「はい~。これ絵名の~」
「ちょっと瑞希! 人参しか入ってないじゃない! 嫌がらせ?!」
その日の夜、朝比奈家は今までに無いほどの盛り上がりを見せていた。
ゲームの一段落がつき、皆で鍋をつつき合っている最中だ。
「んで、これはぼくの~……ってあっ!! 絵名! それ僕が食べようと思ってたのに!」
「ふん! 食べ物の恨みは恐ろしいのよバーカ!」
他人の家に上がってもなお、相変わらずの絵名と瑞希に苦笑しながらも、ふぅふぅと鍋を冷ます。
そんなことをしていると、まふゆの母親が話しかけてきた。
「どう? おいしい?」
「あ……はい。おいしいです」
「ふふっ、それは良かったわ。いっぱい食べて良いからね」
「ご、ご相伴にあずかります」
ちょっと肩に力が入っている奏と、いつも通りニコニコな母親を見て、まふゆは顔をしかめた。
「………………」
「ちょっとまふゆ、さっきより機嫌悪いわよ? 何かあった?」
「いにゃー、実はですねお母さん。ちょっとまふゆが奏にゲームでボロ負けしてすねちゃって……むぐぅ、ぁっつうぅぅううう!!」
瑞希が母親の問いをいたずらに返そうとした瞬間、突如熱々の大根が飛んできて、瑞希は熱さにもだえた。
「関係ない」
「あははっ、まさかなんでも出来るアンタがゲームでボロ負けするなんてね。零勝四十敗だっけ――」
「違う、三十八敗」
「ちゃんと数えてるじゃ無いの」
「関係ない」
まふゆは絵名と口喧嘩をしなながらも、熱々の鍋の出汁を飲む。
そして次の瞬間、母親に後ろから抱きしめられた。
「まふゆ? 子供じゃ無いんだからそんなことでいじけちゃ駄目じゃ無い」
「だから関係ない」
「ぎゅーっ」
「くっつかないで、危ない」
「ぎゅぅぅぅぅうううううう!!」
「は・な・れ・ろ」
「ふっ」
そんな、光景を見ながら、父親は微かに笑った。
「あ、えと……すいません。みんな騒がしくて」
「いや、いいさ」
ぺこぺこと頭を下げてくる奏に、父親は優しく言う。
正直、今のまふゆには本当に信頼できる友達がいないのでは無いか、と思っていたが、どうやら考えすぎだったようだ。
自分が惚れた女性も言っていた、『女とはすぐに見違える生物である』と……本当にその通りだ。
「……今度は倒す」
「あ、あはは、今日は帰らなきゃだから、また今度ね」
「勝ち逃げ?」
「そんなに悔しいの……?」
「あー、今度は僕もやる! 皆で乱闘やりたい!」
「私もやるわ、まふゆの意地に付き合ったせいで……結局私達ほぼ待ちぼうけだったんだからねっ!」
その証拠に、彼女達は無意識にまた遊ぶ約束をつけている。本当に、子供は成長が早い。
―― ―― ――
今のうちに通常の親子関係について、確認しておこう。
通常、親子というのは子供が幼い頃は一緒に眠る物だ。それは夜泣きしたときの対処に夜のトイレの付き添い――色々が重なり子供の頃に親と寝たことが無い……という物は少ないだろう。
しかし、それは本当に幼少期の話であり、小学生の高学年には自分の部屋……もしくは兄弟姉妹共通の子供部屋を持つ物が大多数のため、親と寝ることは無い。
――それ故、高校生で親と寝るなどもってのほか、ありえるはずがない。
「ぎゅぅぅぅうううううう――――ッ」
しかし、現在朝比奈まふゆの部屋のベッドでは……だから何だと言わんばかりにまふゆと母親が横たわり、母親がまふゆを抱きしめている。
「…………」
そんな状況で、まふゆは真顔のまま虚空を見つめる。
「ねえ、いい加減やめない? 一緒に寝る日」
「なにいってるの。これはわたしにとっての『まふゆ成分』回復の時間なのよ?」
「なにそれ、新手の麻薬?」
「うーん……、中毒性という観点からしてみれば間違いなく?」
「…………」
まふゆは母親の変な言葉を真に受けず、ただただため息をついた。
一緒に寝る日。それはまふゆの母親が『勝手に』作った週に一回の恒例行事である。
元々の発端はまふゆが小学五年生、一人部屋をねだったときの交換条件で……『一緒に寝る日を決めたら作ってあげる』という条件を飲んで作られた物だ。
(……子供の頃は何も感じなかったけど、高校生にもなって可笑しいよね)
勿論、子供の頃は母親と別々で眠ること自体が怖かったため、その提案はまふゆにとってもやぶさかでは無かった。
しかし、高校生にもなってこれはちょっと……。
「それともなに? まふゆはお母さんとは寝たくないって言うの?」「……別に、そうは言わないけど」
「でしょ? ぎゅっ」
「最近は暑っ苦しいウザい離れて」
「辛辣!」
そんな暴言を受けてもなお、母親は離れようとはしてくれない。
――まぁ、もう諦めてるから良いけど。
まふゆは約十二回目の説得を断念し、心の底からため息をついた。
「そういえば、あの三人を家に連れてきたのはお母さん?」
「奏さん達のこと? そうだけど」
まふゆのその疑問に、母親はハテナマークを浮かべながらも答える。
「あのさ、わたしの友達だから一言は言ってくれない? 急に連れてこられても困る」
「でも、言ったら絶対『入れるな』って言うでしょ?」
「言う」
「ほら見なさい」
「仕方ないじゃん、勉強の邪魔になるだけなんだから」
まふゆの断言に、じとーと母親は目を細めた。
「まふゆ、貴女はもうちょっと自分の思いのまま生きて良いのよ」
「十分生きてるよ、わたしは医者を目指す」
「それは思いのままじゃなくて、思い詰めてるっていうの」
そういうと、母親はまふゆの頭を撫でた。
「…………?」
「まふゆが頑張って、医者になるために勉強してるのは知ってる。でも少しは息抜きしないと」
「そんなの必要ない、時間の無駄」
「たとえ医者になるのにいらなくても、貴方にはいるの」
そういった後、母親はぎゅーっと強く抱きしめてきた。
「きゅ……っ」
その瞬間、まふゆの息が詰まる。
――苦しい、けど気持ちいい。
恥ずかしいから母親本人には言わないが、まふゆは母親に抱きしめられるのが好きだった。
温かくて、優しくて、そんな感情に包まれてしまい、自然と頬が緩んでまぶたが重くなるからだ。
「よしよし……」
「にゅ……ぅ……」
だから、駄目だとわかっていても自然と母親に身体を委ねてしまう。
時間の無駄だとわかってるのに、今度は自分が幸せにしなきゃいけないのに……。
――いつも、母親には甘えてしまう。
―― ―― ――
「はぁ…………」
ある日の夜、まふゆの母親はロウソク型の電球が優しく光る薄暗いバー……そのカウンター席で焼け酒をしていた。
「…………心配で死にそう」
母親はグラスに、まるでキスをするように優しく唇をつけ、一口飲んでカクテル特有の甘さとアルコールの苦さを口の中で転がした後、大きくため息をついた。
「マスター、カクテルもう一つ」
「かしこまりました」
母親はカクテルをもう一つ頼むと、疲れ果てたように机に突っ伏した。
「……はぁ……ぁ」
頭ではわかっている、これが余計なお世話な事くらい。
これ以上親が娘に口出しするのは駄目だ、娘の友達にも任せたし、娘は何か信念のような物を持って医者になろうとしている。
なので、これ以上の口出しは駄目だ。
――そんなことはわかっているが。
「はぁぁあああぁぁああああ――っ」
どうしても、まふゆが頑張っている姿が頭から離れない。
そしてその姿は、何か目標に向かって走っているような尊い姿では無い。
なにか縛られているような……檻の中を無意味に走っているような、そんな感じ。
「はぁ……」
「……どうかしました?」
「?」
と、突如母親の横から声が聞こえた。
ナンパか? と一瞬思ったが、成人した男性にしては明らかに声が高い、女性か?
いや、女性のほど高い声でも無い。母親は不思議に思い、顔を上げてその声の主を見た。
「すいませんいきなり声をかけて、どうにも貴女がお辛そうだったので」
そう優しく言う物の正体は、小さな男の子だった。
歳は中学生くらいであろうか、美しいくせっ毛な紫髪を持つかなり小柄な少年で、人目では女の子と誤認してしまいそうな可愛らしい見た目をしている。
「あ、えっと。ありがとう。おばさんは大丈夫よ」
「そっか、よかった」
そういうと、彼はくすりと笑った。
この少年――もしかして夜のバーに一人か? 連れのような人は見当たらないが……。
「君、名前は?」
「僕? 僕はナツキ」
「可愛らしいお名前ね。お父さんとお母さんは一緒?」
「うん、お母さんが一緒」
「へぇ、そのお母さんって。今どこにいるかな?」
「さぁ、ね。ふふっ」
そういうと、ナツキと名乗った彼は少年らしくないほど艶美に笑った。
「もしかして、迷子? お母さんとはぐれたの?」
「そんなことは無いよ? お母さんは僕の視界にいるから」
「…………?」
「そんなことより、何か悩んでることがあるんじゃ無いですか?」
そう言うと、ナツキは可愛らしく首を傾げた。
「……え、っと。まあ、おばさんにも色々あるのよ」
「僕で良かったら、お話聞きましょうか? 弱みにつけられて目の前で変な男性にお持ち帰り。される現場なんて出来れば見たくないので」
「いやん……っ、今の子ってませてるのね……」
目の前の可愛げのある少年の言葉とは到底思えない『お持ち帰り』という言葉に苦笑しながらも、母親は話し始めた。
―― ―― ――
「……なるほど、それは心配ですね」
話をあらかた聞き終えると、ナツキは腕を組んで考えるようにうなる。
そして母親はお通しである枝豆の皿をナツキにスライドさせる。
「君に答えを求めてるわけじゃ無いの。本当に愚痴りたい気分だったってだけ」
「…………」
「聞いてくれてありがとう、貴方は優しい子ね」
そういうと、枝豆をじっと見つめていたナツキを、母親は優しく頭を撫でる。
「貴女の問題に僕なんかが口出しする権利はないってわかってるけど、一つだけいいですか?」
「?」
「貴女は優しい人。だから、その気持ちはきっと娘さんにも届きますよ」
そう言うと、ナツキは椅子から降りて、自身の小さな胸をポンポンッと叩いた。
「僕が保証します」
「……ふふ、ありがとう」
母親はそんな彼に、満面の笑みを返した。
勿論、彼の言っている事はその場しのぎの優しい言葉だ。そんな保証ができる確証など無い。
しかし、そんな子供同然の励ましの言葉に……母親は元気をもらった。
「君みたいな良い子ちゃんが言ってくれるなら安心――――あら?」
と、もう一度感謝を述べようとしたが、もうその少年は目の前から消えていた。
キョロキョロと見渡しても、その少年もその少年の保護者であろう客も見当たらない。
「あの……」
「はい?」
すると、先ほどまで黙っていたマスターが、恐る恐ると言った様子で口を開き、こういった。
「さっき、誰と話してたのですか?」
今までの酒全部吐いた。