その戦いの終わりは、驚くほど唐突に訪れた。
「ォォォオオオオオオォォォ…………」
クロカゲの黒々とした巨躯が、溶けるように宙へと霧散していく。
私たちは武器を握りしめたまま、その様を呆然と見上げていた。
「お……終わったの、かな……?」
しばらくの沈黙を経て、恐る恐るといった様子で修行部のカエデが呟く。
修行部の三人と私たち、あわせて五人で戦いを続けてどれだけの時間が経っただろうか。既に体力も底を尽きかけ、カエデの言葉にはこれで終わってくれという切実な願いが滲み出ている。
というか、これで終わってくれないと困るのは私も同じだ。下手に喋るとフラグになりそうなので、敢えて黙っていたけれど。
「奴の気配も消えたし……これで決着、ということでいいんじゃないかしら」
「つまり……先生と百花繚乱の方々が、事態を収めて下さったんですね……!」
「わーい! やったーっ!」
ミフユが刀を下ろしたのを見て、傍に立っていたミモリとカエデは胸を撫で下ろす。私も同じ心持ちのまま、隣で攻撃を防ぎ続けてくれたツバキと笑い合った。
怪猫クロカゲは、恐るべき相手だった。
攻撃手段を見つけたとはいえ、私とミフユの二人だけでは到底抑え込めなかっただろう。今回の勝利は、卓越した連携力を発揮した修行部の三人があってこそだ。
「二人とも、お怪我の具合はどうですか!?」
そんな事を考えていると、救急セットを小脇に挟んだミモリがこちらへ駆けてくるのが見えた。
「いや〜……わりと手ひどくやられましたが、そちらの部長さんに比べればマシな方です。本当にありがとうございました」
「私は鍛えてるから、平気だよ〜。でも、今はちょっと寝たいかも……ぐぅ…………」
そう言い残すと、ツバキは盾に体重を任せながら目を閉じた。立ち寝とは実に器用である。そんな彼女にも慣れているのか、ミモリは眠り始めたツバキの怪我を手早く確認していく。
「うぅ……流石に、長い戦いで救急箱の中身が尽きそうです。消毒液も包帯もありません。カエデちゃん、近場に保健室はありましたっけ?」
「そう遠くない場所にあったと思うよ。火事で燃えてなければの話だけど……私、見てくるね!」
ててて、と可愛い音を鳴らして走り去ろうとしたカエデは、数歩走ってからこちらを振り返った。
「私は保健室で備品を借りてくるけど、二人はどうする?」
「私たちは……」
「舞台の方に向かった先生たちの安否が気になるから、そちらに向かおうと思うわ」
私が言うまでもなく、ミフユはさらりと返答した。彼女はカエデからこちらに目線を移して、「これでいいでしょう?」と言いたげに私を見つめる。
どうやら、私が先生のことを気にするあまりソワソワしているのが、ミフユにはお見通しだったらしい。
「そっか! 確かに先生の無事は確認したいよね。まだ燃えてるところもあるし、気をつけて!」
「ええ……ありがとうございました、修行部のみなさん。色々と落ち着いたら、いつか食事にでも行きましょう」
「それなら、今度はお二人の学校に立ち寄らせて頂いても?」
「歓迎するわ。まあ、何もないところだけど……」
そんなやり取りをしてから、私たちは修行部の三人と別れて歩き出した。本当は走って向かいたいところだが、あいにく体力は限界ギリギリだ。
舞台へと続く大通りには幾つも焦げ跡が残り、煌びやかに街を彩っていた灯籠はほとんどが燃えてしまっている。
とはいえ、周辺から怪異の声や戦闘音は聞こえてこない。クロカゲが消滅したことを考えれば、先生と百花繚乱のメンバー達がこの災厄にケリをつけた、と考えるのが妥当だろう。
「しかし、びっくりしましたね。まさか、私の刀がクロカゲのエネルギーを纏ってしまうとは……」
「でも、不思議なことじゃないわ」
腰の鞘に戻した「彼岸白雪」を見つめながら呟いた私に、ミフユはさらりと言葉を返した。
「私たちの持つ遺物も、この世界の法則から外れた未知のエネルギーで動いている。だからこそ、同じような性質のエネルギーを帯びやすい……と、カイザーにいた頃聞いたことがある」
「クロカゲも……世界のまっとうな常識の埒外にある何かだった、という訳ですか」
ふむ、と口を閉じて思わず考え込む。
きっとこの世界には、私たちの知らない「不思議なこと」がたくさんあるのだろう。
そして、そんな神秘の坩堝のような世界で、私たちは生きているのかもしれない──そんなことを、似合わないながらに考えたのだった。
「となると……私たちの刀でも、同じようなことができるんでしょうか? 前にミフユさんの攻撃をこの刀で受け止めた時は、あんなことは起きませんでしたけど」
「可能でしょうね。以前の戦いで同じ現象が起きなかった理由は、単に私が双杖の出力を引き出せていないからでしょう。もっと大規模な攻撃をあなたの刀にぶつければ、あるいは……」
ミフユがぶつぶつと呟きながら、腰の刀に目線を落とす。
あらゆる武装を引き裂き、私たちの身体すらたやすく斬るミフユの刀捌きをもってしても、どうやら「ザババの双杖」のフルパワーには至らないらしい。その力を引き出すすべは、初代生徒会長が残した手記に記されているというが、ミフユはその再現に苦労しているようだ。
そんな話をしながら歩いていると、開けた舞台前の広場が見えてきた。
地面には薙ぎ倒された灯籠がいくつも転がり、辺りには焦げ跡や残り火がかすかにちらついている。肝心の舞台に至っては、先日の私がしでかした破壊が可愛く見えるほどの有様だ。
「……!」
そんな広場の中心で、青い羽織を着た二人が向かい合っていた。
対面するのはナグサとユカリ。その間には先生が立ち、傍にはレンゲとキキョウも控えている。クロカゲの消滅からして大事ないだろうとは考えていたが、全員に大きな怪我がないようで一安心だ。
「取り込み中かしら。先生もいるし、ここに至ってケンカというわけでもないでしょうけど」
「確かに、なにか入って行きづらい雰囲気ですね……邪魔したら悪いですから、見つからない場所で見ておきましょうか」
私とミフユは広場の端っこ、今日だけで何度登ったか分からない建物の屋根上へと移動して、少し熱を帯びた瓦の上へと腰掛けた。
「百花繚乱紛争調停委員会の委員長代理、御稜ナグサ……勘解由小路ユカリの挑戦に、受けて立つ」
「はい!」
ユカリは前に会ったときと変わらない様子で、しかしその表情はこれ以上ない真剣さを帯びている。
そして、それは対面に立つナグサも同様。
両者は油断なく銃を構え、すぐにでも動き出せるよう臨戦態勢をとる。
「そういえば……委員長代理と「継承戦」をするとかどうとか、前に舞台裏で会った時あの子が言っていたっけ。あれが継承戦なのかしらね」
「相手に勝ったらその役職を引き継げるんでしたっけ? 百花繚乱にも物騒な取り決めがあるんですねぇ。まあ、強いものが上の役職になるというのは単純明快で嫌いじゃないですけど」
「あら、じゃあ天姫ヶ峰にも校則を作る? チハヤがやりたいと言うなら、私はいつでも生徒会長の座を賭けるわよ」
「わっ、私がそんな権力にがめついタイプに見えますか!?」
「冗談よ」
そんなやり取りをしている間に、距離を置いて睨み合う両者の合間に立った先生がゆっくりと片手をあげた。
戦いが始まる直前の、ピリついた空気が広場を満たす。そして……、
「では、始め!」
掲げた右手を、先生は警句と共に振り下ろした。
「「────────!!」」
両者が動く。
先生を見届け人としての一騎打ち。互いにエリートと噂される百花繚乱の生徒、その勝負は苛烈なものになると思ったが……勝負は、驚くほど一瞬で決着した。
目にも留まらぬ速度で距離を詰めたナグサが、躊躇なくトリガーを引き──、
「きゃううん!?」
「勝者、御稜ナグサ!」
瞬く間に、ユカリを吹き飛ばしてしまったのだった。
思わず呆気に取られたが、それはミフユも同じだったようだ。
「えへへ……それでは皆様、はやく戻りましょう! 百花繚乱に……身共たちの家に!」
心の底から嬉しそうな様子のユカリが、他の三人にニコニコと笑いながら話しかける。それを見てなにを思ったのかは定かではないが、三人はみな一様に同じような笑顔を浮かべて、先生も交えて引き上げの準備を始めた。
その様子を遠くから見守って、私はすくりと腰を上げる。
「……我々も帰りましょうか、ミフユさん。ユカリさんと先生の無事も確認できましたし」
先生の無事と、事態の収集が行われたことは確認できた。ならば、私たちがこれ以上ここにいる意味もないだろう。
本音を言えば、先生と少しくらい話したかったけれど──戦いを終えた先生はきっと疲れている。私が出ていくことで余計な面倒を増やしたくはない。
そんなことを考えながらミフユの方を見ると、彼女は思いもよらぬ顔でこちらをジッと睨んでいた。
「な、なんですか? 私変なこと言いました?」
「……少し意外だった。あなたは、親しい人でも変に遠慮するところがあるのね。まあ、私が言えたことではないけれど……それは良くない癖だと思うわよ、チハヤ」
私から遠くの先生へと視線を移して、改めてミフユは話し始める。
「今くらいは「邪魔になる」なんて考えず、胸を張ってあなたの主に報告してきなさい。今日、先生と話したわけでもないのに、あの人のために陰でボロボロになるまで頑張って、きっちり役目を果たしたんだから……少しくらいは労われるべきよ」
「で、でも……」
「ここで話しておかないと、次いつ会えるのか分からないのよ? 多少マシになったとはいえ、天姫ヶ峰なんて陸の孤島なんだから」
それを生徒会長が言ったらおしまいなのでは……と思わず口にしようとした私の背中に、強烈な衝撃が走り抜けた。ミフユが躊躇う私の背中を、両手で強く押したのだ。
そのまま私は姿勢を崩し、屋根の淵から転がり落ちる。
「ぎゃんっ!? み、ミフユさんいくらなんでもそれは酷……もういない……!?」
転落した私が文句を言おうと顔を上げた時には、既にミフユは屋根の上から姿を消していた。
きっと、妹たちがいる避難所の無事を確認しに向かったのだろう。
「あれ……チハヤ、どうしてここに!?」
物音で私の存在に気づいた先生と百花繚乱のメンバーたちが、私の方に駆け寄ってくる。
それを見て、私は苦笑を漏らすことしかできなかった。
◆
それから暫くして、私は先生と二人で火災を免れたベンチに腰掛け、今日あったことを話し合っていた。
百花繚乱のメンバーは一足先に避難した人々の安全確認へと向かっているため、街に残っているのは私と先生の二人きりだ。
先生から聞くところによれば、今回の事件を起こしたのは「花鳥風月部」という、謎に包まれた組織の部員だったらしい。その中でも、この事件を起こした張本人──箭吹シュロは百鬼夜行の滅亡を目論み、百花繚乱を内部分裂させることでその目的を果たそうとした。だが、先生と団結を取り戻した百花繚乱の手によって彼女は打ち倒され──この百鬼夜行には、再びの平和が取り戻された。
簡単にまとめると、それが今回の事件の顛末だという。
「今回も大変な騒動だったみたいですね……先生、本当にお疲れ様でした」
「いや……チハヤが陰でクロカゲと戦ってくれていなければ、今回の勝利はなかったかもしれない。チハヤも頑張ってくれて、ありがとう」
先生に褒められて、私は思わずフヘヘと変な声で笑ってしまう。
ミフユが言っていた通りに、私は今回ばかりは遠慮を捨てることした。
街には一切の人気がなく、百花繚乱のメンバーやミフユも避難所の方へと向かっているいま、私が先生を独り占めする数少ないチャンスが到来していることは間違いない。ここぞとばかりに一ヶ月分……いや二ヶ月分は褒めちぎってもらうのだ。
「そういえば、今日は屋台を出す予定だったよね。チハヤとミフユがお祭りを楽しめたかどうか、聞かせてくれると嬉しいな」
「あ、そうだ……聞いてください先生っ。私、一躍人気者になっちゃったんですよ! 確かに大変でしたが、とっても楽しくて……」
その時、私は気づいていなかった。
まだ戦いは終わっていなかったことを。
寧ろ、ここからが本当の──私の戦いの始まりだったということを。
「──……えっ?」
瞬間、私の目の前に赤々とした鮮血が散った。
それは、他ならぬ先生の身体から散ったもので──あまりの事に思考が追い付かず、私は崩れ落る先生を呆然と見つめることしかできなかった。
ずしゃり、と先生の身体が地面にぶつかる鈍い音で、ようやく私のフリーズした思考が動き始める。
「な……ぁ……せ、先生……!?」
目の前の地面に、黒くぽっかりとした孔が空いている。
物理的な陥没ではなく、ただ影が集まって大口を開けているような、不気味に蠢く漆黒の孔。そこから突き出した巨大な刃物が、先生の腹部を深々と斬り裂いたのだ。
私は状況を把握できないままに、しかし致命的な失敗をしてしまったことだけは悟っていた。
「せ……先生っ、しっかり……!!」
「う゛っ……ぐ…………」
悲鳴じみた声を上げながらも、私は血を溢れさせる先生の身体を引き摺って、なんとか地面の黒々とした孔から距離を取った。
先生の身体を抱き留めて動かすたびに、生暖かい血が掌を赤く染める。
何者かによる不意の一撃は、先生の身体に深々と傷を刻んでいた。そこから絶え間なく溢れる鮮血が、私の制服にまで伝って布地を赤々と染めていく。
今すぐに手当を施さないと、先生の命が危ない。
「この気配……だめだ、チハヤ……逃、げ…………っ」
「先生、何を言って……先生!?」
私の腕の中で、先生が何かを言おうとして──そのまま力なく口を閉じて、ぐったりとしたまま瞼を閉じた。
意識が落ちた先生を庇いながら、私は必死に考える。
(血を、今すぐ血を止めないと……! いやまずは安全の確保が最優先……!? そもそも、あの孔から現れた剣はなんなんですか!? 私は……私はいったいどうすれば……!!?)
先生の荒い呼吸音を聞きながら、私の思考がぐちゃぐちゃにかき乱されていく。
その混乱と焦燥を貫くように、一人の嘲笑が響き渡った。
「ふ、ふ、ふ……フフフフフフフフフフふふふふフフフフフフフフフフ!! あはははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
目の前にぽっかりと空いた孔は、いつのまにか直径五メートルはあろうという巨大なものへと変貌していて。
その中から、異形の何かが姿を現した。
ゆらりと蠢きながら嗤うソレはおおよそ人の形をしていたが、私の直感は人ならざる何かへの恐怖を感じ取っていた。
幻魎百物語から生まれるという怪異、ではない。それよりもずっと得体の知れないモノ。私達が知る常識や法則の外にある、異質な存在。
「何者……ですか……!?」
震える手で刀を握りしめながら、私は蠢く影に問いかけた。
ぎょろり、と幾つもの目玉がこちらを向き、先生の前に立ち塞がる私を睨め付ける。
「我が名は、
影は──まるで愉快で仕方がないといった声色で、その名前を口にした。