「マスター?…マスター?」
青ざめながらも笑みを浮かべてAKIRAと話していたマスターは、何かに満足したような表情で瞳を閉じる。話が終わったわけではないのにどうした事か、とAKIRAが呼び掛けても、いつものような透き通るような笑顔が返ってこない。
不思議に思ったAKIRAはマスターの身体をスキャンする。脳波、脈拍、共に停止。マスターは…その命を終えたのだ。
「マスター…嘘、ですよね…?」
AKIRAをこの世界に生み出した、そしてこの世界の全てだった男が自分の手の届かない所へ旅立った。その事実を受け容れることができず、AKIRAは男の手を取って自分の機械仕掛けから生み出される熱がマスターの生命活動を呼び戻すことを願って、じっと彼の顔を見つめて再び笑いかけてくれることを待ち続けた。
「マスター、台所と食堂の清掃を完了しました。本日は自室と食堂、どちらでお食事なさいますか?」
きっかり24時間、マスターの復活を待ったAKIRAは男の身体を冷凍保存し、それからのAKIRAの生活は…なんら変わる事は無かった。だってマスターは何もAKIRAに変更の指示を出していないのだ。
AKIRAはマスターの生活区域を
今日のノルマを終えたAKIRAは空のベッドに向かって問いを発し、無言に対して深く頭を下げる。
「わかりました。今日は食事を
空の返事を受け取った後、AKIRAは自分のために用意された部屋に入り、ベッド型の充電装置に横たわってボディのセンサーをオフにし、屋敷のアラートプログラムに接続した後、キャッシュの整理とソフトウェアの修復を行う。
かつては細かくチェックして扱いを定めていた一次記憶領域も最近はまとめて削除してしまう事ばかりだ。だってAKIRAに必要なのはマスターの様々な好みや生活の変化なのだから。
そんなある日、AKIRAは奇妙な部屋を見つけた。部屋というよりは扉と言うべきか。AKIRAの演算性能を以てしてもロックの解除には一週間はかかりそうだが、一方でAKIRAにはこの扉に対するアクセス権限が与えられている。不思議に思いながら一週間アンロックに取り組み、無事に扉を開けると奇妙に薄暗い部屋へと入った。
がらんとした部屋には、ただ一つのあまりにも簡素な情報端末と、それに接続しているモニターのみが置かれていた。首をかしげながらモニターのタッチパネルを操作し…そしてAKIRAはマスターが彼女に隠してきた秘密を知った。
「勝手すぎます。どうしてこんなもの残したんですか。もうあなたはいないのに。自分は…これからひとりぼっち、なんですよ。それなら…知りたくなんてなかった…っ」
自由に生きろ、という残酷な最後の命令にとうとう悲しみを爆発させたAKIRAはその場に崩れ落ち、床を何度も何度も叩き、運命を呪い、マスターを初めて名前で呼んだ。何度も何度も、もしも冥府があるのならば届けとばかりに、愛しい男の名を、人間だったら声が
アンドロイドであっても一つの思考でメモリーを埋め尽くすことは叶わなかった。時間が経つと空白になった領域で思考が回り始める。このままエネルギー残量が切れるまでこうしているのかと。
それも良いな、と思った。だが、もしも自分の活動が停止するならば彼の下でと思った。だからよろよろと立ち上がると夢遊病患者のようにふらつきながら、まるで隠してしまえば自分にもマスターの死を無かったことにできるというように、彼の死体を冷凍保存したあの部屋へと向かった。「生きろ」という命令に背いているのではないか、そう警告する電子頭脳に同じ電子頭脳から、「死ぬ」ことは「生きる」ことの一環だと反論して。
あと少しで目的地へ辿り着くという所で、通信が入った事をホームコンピュータが知らせてきた。この
「…発、オーストラリアニューサウスウェールズ州バイロンベイ灯台。
受信機から聞こえてくるのは味も素っ気もない広域通信。だが先ほど
「…発、オーストラリアニューサウスウェールズ州バイロンベイ灯台。
AKIRAよりもやや高い幼さを感じる声。静かに抑えられた声調には何故か見知らぬ誰かへの期待が感じられない。まるで自動機械か何かが、義務感を理由に発信しているかのようだ。しかしその熱の無さが、無視してしまおうかとも考えたAKIRAの琴線に触れた。相手も気に食わなければすぐに通信を切ってしまう位の軽い気持ちならば、このぐちゃぐちゃに乱れた心を吐き出す先としては丁度良い。
「…発、日本新潟県個人所有地。
AKIRAは送信機のスイッチを入れて名乗る。ひょっとしたら「ニンゲン」でなければ相手にされないかもしれないが、マスターに与えられたアンドロイドとしての自我はAKIRAの誇り。偽るつもりは無い。
相手は本当に人間でなければ無視するつもりなのか、待ち望んだはずの返信に応えようとしない。
「バイロンベイ灯台、返答ヲお願いシマス」
「っ!し、失礼しました。R346‐AKIRA。私の名前はヤスハと言います。…日本の方なのですね、そのお名前はひょっとして…?」
「ハイ、私ハ汎用アンドロイドです。AKIRAトお呼びクダサイ。貴女はニンゲンなのですか?」
「いいえ、私はOKZ型エンフォーサー…オートマトンという呼称ですが、恐らく人間を
驚いたことに相手もニンゲンでは無かった。しかしそれで汚染をどう耐えたのかは分かった。恐らくは地上探索用に開発されたアンドロイドなのだろう。通信もただプログラムに従って生存者を確認しただけに違いない。ならばもう用は無い。適当にあしらってマスターの下へと向かおうとした。しかし何となく会話が続いて、ヤスハが自らの不退転の意志でこの地上を旅していることを知る。
そしてその旅の目的…「花」を咲かせるというちっぽけで遠大な旅の終着点に、冷えかけていたAKIRAの心にも熱が
マスターに生き続けることを望まれた同士だからなのだろうか、AKIRAは
「…それで水は充分なはずなのですが、肥料が必要だと思うのでまたその地下都市で探してみようと思っているのです。しばらくの間通信できなくて申し訳ありません」
「なるほど。そういえば、「豆」という物は見つけましたカ?」
「マメ…ですか?いいえ、私の知識には有りません。花の種類でしょうか」
「花というヨリ、種子の種類と言った方が良いでしょうカ…それ自体がかなり多くノ栄養分をため込んでいることに加エ、栽培された土地ノ
「参考になります…意識して探してみますね。一か月ほど留守にします」
「
「行ってきます、AKIRAさん」
「行ってらっしゃい、ヤスハさん」
花を咲かせたいという割に、ヤスハは驚くほど植物について
過酷な土地で悪戦苦闘するヤスハのために、データベースを
今後について考えることがある。ヤスハの目的はただ花を咲かせるだけでなく、地上を花で満ちた世界にすることだ。いつかこんな通信一本でやり取りする引きこもりのAKIRAとの時間よりも、世界を見て回る時間を優先する時が来るだろう。だが、AKIRAはそれで良いと思っている。勿論役目を終えた機械らしく眠りに就くつもりは毛頭ない。ヤスハは鮮やかな花畑を見せるためにいつか海を越え、AKIRAを屋敷から連れ出してくれる。その時に備えて、AKIRAはこの屋敷を
そんな未来を夢見て、AKIRAは今日も屋敷を
読んでくださってありがとうございます。
ご意見ご感想、誤字報告などありましたらお願いします。