お待たせしました。
2023年4月2日16時より、参の段を公開します。
黄泉平坂を振り下ろす。彼の首が刎ねられ、宙を舞う。
返り血で巫女装束が赤く染まった。
少女は在りし日の夢を見る。
もはや夢幻と成り果てた、かえらぬ日々。幸せだったあの頃。
影が差し、雲行きが怪しくなる前の、ハレの日。桜の雨の中で交わした契り。
全てが千切れ去って、何も残らぬ虚夢の中で、彼女は佇み惚ける。
「ああ、なんて哀れな貴方。こんなにも軽くなってしまって」
かつての逆に、女は彼を抱きしめて、その胸に顔を埋める。
初心な女は消え、曇った眼差しを映し、囁く。
それまでは出来なかった、欲望のままに溺れる恍惚。情事に現を抜かし、心も体も重ね、混ざり合って、乱れ合う妄想。
それまで抑えてきた分の反発か、耽るままに流れる有様は濁流のように溢れ、のたうち、荒れ狂う。
神に身を捧げるべくして、清らかなる巫女に育てられた彼女自身でさえも、ここまで猥らに、濫りに穢れたのは恐らく、彼が穢れたからだ。巫女はそう判断した。
時間が流れるのが先か、巫女の力が尽きるのが先か、やがて立ってられなくなり、道なき道を満たされぬままに歩き始める。
虚ろなままの夢心地で、覚束ぬ足で歩きつづける。やがて壁にぶつかって、背中を預けて寄りかかり、倒れ込むように腰掛ける。
袴がずり落ちるが直さず、足も力なく伸ばすだけ。ただ、
篝火が燃え、薪が爆ぜるのみの静かな薄暗がりの中で、巫女は彼を再び強く抱きしめる。
固くて、柔らかく、苦しく、甘く、優しく、温かく、冷たくなってしまった彼を。
彼女の胸の中に渦巻くのは、全てやりきった清々しさにそぐわぬ虚しさだけ。
神を捨てた苦しみ、彼に裏切られた辛さ、彼を唆したあの女への恨み。
それら全ての苦痛を仇に与える、禁断の呪術。
誰に診せても解らぬ激痛に苦しみ藻掻く末の〆に、呪符を燃やして殺す算段だったものを、先に耐えられず死なれた。
所詮そのザマ、無様さに嘲笑したものの、実質的には守りたかったものを何も守れなかっただけの事実が何物よりも重く圧し掛かる。
罪を贖う為にも、罰を雪ぐためにも、果たすべき役割をせねば。
名残惜しみながら頬を撫で、唇を重ねる。
長く、短く。無量に、刹那に。
「私もこれから、そっちに向かうから」
首を三方に盛り、捧げる。同じ場所にゆけるように。
黄泉平坂を抜き、頸に刃を当て、滑らせる。時間はかからなかった。
噴出した鮮血が床を濡らす。
二人の血が混ざり、鮮やかな赫が照らされた。
惨(劇)の段 『平坂を七積みこえて黄泉路ゆき』 完
――雲心無き水の音、北斗は冴えて影映る星の妹脊の天の川。
『曾根崎心中』より。
実はこの段だけ“糸”も「い」も「と」も出てこないんだ。――特にこれと言って理由はないよ? 『
終の段公開は2023年4月2日18時を予定しております。