「我が名は、ベアトリーチェ」
刀を構える私の目の前で、目の前に聳え立つ異形はそう口にした。
混乱を極める頭の中で、ただ一つの事実を認識する。
────こいつは、敵だ。
そう判断した瞬間、私の脳は何をするべきかという指針を一つ弾き出した。
この敵から、なんとしても先生を守る。
倒れた先生の前に立ち塞がる形で、私は切先をベアトリーチェの喉元に突きつける。そんな私の姿を見て、ベアトリーチェは低い声で嗤った。
「な……何がおかしいんですか!?」
癪に触るその笑い声に、私は激昂してベアトリーチェに言葉を投げつける。
だが大して怯む様子もなく、異形の女は数多の瞳をこちらに向けて言った。
「笑みも溢れるというものです。ついに……ついに我が宿敵たる先生に、この刃を届かせることが叶ったのですから!」
先生の血に汚れた巨大な刃を掲げて、ベアトリーチェは高らかに叫ぶ。
「改めて名乗りましょう。我が名はベアトリーチェ。先生の
「先生に、敗れた……?」
「ええ、ええ! そこの大人はかつて我が理想を阻み、私はゲマトリアによって放逐されることになった──ですが、私はこうして戻ってきたのです! この神秘溢れる箱庭に!」
私はその言葉の断片から、かつて先生がこの女を倒したこと、そして彼女はその復讐を果たしに戻ってきたということを理解した。
花鳥風月部の騒乱が収まったこのタイミングに襲ってくるあたり、彼女は長く機会を窺っていたのだろう。
そして、先生や生徒たちが消耗し、なおかつ私くらいしか周囲にいないこの状況を狙って──彼女は、ついにその刃を先生に届かせたのだ。
(この女がどういった存在なのかは理解できました……花鳥風月部とは全く関係のない、新たな脅威であるということも。でも、どうして……!?)
私は頬を伝う汗を拭う余裕もなく、ただ一つの疑問に答えを出せないでいた。
そんな私を相変わらず見下ろしながら、ベアトリーチェは口を開いた。
「あなたが何を考えているのか……ええ、手に取るように理解できますよ。私がなぜ先生を傷つけられたのか、その理由を探しているんですね?」
「……っ!」
「残念ですが、先生の身を守る
誇らしげに語るベアトリーチェは、融合したかのように右腕に絡みつく歪な剣を掲げてみせた。
先生を切り裂いたソレは、同じ刃物でも私の持つ「彼岸白雪」とは大違いだ。
醜くねじれた刀身は、あらゆる光を吸い込むブラックホールが如き黒に染め上げられている。美しさなど欠片もない、ただ殺意がそのまま形を成したかのような大振りの凶器。
「なんて……不気味な……」
それをまじまじと見つめているだけで、私は背筋に鳥肌が立つのを感じていた。
外見的な要素から感じる嫌悪ではない。
あの剣は、何か私の本能に直接訴えてくるような、異質な恐怖を纏っている。それを自覚しただけで、より一層柄を握る両手に力が入る。
「おや……カンの鋭い子供ですね、あなたは。この剣の危険性を、理屈ではなく本能で理解するとは」
「どういうことですか……!?」
「この世界に溢れる神秘、奇跡。そういったものを両断する為に造り出したのが、この剣なのです。刀身に纏った神秘の対極──恐怖によって、あらゆる神秘を無に帰す神秘殺しの刃」
ベアトリーチェはつらつらと話しながら、掲げた剣で吊り上がった口端を隠し、私のことをジッと見つめる。
まるで、これから「処理」する獲物を見つめるかのような瞳で。
「そうですね。あなたにも分かりやすく言うのなら……この剣は、容易くあなたのヘイローを切断することができます」
「────────……っっ!!」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
私たちの頭上に瞬くヘイローは、すなわち命の輝きだ。
その光輪を粉砕された時、私たちの命は尽きることになる。だが「ヘイローを破壊する」という行為には、非現実的なほどの火力を集中させて、致命的なダメージをその肉体に与え続ける必要があるという。
だから、私は誰かのヘイローが壊れたところを見たことがないし、そんな話を聞いたこともない。
要するに、理論上は可能だけれど、実現するのは到底困難というのが私の認識だ。
けれど──この女は、それを容易く行えると云う。
「そんな……もの、が……」
デタラメだと叫びたかったけれど、私の本能は今や全力で警鐘を鳴らしていた。
きっとこのキヴォトスを生きる誰が見ても、私と同じ恐怖をあの剣に抱いたはずだ。
きっとアレは、
その事実を否応なく認めさせるだけの存在感を、あの兵器は纏っている。
「にしても……面白い偶然があったものです。この硝煙漂う箱庭にありながら……この刃の前に立ち塞がるのが、同じく刃を持つ子供とは」
戦慄に乱れた呼吸を続ける私を憐れむような瞳で、女は私の構える刀を見やる。
「その武装……私の記憶に存在しないモノですね。ゲマトリアの人員であれば知っていそうですが……ええ、今の私には関係のないこと。ただ、障害となるのであれば排除するのみです」
ずず、と女の巨躯が煽動する。
断頭台がごとく振り下ろされる致死の一撃。ソレが私の命を、ヘイローを容易く粉砕する恐ろしい兵器だとしても、私の背後には先生がいる。
その事実を元に絞り出した勇気で、私は前へと踏み出した。
「ああああああああぁぁあぁぁ────……!!」
迫る黒刃を、閃く白刃が受け止める。
凄まじい衝撃音と共に大気が揺れ動き、双方の激突から生じた烈風が周囲の残り火を掻き消した。
手のひらを駆け抜ける衝撃、足底から這い上がる濃密な死の気配。
当たり前だ。相手の武器は、あらゆる神秘とやらを断つ最悪の兵器なのだから。
だが──私の「彼岸白雪」は依然としてその輝きを保ったまま、致死の一太刀を受け止めていた。
「っ……!?」
驚嘆による息を呑む声は、果たしてどちらのものだったのか。
ベアトリーチェは素早く飛び退き、油断なく私と距離を取り直す。焦燥に上がった息を落ち着かせながら、私は必死で思考をめぐらせた。
(正直……受け止められると思ってませんでした……! でも、まだ生きてる! ヘイローも多分……欠けたりしてない……!)
彼女の説明を信じるのなら、あの剣はキヴォトスにおいて最悪最強の兵器だ。
だからこそ──私は最悪、この刀ごと一刀両断されようが先生の盾になるという気概で刀を振るった。
だが激突の果てに、私は未だ無傷を保っている。
この結果から導き出される結論は、たった一つ──、
「……なるほど。その剣がヘイローを簡単に壊せるのだとしても、この刀は壊せないようですね」
私が吐いた台詞に、ベアトリーチェはその貌を激しく歪めてほとばしる怒りを露わにした。
「小癪ですね……たかだか子供一人、容易く殺せるものと思いましたが。なるほど、その剣……神秘とは異なる理屈で動く、あの司祭どものオーパーツですか」
思い返してみれば、ちょうど先程ミフユと同じような話をしていたところだ。
私たちが持つ二振りの刀は、「世界の法則から外れた力」で動いている。
彼女の言う「神秘」や「奇跡」がこの世界の法則で、それに対抗する力である「恐怖」とやらをあの剣が帯びているのだとしても、私の刀には関係がない。なぜならば、この刀はそれらとは別種の力で動く、このキヴォトスにおける例外の一つだからだ。
(それなら……っ!)
疲弊し切った身体に鞭打って、私は勢いよく走り出した。
斬り合えると分かったいま、攻めるのを躊躇する理由はない。
ベアトリーチェが剣を構え直すのと同時に、私は低く地を這うように構えた刀を勢いよく斬り上げた。
寸分違わずベアトリーチェの首筋に迫った刃は、しかし届く寸前に弾き落とされる。だが──、
「はぁああっっ……!!」
怯まず、私は刀を振るってベアトリーチェの巨躯めがけて打ち込み続ける。
空を舞う二振りの刃が幾度も交錯し、舞い散った火花が私とベアトリーチェの顔を赤く照らした。そんな中で、少しずつベアトリーチェの顔が苦しみに歪んでゆく。
「くっ……! この、ふざけた戦い方をっ……!!」
その顔を見て、私は確信した。
このベアトリーチェという女は恐ろしい武器を持ってはいるが、剣を使って戦うことに関してはてんで素人同然だ。
そんな技量でも、私たちを容易く屠る反則の力があれば関係ないだろう。だが私の手の中には、その反則が通用しない武器がある。
それならば──、
「もらった……っ!!」
ベアトリーチェの体勢が崩れた瞬間、私は振り絞った全力を乗せた袈裟斬りを彼女の胴に叩き込んだ。
掌を伝わる確かな手応えと同時、噴き出した鮮血が私と白雪を赤々と染めていく。
「ぎあああああああ……ぁぁぁあっ!?」
ベアトリーチェは叫び声を上げながらよろよろと後退し、傷を片手で押さえながら私を睨みつけた。
だが、もはや戦いの趨勢はこちらに傾いている。
返り血で真っ赤に汚れた髪と制服を拭うことも忘れて、私はベアトリーチェの視線を真正面から受け止めた。
「この……本当に、小癪な子供ですね……! その武器は、あなたが持っていて良いようなモノではないでしょうに……!」
「はぁ、はぁっ……なんとでも言えばいいです。私がここにいる限り……これ以上、あなたに先生は傷つけさせません!」
依然、背後に倒れる先生を庇える位置を保ちながら、私は決意を込めて叫んだ。
荒い呼吸を繰り返すベアトリーチェは、しかし突然、何か発作を起こしたかのようにクスクスと笑い始める。
「ふ……ふふ……フフフフフフフフフフフフ!!」
小さな含み笑いはやがて嘲笑じみた大笑へと変じ、ベアトリーチェの乱杭歯が剥き出しになって口端が歪む。
何か理由のない悪寒に刀を構え直した私に、ベアトリーチェは愉しげに呟いた。
「一つ、いいことを思いつきました……ええ、そうしましょう。ここで先生の息の根を止められないことは口惜しいですが……キヴォトスの全てを滅ぼしてしまえば結果は同じ。より安全に、そして悪辣に……今度こそ全てを壊しましょう!」
「いったい、何を……」
「八重垣チハヤ、と言いましたね。あなたには伝えておきましょう。私が何を、最も得意とする存在なのか」
ぽたぽたと血を傷から溢しながら、ベアトリーチェはゆっくりと語り始める。
「私の本分。それは事実を歪曲し、真実を隠蔽し、本心を曲解し、嫌悪を助長し、憎悪を煽り、他人を、他人を、他人を、他人を──永遠に、他人とさせること!」
その悪辣な語り口は、その言葉が真実であることを十二分に証明していた。
彼女が先生の敵対者を名乗ることも頷ける。そんなもの、私が主と認めた先生が許すはずがない。このベアトリーチェという女は確かに、先生の真逆たる存在にして、キヴォトスにとっての厄災なのだ。
「で、あれば! 私は私なりの手段を用い、このキヴォトスに消えぬ憎悪と不和の傷跡を刻みましょう!!」
ベアトリーチェは両手を広げ、愉悦にその瞳を細めたかと思えば──黒々とした孔に再び呑まれ、その姿を消してしまった。
「な……どこに消え……っ!?」
その瞬間、宙を舞う飛行船に備え付けられた巨大なモニターがパッと転倒した。
そこに映っているのは──私だ。残り火が赤々と夜闇を照らす中で一人、刀を握りしめる私の姿が克明と記録されている。
「転がっていた中継用カメラを再起動しました……このくだらない祭事は、
脳髄に響くような声がどこからともなく聞こえてきて、私は思わず周囲に視線を巡らせた。
だが、あの巨体はどこにも確認できない。
「どこですか!? ベアトリーチェ!」
「フフ……私のことを探している場合ですか? 一度、あなたがどう映っているのかを確認しては?」
テレパシーのようなものなのか、彼女の声は空気を震わせて伝わっているのではなく、私の脳に直接響いてくるかのようだ。
嫌悪感からズキズキと痛む頭を抑えながら、その言葉の意味するところを思案する。
(どう映っているか、なんて……そんなの……)
本来ならば、華々しい巫女さまの踊りが中継されるはずだったであろうカメラは、横倒しになりつつも目の前の光景を捉えている。
破壊された舞台。焼け落ちた灯篭。黒々と焦げた街並み。うっすらと立ち込める煙。そんな風景の中に、血まみれになって立ち尽くす私と、血を流して倒れている先生が鮮明に映っている。
そう──まるで、一人の少女が凶行を成した現場であるかのように。
「ま……まさか……!!」
「フフ……私はこれでも忙しい身ですので。あなたの相手は私ではなく、このキヴォトスの
「ベアトリーチェ……あなたは……っ!!」
「それでも諦めないと言うのなら……ええ、この私を追ってくるといいでしょう。三日もすれば、このキヴォトスを滅ぼす仕上げ……かつて到来した「色彩」を呼び戻す準備が整います」
色彩。彼女の口から語られたその二文字に、私は思わず目を見開いた。
その単語はかつて、アトラ・ハシースの箱舟での決戦に臨む際に説明されたことがある。
曰く、それは世界に終焉をもたらす光であり、かつて空を真っ赤に染め上げた「あの日」をもたらした元凶であると。
この百鬼夜行灯篭祭は、その災厄から立ち直るために企画されたものなのだ。なのにこの女は、先生を傷つけるどころか、またあの災厄を呼び寄せようとしている────、
「さようなら、八重垣チハヤ。私よりも早く、あなたは終末を止められるでしょうか?」
その言葉を残して、刺々しいベアトリーチェの気配は霧散して消えていった。
彼女は「色彩」を呼び戻す準備のために、ここを立ち去ったのだと見ていいだろう。
しん、と静まりを取り戻した舞台広間に立ち尽くしたまま、私は極度の混乱に陥った。
(そんな……そんな災厄は止めないと……! でも、いまの先生を放っていくなんてことなんて……!!)
ベアトリーチェとの遭遇を経て得た情報が多すぎて、第一にやるべき事を定めきれない。
そんな私に畳み掛けるかのように、鋭い声が舞台広間の南から聞こえてきた。
「おいっ……何をしてるんだ!?」
「誰か倒れて……まさか、シャーレの先生……!?」
どうやら、避難所を守って怪異と交戦していた生徒たちが、町の被害状況を確認しに戻ってきたらしい。
血まみれになった私の姿を見て、生徒たちは一様にざわめきながらも、その銃口を私に向けた。
「まっ……待って、待ってください! 私じゃありません! 今ここに、ベアトリーチェという怪物がいたんです……その怪物に、先生はやられて……!」
弁明しながらも、こんな言葉が聞き入れられるわけがないということは、頭の片隅で理解していた。
向けられた数多の銃口に怯むように、私は一歩、また一歩と先生から離れて舞台の端に追い詰められる。
「ひ、ひどい傷跡……! しかも、これは……弾痕じゃありません! 鋭い刃物で斬られた傷です!」
「それならやっぱり犯人はアイツじゃないか! あの血まみれの刃物でやったんだろ!?」
「私、あの子知ってる……確か、昨日SNSでバズってた……! そう、八重垣チハヤとかいう子だよ!」
「もしかしてお前……本当はあのシュロとかいう生徒の仲間だったのか!? 味方のふりをして近づいて……最初からこれが目的だったんじゃないのか!?」
駆けつけた生徒たちは口々に言葉を交わし合い、そのたびに状況が悪化していくのがわかる。
「ち……違うんです! わたし……私は……!!」
そんな最悪の状況で、私は必死にどう動くのが正解なのかを考えていた。
今ここで弁明しても、きっと彼女たちに言葉は届かない。ならば大人しく捕縛されて、ちゃんとした場で弁明をするべきか──いや、そんな事をしていたらベアトリーチェの計画を阻止できない。
逃げる、戦う、謝る、降伏する、呼びかける、いろんな選択肢が浮かんでは消えてを繰り返す。そんな中で……、
「かふっ!?」
絡み合った思考を、銃声と鋭い痛みが引き裂いた。
駆けつけた生徒の一人が発砲し、銃弾が私の鳩尾に突き刺さったのだ。衝撃で真っ白になった頭のまま、私は呻きながら後退する。
「みんな、撃て! とにかく無力化して捕まえるんだ!」
「う……くうぅぅっ……!」
炸裂した痛みは決して叫ぶほどのものではなかったけれど、なぜか瞳から透明なものが溢れそうになって、私は反射的に身を翻して駆け出していた。
とにかく、逃げないと。
私はここから逃げて、逃げて、そして──……、
「逃げたぞ、追え!」
背後から一斉に飛んできた銃弾に何度も背中を撃たれながらも、私は走った。
(先生……私は……私は、どうしたら……!?)
その最中で、何度も何度もその問いかけを繰り返した。
でも、その問いに答えを出してくれる人は、もう言葉をかけてはくれない。
とにかく必死で──私は、何も聞こえなくなるまで走り続けた。