後藤さんから距離を取ってしばらく。俺は困っていた。
周囲の視線からくる窮屈さやイソスタやトゥイッターに広まる悪い噂に対してではない。そっちはそっちで困ってはいるが、今一番気にしていることではなかった。
原因は俺の後ろ。
バッと背後を振り返る。道の隅っこで縮こまり俺を見ていたピンク色の生物が慌てふためき、細っこい電柱の陰に隠れた。
隠せていないピンクの髪が盛大に飛び出している。サイドのくせっ毛がびょこんと伸びており、アンテナの如くピンと尖ってくるくる回っていた。
そこにいたのはストーカー後藤。ぼっちを極めし奇行女だ。
彼女はバレっバレな尾行を毎日披露してくれている。それも、登下校中に加えて学校内でもだ。どこに行っても、どこかしらから俺をじーっと見つめている。
その奇行は当然、周囲の目にもとまっており。「ヤベェ女だ」という表情で見られては距離を取られていた。残念なことに、当人は俺に集中し過ぎているためか周囲の様子に気がついていない。
これでは距離を置いた意味がなく、俺は心底、困り果てているのだ。
幸いなのは、俺に関係して悪い噂がたつ様子がないことか。周囲からの彼女の評価は低くなっているだろうけど。
だからといって俺から接触できるはずもなく。ロインもスタンプ爆撃を恐れてブロックしているので注意もできず。
さっさと周りの目に気付いてくれと願いながら、日々が過ぎて。
その日、珍しく後藤さんの尾行がなく。不思議に思いながらこれが普通かと思いなおし、ようやく自分のやってることを自覚したのかと安心していた。
俺は教室で、警戒するように遠まきに見られつつぼんやりしていたところ。
――ガラッ。
やけに耳に届いた扉の音。一瞬シンと静まりかえる教室。思わず教室後方を見て、俺は目を見開く。
そこにいたのは、黒いギターケースを背負いバンドグッズでガチガチに身を固めいつも閉じているジャージを開けてバンドに関するであろうシャツを着た後藤さんである。学校でするにはあまりに、あまりにも悪目立ちするイタイ格好であった。
ギターケースはまだしも。ピンクジャージで暗い雰囲気を放つただでさえ声をかけにくい同級生がよく分からないアクセサリを付けた完全武装で登校してくるのは、キツい。まず一旦、そっと目を逸らして距離を取るのは確実だ。
そして、俺は気付く。今日が運命の日なのだと。
消えたはずの高揚感が僅かに芽を出す。しかし、俺はそれにフタをした。
これから始まる結束バンドの物語を俺のような悪い噂持ちの不純物が邪魔をしてはいけない。後藤さんが転がっていく運命に何かしらの悪影響を与えてしまったら、俺は俺を許せなくなる。
俺はモブだ。背景になるのだ。輝かしい青春を眺める凡人。それが俺には相応しい。
だというのに。
俺はずっと後藤さんを観察してしまっている。
彼女がワクワク顔で「話しかけて!」という雰囲気を出しながらバンド雑誌を読んでいたとこも。あれおかしいな、と首を傾げつつそっとジャージの前を閉めたとこも。どんどん表情を暗くしていそいそと手首に巻いたアクセサリを外すとこも。放課後なのに寝たフリをして教室から誰もいなくなるまで粘っていたとこも。
単純に見ていて面白いのはある。生まれ変わってから、見ていてこれほど楽しい気分になったことはなかったので、つい好奇心で見てしまう。
あれぇ? とくせっ毛が項垂れたのを教室の外から見届けて。
俺は足早に学校を出て校門から少し過ぎた適当な場所に陣取る。その後しばらくして、ふらふら覚束ない足取りで出てきた後藤さんをさりげなく追いかけた。
彼女は俺に全く気付くことなく。こんなはずじゃあ、みたいなどんよりオーラを纏っていた。
そして、たどり着いたのだ。あの公園に。
ブランコに座って黄昏れはじめた後藤さんを物陰から確認し、俺は身を隠してうずくまる。運良く通行人はいないので、遠慮なく座り込んだ。
俺はいったい何をしているのだろう。これではまるでストーカー。普段の後藤さんと立場が逆になってしまっている。
自分が関わるべきじゃないと理解していても、湧き出てくる好奇心をとめるのは難しい。せめて、転がりはじめる瞬間をこの目で見たい。そんな想いが理性に反して勝手に体を動かしている気がした。
家族の和気藹々とした声が聞こえてくる。明るく楽しそうな声は俺の陰を濃くしているようで。自己嫌悪が深まっていく。
「――あっ!! ギターーーッッ!!!!」
運命のはじまる声がした。
そっと公園内を伺う。以前に見た黄色髪で長いサードテールをしたリボンの女の子――伊地知虹夏が後藤さんに駆け寄っていた。
さっきまでの自己嫌悪など吹っ飛んで。感動が胸中を渦巻いていた。
彼女たちは、強引な自己紹介とバンドを組んでいることを話し、絶対に大丈夫じゃない感じでサポートギターのお願いをしている。
この後、後藤さんは引っ張られる形でスターリーへ行き、完熟マンゴーとなるのだ。
でも、そこに俺はいない。いてはならない。
冷たい苦しさ。無意識に心臓付近に手を置き、制服が皺になるのも構わずに握りしめる。
望んではいけない。俺が何かを得ようとしても、良いことなんて一つもない。楽しいことや嬉しいことを求めてはいけない。呆然と生きて、最低限の親孝行を果たして、何にもなれないまま死んでいく。それが俺に相応しい末路。自分で自分の命を絶った俺への罰。
淀んだ記憶が脳裏を埋め尽くす。明るく輝かしい彼女たちは手を取り合って、俺を置いていくのだ。
目を閉じ、頭を横に振った。ぐだぐだと考えはじめた思考を打ち切る。
馬鹿なことをする前に帰ろう。そう思って後退り、――パキッと音がした。足元を見る。小さな木の枝を踏み折っていた。
ほんの少しの小さな音。公園内に届いたとしても、気付くはずもない微かな音だった。
しかし、彼女は――後藤ひとりはこちらを見て、目があってしまう。
「ぁ……」
「ひとりちゃん? どうかしたの?」
いけないことをしてしまったような。悪いことをしているのを見られたような。そんな罪悪感が俺を責め立ててきて。
慌てて踵を返し、走る。
「――ま、ま待って!」
「……っ」
普段の後藤さんからは想像できない呼び声が俺の背中を打つ。けれど、立ち止まってはいけない。伊地知虹夏の目に俺を入れてはいけない。
だから走る。そうするべきだ。走って、逃げて、部屋に引き篭もって。関わりを無くす。
それが一番いいのだ。誰も傷付かないですむ解決方法。
だって、いうのに。俺の足はあんまりにも重くて。止まってしまう。
「あ、さ、佐藤くん……」
近付いてきた声に振り返る。後藤さんが俺を見て、口ごもる。気不味い。
「……っ! 君って、この前の……」
「……どうも」
追ってきた伊地知虹夏が俺を見て顔を強張らせた。警戒するような視線が向けられ、緊張からかスカートをぎゅっと握っている。
後藤さんは、俺と彼女が顔見知りであることに驚いた様子で。漂いはじめた緊迫した空気感にオロオロと挙動不審になってしまう。
こんな雰囲気で会話など出来るわけがない。やはり、足を止めるべきじゃなかった。
「その、急いでるんですよね。俺のことは気にしないで……って言っても気になるでしょうけど……。まあ、もう帰るので。本当に。だから、えっと、頑張って」
上手く言おうとして失敗し。雑な応援を後藤さんに送って背中を向ける。
「だ、だめっ! あぅっ!?」
「ひとりちゃん!?」
走る足音が聞こえたと思ったら俺の真後ろでズサっと音が。慌てて振り返れば、後藤さんが俺の足元付近にうつ伏せですっ転んでいた。
彼女の手足がぴくぴくと痙攣している。俺は目元を手で覆った。呆れ半分心配半分で彼女の前にしゃがみこむ。
「はぁ……。大丈夫? 怪我してない?」
「うぅ……すみません……」
手を取りゆっくりと立ち上がらせる。見たところ、特に怪我した箇所は見当たらない。大事な手も顔も傷はなくて、俺はほっと安心した。
握っていた手を離す。と、後藤さんが俺の指をきゅっと捕らえた。
ほんのり冷たく、けれど不思議なほど暖かみを感じさせる手。彼女は顔を俯かせていて手も震えている。けれど、離さないという意思がよく伝わってきた。
その優しい手を振り払うことは出来なくて。
意を決したように後藤さんが声をあげる。
「あの、そのっ! ……い、一緒に行きません、か」
「……いや、俺は」
「あ、えと……話したくて……。ちゃ、ちゃんとっ、話したいんです……」
「それは……でも……」
後藤さんの後ろ。未だ緊張しつつ、俺と後藤さんの様子を見て困惑している伊地知虹夏。
彼女がどうするか。それに左右される。
俺は、どうしたいのだろう。承諾もできず、手を振り払って逃げることもできず。何も決められずにいた。
「――ぁあああっもぉーーー!!」
「うひっ!?」
「いっ!?」
頭を掻きむしって突然叫び出した伊地知虹夏。それに驚いて奇怪な悲鳴をあげる後藤ひとり。後藤さんが驚いたことで強く握られた指がグキッと変な音と僅かな痛みがはしる俺。
いろんなことを無視して、伊地知虹夏はズンズンと躊躇なく近付いてきて後藤さんの腕――俺の手を掴む方の反対側の手首を掴み引っ張っていく。
「えっ、あ」
「なんかこういろいろあるんだろうけどっ! 私もいろいろ思うとこはあるけどもっ! 時間ないから話は後で! とにかく着いてきて!」
「ちょっ、指っ! 指が抜けるっ!」
後藤さんが引っ張られ、自然と握りしめられた俺の指が引っ張られ。勢いよく早足で歩く伊地知虹夏のスピードで指の骨がスポンと分離するんじゃないかと心配になってしまう。
各々の感情をほっぽり出して俺たちは進み出した。
ぐんぐんと引っ張られる感覚に乗せられて、自分の何かが、転がりはじめる。