「なんですか……あれは」
私は呆然としたまま、燃える街の向こうに見えた巨体を見つめていた。
一言でいい表すのなら、漆黒の獣。
小山ほどはある巨躯を震わせて、その獣は再び天に轟くかのような咆哮を上げた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ────ン……!!』
ここまで空気が震えて伝わってくるほどの咆哮に、私は全身に悪寒を感じ取る。
だ。今まで斬り伏せてきた怪異と比べれば、アレはきっと
人々の押しかける避難所に、ピリつくような緊張感が走り抜ける。
当たり前だ。今までの怪異は押し留められていたが、あの獣は避難所になっている体育館なぞ軽く粉砕してしまいそうな巨躯を誇っている。アレが人々が殺到する
「お……お姉ちゃん……」
「……大丈夫よ。アレが私たちの方に向かってきたとしても……私がなんとしても食い止める」
ミフユは険しい表情はそのままに、しかし諭すような優しい声色で返答した。その瞳には、決して揺らぐことのない輝きが煌めいている。
大切な学校と生徒を守る。それはどんな時だろうと変わらないミフユの夢にして、強固に彼女を支える信念だ。
そんな彼女が止めると言うのなら、きっとミフユは止めてみせるのだろう。だが、一つ文句をつけるとすれば──、
「さらっと副会長の存在を忘れないでください、ミフユさん。私だって戦いますよ」
「……そうね。今の天姫ヶ峰には私だけじゃなくて、頼りになる用心棒もいるんだったっけ。コフユ、これでもまだ不安かしら?」
その問いかけにコフユは首を横に振り、私とミフユに笑いかける。
「ううん。そうだったね、二人ともすごく強いんだもん。あんな猫さんに負けないよね!」
「ね……猫ですか。確かにそう見えなくもないですけど、アレ」
そんなやり取りで不安を払拭したところで、私たちは同時に刀を抜き放って獣の襲来に備える。
しかし予想に反して、獣はこちらに興味を示す様子を見せていなかった。時折何かを振り払うような仕草を見せて、街並みの向こうで動き回っている。
至るところから聞こえてくる銃声や爆発音のために耳で判別するのが難しいが、あれは──、
「まさか……あの獣と誰かが戦っている?」
同じ答えに辿り着いたと思しきミフユが、呆然とした声色で呟いた。
とはいえ、山のような獣に自ら立ち向かえるほどの気骨のある生徒がいるとは思ってもみなかった。
それこそ、もはや解散して久しいと噂される「百花繚乱」が復活でもしない限り──、
「……まさか!?」
そこで、私は一つの答えに行き着いた。
私はつい先日、その百花繚乱を復活させようとする生徒を目にしたばかりではないか。そして──生徒たちのため、危険を厭わず戦うことを選びそうな大人に私は心当たりがある。
「先生……そこに、いるんですか……?」
燃え盛る街並みの向こう側を呆然見つめながら、私はそう呟いた。
だとすれば、私は立ち止まっているべきではないのではないか。主の危機に馳せ参じることのできないサムライなんて切腹ものだ。たとえ私が偽物のサムライだったとしても、主にかける想いだけは本物でありたい。
だが、この避難所を置いて独断行動に走ることはできない。私はサムライだが、同時に今は天姫ヶ峰の副会長でもあるのだから。
そんな葛藤を察したのか、傍に立っていたコフユが私の袖をくいくいと引っ張った。
「チハヤお姉ちゃん、私たちのことは大丈夫。小さいオバケは、戦える生徒さんたちがやっつけてくれてるし……特別に強いお姉ちゃんたちは、先生に力を貸してあげて」
「コフユ、あなたそんな強がりを……」
「ううん、強がりじゃないよ。二人に会えて安心できたからかな、もうオバケもこわくないの」
コフユはそう言うと、片手で握りしめていた拳銃を素早く前方に構えた。
遠くには今も怪異と銃撃戦を続けている生徒たちが防衛線を築いている──が、流石に距離が遠すぎる。無茶だと静止しようとする私とミフユが声を上げるよりも早く、コフユは恐ろしいほど自然にトリガーを引いた。
パン!! という鋭い炸裂音に似た銃声が響き渡り、放たれた弾丸は正確無比に迫る怪異の一匹を貫いた──100メートルはある長距離を挟んでいるにも関わらず、だ。
「え……う、うそ……この距離で……? 私は1メートル先の目標にも銃弾を当てたことないのに……」
「ふふ! お姉ちゃんなら倍の距離が開いてても当てるだろうし、これくらい大した事ないよ」
「謙遜する必要はないわよ、コフユ。素晴らしい射撃だった。ここ最近は銃を握っていないし、気付かないうちに銃の腕は抜かされたかしら」
「えへへ〜」
ハイスペック姉妹の会話を聞かされて、私は内心でぐぎぎと唇を噛んだ。
ミフユが刀だけでなく銃の腕も優れた万能少女であることは知っていたが、その才覚は妹にもしっかり引き継がれているらしい。そんなの遺伝子レベルのチートではないか。私の遺伝子は、もはや呪いレベルで銃器の扱いが下手くそだというのに……、
「とにかく、私たちのことはもう大丈夫。先生には、学校を守ってもらった恩もあるし……お姉ちゃん達の力を、今度は先生に貸してあげて欲しいな」
「コフユがそう言うのなら仕方ありませんね。ミフユさんもそれで構いませんか?」
「ええ、妹の頼みを聞かない姉は存在しないもの」
キリ、と険しい表情でミフユは呟いたが、冷静に考えると割とおかしい言葉なのではないだろうか。
この三ヶ月間この二人を観察していて、ミフユがコフユの頼みを断ったり、叱ったりしているところを私は見たことがない。それどころかこのお姉ちゃんは妹を常日頃から極限まで甘やかし、妹の頭を吸うだけで三日は徹夜で働けるなどと豪語している。
熟考を重ねた私は、ミフユがかなり重度の妹好きであるという結論を否定できなくなりつつあるのだが──いや、ここで追求するのはやめておこう。
ともかく、私とミフユが次に取るべき行動は定まった。
「二人とも、頑張って!」
「はい!」「ええ!」
戦っているであろう先生を助けるため、コフユの声を背中に受けて、私とミフユは燃え盛る街へと走りだした。
◆
私とミフユが燃える街に入り、中心部へと向かっていたその時。
ジジッ、と大きなノイズ音が空気を震わせ、上方から何者かの笑い声が聞こえてきた。二人して同時に視線を向けると、そこには──、
『あははっ……お祭り、楽しんでますかぁ?』
そこにあったのは、夜空を舞う陰陽部の放送用飛行船。
その側面に設けられた巨大なモニターに、一人の少女が映っていた。不健康そうな瞳に、色素の薄い髪。正体不明の少女はこんな状況にありながら、しかし愉快げにケラケラと笑っている。
「あいつ、何者?」
「ここからだと、何を言っているのかよく聞き取れませんね……あっ!」
飛行船を見上げていた私は、驚きに目を見開いた。
彼女を映していたモニターに、もう一人の少女が映ったからだ。
あの黒髪かつどこか高貴な雰囲気の少女には、見覚えがある。昨日、先生と共に人探しをしていた百花繚乱の生徒──ユカリだ。彼女は深い眠りに落ちているのか、ぴくりとも動こうとしない。そんな少女をよそに、謎の少女は声高に言葉を紡ぐ。
『さあさ、これより始まるのは、手前ども花鳥風月部の風流──美しく、艶やかに煌びやかに、百鬼夜行を燃やし尽くして差し上げましょ! 手前さん方、どうぞご期待くださいなぁ!』
そして、少女の笑い声が飛行船から燃え盛る街に響き渡った。
今度ばかりは、その言葉の内容がしっかりと耳に届いた。この百鬼夜行を燃やし尽くす──そんなことを、断じて許すわけにはいかない。
あの少女はおそらく、この状況を作り出した張本人なのだろう。だが、どうしてユカリの身柄を確保しているのか、街に溢れる怪異はどうやって湧いたのか、分からないことは依然として多い。ともかく──、
「ミフユさん、急ぎましょう!」
「ええ……!」
状況は逼迫しているということは明らかだ。
街の中心はもうすぐそこに見えている。熱せられたアスファルトを駆けて、焼け落ちた建物を横目に走り続けて──そしてようやく、私たちは戦場へと辿り着いた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ────……!!』
私とミフユは、一度火災から逃れた建物の屋根に登って戦場を見下ろしていた。
広い大通りで暴れ狂うのは、影のごとく黒い体躯の獣だ。
近くで見ると、その恐ろしい姿の仔細がよくわかる。巨大な牙の覗く口、荒れ狂う爪、ぎょろりとそれぞれが別方向を睨む赤の瞳。
それに対面しているのは──複数の生徒たちと、先生。
「先生たちは先に行って……! ここはアタシらに任せてくれ!」
「ナグサ先輩、先生……ユカリを、どうかお願い」
百花繚乱の羽織を身に付けた白髪の少女と先生に向かって、同じく百花繚乱生徒であろう二人が叫ぶ。
先生は未だ逡巡する少女の手を掴み──、
「行こう、ナグサ!」
先生は獣に背を向けて、白髪の少女と共に舞台の方へと走り出した。
断片的な言葉から状況を推し量るに、昨日会ったユカリという少女が危機に陥っているらしい。先生は獣の相手を生徒に任せ、彼女の救出に向かったのだろう。
「チハヤ、どうする?」
私が状況を整理するのを待って、隣のミフユが問いかけた。
彼女は暗に、二択のどちらを取るかと問うている。
舞台の方へ向かった先生に手を貸すか、目の前で怪物と戦っている生徒たちに手を貸すか。どちらを、真に優先するべきなのか。
「……っ!」
私は逡巡してから、下で繰り広げられる戦いに視線を戻した。
「下の生徒たちを援護します。あの怪物は、現れた怪異の中でも別格……あの少女の
本心を述べるなら、今すぐに先生の元へと馳せ参じたい思いはある。
だが、私には一つ心当たりがあった。
この緊急時、恐らく彼女達も先生の力になるために動いているはずだ。あの三人……ミチルを筆頭とする忍術研究部は、必ず先生の力になる。
「わかった。あなたの判断に従うわ」
「ありがとうございます。では、行きましょう!」
私とミフユは頷きあうと、暴れる怪物と応戦する生徒達の間に割って入る形で屋根から飛び降りた。
「助太刀します、皆さん!」
着地と同時に刀を抜き放ち、二人並んで刃を構える。突然の闖入者に驚いたのは生徒たちだけではなく、クロカゲも同様だったようだ。ぎょろぎょろした瞳が、一様に私とミフユのことを睨みつける。
と。そんな私を見て、青い羽織に朱髪の少女が声を上げた。
「あんた、剣術研究部の……!?」
「むっ。そういうあなたは、前に体験入部に来てくれた……!?」
以前、はるばる遠い天姫ヶ峰にまでやって来て、私一人しか部員のいない剣術研究部に仮入部してくれた少女がいたことを思い出す。よく見れば、目の前の生徒がその少女ではないか。確か、名前は──、
「レンゲ……でしたよね?」
「ああ。ははっ……今じゃすっかり名の知れたサムライが手を貸してくれるとは思ってもみなかった、ありがたいよ!」
「あなたたちは……修行部の皆さんね。お昼ごろ屋台に来てくれたの、覚えているわ」
「あはは……まさかこんな場所で再会するとは思いませんでしたが、援軍に駆けつけてくださってありがとうございます。心強いです」
そんな会話をしていると、目の前からグルル…と低く唸る声が聞こえてきて、慌てて私は目の前に意識を向け直した。
「どうやら、呑気に話してる場合じゃありませんね。状況はどんな具合ですか?」
「……奴の名はクロカゲ。花鳥風月部が有する怪書によって形を成した「怪談」よ。先生とうちの部長代理が、あいつを呼び出した馬鹿を倒しに舞台に向かってる」
私の問いかけに答えたのは、レンゲではないもう一人の少女だった。
静かな雰囲気の、短い黒髪に二又の尻尾を有した少女だ。隣のレンゲとは雰囲気が正反対だからか、そのぶん余計に冷静沈着な雰囲気がある。
「と……自己紹介が遅れたわね。私はキキョウ、百花繚乱の参謀役を務めてる」
「参謀さん、端的な説明をありがとう。花鳥風月だの怪談だの、よく分からない単語が多いけれど……要するに、先生がこの事態を解決するために奔走している間、私たちでこの怪物を食い止めればいいわけね?」
「ええ。でも、一つ問題が────」
ミフユとキキョウが素早く言葉を交わす最中、場の全員に本能的な緊張感が駆け抜ける。
その要因はたった一つ、目の前で警戒態勢をとっていたクロカゲだ。
全員が臨戦態勢を整える中、黒獣はその口腔を不気味に開き、
「──────……来るぞ!!」
轟、と放たれた咆哮が大気を揺らした。
頭部にて不気味に輝く紅色の瞳が、己に向かい武器を構える生徒たちを睨みつける。次の瞬間、黒々とした巨躯が大地を蹴った。
長く鋭い牙の生えた前脚が、熱混じりの空気を裂いて振り下ろされる。その最初の標的は──私!
「っ……!!」
しなやかに伸びる獣の一撃を、私は後方に跳ぶことで避け切った。
だが止まらない。左右左右と、連続して振り下ろされる前脚が地面を砕く。やっている事はいわば連続猫パンチなのだが、いかんせん規模も威力も桁外れだ。頭に直撃でもしようものなら一撃で昏倒しかねない。
しかし──、
「少々、動きが単調なんじゃありませんか……!?」
五発目にして攻撃を読み切った私は、素早く刃を翻して垂直に斬り上げた。
タイミングは完璧だ。このまま白雪の刀身めがけてクロカゲが前脚を叩きつければ、その力のぶん刃が食い込む。或いは指の一、二本程度斬り飛ばせるか──、
「んなっ……!?」
そう考えていた私は、しかし予想外の結果に瞳を見開いた。
予想に反して、白雪の刀身はぬるりとクロカゲの身体を透過してしまったのだ。
まるで空を斬るかのように空虚な手応えが、両の掌を通して伝わってくる。その身体には確かに質量があるはずなのに、まるで影を斬らされたかのようだ。
「あっ……ごめん、伝え忘れてた! アイツに普通の攻撃は効かないんだ!」
「攻撃が……効かない……!?」
その言葉に驚く暇もなく、血のように赤い光が私の頭上を通り抜けた。
ミフユによる攻撃だ。瞬いた輝きは、いずれも寸分違わずクロカゲの瞳に突き刺さる。
キヴォトスの人間すら容易く切り裂く、「ザババの双杖」が放つ光速の一閃。その効果は絶大だが、クロカゲは鬱陶しそうに顔を捻るだけに留まった。
「……確かに、その言葉は正しいみたいね。私の攻撃も効いていない」
「奴に対処するには、私たち百花繚乱に伝わる武器……幽霊を倒す銃である「百蓮」を使うしか方法がないんだ。でも、今それは先生とナグサが持っている」
「つまるところ……こちらは攻撃手段がない状態で、この大物を抑え込まなければならない訳ですか……!」
その事実を肯定するように、クロカゲは私たちを睥睨しながら低い唸り声をあげる。
攻撃手段が存在しないとなると、こちらの不利は明確だ。なんとかして痛手を与える方法があればいいのだが、その「百蓮」とやらに頼る事はできない。
他に手段はないかと考える私の目の前で、クロカゲはその頭部を持ち上げた。
大きく開いた口元に、朱と黒の色彩を孕んだエネルギー塊が形成されていく。
「……っ、まずい! 総員伏せて!」
キキョウと呼ばれた少女の警告が飛んだ直後、溜め込まれたエネルギーが私たちめがけて火を噴いた。
破壊の嵐が巻き起こる。
視界が赤と黒に染まり、世界がもみくちゃに揺れ動く中で、私は必死に体を地面へと押し付けた。
「──────────……っっ!!!」
クロカゲは溜め込んだエネルギーを拡散するレーザーのように放ち、己の真正面を焼き払ったのだ。
閃光が大通りを一直線に駆け抜けて、燃え残っていた屋台の残骸や灯籠を粉砕していく。
だが──いつまで経っても衝撃と痛みが訪れず、私は恐る恐る瞑っていた目を開けた。
「ふ〜……これは、なかなか強烈だね〜……」
いつの間にか、目の前に少女が立っていた。
修行部の部長──ツバキ。彼女が咄嗟に前へと飛び出し、手にした大盾で攻撃を真正面から受け止めたのだと、焦げ付いた盾を見て理解する。
タフさには自信がある私でも感嘆せざるを得ない、凄まじい防御力だ。数軒の家屋など容易く吹き飛ばす破壊の嵐を、一人の力だけで押さえ込んで見せるとは──!
「援護するよ、ツバキ先輩!」
パシュウ、という噴出音に似た銃声が響き渡った直後、クロカゲの眼前で青々とした閃光が爆ぜた。
強烈な閃光を放つ信号弾だ。その輝きに視界を潰されたのか、クロカゲは小さく悲鳴を漏らして二歩、三歩と後退する。
「カエデちゃん、そのまま目を狙って撃ち続けて! ……ツバキちゃん、無事ですか!?」
「う〜……ちょっと休憩……」
あれだけの攻撃を盾一つで受け止めたのは流石に堪えたのか、ツバキは医療セットを手にしたミモリと後方へ下がる。
その空白を埋めるように、百花繚乱の二人が駆け出していた。
「退がってる間は任せろ! キキョウ、とりあえずあたしが突っ込むから打開策を探してくれ! あいつにダメージを負わせる方法、「百蓮」以外にもあるんじゃないのか!?」
「簡単に言ってくれるね……まあ、やるけど」
青色の羽織をたなびかせて、レンゲが百花繚乱制式ライフルを連射する。その気迫たるや、彼女を包み込む苛烈な炎を幻視してしまいそうなほどだ。
それとは対照的に、キキョウはまだ壊れずに残っている家屋の屋根へと移動していた。あの場所であれば戦場を眼下に一望できる。
作戦参謀の彼女が勝機を見出すために動いているなら、私たちは──、
「私たちも加勢しましょう、ミフユさん! 攻撃が効かないとしても、なにか分かることがあるかもしれません……!」
「ええ。あの切り込み隊長さんを援護する」
私とミフユ、レンゲの三人でクロカゲを撹乱し、大技の対処は修行部の三人に任せる。
後は、どれだけ私たちの体力が持つかの持久戦だ。
状況を認識した上で、ふぅ、と深く息を吐いた。
私たちの背後では先生が、大切な主がいまも名も知れぬ黒幕と戦っている。その事を今一度思い返すと、刀を握る力が強まるのを感じた。
なんとしても──この怪物を、主の元へは行かせない。
咆哮するクロカゲめがけて、私は再び走り出した。
◆
吠え猛るクロカゲの瞳に鉛玉が撃ち込まれ、私の刀が後ろ脚を切り裂き、ミフユの光刃が胴体に直撃する。
戦いが始まって、一体どれだけの時が経っただろう。
三者三様の鋭い攻撃はしかし、やはり一切の効き目を及ぼさない。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ────!!」
「乱射攻撃が来るぞ! みんな、回避に集中しろ!」
クロカゲが天に向かって吼えたと同時、周囲に幾つもの火種が浮かび上がった。赤と黒の入り混じる、人魂とも呼ぶべきゆらめく焔。
それらは再度の咆哮に合わせ、誘導弾の乱れ打ちがごとく連射される──!
「くっ……!!」
周囲を取り囲んで十字砲火を浴びせていた生徒たちが、みな一様に回避行動をとる。それはクロカゲの右前脚付近に陣取っていた私も同じだった。
一つ、二つ──強烈なホーミングを伴って遅い来る人魂を、ぎりぎりまで引きつけてから回避する。狙いの外れたソレらが背後で爆発する音を聞きながら、私は最後の一発を刀で受け止めた。
流石に人魂を斬った経験はないので、弾丸よろしく両断できるか不安だったが──ソレは目論見通りに真っ二つに分かれ、熱混じりの空気に消えてゆく。
だが、私はそれとは別の驚きに悲鳴をあげた。
「あ、あちっ、あちっ! なんですかこれ!?」
熱い。思わず刀を取り落としそうになりつつも、私は異変をきたした「彼岸白雪」の刀身を見つめた。
クロカゲの放った人魂……黒と紅が入り混じる不気味な焔。その熱、残り火とでもいうべきエネルギーの残滓が、澄んだ白銀の刀身を黒く染め上げていた。
「人魂を斬ったことによる熱伝導……いや、そんなはずはありませんし……これって……?」
頭の中に浮かんだ単語を即座に否定して、私は黒々とした炎を帯びる刀身を見つめなおした。
一般的に、金属には熱伝導性を持つものが多いが、この「彼岸白雪」にその性質は当てはまらない。過去、ミレニアムのエンジニア部に調査してもらった際、この刀が熱伝導性や質量をほとんど持たない未知の物質で構成されていることは伝え聞いている。
では、どうしてこの刀はクロカゲの炎を纏えるのか。
私が「ザババの双杖」と呼ばれる遺物について知っていることは、振るい続けた年月に比せずあまりに少ない。そう、まだ知らない未知の機能による現象という可能性だって──……、
「──────見えた!」
その時、屋根上から状況を俯瞰していたキキョウの鋭い声が戦場に響き渡った。
「総員、八重垣チハヤを援護して!」
「えっ!?」
思いもよらない指示の内容に、指名された私が一番びっくりして自分自身を指さした。
が、その指示は決して言い間違いなどではなかったらしい。キキョウは手にしたライフルを構えながら、よく通る声で指示を続ける。
「私たちの武器ではダメージにならない! でも、
なるほど、「目には目を、歯には歯を」という訳か。
クロカゲが私たちの攻撃を無力化する力を持っていることは確実だが、自分自身の攻撃まで無効化できるかは分からない。
当然、あっけなく無力化される可能性もあるが──、
「可能性も何もなかった今までに比べたら、遥かにマシな心地です!」
何事も、試してみなければ分からない。
燃え盛る刀を低く構えて、クロカゲの周囲を走りながら攻め込むタイミングを図る。
獣の本能なのか、こういう時に限ってクロカゲは私ばかりに注意を払っているようだった。執拗に人魂や小さな分身が飛んできて、とてもではないが斬り込めない。
「露払いくらいはあたしに任せろっ!!」
やや後退する私と入れ替わるように前に出たのは、百花繚乱のレンゲだった。
目にも留まらぬ連続射撃──1発たりとも無駄弾を出さない、鍛錬と経験に裏打ちされた性格無比な射撃術。
あっという間に襲いくる人魂が爆散し、牙を剥いて迫っていた分身は霧散した。
「ありがとうございます!」
再装填に入るキキョウを追い越して、私は一気にクロカゲとの距離を詰める。
開いた間合いはあと半分ほど──私がその巨躯に到達するよりも早く、今度はクロカゲがゆっくりと頭を掲げる。
「まず……っ!!」
クロカゲの高く掲げた口腔付近に、黒く禍々しいエネルギーが充填されていくのが見えた。
あの一撃──大通りを薙ぎ払った、ドラゴンの吐息じみた攻撃がくる。
前のめりに突っ込んでいる今、回避するのはもう間に合わない。それは私だけでなく、恐らく場の全員がそうだ。突っ込む私に合わせて、総員が攻撃の態勢を整えている。思わず背中に戦慄が走るが──、
「同じ手は、そうそう何度も喰わないよ……!」
鋭い声と共に、一人の少女が飛び出していた。
キキョウが立つ屋根上からさらに一段と高く跳躍したのは、修行部部長のツバキだ。
身の丈ほどある大盾を手にしているとは思えない、恐るべき俊敏さ。彼女は宙空を舞いながら、身体を二度、三度と旋回させ──ありったけの膂力と遠心力を乗せて、収束するエネルギーの塊に大盾を叩きつけた。
「ギャウ……ッ!?」
指向性をもって放たれるはずだったエネルギー塊が、予想外の干渉を受けてぐらりと揺らぐ。それはそのまま球状のカタチを保てなくなり、クロカゲの口腔付近で炸裂した。
「やった! ツバキ先輩、ナイス!」
「今です、チハヤさん!」
クロカゲはその口元から煙を上げながら、苦しげに二、三歩と後退する。もはやこちらを阻止する攻撃はない。
そう判断した私は、地面を蹴る速度を最高速へと引き上げた。
低く構えた刀を強く握りながら、奴のどこにどう打ち込むべきかを最後まで考える。
理想は頭、それも急所であろう瞳に一撃を叩き込むことだ。だが、ツバキが屋根からの跳躍で高さを稼いだように、地面からでは高さが足りない。だとすれば、頭部よりは劣るだろうが前脚が胴体──……、
「チハヤ!
その瞬間、鋭く飛んだミフユの声が私の鼓膜を震わせた。
私とクロカゲの合間に割って入ったミフユが、刃を裏返して地面すれすれに構えている。その意図するところを察した私は走る軌道を強引にねじ曲げ、ミフユの元へと疾駆した。
そして、私の右足がその刀に乗った直後──彼女は渾身の力で刀を振り上げ、私を天高くへとカチ上げた。
「……っ!!」
疾風じみた速度に高さが加わり、各地の炎に炙られた熱風が頬を撫でる。
これなら高度は問題ない。目の前には、ようやく怯みから立ち直ったばかりのクロカゲが、その巨大な瞳をぎょろりと蠢かせている。
私は空中で刀身を大上段に構え、その瞳めがけて狙いを定めた。
あらゆる人々が私の一撃のために全力を尽くしてくれたのだ──決して、失敗は許されない。
「たああああ……あああああああああああっっ!!」
裂帛の気合いを込め、私は手にした刀ごと全身の筋肉を躍動させた。尻尾でうまく重心を動かして、身体そのものをぐるんと縦に回転させる。
そうして生み出した運動エネルギーと、今までの加速で得たぶんの速度──全部を白雪の刃に乗せて、私は渾身の縦一閃をクロカゲの頭蓋に叩き込んだ。
「グオオオオオオォォォオオオオオォォォッ!?」
それは間違いなく、クロカゲが初めて漏らした苦悶の声だった。
そのまま焦げた地面に墜落した私を、修行部のミモリとカエデが目ざとく二人がかりで受け止める。お陰で変に身体を痛めることもなく、私はすぐにクロカゲの至近から退避した。
「やっぱり効き目はあったみたいね。いくら銃弾がすり抜ける怪物でも、自分の炎で斬られるのは想定していないでしょう」
「なるほど……クロカゲには通常の攻撃は効かない。でも、クロカゲ自身の攻撃を跳ね返したら……ということですね」
「まあ、やってみるまで確信の持てない賭けだったけど……流石に無敵という訳じゃないことが分かって安心した」
その時、何かが爆発するような音が連続して舞台の方から聞こえてきた。
振り向くと、その方角の空が一段と赤く染まっているのが見える。先生の戦いも、あちらで激化していると考えるべきなのだろう。
そちらを心配げに見つめるレンゲ、キキョウの二人。百花繚乱を復活させようとしていたあの少女──ユカリを助けるために先生とナグサが戦っているのだとすれば、彼女らも今すぐに舞台へと走りたいのだろう。
そんな二人を見て、修行部のミモリが口を開いた。
「お二人とも、先生とナグサさんの元に向かってあげてください」
「な……クロカゲはまだ倒れちゃいないんだぞ!? なのにあたし達だけ抜けるなんて、そんな事できるわけないだろ!?」
「確かに、先ほどまでの戦力なら心許なかったですが……今は、天姫ヶ峰のお二人も駆けつけてくれましたから。戦い方も掴めましたし、戦力的には不足ないかと」
そう言って、ミモリはこちらを見つめてにこりと微笑んだ。私が言おうと思っていたことをそのまま先んじて言われてしまったが、この少女は心でも読めるのだろうか。
ともかく、私もその言葉には賛成したい。ミモリの提案に頷いていると、ミフユが考え込んだ顔で呟く。
「確かに、先生をそちらの副委員長一人に任せきりというのもリスクが大きいかしら……チハヤ、まだ動ける?」
「もちろんです! クロカゲが何度立ちあがろうと、また斬り伏せてやりますよ!」
私が元気をアピールせんと腕をぐるぐるすると、無言を保っていたキキョウがくすりと笑いをこぼした。
「あんた……ウチのユカリみたいなタイプだね」
「それは褒めてくださってるんですか?」
「どうかな。まあ、こういう時にまでその元気があるんなら、安心して任せられそう」
その言葉で、ひとまずの方針は固まった。
百花繚乱の二人はここを離れ、舞台に向かった先生たちの援護へと向かう。青い羽織をたなびかせて走り去るその前に、二人はもう一度こちらを振り返って──、
「クロカゲの足留め、頼んだよ」
「あたしらでカタをつけてくる! そしたらすぐにクロカゲも消えるはずだ! もう少し踏ん張ってくれ!」
そう言い残して、二人は舞台の方へと走っていった。
その青い羽織が意味するところ──百花繚乱紛争調停委員会の生徒として、この戦いを終わらせるために。炎と煙の赤に染まった世界で、その羽織の青はこの上なく頼もしく思えた。
「うわっ……く、クロカゲが動き出したよ! みんな、気をつけて!」
と、カエデの警告に私は意識を目の前へと戻した。
痛手を受けたクロカゲはしばらくうずくまっていたが、その痛みを怒りに変えて立ち上がったようだ。ギラついた瞳が、己を阻む矮小な者たちを睨め付ける。
「さてと……あと一踏ん張りってところかしら?」
「先生がこの状況をなんとかしてくれるはずです。その邪魔をさせないためにも──最後まで頑張りましょう!」
全員が武器を構える中、クロカゲはもう一度怒りの咆哮をあげた。
ミフユ「全力でお姉ちゃんを遂行するわ」