この拙作のトレーニング・レースに関する事柄には筆者の空想が入っておりますのでご了承下さい。
※ジャパンカップを【東京10レース】と表記しておりますが、これは1998年のジャパンカップを参照しております。調べましたら現在は東京12レースになっているみたいでビックリしました…
※作中にでてくる【ガルデン】は、現実の競馬でジャパンカップとパートナーシップを組んでおられる、スイスの世界大手時計メーカー【ロン○ン】様の代わりです。
過ごしやすく爽やかな秋の日々から徐々に冬の到来を予感させる冷たい風が吹き始めてきた11月の上旬…
マックイーンさん、アヤベさんのお二人がチームに加入してくれたお陰で、本格的にチームとしての活動を始める事が出来たチームノヴァ。
今までスペちゃんしか担当した事がない俺にとっては、ここ最近のチームでのトレーニングや、一人一人に合ったトレーニングの模索、体調管理や出走レースの選別など、様々な事が手探り状態ながらも…
スペちゃん、マックイーンさん、アヤベさん、彼女らの為ならいくらでも頑張れる! と溢れ出るやる気で空回りしない様に気を付けながら日々励んでいた。
やはり一人の娘を自分が“担当”させて頂くとなると、その娘の人生に対する責任が生じる…
幼い頃スペちゃんの事をほんの少しでも支えたいと決心したあの日も同じ覚悟をした筈なのに…この責任が重くのしかかって来る感覚には一生慣れないんだろうな…
夏合宿での合同トレーニングや、まだ担当契約が決まっていない娘に少しだけアドバイス、朝練を行う娘にも偶にアドバイス、怪我をしそうな娘へは少し強引にでも話を聞いてもらったりする時も覚悟は持っていたのだが、やっぱり自分が担当させてもらうウマ娘さんとなると少し違う…勝手ながら贔屓目になってしまうのも仕方がない。
まだまだ俺は人としての器を大きくしていかなくてはいけないな…なんて事も思いながら、俺はスペちゃん、マックイーンさん、アヤベさんのトレーニング表を作っていく。
学園の通常業務や日報、日課となっている学園内のメンテナンスなども殆ど終えている為、後は放課後のトレーニングサポートもしっかりこなさないと。
…あとそろそろ「働き過ぎですよ?」と、たづなさんストップが掛かるかもしれないからそちらの調整もしていかないと…普段は優しいたづなさんも、その時はすっごく恐いからな…
そうこうしているとあっという間に放課後になり、俺は先日に学園から提供して頂いたチーム専用の部室へと向かう。
今までは俺のトレーナールームでの集合となっていたが、教室から部室までの方が近い事と、既に運び終えている備品や着替えの為のスペースなどが充実しているため、部室で集合する方がお互いに良かったためである。そして今日のトレーニングの準備を終えたあたりで──
「お兄さん、お疲れ様です! 今日もよろしくお願いします!」
「トレーナーさん、お疲れ様です。本日もよろしくお願い致しますわ」
中等部同士で教室も近いからか、スペちゃんとマックイーンさんが二人揃って部室へとやって来た。よく一緒にスイーツの話で盛り上がったりしているので、仲が良さそうで何よりである。
「スペちゃんもマックイーンさんもお疲れ様。こちらこそ今日もよろしくね」
お互いに挨拶をして、軽く雑談も交えながら今日のトレーニングについての確認を行なっていく。
スペちゃんは次の【ジャパンカップ】まで一ヶ月を切っているためそれに向けて、マックイーンさんは未来の為の身体づくりや走り方の技術向上をメインに行うつもりだ。
スペちゃんはジャパンカップに向けてもそうなのだが、この秋頃から身体の“本格化”がいよいよ見えてきた状態になっている。
普通は体力や成長に制限がかかってしまうため身体の本格化を迎えてからデビューする娘たちが殆どなのだが、幼い頃から身体への負担を極力かけない走り方を積み重ねてきたスペちゃんは、本格化する前の現状でもこれまで凄い走りを披露してきてくれた。
【未完成な自分の身体で消耗を少なくして如何に速く走るか】という事を自分自身で追求し続けたスペちゃんだからこそ、無敗の三冠をはじめとした今日までの成績を残す事が出来たと考えると本当に頭が下がる思いだ。
極論を言ってしまうと俺の施すトレーニングなんて些細な事で、スペちゃん自身の“普段からの考え方”によるトレーニングなどに向き合う姿勢があったからこそだと心から思う。
…その追求する力をフル活用して欲しいという思惑もあって、本格化前にデビューさせる事になってしまったからな…
けどだからこそ、間違いなくスペちゃんは完全に本格化を迎えた時は更に強くなる事はもちろん、無意識レベルで消耗を少なくする走りができる様なっているため息の長い活躍ができる様になった。
怪我をする心配もかなり低いだろう。もちろん更にその可能性を低くする為にこれからも支え続けられる様に精進せねばと思う毎日なんだけどね。
本格化が見えてきた事により、俺たち人間とは違うウマ娘特有の強靭な筋肉などの成長が著しく、これからはその成長した筋肉などを上手く使って走りを更に強化する技術を一緒に追求していく事になるだろう。
その結果として今までのフォームが変わったりするだろうから…その為のケアもしっかりしないとな。
そしてこのスペちゃんの軌跡を辿る様にトレーニングを行っているのが今のマックイーンさんである。
自己トレーニングや生家であられるメジロ家のノウハウなどにより、非常に素晴らしい筋肉やバランスなどが身に付いているマックイーンさんもまだ本格化は見えていない状態のため、本格化を迎えたその分の恩恵をしっかり受けられる今よりも更に優れた身体づくりと、消耗を少なくかつ速い走り方を追求していける様なトレーニングを積んでいる。
スペちゃんとマックイーンさんのトレーニングはその方向性でいくとして…アヤベさんのトレーニングは──
「お疲れ様、ごめんなさい。遅くなってしまって」
「あ! アヤベさん! お疲れ様です!」
「やあ、お疲れ様アヤベさん。トレーニングでの考えを纏めたかったところだったから、寧ろ丁度良いタイミングだったよ」
「お疲れ様です、アヤベさん。本日もよろしくお願い致しますわ」
アヤベさんのトレーニングについても考えていると、丁度そのタイミングでアヤベさんも部室へとやって来た。挨拶を交わし、物静かではあるものの俺たちと会話をしてくれるあたり、少しは距離が縮まっていると思いたい……
いや、スペちゃんとマックイーンさんとの距離は確実に縮まっているだろう。アヤベさんは実はとても面倒見が良い優しい心の持ち主な様で、年齢では後輩にあたる二人のことをよく気に掛けてくれる。そんなアヤベさんに二人も心を開いている感じだ。
ただ俺は…トレーナーという立場もあり二人ほど距離は縮まっていない気がしないでもない…
ま、まあ呼び方に関しては「“アヤベ”で良いわ。周りの人達もそう呼ぶし、何より普通に呼ぶと長いでしょうから」と言ってくれたりしているので、これからも少しずつ信頼関係を築ける様にしていかないと。
改めてアヤベさんも交えて今日のトレーニングについての確認を行なって、俺は三人が着替えを行う間にトレーニング用具などを模擬レース場へと持って行く。
さあ、今日もしっかり三人をサポートできる様に気を引き締めないと。
───
──
─
しばらくすると、着替えを終えた三人ともが駆け足で模擬レース場へと来てくれた。トレセン学園が支給してくれるジャージに身を包んだマックイーンさんとアヤベさん。そして勝負服に身を包んだスペちゃん……
いや、ふざけてる訳でもスペちゃんが間違っちゃった訳でも無く、今日のスペちゃんのトレーニングは勝負服を着て行わないといけないからね。
「確認の時にも聞いていたけど…本当に勝負服でやるのね」
「実戦を想定したトレーニング…最初は驚きましたが、お話を聞いて納得致しましたわ」
「私も最初は少し恥ずかしかったんですけど、菊花賞ではこのトレーニングのお陰もあっていつもより緊張せずに走れたんですよ」
そう、スペちゃんの今日のトレーニングは“実戦を想定した”トレーニング…次のジャパンカップの状況を出来る限り再現して行う2400m走である。
もちろんコース形態・ライバルの有無・枠順・天気の違い・風の有無・お客さんの有無・本番でしか感じられない雰囲気など…100%の再現をする事は出来ないが、
服装は勝負服・前日のトレーニングは軽め・スズカさんが作り出すであろうペースを想定して走る・改造スピーカーによる歓声の再現・そして走る回数は“1度きり”。などの条件を設けてスペちゃんは2400m走に挑む。
レースに向かう緊張感も少しでも再現できる様にすぐには走らずに、本番と同じぐらいの待機時間も設ける。
そしてそれぞれのウォームアップに入り、スペちゃんが自分が走るまでの間軽く身体をほぐしたり、気持ちを高めたりと本番と同じ流れをしっかりと行なっているのをしっかりと確認して、次はマックイーンさんのトレーニングだ。
「マックイーンさん、今日のメニューは道中の追走力と消耗を抑える走り方の強化だ。先ずは“自分はこれから3200mを走る”と思って1000mを走って欲しい」
「3200m…天皇賞(春)と同じ距離ですわね。分かりましたわ」
「そしてその時に計った1000mのタイムを、“より力を抜いて同じタイムを出せる”様に走ってみよう」
マックイーンさんには消耗を抑える走りの技術を高めてもらう為、追走力も一緒に鍛えられるトレーニングを組んでいる。
道中の追走がスムーズに出来れば、それだけでもラストの直線で繰り出せる末脚に磨きをかけることが出来るだろう。
そして次にアヤベさんのトレーニングだが、今日までの間に身体を上手に使う技術はおおかた身に付いている。
次は筋肉の連動技術と力の出力技術を高めるため、アヤベさんが普段やっている外周トレーニングに自作のトレーニングウェアを着て行なってもらう。
「貴方のトレーニングは本当に不思議…これを着て走れば良いのね、分かったわ」
「うん、アヤベさんの今の身体のバランスに合わせて調整してはいるけど、もし何か不具合とかあったらすぐに言ってね」
アヤベさんは誰かと一緒に頑張るという事に少し苦手意識があるのか、独りでトレーニングをしたがる傾向がある。そのため俺は細かいメニューなどは決めずに、彼女が普段から行なっているトレーニングに少し手解きやアドバイスを入れる程度に留めている。
彼女の普段からの様子からして何か大きな理由を抱えているのだろうが…俺はそれを無理やり聞き出すつもりは無かった。アヤベさんが話しても良いと思ってくれる様に勝手に支えると決めていたからだ。
そのためアヤベさんには「基本的にいつも通り、アヤベさん自身が納得出来るトレーニングを幾らでもしてくれて構わない。俺が勝手に支えるから」と伝えている。
それと同時に「ただ君のその天賦の末脚を、損なう様なトレーニングだけはしないで欲しい。その時は俺は何がなんでも君の事を止める」と約束させてもらった。
その時に何故かアヤベさんが少し恥ずかしそうにしながらも「わ、分かったから…」と了承してくれたり、その様子をマックイーンさんが優しく見守ってくれていたり、スペちゃんは俺の言葉を聞いて安心した様にアヤベさんに言葉をかけたりしていた。
…あの後から三人の距離がグッと縮まった気がしているんだけど…何かキッカケがあったのだろうか? あとその日アヤベさんとマックイーンさんが帰った後、スペちゃんの距離がいつもより近かった様な気もするし……チートを持ってしてもこの謎は未だに解明できていない…
まあ、今はその事よりも皆んなのトレーニングが大事なので切り替えなくては。
俺は走り始めたマックイーンさんとアヤベさんをしばらく見守り、気が付いた部分を二人に伝え、二人の考えなども踏まえて改善点を模索したりしていた。
二人が改善点を意識しつつ再び走り出したあたりで、次はスペちゃんの2400m・一本勝負の時間となったため俺はスペちゃんのもとへと向かう。
身体もほぐし、しっかりと気持ちも高まっているのだろう…今のスペちゃんの雰囲気は本番のレースの時と近いものを纏っている。
静かに、深く、鋭く、まるで研ぎ澄まされた刃の様な…それでいて動物が獲物を狩る瞬間、絵にも描けない絶景を見た時の思わず息を呑んでしまう様な感覚にも襲われる。
「──あっ、お兄さん。調子は万全です、私はいつでも大丈夫ですよ」
「──よし、本番は恐らくスズカさんが作り出す超ハイペースになるはずだ。そこも意識して、この一本をしっかり走っておいで」
「はい! …あ、あの…お兄さん…本番に向けた練習ですし…そ、そのぉ…」
そう言うと今まで纏っていた雰囲気が少し和らぎ、スペちゃんが少し斜め下を向いて俯きながら、自身の右手をそっと差し出した。
そうだった、菊花賞の時のトレーニングでもコレをやったんだったな…少し恥ずかしいけど、スペちゃんの為なら致し方無い。そして俺はスペちゃんが差し出した手を優しく握る。
「あっ…えへへ………ふぅ……」
スペちゃんは俺が手を握ると少し笑って、自身の左手も添えて両手で包み込むと、襟もとのブローチにその手を持っていき静かに息をはく。
…いや、俺も最初はここまで再現しなくてもとは思ったんだよ? 本当だよ? でもやらないと、普段はトレーニングに文句を言ったりしないスペちゃんがちょっと悲しそうにするんだもの。
…それにこれを行なった時のスペちゃんの集中力が普段よりも更に上がるから…もうこれは歴としたトレーニングの一環なんだと開き直る事にしている。
こうして思うと俺ってスキンシップし過ぎなんだろうか? 今度それとなく聞いておこう……あと流石にレース後の抱擁は再現してないからね? だから許してね? 何を許して欲しいのか俺も分からないけど、とにかく許してくださいお願いします。
一体俺はどこの誰に謝っているのだろうか…って考え事をしてる場合じゃないな。
俺は集中力を高め終わって、そっと手を離したスペちゃんに「行ってらっしゃい」と声をかけて、本番と同じ様にスペちゃんを送り出した。
改造スピーカーによるファンファーレ、お客さんの歓声を流して2400m・一本勝負が始まった。もちろん学園とエアグルーヴさんにも許可はもらっております。
スズカさんが超ハイペースで逃げると想定しているので、スペちゃんは普段よりもかなり早いペースで追走しながらもしっかりと脚を溜めている。
もちろん本番のレースでは周りにライバル達がいるので勝手は違うだろうけど、それにしたってとてもスムーズに追走出来ている。
本格化が近づいてきている成長分もあり、これだけの追走力なら超ハイペースでもしっかり先団につけられるだろう…そしてそんな中、あっという間にスペちゃんは直線コースに向いてきた。
成長した分の筋肉を使ったラストの直線での新たな走り…そのフォームは陸上最速の動物であるチーターに近いかもしれない。
今までよりも重心や頭の位置が低くなり、風の抵抗を受けづらいとされる流線型に近いフォームになった。
筋肉の連動技術にも更に磨きがかかり、背筋・腹筋・大臀筋・股関節周りの筋肉をはじめとした様々な筋肉を伸縮させる事で、まさに全身をバネの様に使った末脚を披露している…両脚が地面から離れた時の空中姿勢も推進力を生むとても綺麗な形だ。
……そんな、本来ならスローカメラでしか確認できない様な事を肉眼でしっかりと確かめられる…本当にこのチート能力に改めて感謝である。
スペちゃんの成長分をしっかりと確かめられる価値ある内容で一本勝負を終え、走り終えたスペちゃんの疲労具合を確認しながらスポーツドリンクと汗拭きタオルを渡して労いの言葉をかけつつ、俺は頭の中で今後のトレーニングメニューに修正を加えていく。
とりあえずはラストの直線でのフォームを出来るだけ完成に近づけてあげる事が最優先だな…本当に完成するのは本格化が終わった後だとしても、そこの努力を怠って勝てるほどスズカさんやエルさん達といったライバルの皆んなは甘くないだろう…
こうしてスペちゃんのトレーニングも、マックイーンさんとアヤベさんお二人のトレーニングも怪我なく無事に終え、次の日もまた次の日も三人と一緒にトレーニングに励む毎日を送っていると、あっという間に時間は過ぎていき…
間も無く12月になろうかという11月の終わり頃、いよいよ決戦の刻──GⅠ・ジャパンカップの当日を迎えた。
♢♢♢
『本日は11月29日、東京レース場・第10レース。ジャパン・オータムインターナショナルガルデン賞・GⅠジャパンカップ。無敗の三冠ウマ娘であり、“彗星”・“世代の若大将”とも呼ばれるスペシャルウィーク。“異次元の逃亡者”サイレンススズカ。“怪鳥”エルコンドルパサー。“女帝”エアグルーヴ。そして海を渡ってやって来た強豪ウマ娘たち。更に一発を狙うシニア級の猛者たち。かつて無いほどの超豪華メンバーで行われる今年のジャパンカップ。その熱戦を一目見ようと既に来場者数は150万人を優に超えていると発表がありました! スペシャルウィークをはじめとした人気ウマ娘たちのグッズは開場して5分もしないうちに完売してしまったとのご報告も上がっております!』
『解説の武富さん。本当に凄い熱気ですね〜!』
『今年は本当に凄いメンバーですからね〜。今年は特に世界中からも注目されていますから、こんな素晴らしいレースを見ることができるなんて心からワクワクしています』
『おっしゃる通り世界からも注目されている今年のジャパンカップ…果たしてどんな決着が待っているんでしょうか…間も無くその闘いに挑む16人のウマ娘たちの本バ場入場が始まります!』
───
──
─
もうすぐ本バ場入場が始まる…私は徐々に緊張感が高まっているのを感じつつ、地下通路に向かうべく控え室を後にする。
もう何度も味わっている筈なのに、この緊張感にはずっと慣れないんだろうなぁ……でも身体は硬くなってない…気持ちも落ち着いてる…良い具合の緊張感を保てていると思う。
だけどこれ以上緊張してしまうとマズイと思い、何とかそうならない様に自分を落ち着かせながら歩いていると、今一番会いたいなぁ…なんて頭に浮かんだその人が目の前に立ってくれているのが目に入る。
…あぁ…本当…この人はいつもそうだ……小さい頃に私が泣いてる時も、デビュー戦の時に挫けそうになった時も、日本ダービーの時にプレッシャーに呑まれそうになった時も…私が助けて欲しいって思う時に必ず側に居てくれる…いつも私に勇気や力をくれる……私はそんな大好きな人の下に、お兄さんの下に駆け足で向かった。
「お兄さんっ! 今日も来てくれたんですね! …あれ? マックイーンさんとアヤベさんは…?」
「やあ、スペちゃん、二人は先に観戦スペースに行ってるよ。二人から『スペシャルウィークさんを勇気付けてあげられるのは貴方しか居ないでしょ?』って送り出してもらったから」
そう言って少し恥ずかしそうに笑うお兄さん…あはは…お二人に気を遣わせちゃったかなぁ…レースが終わったらちゃんとお礼を伝えないと。…お二人の言う通り、私が一番勇気を貰えるのは…やっぱりお兄さんだから。
「…けど良かった。今の表情を見る感じ、緊張し過ぎてないみたいで安心したよ」
「あはは…実はさっきまで結構危なかったんですよ? お兄さんがこうして来てくれたから、私は胸を張って堂々とレースに向かう事が出来るんです」
私はそう言いつつお兄さんの手をそっと両手で包み込み、日本ダービーの時にお兄さんがプレゼントしてくれたブローチに添える様にすると、静かに目を閉じる。
………しばらくの間そうしていると、まるで何かスイッチが入った様に自分の集中力が高まっていくのを感じながら、私はそっとお兄さんの手を離して顔を上げる。
「…もう大丈夫かい?」
「──はい。ありがとうございますお兄さん」
「そっか、じゃあ──行ってらっしゃいスペちゃん!」
「──ふふっ、はいっ! 行ってきますお兄さん!」
最後に私の頭を優しくポンポンと撫でてくれて、お兄さんは力強く私を送り出してくれた。さっきまでの嫌な緊張感はもう無くなって、私はお兄さんに手を振りながら地下通路へと急ぐ──
──そうして地下通路を通ってターフへと向かう最中、一緒にレースを走る皆さんが私の横を過ぎながら挨拶をしてくれる。
皆さんと軽く挨拶を交わしながら最後尾を歩いていると、前を歩くエアグルーヴ先輩と、離れた後ろを歩くエルちゃんの姿が見える…お二人とも鋭い雰囲気を纏いながら黙々とターフへと向かって行く。
そしていよいよターフへと向かう入り口…先にターフへと向かったお二人と目線だけで挨拶を交わして、こちらを見ながら静かに佇むその人──スズカさんが私の事を待ってくれていた。あと残っているのは私たち二人…私も歩みを止めてちゃんとスズカさんと視線をぶつけ合う。
(いよいよね、スペちゃん。…私について来られるかしら?)
(スズカさん…私、負けませんよ!)
言葉は要らなかった。不思議とお互いの視線を交わすだけで十分だった。お互いの闘志を確認し合うと、スズカさんは微笑みながら…けどとても嬉しそうに、先にターフへと向かって行った。
スズカさんの姿が見えなくなってから間も無く、大歓声が上がったのを感じながら…私も一つ深呼吸をして、光のカーテンに覆われた出口を抜けてターフへと向かった。
♢♢♢
『今や世界中から注目されているこのレース。日本VS世界、強豪揃いの海外勢を日本も超豪華メンバーで迎え撃ちます。海外勢6人を迎えて行われる今年のジャパンカップ。その闘いに挑むウマ娘たちの本バ場入場、全員が続々とターフに姿を現しています』
『──さあ少し遅れての登場です。絶好枠、幸運の1枠1番を引き当てた女帝エアグルーヴ。前走まさかの敗北を喫したエリザベス女王杯から中1週、去年クビ差の2着に迫ったこの舞台でまとめて借りを返したいところ。エアグルーヴ、4番人気です!』
『──続いては6枠12番エルコンドルパサー。涙を呑んだ日本ダービー、シニアの洗礼を受けた秋の盾、土をつけられたのは、共に上人気の二人から。今度は! 今度こそは──私が羽ばたく番だ! エルコンドルパサー、3番人気です!』
『──さあこのウマ娘も遂に姿を現しました! 1枠2番サイレンススズカ。今年負け無しの7連勝中である異次元の逃亡者。戦略? 駆け引き? そんなモノは必要ない。私に追い付きたければ、私を捕まえたければ、真っ向勝負でかかって来い! サイレンススズカ、2番人気です!』
『──そして最後に現れました、お聞きくださいこの大歓声! 無敗の三冠ウマ娘が堂々入場です! 5枠10番スペシャルウィーク。黄金世代と名高いライバル達を抑えて掴み取った三冠の栄誉。シニア級を相手に遂にベールを脱いだ世代の若大将が、いざ日本の総大将へ! スペシャルウィーク、1番人気です!』
『以上、今年のジャパンカップに挑む優駿たち16人の本バ場入場でした。会場のボルテージも上がってきております。ジャパンカップ、レース発走までもうしばらくお待ちください』
♢♢♢
『息を呑むほど美しい快晴の秋空です。今年は海外勢6人を含めた16人で争われる、東京レース場のフィナーレを飾るGⅠ・ジャパンカップ。【東京レース場・第10レース・芝の2400m・バ場状態は良】の発表です』
『いや〜! 解説の武富さん。遂に始まりますね!』
『そうですね〜、パドックや本バ場入場も確認しましたが…16人全員が本当に甲乙付け難いほど素晴らしい仕上がりでした。最高の舞台に最高の仕上げで挑む。出走するウマ娘の皆さんはもちろんですが、彼女達を支えているトレーナーさんやチームの皆さんにも、本当に感謝したいですね』
『16人それぞれの優駿達が最高の仕上げで出走してくれた今年のジャパンカップ。果たして1着で駆け抜けるのはどのウマ娘なのか? さあそして、スターターがスタンドカーへと向かいます。日本の威信をかけた闘いの火蓋が切られる、GⅠ・ジャパンカップのファンファーレがこれから府中に響き渡ります──』
『──ファンファーレが響き渡って割れんばかりの大歓声が沸き起こりました! 日本か? それとも世界か? 世界を、そして己のライバルを迎え撃つ…その準備は整いました。さあそして各ウマ娘の枠入りが始まっています。まずは奇数番号のウマ娘から』
『最内①のエアグルーヴも、流石の立ち振る舞いですんなりとゲートに収まりました。女帝の意地を、レースを支配すると言われるあの走りを、今日は見る事ができるのでしょうか?』
(誰にも勝ちは譲らん…最強は──私だっ!)
『──枠入りはここまで非常に順調です。さあそして偶数番号のウマ娘達の枠入りも始まりました。⑫エルコンドルパサーもゲートに収まります。来年からは世界を狙うと公言している彼女にとって、ここは絶対に勝っておきたい舞台でしょう』
(もう負けない…凱旋門賞で勝つためにも、世界一になるためにも、絶対に勝ってみせるッ!)
『続々とゲートに収まる中、②のサイレンススズカも静かにゲートに収まりました。これが来年からアメリカに赴く彼女が、遠征前に日本で見せてくれる最後の走りとなります。しばらく日本で見られなくなる、あの影すら踏ませぬ逃亡劇を是非目に焼き付けましょう』
(堂々とアメリカへ行くためにも負けたくない…誰にも…スペちゃんにも──絶対に負けない)
『そして⑩スペシャルウィークも今ゲートに収まりました。サイレンススズカが作り出すであろう超高速戦。間違いなく彼女にとっては未知の領域でしょう。三冠を成し得たその脚で、次代を担うその脚で、それすらもはね返す事ができるでしょうか?』
(ぶつけるんだ…今の私の全てを。そしてこの勝負──必ず勝ちますっ!)
『残す枠入りはあと一人。大外⑯イタリアのダービーを制している、イギリスのアルノーが今ゆっくりとゲートに向かいます。間違いなく歴史に刻まれる一戦、その特別な時間が間も無く始まろうとしています』
『アルノーが…今ゲートに収まって全てのゲートインが完了しました! 果たして勝つのはどのウマ娘なのか? 難解のその答え合わせが始まります!』
『──さあ、2400m 彼方! 栄光はただ1つ! 府中のフィナーレ! GⅠ・ジャパンカップ───今スタートが切られました〜!』
『おっと!? ちょっと外で⑭レスカリュウドが出負けしましたが、さあどうか? そんな中、②のサイレンススズカが絶好のスタートから先頭に立ちました! サイレンススズカ先頭に立ちます! 場内からは割れんばかりの拍手と大歓声! サイレンススズカがレースを引っ張ります』
『──インコースに入って⑫のエルコンドルパサーも前に行く。そして⑩スペシャルウィークも前の方に行きました! 外から出負けした⑭レスカリュウドと、⑮ドイツのアンカロも前に付ける構えか。そして最内からは①のエアグルーヴもいい位置に付けて、各ウマ娘が1コーナーから2コーナーへと向かっていきます』
『1、2コーナーの中間から間も無く向かう流しに入るところで、早くも! 早くも8バ身ほどの差をつけて! サイレンススズカが飛ばしている! レースを映すカメラが大きく引いても後ろが見えて来ない! ……ようやく見えてきた2番手に⑫のエルコンドルパサー。その少し後ろの外に⑩のスペシャルウィーク! スペシャルウィークは今日は3番手に付けています!』
(両脚が地面を蹴る感覚…体が熱くて、風が冷たい…あの静かな景色に…辿り着ける!)
(──やっぱり速いッ! けど、直線で差し切るためにも…根性で喰らいつくッ!)
(スズカさんのペース──想像よりも速く感じる! …でも信じるんだ。自分の走りを、これまで積み重ねてきた事を信じて走り切るッ!)
『そしてスペシャルウィークの1バ身ほど後ろ、⑭のレスカリュウドが続いて、その少し後ろに⑮のアンカロが付けていますドイツのウマ娘。そこから1バ身ほど離れて外から⑧のキンイロリョテイ、インコースに①のエアグルーヴが続いています。エアグルーヴは先頭から7番手の位置に付けました』
(スズカが引っ張る展開はやはり速いッ! だが──私にも意地があるッ!)
『1000mの標識を今通過──57.6!? 57.6で前半の1000mを通過! やはりサイレンススズカが作り出す高速戦だ〜! ハイペースがマイペース! その大逃げに会場のボルテージも最高潮に上がってきた!』
『エアグルーヴの後ろには⑨のタイカノ、こちらもドイツのウマ娘。そしてそのタイカノに並ぶように、外には⑯イギリスのアルノー。内には⑤同じくイギリスのフェイフォリーサン。海外勢が3人並んでの追走です』
『──そしてその海外勢のすぐ後ろに⑬のターゲットメジカ。内に③のキヌコスモス。少し後ろの外に⑥アメリカのフルジーノウム。並んで⑪のアラシワンダフル。その後2バ身ほど切れまして、GⅠ3勝をマークしている⑦カナダのリーダーオブハートは末脚にかけます。そして離れた最後方に④のセイユーナンバワンの展開で、隊列は更に縦長になって参りました!』
『間も無く3、4コーナーの中間、大欅の向こう側を過ぎるところで②のサイレンススズカが飛ばしに飛ばしている! リードを更に広げたか!? 既に10バ身は優に離れています! 2番手は変わらず⑫のエルコンドルパサー。3番手に⑩スペシャルウィーク。そしてこのリードは流石にマズイと見たか! ⑧のキンイロリョテイ、⑨のタイカノも早めに上がってきた! そして内から①のエアグルーヴも徐々にポジションを上げて現在5番手あたりまで進出してきている!』
(気力も、体力も、今までで最高。まだまだ私は──走れるッ!)
(──ッ!? スズカさんのスピードが更に上がった!? これ以上離されたら…流石にマズイッ!)
(スズカさんが更に加速した──エルちゃんも、後ろからのプレッシャーも一気に大きくなってきた。でも…まだ…まだ焦っちゃいけない。仕掛けるタイミングは…まだここじゃ無い)
(やはりペースは落ちないかッ! スズカを捉える為には──もう少し前に行かない事には勝負すらさせてもらえないッ!)
『サイレンススズカここにきて更に加速した!? 10バ身でも収まらないこれだけの逃げ! これだけの逃げ! 異次元の逃亡者が! 逃げに逃げまくっているッ! サイレンススズカ! このまま逃げ切る事が出来るのか!? まだ10バ身以上! これだけの差! これだけの差! さあ拍手と大歓声に迎えられながら4コーナーを回って直線コースに向いた! 後ろは届くのか!? 後ろは届くのか!?』
(誰にも邪魔させない、誰にも、譲らないッ!)
『再び府中に逃亡劇を! 桁違いのスピード伝説を刻むのかサイレンススズカ!! 残り400のハロン棒は通過しています。しかしその逃亡者を捕まえるべく、後続勢も続々とスパートを開始している! 真ん中から上がってくるのはエルコンドルパサー!! 怪鳥が翼を広げた! 今度こそ! 今度こそ捉えられるか!? そしてインコースからはエアグルーヴも上がって来たッ! 外に出した3番手のスペシャルウィークに並んでいる! スペシャルウィークは!? スペシャルウィークは!? まだ動かない!? まだ動かないスペシャルウィーク!! 残り400は切っているぞ!? 大丈夫なのかスペシャルウィーク!?』
「勝負デェェェスッ!! ゔゔああああああああぁ〜〜ッ!!」
「勝つのは──私だッ! はあああああああぁ〜〜ッ!!」
(もう少しッ…もう少しッ───よしっ!ここからッ!)
『エルコンドルパサー! エアグルーヴ! 二人とも凄い勢いで上がってくる!! 距離は少しずつ詰まっているぞッ! 届くのか!? 届くのか!? それともサイレンススズカがこのまま逃げ切るのか!?』
『──ッ!? おっとそして!? 外から何かが飛んできた!! 外から一人飛んできた!! 来た来た来た来た〜!! ここで外からスペシャルウィークがやって来た〜!! 物凄い脚だッ!! エルコンドルパサーとエアグルーヴを置き去りにして! 今! 先頭を走るサイレンススズカを! あっという間に射程圏内に捉えているッ!!』
「──負けないッ! 諦めないッ! 絶対に勝ァァァツッ!!」
「──届ッ─かない……いやッ! 最後までッ! 諦めるものかぁッ!!」
「日本一になるためにもッ…この勝負──勝ちますッ! だああああああああぁ〜〜ッ!!」
(──ッ!? 誰かが迫ってきてるッ! これは──スペちゃんッ!?)
『残り200を通過した!! サイレンススズカ先頭だが! 外からスペシャルウィーク!! 外からスペシャルウィーク!! グングン差を詰める!! 3バ身ッ!2バ身ッ!1バ身ッ!身体半分ッ! 並んだッ!? 捉えた〜ッ!! スペシャルウィーク!! 遂にサイレンススズカを捉えたッ!!』
「勝ちたああああぁぁ〜〜〜〜いッ!!」
「先頭の景色は誰にもッ……スペちゃんにだってッ──譲らないッ!! やああああああぁぁ〜〜ッ!!」
『後100m!! 内からもう一度サイレンススズカも差し返すッ!! サイレンススズカも差し返すッ!! しかし! スペシャルウィーク振り切る!振り切る! ここで突き抜けたスペシャルウィーク!! 2バ身! 3バ身と広げて今───ゴォーーールインッ!! …2着に②サイレンススズカ!! 3着には2バ身後ろまで迫った⑫エルコンドルパサー!! その1バ身半ほど後ろ、①エアグルーヴは4番手!! 上位は全て日本!!』
『スペシャルウィーク鋭脚一閃ッ!! 最後の最後で! サイレンススズカを! 並いる強豪たちをねじ伏せましたッ!! これが無敗の三冠ウマ娘の強さ! 最後は3バ身つけての完勝でしたッ!! 類を見ない程の激戦だった今年のジャパンカップ! その余りの激戦に東京レース場は静寂に包まれていますッ!! こんな光景は見た事がありませんッ!』
「はあっ…はあっ…はあっ…やっ…た?…私…勝てたんだ……スズカさんに…皆んなに勝てたんだ……〜〜っ! やったぁ〜〜っ!!」
「はあっ…はあっ…はあっ…はあっ…おめでとう、スペちゃん……あぁ、完敗だったなぁ…」
(はあっ…はあっ…はあっ…アタシは、諦めないデスよ! スペちゃんッ! 世界で戦って、凱旋門賞も獲って、もっと力を付けて、スズカさんにもスペちゃんにも…次は絶対に負けませんッ!)
(はあっ…はあっ…はあっ…完敗だな……ふぅ…私もまだまだという事だな…)
『──ッ!? たった今! 電光掲示板に勝ちタイムが表示され、静寂に包まれていた東京レース場は地鳴りのような大歓声と拍手が起こっています!! その勝ちタイムは何と──2分20秒2!! 2分20秒2というタイムが叩き出されました!! 信じられないタイムですッ!! な、何というタイムでしょうか!? スペシャルウィーク! 物凄いタイムで! とてつもない世界レコードタイムで! 府中のターフを駆け抜けました!!』
『いや〜! 武富さん! 今日のレースはいかがでしたか?』
『いや正直…言葉を失ってしまうほどの…本当に、本当に素晴らしいレースでしたね。勝ったスペシャルウィークはもちろん、惜しくも敗れてしまったサイレンススズカやエルコンドルパサーも従来のレコードを上回る走りをしていますから…凄いレースになりましたね〜』
『上位は全て日本勢、日本のウマ娘の強さを世界に発信出来たとも思います。そんな中で完勝してみせたスペシャルウィークは、改めて凄いウマ娘だと再確認させてもらいましたね』
『そうですね〜。彼女が歴史的なウマ娘である事は分かっていたつもりだったのですが…今日のレースでも、サイレンススズカの素晴らしい大逃げに周りが焦る中、ただ一人冷静にスパートのタイミングをしっかり見極めていた…走りの成長と共に精神面の成長も感じ取れた一戦だっだと思います。本当に彼女がこれからどんな夢を私達に見せてくれるのか…改めて彼女の今後が心から楽しみですね〜』
『なるほど…精神面でも進化を遂げているスペシャルウィーク。武富さんの仰る通り、これは今までよりも更に今後が楽しみになりそうです!』
───
──
─
レースを終えて息を整えつつも、自分が勝てたという興奮からか…いつもより息を整えるのが上手くいかない…だけど立てないほどではないため、何とか息を整えて応援して下さったスタンドの皆さんに感謝の気持ちを伝えていく。
おめでとう! と声をかけてくれる方、手を振ってくれる方、涙を流してくれる方など、ファンの皆さんがそれぞれの反応を返して下さって本当に勝てて良かったと嬉しくなった。
そんな風に喜びを噛み締めていると…優しく微笑みながらスズカさんが私の下まで来てくれ、手を差し伸べながら言葉をかけてくれた。
「スペちゃん、今日は本当におめでとう。スペちゃんの走り…本当に凄かったわ」
「スズカさんっ──ありがとうございます! スズカさんの走りも凄かったです! 本当にありがとうございます!」
私はそう言いながらスズカさんの差し出してくれた手を握る。スズカさんの走りは本当に凄かった…お兄さんとのトレーニングがなければ、多分手も足も出ずに負けていたと思う。
でも! だからこそスズカさんがアメリカから帰って来たら、また一緒に走りた──
──ポタッと…そんな事を考えていた私の手に、スズカさんの手を握っていた私の手に一滴の水が…そんな感触と共に落ちてきた…それを皮切りにポタポタと私の手に水滴が落ちてくる…そして顔を上げた私の目に飛び込んできた光景は──
「─あ──」
「──っ─ぐすっ──あぁ…悔しい──悔しいなぁ……本気で走って負けるのって──勝ちたかった人に負けるのって──こんなにっ──こんなに悔しいんだね…スペちゃん」
真っ直ぐにこちらを見つめて、優しく微笑んでいる表情は崩さずに、だけれども…ただ静かに、ただただ静かに涙を流す…そんなスズカさんの姿だった。
その光景に私は言葉を失ってしまう…そうして固まってしまった私に、スズカさんは更に言葉を続けてくれた。
「──ふぅ…スペちゃん、私は来年からアメリカに挑戦してくる。本当は今日勝ってから向かいたかったんだけど…今日のこの悔しさを糧にして、向こうでもっと強くなって帰ってくるわ。だからスペちゃん…勝手なお願いだけど、私が帰ってくるまでの間…誰にも…誰にも負けないでねっ──スペちゃんっ──」
手を握る力が少し強くなりながら、スズカさんは力強く私にそう宣言してくれて…最後には再び涙が溢れてしまったスズカさんの姿に、私はこれからこの人の想いも一緒に背負って走って行こうと決意した。
自分の事すらもまだ満足に背負いきれていないのに、きっとスズカさんのこんな大きな想いを背負ってしまったら…今よりもっと大変な思いをするのだろう……
だけどこの想いを背負う覚悟を決めたら、この想いをしっかり背負う事が出来るようになったら、私はもっと強くなれる気がしたから。
こうして、間違いなく一生忘れる事が出来ないであろう…私が挑んだ今年のジャパンカップは様々な事を私に残してくれて、無事に幕を閉じたのだった。
《ジャパンカップレース直後・お兄さん・マックイーンさん・アヤベさん》
「おめでとうっ…本当におめでとうっ。スペちゃんっ」
「おめでとうございます、スペシャルウィークさん。本当に凄い走りを、そして闘いを拝見させて頂けましたわ」
「おめでとう、スペシャルウィークさん。……私も負けてられない」
《ジャパンカップ当日の夜・トレセン学園・大樹のウロ》
「くっそおおおおおおおぉ〜〜ッ!! 俺の指導不足だああぁぁ〜〜ッ!! スズカの走りならッ! 絶ッ対にスペシャルウィークにも勝てた筈なんだああぁぁ〜〜ッ!! くっそおおおおおおおぉ〜〜ッ!!」
「──く、くそおおぉぉ〜!! スペちゃんにっ! 皆んなに勝ちたかったああぁ〜! くそおおぉぉ〜!」
《ジャパンカップレース後・ウイニングライブ後の控え室》
「すみませんっ──トレーナーっ──アタシっ─アタシっ──また…勝てませんでしたっ──」
「いや…よくやった、貴女は本当によくやったわエル。今は勝てなくても最後に…最後に勝つのはお前だエル。だから今はゆっくり休め」
ジャパンカップの後には、それぞれのやり取りがあったとの事である。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございました!
今回はレース後の抱擁は無し……まあレース前にはかなりイチャついておりましたが、北海道で二人を見守る家族の皆さんは少し物足りないと思って見ていたかもしれませんね…
下記ではセイウンスカイさんとキングヘイローさんから見た、主人公の印象を軽く書いております。
・セイウンスカイ→スペちゃんのトレーナーさん。実はお昼寝スポットを求めて彷徨っていた時にフワフワの安眠枕と簡易ソファを貰ったため、セイちゃんポイントが非常にお高い人。でも勝負は別ですよね〜? スペちゃんに勝つのは私かもしれませんよ〜。
・キングヘイロー→スペシャルウィークさんのトレーナーさん。朝練を行う時は自分の担当トレーナーさん諸共、色々と助けて頂いている方。ただスペシャルウィークさんのライバルである私に惜しげも無くアドバイスするのは大丈夫なのだろうか? とも思っている。