のような芋ジャージの根暗女が痴漢に遭うなどとはこれっぽっちも考えていなかった。女として無価値であり、周囲にとってもそうであると勝手に思っていたのだ。

 だから最初、お尻でもぞもぞと蠢く手が何なのか理解できなかった。偶然にしては当たり過ぎていて、少し移動しても追ってくる手を純粋に疑問視していたのだ。

 けれど、次第に遠慮が消えてねっとり撫でられる感覚を味わった瞬間、生まれて初めて感じる強烈な嫌悪感と共に全身に鳥肌がたつ。これが痴漢なのだと、本能的に理解してしまう。

 

 しかし、後藤ひとりは声を出せなくて。恐怖で体が強張り、半ばパニックとなった思考は真っ白で対処法など思いつけず。じわじわ込み上げる吐き気と気持ち悪さに、下唇を噛み締めながら震えることしか出来なかった。

 

 そこに、彼――「佐藤みのる」が来た。

 

 学校で唯一話せるクラスメイト。根暗陰キャのシンパシーを感じる異性。不思議と、一緒にお弁当を食べる時間が苦にならない人。

 佐藤みのるは青ざめ、緊張に強張りながらも、痴漢の手を止めてくれた。後藤ひとりの目を真っ直ぐに見て、安心させようと不器用に笑って。

 その瞬間、後藤ひとりはとても、とても安心したのだ。だから、震えつつ、お礼を言おうと口を開き。

 

 そこで事態は一変。佐藤みのるが逆に手を掴まれ、痴漢だと叫ばれる。

 その辺から後藤ひとりの記憶は曖昧だった。怒涛に変わる状況についていけず、痴漢の冤罪で組み伏せられる彼を涙目で見つめるしかなく、近場にいた親切な女性に気を遣われていただけ。

 

 彼女には意味が分からなかった。犯人は佐藤みのるを痛めつけるように抑えつけて嗤っている男で、決してその人ではない。

 でも、声を出せない。体が動かない。何もできなかった。

 結局、叫び逃げ出していく佐藤みのるを見送ることしかできなくて。この後すぐに来た警察に本当の犯人が誰であるか聞かれるまで、後藤ひとりは行動できなかった。

 

 元々マークしていたらしい痴漢男を私服警官だった無線機を持った女性と、駅員の後に来た複数名のスーツ姿の男たちが現行犯で捕まえて連行していくのを呆然と見送ったのを、後藤ひとりはぼんやりと覚えている。

 そこから先の記憶は酷く曖昧で。かろうじて思い出せるのは、彼が投げ捨てていった鞄を渡されてずっと抱きしめていたことと、父親が迎えに来て涙を流しながら憤っていたことだけ。質疑応答をされたが、きちんと話せたか分からない。

 けれど、佐藤みのるは犯人じゃなくて守ってくれた人だと口にしたのだけは確かだった。

 

 それから学校を休み家に帰るが、佐藤みのるが見つかっていないのが気がかりで休むに休めず。発見され帰宅したというので、いざお礼をと行動したら気力と体力が尽きてダウンしてしまう。

 結局、学校復帰日までお礼を言えずにいた。ロインで送ろうかとも迷ったが、こういうのは直接言った方がいいと母親に言われ、後藤ひとりは密かに気合を入れている。

 

「……学校、やだなぁ」

 

 気合いがあっても学校に行くのは嫌だった。気分は憂鬱。なにより嫌で怖いのはクラスメイトからの「誰だこいつ」という視線。存在を忘れられてしまっているかもしれないという恐怖だ。

 そして、休んだ日の授業内容。後藤ひとりはきっちりノートを取るタイプなので、休んだ分だけ書けていないことがモヤモヤしてしまう。だが、ノートを見せてくれる友達などいないので把握は無理。

 しかしなによりも、また電車に乗るのが、怖かった。

 

「っ! ふぅー、ふぅー、ふぅーーー〜〜〜っ!! ぅへぇっ、ごほっごほっ、ごほっ」

 

 彼女は落ち着くために深呼吸をするも、息を吐き過ぎてむせてしまい玄関で咳き込む。

 改めて呼吸を整えつつ、後藤ひとりは震える手をぎゅっと握って。あの日、助けてくれた不器用な笑顔を思い出した。

 あたたかな想いが胸中を満たす。微かな勇気が手を動かし、玄関扉の取手を掴む。

 

 彼女は振り返り、心配そうに見守っていた両親、首を傾げる妹とジミヘンを見て。

 

「いってきます」

 

 憂鬱な気持ちを精一杯に振り払い、嫌な記憶を頭の隅に押しやり。

 外へと、一歩踏み出した。

 

――――――

 

 駅の外。陰になった隅っこの方でうずくまって待っていた後藤さんと、ぎこちなく挨拶を交わして電車に乗る。

 特にこれといった問題もなく登校時間は過ぎていき、無事に学校へ着いた。

 その間、後藤さんは俺をチラチラと見ては何か言いたそうに口をもごもごとさせるも、何も言えずに押し黙ってしまい。どんよりと勝手に落ち込みはじめた後藤さんに、なんと声をかければいいか分からず。いつもはあまり苦ではない沈黙を気まずく過ごした。

 

 学校へ向かう道すがら。

 同じ制服の生徒が増えてくる。同時に、俺を見てくる視線も。

 後藤さんは気付いていない。俺の二、三歩後方をとぼとぼと俯きがちに歩いている。学校嫌だ、休校になれ、帰りたい、などの独り言をぼそぼそ言っていた。

 合わせていた歩幅を広げて、そんな彼女から少しずつ距離を取る。これは決して、彼女が嫌いだとか怖いだとかいう理由ではなく、俺に向けられる視線に巻き込まないためだ。

 ここからなら学校は近く歩くだけ。後藤さんを放置しても危険はないだろう。

 

 周囲に視線を走らせる。こちらを見ていた女生徒と目が合う。女生徒は慌てて顔を背け、足早に学校へと向かっていった。目を背けられる直前の顔に浮かんでいたのは、明確な嫌悪感と恐怖。

 道中はまだ良かった。

 学校の校門を通り、教室へと歩く途中。誰もが俺を見ては距離を取り、侮蔑を含んだ目で見てくる。これみよがしにヒソヒソと話していた。

 予想出来ていたことではあるが、かなりキツいものがある。あの日、山田リョウが見せてきた動画は見事に拡散されていたらしい。

 

 流石の後藤さんも気が付いたようで、十歩くらい離れた場所からオロオロと挙動不審になっている。しかし、周囲の視線に耐えかねて縮こまり、俺に近付いてはこない。

 その様子に俺は内心ほっとした。突き刺さる視線は俺に向くばかりで、彼女には一つも向いていない。挙動不審に対して「なんだこいつ……」みたいな目はあれど、同情とか哀れみみたいな視線はなかった。

 どうやら、俺について拡散されていても、被害者である後藤さんのことは何も情報がないようだ。幸いなことに例の動画に映っていたのは俺だけ。その点だけは、本当に安心した。

 

 厳しい目は教室に入っても消えはしない。

 教壇の真ん前であるので、机に座ると俺の背中にいくつも視線が突き刺さる感覚が。こういう状況を針のむしろと言うのか、と思いつつ寝たフリへ。

 朝礼が終わり、授業が始まる。

 何故か、担任からも各授業の先生からも、何も説明がなされない。せめて何か言ってくれるかもと微かに期待していたが、様子を伺うように見られたり、教室の雰囲気に首を傾げたりするばかり。たかが噂と判断したのか、犯人じゃないから下手に騒ぎ立てて余計な面倒ごとを起こしたくないのか。なんにせよ、この学校の教師陣は俺を守ってはくれないらしい。

 

 昼休み。俺はすぐさま立ち上がる。驚いたように見てくる何人もの視線を無視して、弁当片手に教室の外へ。

 いつもの場所。物置のような階段下。そこに腰を下ろし、弁当を開けずに後藤さんを待つ。

 数分後、彼女は気配を薄めながらそそくさと俺の隣に腰を下ろす。互いに挨拶もせず、弁当を開けることもなく、無言。

 

「…………」

「……ぁ」

「…………」

「ぅ……」

 

 後藤さんは口を開けたり閉じたりして、何か言おうとしてやめてを繰り返し、ものすごく戸惑っている。

 学校と教室の雰囲気に呑まれず俺を心配している様子は、彼女の優しい心根を明確に表していた。周囲に染まらない様は正しくぼっちで。感謝と尊敬に値する。

 だからこそ、隣にはいられない。側にいてはいけない。

 俺のような不純物がいては、輝くものも輝かないから。

 

「後藤さん」

「あ、はい!?」

「俺にはもう、関わらない方がいい。特に、学校では」

「……え?」

 

 困惑する後藤さんをよそに、俺は立ち上がる。

 

「後藤さんはいつも通り、ここでゆっくり食べてよ。俺は別のとこで食べるから」

「え、えっ? な、なんで……」

「万が一、俺と一緒にいるところを見られたら大変だし。平穏な学校生活を送るためにも、ね?」

 

 俺と共にいることで後藤さんにまで変な噂が出てきてしまうのは、許容できない。こうしてこの場にいることでさえ、危険だ。

 

「ロインくらいなら返すよ。それじゃあ」

「あっ……! ま、ままっ……待って!」

 

 歩き出した俺の制服の裾を、彼女が握る。

 か細く小さい力だ。振り解こうと思えばできるだろう。けれど、俺は足を止めてしまう。

 同時に、俺は嘲笑した。自分自身を。いったい、何を期待しているのだ、と。

 

「…………」

「ぁ……ぅ……。その、えと……」

 

 咄嗟の行動だったのだろう。後藤さんは言葉を詰まらせ、何も言葉が出てこない。

 彼女の優しさが、僅かに掴まれた服の裾から伝わってくる。そして、胸の奥が苦しくなっていく。

 言いようのない感情が湧き出てくる。嬉しいのか、悲しいのか、分からない。ただ、苦しい。

 

 自然と歪む自分の表情を無理矢理ほぐして、振り返りながら後藤さんの手を取り、目線を合わせるようにしゃがむ。

 どうすればいいか分からない。そんな困り顔の彼女の目を見つめて。普段、真正面から見れない彼女の顔はとても可愛く。俺にはとても眩しくて、目を逸らしたくなる心を抑えながら口を開く。

 

「後藤さんには、これからきっと、大切な友達や仲間が出来るよ。俺なんかより、ずっと、ずっといい人たちが」

「そ、そんなの……」

「分かる。分かるんだ、俺には。……だから、安心して」

「ぁ……」

 

 手を離し、立ち上がる。後藤さんに背を向け、歩く。

 

「今までありがとう」

 

 引き留める手は、伸びてこなかった。

 

――――――

 

 もうすぐ昼休みが終わる。

 重みの残った弁当を片手に廊下を歩く。結局、良さそうな場所は見つからなかった。どこに行っても見られ、嫌悪され、厳しい視線は監視のよう。食欲は全く湧かない。

 教室に戻り、じっと過ごす。そう決めて、廊下を進んでいた。

 

 ふと、視界の隅に赤い髪。引き寄せられるようにそちらを見る。

 可愛らしい顔、後藤さんと違い全身から放たれる陽キャオーラ。後に結束バンドへ加入するギターボーカル、喜多郁代だった。

 周囲を囲む女生徒たちと楽しげに談笑する彼女は愛らしく、男女問わず誰もが惹かれる美少女だ。俺もまた、無意識にじっと見てしまう。

 

 何かを感じたのか、喜多さんがふっとこっちを見て。目があって。

 

「……っ」

 

 彼女は怯えたように顔を強張らせて後ずさった。

 言葉にし難いショックが胸を襲う。

 

「……? 喜多ちゃん、どうかしたの?」

「なに見て、あっ」

 

 談笑していた女生徒たちが訝しげにこちらを見て、一斉に眉を顰めた。嫌悪と侮蔑の目が俺を射抜く。

 彼女たちは表情を強張らせて、足を震わせながら、喜多さんを守るように背後へ庇った。

 善意に彩られた敵意。女生徒たちだけでなく、周囲を歩いていた生徒たちも、俺を非難するように見ている。

 

 胸を抑えようとした手を咄嗟に止めて。俯き、下唇を噛み締める。

 何も言わず、何も言えず。俺は逃げるように教室へ向かう。

 

 何がしたかったのだろう。俺は何を求めて、後藤さんに声をかけた。

 分からない。ここにいていいのだろうか。苦しい。

 入学式の日に感じた高揚感は、もう残っていなかった。心を無にして、苦しみから必死で目を逸らす。

 

 悪夢が脳裏をよぎっていく。荒くなりかけた呼吸を必死で取り繕う。

 

 俺は、独りだった。

 

 

 

 

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