『緊急ニュースです! 先ほど、シャーレの「先生」が生徒によって重傷を負わされ、病院に搬送されたとの情報が入りました!』
あの有名な「先生」が倒れた。
その報道は百鬼夜行を越えて、瞬く間にキヴォトス全土を駆け巡った。
『先生はただちに病院へと搬送されましたが、現在に至るまで意識不明であり──先生に重傷を負わせた生徒は、百花繚乱委員会及び陰陽部の追跡を逃れ、現在も逃亡を続けています!』
まくしたてるように話すクロノス・ジャーナリズムスクールのキャスターが、背後のモニターに生徒の顔写真を表示させる。
薄いブロンド色の髪。特徴的な編み笠に、ぴょこんとはみ出した獣耳。桃色の外套からはみ出た大きな尻尾。
そして何より、腰にぶら下げた一振りの刀。
『これは灯篭祭の中継モニターに映った、凶行の実行犯と思われる少女の姿です! キヴォトス全土に指名手配された彼女の名前は──』
八重垣チハヤ。
それが、今このキヴォトスを最も騒がせている重要指名手配犯の名前だった。
つい先日の百鬼夜行灯篭祭で話題になっていたことが、今回ばかりは悪い方向に働いた。八重垣チハヤの名前はインターネット、各種メディアを通じて瞬く間にキヴォトスへと広がり、今やその名前と顔を知らない者の方が少ないだろう。
『連邦生徒会及びヴァルキューレ警察学校は合同で緊急事態宣言を発表し、各学園に「八重垣チハヤの捜索及び捕縛」の要請を行いました。現在、各学園の治安維持組織が動き始めています!』
連邦生徒会の行政官が、フラッシュが焚かれる中で会見を行う様子が映し出される。だが、彼女の右手は微かに震え、手元の資料をぐっと握りしめている様子が見てとれた。
彼女もまた、先生の「生徒」の一人なのだ。そして──今はあらゆる学園に所属する先生の生徒たちが、一様に八重垣チハヤの逮捕へと動いている。
『ヴァルキューレは今回の一件の重大さを受け止め、八重垣チハヤを最大の脅威と認識している。我々は総力をあげて八重垣チハヤの捜索に臨むと同時に、ゲヘナ風紀委員会、正義実現委員会等、各自治区の組織と連携を密に取り────』
続いて映し出されたのは、D.U.の治安維持を担うヴァルキューレ警察学校の映像だった。
怖い顔のヴァルキューレ生徒が神妙な面持ちで言葉を述べ、それに続いてゲヘナの風紀委員や、トリニティの正義実現委員会といった面々の声明が発表されていく。
『連邦生徒会は、ヴァルキューレ等の治安維持機関に捜索を任せ、凶悪犯との接触は避けるようにとの声明を出していますが……八重垣チハヤへの怒りから独自に行動を起こす生徒は多く、もはや生徒会にもコントロールができない状況です!』
キャスターの言う通り、この事件はあらゆる生徒を巻き込んだ一大騒動へと発展しつつあった。事実、今のSNSは「八重垣チハヤ」捜索の投稿で溢れかえり、学校の垣根を越えて情報交換が行われている。
「はぁ……」
そして、その本人たる私──八重垣チハヤは、こうして誰の目にも留まらない暗がりに座り込んでいた。
「大変なことになってしまいました」
私がいるのは、マンホールから下った下水道の中だ。
不快な下水の匂いが鼻をつく中、ぴちょん、と水が滴る音が等間隔にこだまする。錆びついた円形のトンネルは、見た目以上の閉塞感を感じさせた。
そんな場所にいるからだろうか。私はこれ以上の情報を頭に入れるのが怖くなって、動画再生アプリを終了させた。
「……先生は目を覚まさない、ですか」
私は三角座りの体勢をとって、揃えた膝の上に顔を埋めた。
ニュース番組の声が消えると、俄かに静寂が肩にのしかかってくるように感じられる。それが孤独や恐怖といった暗い感情へと変換されるのに、そう時間はかからなかった。
だが──私がこうしている今も、ベアトリーチェの計画は刻一刻と進んでいる。
そして、彼女の陰謀を知っているのはこのキヴォトスに私一人しかいない。
(────……やっぱり、私がやるしかない)
長い時間をかけて考えた私が出した結論は、言葉にしてみれば簡潔なものだった。
先生の代わりに、私がベアトリーチェの野望を打ち砕く。
もし私が動かなければ、あの真っ赤な空が──百鬼夜行灯篭祭が開かれる切掛になったあの災厄が再来する。それでは、この百鬼夜行灯篭祭に込められた百鬼夜行の人々の想いが、全て台無しになってしまう。
先生が健在だったなら、私と同じ事をしたはずだ。
「先生。私は……やるべきことから、逃げません」
気を抜けば弱気になりそうな心を奮い立たせて、私は立ち上がった。
先生は、どんな苦境でも責任から逃げない人だ。そんな人を主と仰ぐ身として、私も同じようにありたいと思う。
「でも……最後に、あの人には伝えておかないと」
これから私はここを離れて、孤独な旅に出なければならない。その前に、言伝を残しておかなければならない人がいる。
握りしめたスマホを操作し、その人物に通話をかける。途端、ワンコールを待たずして彼女は応答した。
「──チハヤ!? あなた、今どこで何をしているの!?」
「ミフユ……さん……」
その声を聞いて、私はどこか安堵の念を覚えていた。
理由は分からないし、もしかしたらこれが最後の会話になるのかもしれない。
それでも、なぜかさっきまで感じていた暗い感情を、ミフユの声が吹き散らしていくかのように感じた。
「ごめんなさい……本当に。例の事件に関しては、もうご存じだと思います。いろいろな迷惑をかけてしまいますが……きっと、私がこの騒動を解決してみせますから」
「その前に状況の説明を……いや、今はとりあえず学校に戻りなさい! 私もチハヤがあんな事をするとは思ってない! 何か事情があるのなら、私がっ……!」
「いいえ──ミフユさんの手を、煩わせるわけにはいきません」
私はスマホを握っていない方の手で、ぎゅっと「彼岸白雪」の柄を握りしめた。
「私たちの学校は、ようやく復興への道を進み始めたんです。そんな時に、私どころか生徒会長のミフユさんにまで嫌疑が及ぶようなことがあったら……ミフユさんの夢は、きっと叶わなくなってしまいます。もう、学校に戻ることは……できません」
それは嫌だ。
私は、私がどうなったっても構わない。どれだけ傷ついても、それが私だけの痛みなら耐えられる。けれど──私のせいで、大切な人の夢が破れてしまうなんてことがあったら、私はきっと耐えられない。
私はぐっと唇を噛んで、最後の言葉を絞り出した。
「どうか、私たちの学校をお願いします。一緒に灯籠流しをする約束……守れなくて、ごめんなさい」
「チハヤ! 待ちなさ────!」
通話を打ち切り、電源を切ったスマホを懐にしまう。
逆探知のリスクを抱えている以上、これ以上この端末を使うのは避けるべきだ。
「まずは、ベアトリーチェが逃亡した先を探さなければ……」
ベアトリーチェが「儀式」を進めている場所が分かれば話は簡単なのだが、手がかりは何一つない。
追われる身で情報収集をこなすのは至難の業だが、泣き言を言ってもいられない。まずは百鬼夜行を脱出して……と思案していた私に、硬い靴音が聞こえてきた。
かつん、かつん、かつん──。
それは一定のペースで私の方へと向かってくる。こんな下水道に人がいるはずもないし、十中八九私を捕えるための追手だろう。
無言を保ったまま、腰の刀に手を添える。
あまり怪我人を出したくないが、必要に駆られればやるしかない。そんな緊張感を孕み、下水道の先を睨む私の目の前に──その人影は、闇から抜け落ちるように現れた。
「こんばんは、八重垣チハヤ」
その瞬間、私は奇妙な感覚に襲われた。
ベアトリーチェに刀を向けた時と同じ、この世界の法則に当てはまらない「何か」を相手にしているかのような、異質な空気感。
怨敵と同じものを感じて、私は問答無用で刀を抜き放った。
「誰ですか、あなたは」
「クックック……私は「黒服」と申します。以後、お見知り置きを」
意外にも、その人物から敵意は感じなかった。
その名前が示す通り、黒のスーツを見に纏った整然とした立ち姿。ひび割れた貌から白光を漏出させるその風貌は、まるでモノクロ漫画の登場人物のように異質だった。
丁寧な口調のまま、黒服は私を害する気がない事を示さんと、仰々しく両手を上げてみせる。
「貴方に敵対する気はありません。寧ろ、傷ついた先生に代わり……貴方に、協力の提案をしに参りました」
「協力? 胡散臭いですね。先生を傷つけた犯罪者に、あなたはどんな理由があって協力すると……?」
「貴方が追うベアトリーチェは、アリウス自治区に居ます」
思わず、私は驚愕に目を見開いた。
私がもっとも知りたかった情報を、なんの躊躇もせずに提供してきた。加えて、私が先生襲撃の犯人ではないことと、ベアトリーチェの存在まで把握しているなんて。
一体この大人は何者なのか。
にわかに気になってきた私は、ひとまず構えた刀を下げて問いかけた。
「……どうして、そんなことを知っているんです?」
「包み隠さず言いますと……彼女は、私の元同僚なのですよ。先生に敗北した事で暴走し、かの災厄を呼び寄せたことで異次元へと放逐したのですが……どうやら、彼女を消滅させる際に不手際があったようです」
黒服はやれやれ、と肩をすくめる。
あのベアトリーチェに同僚がいたという事実は信じ難いが、私の直感は黒服に彼女と同じものを感じ取った。
加えて、現在の状況を理解して私に接触してきたあたり、その言葉に偽りはないのだろう。
「つまり、彼女の凶行は我々の失態が招いたこと。これでも、先生とは旧知の仲でしてね……私としても、彼女がこれ以上暴走するのは阻止したいと思っています」
「だから、先生の代わりに黒服さんが力を貸すと?」
「ええ。貴方には、かねてより注目していたのです。扱えるはずのない聖遺物を振るう、世界のテクストから外れたイレギュラー……八重垣チハヤ。貴方という変数を取り込めば、ベアトリーチェの討伐に目処が立つ」
黒服は意味深な含み笑いを浮かべながら、私をじろりと眺め回した。
難しいことは分からないが、とにかくこの大人と私の目的は同じらしい。一人でベアトリーチェと戦うよりは、協力を得られるのは願ってもない申し出だ。
だが──、
「でもやっぱり、怪しいです。そもそも、先生からあなたの話を聞いたことがありません。黒服さん、本当に先生と仲がいいんですか?」
「クックックッ……まあ、怪しまれるのはご自由にされて結構です。私が信頼できないのであれば、立ち去って頂いても構いませんよ?」
「……………………」
私はたっぷり一分ほど考えてから、諦めるように息を吐いた。
「わかりました。黒服さんに協力します。本当に先生と仲がいいのかは置いておいて……今の私に、手段を選んでいる余裕なんてありませんから」
◆
「アリウス自治区は、トリニティ郊外のカタコンベから先に進んだ場所……つまり、私はこれからトリニティへと向かえばいい訳ですね?」
「ええ。ベアトリーチェはそこにいますので」
手渡されたキヴォトスの地図を広げて、私は黒服へと問いかけた。
手元の地図には、この広大なキヴォトスにひしめく数多の学区が描かれており、その中の一点にペンで印がつけられていた。
それこそが、ベアトリーチェの巣食う地。
トリニティ総合学園の郊外、地下墓地を潜り抜けた先の「アリウス自治区」と呼ばれる場所である。
「にしても、トリニティですか……一度行ったことがあるので道は分かりますが、百鬼夜行からは遠いですね」
今となっては懐かしい記憶だが、私は百鬼夜行を飛び出して正義実現委員会の委員長と戦い、ボコボコにされてシャーレに連行されたのだ。
そこで私は先生と出会って、それから色々なことがあって今に至る。
奇しくも、これから私はかつての私の道行をなぞることになるというわけだ。
「トリニティに向かうには、まずゲヘナ自治区を通ってD.U.を経由して……そこからトリニティに入るのが、目につきにくいルートでしょうか」
「ゲヘナとトリニティの境界は、常に双方の治安維持機関が神経質に警戒していますからね。相互不干渉のD.U.を通るのは、悪くない選択かと」
古来よりゲヘナとトリニティは犬猿の仲だ。彼らは常に互いを敵視して睨み合っており、片方からの侵入者はスパイか何かではないかと必要以上に調べられる。風紀委員や正義実現委員会の生徒が境界を跨げば、それこそ侵攻だ侵略だと双方が大騒ぎになる。
そんな厄介ごとを避けるため、多くの生徒はキヴォトスの中心──あらゆる学校が自治権を有さない首都、D.U.を経由して移動する。
強大な二校に目をつけられるのを避けるため、私はD.U.経由のルートを取ることに決めた。
「となると、まずはゲヘナ自治区ですね。こんな時に風紀委員の縄張りを通るのは心苦しいですが、贅沢は言っていられません。すぐに行動に移りましょう」
「いえ。残念ですが、ここからは貴方一人です」
「え、黒服さんは付いてきてくれないんですか?」
「残念ながら、今の私ではお荷物かと。その代わり……貴方がトリニティに向かう間、我々は先回りしてベアトリーチェ討伐の準備を進めておきます。彼女も、貴方の動向には気を配らざるを得ないでしょうから」
「つまり、私はこれから囮になる訳ですか……分かりましたよ、どうせそういう役回りだと思ってましたから」
背中を向けて歩き出そうとした私を、黒服は待ったと制止した。
「八重垣チハヤ。旅立ちの前に一つだけ、忠告をしておきましょう」
振り返った私に、黒服は淡々と述べる。
「敵は、なにもベアトリーチェだけではありません。今やこのキヴォトス全てが貴方の敵。まさに流離譚の如き苦難と困難が、この先へと進む貴方を待ち構えているでしょう。……或いは、命を落とすことになるかもしれません」
その恐るべき事実を、黒服は誤魔化すことなく突きつけてきた。
先ほど試聴していたニュースが伝えたように、いまのキヴォトスは私への怒りで燃え上がっている。あらゆる生徒が、この先の道行で襲いかかってくることは想像に難くない。
それを──孤独と孤立を恐れた私が目を逸らそうとしていたその事実を、黒服はいま一度問いかけている。まるで、私の覚悟を測るかのように。
「それでも、貴方は戦いますか?」
暫くの沈黙を置いて、私はこくりと頷いた。
問いかける黒服の貌をしっかりと見据え、その問いかけに返答する。
「戦います。それだけが……たった一人の主を守れなかった、偽物のサムライにできる……ただ一つの、ご奉公ですから」
「であれば、私のみならず──我々ゲマトリアが全面的に貴方を支えましょう。もっとも、解散状態にあるような組織ではありますがね。クックックッ……」
聞いたことのない組織名を挙げながら、黒服は懐から取り出した何かを私へと投げた。
飛来物を慌ててキャッチし、まじまじとソレを見やる。
いかにも高級そうな革で出来た、名刺入れのような小型ケース。中身を開いて確認すると、大きな車両用のキーが一本収納されている。
「こちらで移動手段を用意しましたので、その先のマンホールから地上に上がってください。それと、もう一つ……ケースのポケットをご確認ださい」
言われた通りにキーケースをあらためると、キーの隣に一枚のカードが挟まっていた。
早速カードポケットから取り出すと、その全体像が露わになる。黒く塗りつぶされた四角のシルエットに一点、ICチップと思しき金の輝きが映えていた。
この物体を、このカードを、私は見たことがある。
「これは……大人の、カード……?」
「私からの餞別です。以前、先生の「大人のカード」を真似て作ったものですが、本物には遠く及びませんでした。一度だけの使い切りで、少しの奇跡を呼び寄せる程度ですが……貴方の過酷な道のりを拓く、一つの手段にはなるでしょう」
大人のカード、その贋作。
それは私の掌の中で、えもいわれぬ威圧感を放っていた。
先生が大人のカードを使うところは、一度だけ見たことがある。あれは言葉では表せないような、まさに「奇跡」を呼び寄せるものだった。
仮にこれが偽物だったとしても、窮地を切り抜ける切り札にはなるかもしれない。
「では、八重垣チハヤ。その道行に幸在らん事を」
そう言い残して、黒服は蜃気楼のように消え失せた。
「……まったく」
息を吐いて、人影の失せた下水道をじっと見つめる。
猫の手も借りたい今、ゲマトリアの力は大きな助けになってくれることは間違いない。とはいえ、黒服が信用ならない人物であることも間違いない。
やはり、信用できる先生に相談したい──そう思ってしまうけれど、もうあの人には頼れない。
胸の内に浮かんだ顔を思い描きながら、私はぼそりと呟いた。
「私は必ずやり遂げて見せます、先生。どんなに苦しい道のりになったとしても……あなたが果たそうとしていた責任を、私が代わりに果たしてみせます」
偽物の「大人のカード」を握りしめて、私は大切に懐へとしまい込んだ。
ここからが───私の、剣豪流離譚のはじまりだ。