「せ、先生……?」
軽トラの荷台からずり落ちかけたまま、ミフユは薄青色の瞳を見開いてその名前を呼んでいた。
お祭りを楽しもうというチハヤの誘いを断り、一人目立たない場所で物思いに耽っていたミフユの前に、この大人が突如として現れたのだ。
「な、なんで……あなたは、百花繚乱の生徒と人探しに向かったはずじゃ……?」
「いや、何か二人からギクシャクした空気を感じてね。ユカリに我儘を言って、もう少しばかり時間をもらうことにしたんだよ」
空き地の向こう──先生が視線を向けた先には、茶屋の縁台に腰掛けてスイーツを頬張るユカリの姿が見えた。目がいいミフユは、その正体が「百鬼夜行灯篭祭限定フレーバー ご当地フルーツ十種盛りジャンボパフェ」であることを一瞬で看破する。
まさかこの時間を作るためだけに奢ったのだろうか、だとすればあの高級有名スイーツをタダで食べられるなんて羨ま……などとミフユが思考を巡らせている間、先生はミフユの腰掛けるトラックを眺めていた。
「これは学校の備品? この前、チハヤが免許をとったと嬉しそうにモモトークを送ってくれていたけど、これに乗るためだったんだね」
能天気にトラックを眺め回している先生の姿を見て、ミフユはふと冷静に立ち直った。
突然現れたせいで思考が混乱しかけていたが、この先生には大いに迷惑をかけられている。というのも、この大人がチハヤとイズナの二人を配下(?)にしていたせいで、あの二人はキヴォトス中に中継された大舞台で死闘を繰り広げる羽目になったのだ。
そのことへの怒りから、ミフユはジトっとした視線を先生にぶつけた。
「よくもいけしゃあしゃあと私の前に顔を出せたわね、先生。あなたのせいで、あの演目は大変なことになったのよ」
「えっ!? 私、何か負担を増やすようなことをしたかな? 見応えのある、素晴らしい内容だったと思うけど……」
「……はぁ、やっぱり自覚はなかったのね」
眉間を押さえたミフユは、先生に事のあらましを全て説明した。
本番前になって二人の「
要はこの大人が人たらし、もとい生徒たらしな振る舞いをしているせいで、余計な激突が起こってしまったのである。
「な、なるほど。てっきり私は演技に熱を込めすぎた結果生まれた迫力だとばかり……申し訳ない。二人にもあとで謝っておくよ」
「あなた……いろんな生徒と関わりを持つのが役目なのかもしれないけれど、この調子だといつか背中を刺されるわよ」
「以後、気をつけます」
先生の知名度と行動範囲を考えれば、これはほんの一端で、ミフユ達の預かり知らないところで同じようような激突が繰り広げられているかもしれない。まったくもって罪な大人である。
ミフユは息を吐いて、大きな身体を縮こませる先生に言った。
「じゃあ、別に私には構わなくていい。今はそれよりも、あの子の人探しに協力してあげて」
「申し訳ないけど……困っている生徒を放って行くことは、私にはできないよ」
が──ミフユの言葉に反して、先生はその場を立ち去ろうとはしなかった。
「まさか、私の話を聞くまでは動かないつもり?」
「うん」
その諦めの悪さにため息をついて、ミフユはしばし考え込んだ。
この先生がどんな大人なのかは、チハヤから耳にタコができるほど聞かされたので知っているつもりだ。母校を救ってくれた恩義からも、信頼に足る大人であるということは理解している。
ただ──自分の内心を吐露した経験なんてものは、ミフユにはなかった。
けれど、いつまでもこのままではいけない、と強く感じていたのも事実で。
長考のすえ、ミフユは先生の瞳を見つめて口を開いた。
「分かった。私も、人探しをしてるあの子の時間まで奪いたくないから……話くらいはしてあげる」
◆
「先生は……この百鬼夜行灯篭祭が、何のために行われるお祭りか知っている?」
並んで軽トラの荷台に腰掛けつつ、ミフユはそんな問いかけで口火を切った。
「悲しい過去と決別して、新しい未来に進むため……だったね。
あの日、というのは今から少し前、このキヴォトスが未曾有の危機に襲われた日のことだ。
空が赤く染まり、正体不明の怪物が現れて、世界は崩壊する寸前にまで至った。その痕跡は、今もなお百鬼夜行ならずキヴォトス各地に残っている。
それは今もなお、多くの人々の記憶に傷跡となって残っていて──だからこそ、辛い記憶や出来事を灯篭に込めて流し、鬱屈した雰囲気を払拭しようというのだ。
「ええ。送古迎新の理念に基づき、心機一転の再スタートを図る……悪くない考えだと思うわ。あの日の被害者だった人たちにとって、きっと良い機会になる。でも……」
ミフユは言い淀んで、まっすぐ前に向けていた瞳を伏せた。
「私に、灯篭を流す資格はない。被害者だった人々と違って……人を傷つけた、
「それは……」
「先生もその目で見たのだから、知っているでしょう。あの「箱舟」をめぐる戦いのことを」
熱を失ったコーヒー缶をぎゅっと握りしめながら、ミフユはかつての戦いを思い返した。
アトラ・ハシースの箱舟……かつてキヴォトスの空を赤く染め、「あの日」を作り出した元凶。それをめぐって勃発したチハヤとミフユの戦いは、いわば「あの日」の延長戦ともいえるものだった。
その過程で、ミフユはチハヤと二度刃を交わし──そのどちらの戦いにおいても、チハヤは救急搬送されるほどの大怪我を負うことになった。
「私の過去は、灯篭に込めて流したりなんてしてはならないものよ。決して目を背けず、私が背負い続けなければならない罪禍なんだから」
このお祭りが傷ついた人々のためのものだと言うのなら、チハヤを傷つけた自分が参加するなんて──ましてその被害者と一緒になって楽しむなんてことは、厚かましいにも程がある。
ミフユはそう考えて、ただひたすらに「学校復興」のために百鬼夜行灯篭祭に向き合ってきた。監督業に若干の楽しさを覚えていたのも事実だが、それすらも「楽しんではいけない」と自分に言い聞かせて、可能な限り心を冷徹に保つよう努力してきた。
「なのに、チハヤは私をお祭りに誘ってくれて……それだけじゃない。この三ヶ月間、チハヤがチハヤなりに私との距離を縮めようとしてくれているのは、ひしひしと伝わってくるの。でも、私は……」
消え入るように言葉を詰まらせて、ミフユは薄青色の瞳を伏せた。
荷台に並んで座る二人の間に沈黙が落ちる。ミフユは何かを悔いるような険しい面持ちのまま、じっと地面を見つめるばかりだ。
少し考え込んでから、先生はゆっくりと言葉を紡いだ。
「ミフユは……チハヤが嫌い、というわけじゃないんだよね?」
「当たり前でしょう!」
ミフユは思わず立ち上がり、思わず先生がギョッとする程の大声で叫んだ。
「あの子は私のために……その身を投げ打って、天姫ヶ峰のために尽くしてくれているのよ。それこそ目に入れても痛くない。チハヤのためなら私はたとえ火の中であろうと飛び込む覚悟があるわ」
ミフユにとって、チハヤは己の夢を支えてくれた恩人であり、何よりも大切な人の一人だ。
「チハヤの好きなところなんて、数え出したらキリがない……傷つけられた過去を顧みず、私のために学校へと来てくれた美しい精神。子供たちの面倒を見てくれる優しさ。生徒会の一員として、常にできる努力を惜しまない真面目さ。そしてなにより、チハヤはとにかく可愛いのよ。あのくりくりした瞳、毛並みのいい尻尾、ピコピコよく動く耳。近くで見ていると無限に等しい時間観察していられる気さえしてくるくらいよ。もはやあの子はキヴォトスが産み落とした奇跡と言っても過言ではないわ。今回の公演だって、より一層あらゆる人間にあの子の素晴らしさを布教するため、私は心を鬼にして演技指導を────」
「そ、そうなんだ。ミフユはチハヤのことがずいぶん好きなんだね……う、うん、それが確認できたなら充分だ」
先生は若干顔を青くしながら、ミフユの言葉を遮った。このまま語らせると冗談抜きに半日は話し続けそうな気配を感じたからだ。ユカリを待たせている以上、流石にそれだけの時間は確保できない。
先生の言葉で冷静になったミフユは咳払いを挟みつつ、再び元の調子で話し始める。
「でも、わからないの。私が本当に、あの子と仲良くするとして……それが、正しいことなのかって」
「というと?」
「あなたも見たでしょう、あの子の頬の傷跡を」
ミフユは、脳裏に浮かべたチハヤの姿を思い返しながらつぶやいた。
箱舟での戦い以来、チハヤの頬には、かつてミフユと戦った時に刻まれた一文字の傷跡が残っている。
時間の経過とともにそれは薄れつつあるが、顔の傷は特に目立つからか、今もなお傷痕は存在感を放っているままだ。
「あれだけじゃない。たとえ衣服で隠していても……あの子の身体には、今も私が刻んだ傷跡がまだ残っているわ。それを思うたびに、私は……本当に私なんかが、チハヤの友達になっていいのか……分からなく、なるの」
ぽつぽつと絞り出すように言葉を吐き出したミフユは、いっそう深く息を吐いた。
チハヤの身体に残った傷跡は、ミフユにとっての十字架だ。
彼女が犯した罪、行った過ちを、見るたびに思い返させる装置のようなもの。その強烈な罪悪感は、ミフユがチハヤへの一歩を踏み出すことを躊躇させていた。
「私は……あの子の友達になる資格なんてない、そう思わない?」
弱々しい語気で、ミフユは揃えた両膝を抱え込む。
先生はじっとその姿を見つめてから、諭すような優しい声色で言った。
「ミフユは、思っていることを誰かに話したことはある?」
「考えていることを話す……? それは……生徒会の仕事をする中で、いくらでもチハヤと話し合ったけれど……」
「生徒会の方針とか、学校運営のためのタスクとか、そういう難しい話じゃなくていいんだ。もっと、心の奥底の方にあるもの……まさに、今話してくれたようなことだよ」
「いや……こんな鬱屈した感情の話なんて、チハヤに聞かせても面白くないしつまらないし申し訳ないし……あなたになら、まあ構わないと思うけれど……」
「そ、そっかあ……」
それは裏を返せば先生にならつまらない話をしていい、ということになるのだが、先生は大人の余裕をもって指摘せずに受け流す。
肝心なのは、その誤った認識を解くことだ。
気を取り直して、先生はゆっくりと言葉を選んで話し始める。
「ミフユとチハヤはこの三ヶ月、百鬼夜行を走り回って学校を再建させてきたよね。でも、落ち着いてたわいのない話をするようなのんびりした時間は、まだ作れていないんじゃない?」
「それは、そうね」
「なら一度時間を作って、私にしてくれた話をそのままチハヤにしてみるといい。きっと、それだけでミフユの悩みは解決するよ」
あっさりと悩みへの答えを提示されて、ミフユは若干の焦燥を含んだ表情を浮かべる。
だが、先生にはそれだけで解決するという確信があった。チハヤが他者に対する優しさを多分に有した生徒だということは、他の誰よりも知っている自信がある。そんな彼女なら、きっとミフユの告白を聞き届けて、思い悩む彼女の手を引いてくれるはずだ。
当のミフユは考え込んだ後、困り眉のままぼそりと口にした。
「でも……今更、どう切り出せばいいのかしら」
「丁度いいキッカケがあるよ」
先生は視線を外して、空き地の傍に積まれた灯籠の山を見やる。
あれは灯篭祭の最後に、お祭りの参加者が火を灯して川に流すためのものだろう。
「明日……お祭りの最後に、灯籠流しが企画されているよね。その時にでも、二人で話してみたらいいんじゃないかな?」
その言葉に、ミフユは思わず俯いた顔をあげて反論する。
「言ったでしょう、先生。私には、灯篭を流す資格なんて……!」
「資格がないと思うのなら、それも含めて君が「被害者」だと言うチハヤに話してみればいい。灯篭を流す資格……そして友達になる資格があるか否かは、その答えを聞いてからでも遅くないんじゃないかな」
抱え込まずに、誰かに話す。
それは単純な答えであるようでいて、悩みを抱える当人からすれば最も辿り着きにくい答えの一つだ。
だが、ここで心情を包み隠さず話してくれるミフユであれば、きっとチハヤに話すこともできる──そう、先生は考えていた。
「大丈夫。きっと上手くいくことを、私が保証するよ」
そう言って、先生はすっくと立ち上がった。
その目線の先には、パフェをそろそろ完食し終える百花繚乱所属のエリートの姿がある。そろそろ、継承戦の立会人探しに戻らなければならない。
「またね、ミフユ。チハヤとうまく話せたら、気が向いた時でいい……どうなったのか、教えてくれると嬉しいな」
「え……ええ、わかったわ」
去っていく先生を見つめながら、ミフユはしばし呆然としていた。
自分の考えていることを全て打ち明けるなんてことは、最初からミフユの選択肢に浮かんですらもいなかった。そもそも、ミフユにとって同い年の同級生なんてものはチハヤが初めてで、最初はどう接したらいいのかも分からなかった。
だからこそ──分からないからこそ、思いの全てをぶつける。
それは決して、一人で思い悩み続ける限りは思いつかなかった答えだ。
「……チハヤの褒め言葉、正しかったのかもしれないわね」
ぼそりと呟いて、ミフユは告白の決意を固める。
さっきまでの胸の痛みは、気づけば薄れてなくなっていた。
・チハヤとミフユの年齢差
チハヤ、ミフユ共に16歳です。ただしチハヤは一年間の山籠り修行により留年しているので、チハヤは一年生でミフユは二年生と学年に開きがあります。
留年する奴が副会長に就いている生徒会は本当に大丈夫なのか?