「はぁああぁぁああぁあああ――っ」
次の日、ちょうどまふゆが休日の部活に出かけている時のこと。
母親はリビングの椅子に座り込み、テーブルに突っ伏していた。
「どうしたんだ? そんな悲しそうな顔して」
「あ、アナタ……」
父親に優しく声をかけられ、母親はむくりと顔だけを上げる。
その顔はどこか虚ろで遠い目、そして悲しげだった。
「これ……」
かすれた声で母親が差し出してきたのはスマホで、内容はいつぞやに流行った名前診断のようだ。
「親診断? なになに――」
そして、父親は母親の名前が書かれたその診断内容を見た。
――アナタは『確定毒親』です。子供に良い子を押しつける屑なので今すぐにこの世から消える事をおすすめします。
「wwwwwwwwwwwwwwww――ッ」
「ちょ、ちょっと笑わないでよっ!」
「いやこれはひでぇwwwwww」
しかも毒親診断の詳細が『音ゲーに同じ名前の毒親がいるから』というなかなかに理不尽な物。
父親はひとしきり笑った後、苦笑いを浮かべる。
「まぁ、確かになんでもかんでも『良い子』とか『偉い偉い』とか言ってるし、確かに押しつけてるかもな」
「そりゃそうでしょ! あの子はとっても良い子なんだからっ!」
「いや、それは知ってるが……」
「もしたばこを吸ってたとしても! 授業とかにサボってたとしても! それはまふゆの意思よ? 偉いでしょ!」
「そう、そういうとこだよ。叱ることを覚えろ」
力強く演説する母親に、父親はため息をつく。
正直『音ゲーに同じ名前のキャラがいるから毒親』というのは理不尽だが、完全に的を射ていない訳ではない。
――彼女はまふゆがどんなことをしても甘やかす傾向がある。
それでは子供は育たないし、なんでもかんでも子供を肯定するのは……毒親と言って良いだろう。
「そもそも! あの子は頑張り屋さん過ぎるのよ! きっとアナタに似ちゃったんだわ!」
「……俺のせいかよ」
「そういうアナタが好きだけどっ!!」
「はいはい、どうも」
ヒステリックをかます母親に対し父親は肩に手を置き、口づけをした。
「んむ……っ!」
その瞬間、母親は大人しくなり、口づけをし終えると目をとろけさせ、口をだらしなく小さく開けていた。
「あんまり考えすぎるな、な?」
「……はぃ」
―― ―― ――
その日のお昼頃、まふゆの母親はある三人と待ち合わせをしていた。
場所は最近お気に入りのホテル内にある喫茶店、母親はそのホテルの外エントランス付近で待っていた。
「こんにちはー、まふゆのお母さん」
そして、待ち人は二人してやってきた。
待ち人の一人はとても楽しそうな笑顔で手を振り、もう一人は呆れたような目でその少女を見ていた。
「瑞希、人前で大声を出さないで。すいません、お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、わたしも今来た所よ」
短い髪の少女――絵名がそう問いかけてくるので、母親は優しく笑みで返す。
「えへへへっ、こんな所で友達の親と待ち合わせなんて……なんかドキドキするねっ」
「瑞希、アンタねぇ……」
薄いピンクのサイドテールの少女、瑞希のその浮ついた言葉に、絵名はため息をつく。
そんな光景をのほほんと眺めていると、
「おまたせ、しまし、た」
最後の待ち人は来た。
その待ち人はジャージを着ている銀色の長髪が特徴的な少女……奏だ。
「ふふっ、待ってたわ奏さ――って、大丈夫?! 汗だくよ?」
来てくれた奏は、息が絶え絶えで汗だく……、かなり疲れているご様子だった。
母親はすぐさま彼女に駆け寄り、ハンカチで彼女の汗を拭う。
「あ、ありがと、う。ござい、ます」
「奏!? 大丈夫っ!?」
そんな生まれた子鹿のような姿を見て、すぐさま絵名も近寄った。
「な、なんと……か」
「ご、ごめんなさいね。急いできてくれたの?」
「い、いえ……、ひ、ざし。が……」
「日差し?」
奏のその言葉に、母親は手で陰を作り、太陽の方に目を向ける。
日差しと言われても、今日はそんなに日差しは強くないはず……。
「あー、奏は外出ると溶けるんだよね~」
「溶ける!? 大丈夫なの!?」
へらへらと平然という瑞希に、母親はつい大声を上げる。
そして、絵名は奏の看護をするかのように肩を貸した。
「め、目が……」
「目? 目が痛いの? 待ってて、今すぐ目薬を……」
「や、ける」
「焼ける!?!?」
ジャージの袖で目を覆っている奏。
そんな彼女達に若干の心配を抱きながらも、母親と奏達は中に入った。
―― ―― ――
「それにしても奏さん、よかったの? ケーキとかあったのに、一番安いラーメンなんて選んで……」
「き、気にしないでください。ラーメン好きなので……」
母親のその問いに、息を整えながらも微かに優しい笑みで答える奏。
「奏はもうちょっと別の物も食べた方がいいよぉ、最近ずっとカップ麺ばっかでしょ?」
「……望月さんに、色々作ってはもらってる、んだけど」
「そうかもしれないけどさぁ、そろそろカップ麺を主食はやめようよ。いつかカップ麺になっちゃうよ?」
そんな会話を聞いて、母親はくすりと笑った。
「ふふっ、仲が良いのね」
「……それで、まふゆのお母さんご用件は?」
二人の会話に入ること無く、絵名は要件を聞く。
正直、今現在絵名はかなりびびっていた。突然まふゆのアカウントから母親が連絡をとってきて……『まふゆの事について話したい』である。
娘の友達に連絡を取り、娘抜きで話したいなど間違いなくいい話ではない。
そして、まふゆの行動を見る限り、どれだけゲロ甘な親でも毒親なのは必至。
――もしかしたら、音楽をやめさせろと言われる可能性だって。
「……あの子を、医者になるのをやめさせたいの」
「え?」
しかし、それは奏が想定していた真逆の言葉だった。
その言葉に、絵名はつい目を丸くし、奏と瑞希も会話を止めた。
「医者になるのを……ですか?」
「ええ」
奏の再度確認する問いに、まふゆの母親は迷うことなく強く頷いた。
予想など出来るわけがなかった。三人とも、てっきり医者は両親が勧めた道だと思っていたから。
「えと、僕の勝手な想像なんですけど……両親のどちらかがお医者さんになるのを勧めたのでは?」
「どうしてそう思うの?」
「あ、あえっと! まふゆ、さんは成績も優秀ですから。親が勧めたんじゃないかな……と! はは、はははっ!」
瑞希はまるで誤魔化すように笑う。
まふゆの精神の不安定さを見て、ここにいる三人全員が……満場一致で親が毒親で、強引に医者を薦めているのだろう。
そう思っていました。などと失礼極まりないことを、言えるわけが無かった。
「実は、医者なんて【一回も勧めたことが無い】の。話にすら出したことが無い」
「え!?」
「な――っ」
「……っ!」
その言葉に、三人は驚きを隠せずにいた。
奏はずっと、あんなに苦しんでさえ良い子でいるのは自分の意思では無いと思っていた。
音楽で彼女を救えば、まふゆは優等生としての期待、そして医者になるという重圧からも解放される。そう思っていた。
「突然言い出したの。本当に突然……医者になるって」
「とつぜん、ですって?」
「それって、お医者さんに憧れたわけでも、お医者さんがまふゆを救ったから目指すようになった。ってわけでもないの?」
瑞希のその希望的観測にすぎない言葉を否定するかのように、まふゆの母親はこくりと頷いた。
「ええ、お医者さんに救われた訳でも、医者になることを夢見てた訳でもない」
「…………」
「本当に突然、そんなことを言い出したの」
母親はそう言った後紅茶で唇を湿らせ、三人に問いかけた。
「ねえ。貴方達にはまふゆが本当にそう望んでいるように見えた? 心の底から医者になりたいって。夢を持っているように見える?」
「「…………」」
「……いえ」
母親のその問いに、奏は首を横に振った。
彼女が心の底から医者になることを望んでいる? 馬鹿な、あんなに苦しんでいたのに、あんなに辛そうだったのに……そんな事あるわけがない。
「そうよね、わたしもそう思うわ」
母親は小さくため息をつき、悲しげな顔をした。
「本当に医者を目指しているならそれでいいと思う。とっても険しい
道だと思うけど、それはまふゆが決めた事だから……わたしは何も言わない」
「…………」
「けど、どうしてもわたしにはあの子が本気で医者を目指してるとは思えない。まるで良い子を演じているだけ見たいな気がするの」
その悲しげな瞳は、正に母親だ、奏の母と同じ……優しい瞳。
子供が辛いのなら助け、子供のためなら何だってする……そんな意思を感じられる瞳。
本当に――まふゆの事を心から愛しているのだろう。
母親の話を聞き終えると、瑞希は腕を組んだ。
「まっ、そりゃあ娘が良い子演じてたら、親は僕ら以上に心配か……」
瑞希達は彼女の本性をわかっている、良い子を演じていることも。
なぜなら瑞希達は彼女の『誰もいないセカイ』に入り込んだから、彼女の心を少なからず知っているからだ。
――しかし、母親はそんなこと知るよしも無い。
家族なのに、見せてくれるのはずっと皮を被った優等生のままで、ずっと偽った良い子のまま。
そう感じるまふゆの母親の心情の辛さは、計り知れない。
「……ふふっ、娘の気持ちも考えないくせに。そんなの余計なお世話って、あの子なら言うでしょうけどね」
「そんなことは、無いと思います」
「そう、かしら」
「……はい、お母さんのお気持ち、とっても素敵だと思います」
絵名は少しでもこの人がまふゆの人生を狂わせた原因だと思い込んでいた自分を恨んだ。
この人は、本心はまふゆと同じくらい優しい人だ。
「あ、あの……っ」
「?」
「まふゆのことは……任せてもらえませんか?」
「任せる?」
だからこそ奏は……まふゆの母に言いたかった。
まふゆの事を本当に想っているこの人に……自分がまふゆを『音楽で救う』と。
「わたしは、約束してるんです。音楽でまふゆを救うって……。出来るかどうかは、わかりません。でもわたし達は音楽で――まふゆを救いたいんです」
「…………」
「いつも貼り付けたような笑顔のまふゆが……音楽で、初めて本当に笑ってくれたんです。だから、信じてます」
「奏……」
「音楽でまふゆは自分の本当の気持ちに気づけるって。みんなで音楽を作っていれば必ず――」
奏自身、おこがましい事を言っているのは重々承知だった。
この人はまふゆの事を第一に考えて、悩んだり苦しんだりしたはずだ。まふゆに幸せになってほしい一心で。
だからこそ、『音楽で救う』なんておとぎ話のような事信用してくれないかも知れない。
けど、
「必ずわたし達の音楽が……まふゆに光をもたらす。そう信じています」
それでも、奏はまふゆを救う。
親友として、サークル仲間として……まふゆとの約束をこの手で果たす。
「僕からもお願いします、どうか僕達に……まふゆを助けるチャンスをください」
「私からも……お願いします」
「……二人とも」
奏の意思に釣られるように、二人は深々と頭を下げた。
そして、まふゆの母親は優しく笑った。
「良い親友に恵まれたわね。あの子は」
「っ! じゃあ――」
「仲間だからこそ救われることもある、まふゆのことを信じてくれた貴女だもの、貴女なら安心して任せれそうね」
「あ、りがとうございます……っ!」
その言葉に、奏は心の中でガッツポーズをし、瑞希と絵名にも笑顔が戻る。
「やったね! お母さんからのお許しが出たよっ! なんにせよこれからも音楽を続けられるねっ」
「まっ、アイツのためとに頑張るのは癪だけど。母親に任されたのなら仕方ないわね」
瑞希は万歳をして喜びを表現し、絵名はふんっと鼻をならした。
「ただ……」
「?」
「結果を求め過ぎちゃだめよ? 救うとかそういうのは抜きにして、趣味として楽しむのが……一番良い音楽を作れると思うわ」
そう言って、奏の頭を撫でた。
「頑張るのも良いけど、肩の力を抜いて……ね?」
「は、は……い?」
母親はなんとなく、この奏という少女は危うい気がした。
少し話しただけなので何故かはわからない、しかし明らかに音楽に執着しているような、そんな感じ。
だから、彼女に深追いしない程度にそうアドバイスした。