キヴォトス剣豪流離譚【完結】   作:モモのすけ

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Round2: 風紀委員長

「連邦生徒会からの要請に則し、あなたの身柄を確保する。覚悟して」

 

 キヴォトスにその名を轟かせるゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナ。

 その獣すら射殺しそうな視線に晒されながら、私は背筋に氷柱を入れられたかのような悪寒に肌を粟立たせていた。

 考えうる限り最悪の展開だ。

 ゲヘナ自治区において最も遭遇したくない人物に、こうして捕捉されてしまうなんて……!

 

「なぜ……風紀委員長がここに……!?」

 

「あなたが美食研究会、温泉開発部と交戦した後に河川に落ちたことは報告を受けていた。あなたの進行方向と河川の地理的関係を考えて、あなたが通る可能性が最も高い場所がこのあたりだと判断しただけ」

 

 その淡々とした声色に依然として凍りつくような威圧感を感じつつも、私はこれまでの疑問が氷解していくのを感じていた。

 やはりここには不良生徒たちがひしめいていたのだ。その姿を見なかったのは、彼らが一人残らず風紀委員長の姿を見て逃げ出したから。或いは目の前の怪物ならば、私が来るまでの間に一人残らず不良どもを制圧してしまうくらいのことはしていてもおかしくない。

 まさしく「天災」。

 お尋ね者となった私にとって、その脅威がどれほど絶大であるかなど考えるまでもない。

 そんな少女が当たり前のように淡々と口を開くさまは、私にとって死神が宣告を読み上げているのと同等くらいの恐怖感があった。

 

「……それなら、どうして部下を引き連れてこなかったんですか? 私がここに来ると知っていたのなら、私は服を乾かす間もなく見つかっていたはずです」

 

 その恐怖感に負けじと問いをぶつける。無言のままでいると、本当に戦うまでもなく屈してしまいそうだと思ったからだ。

 それでも若干声は震えていたかもしれない。だが、ヒナは律儀に私の問いに耳を傾けて返答を返した。

 

「八重垣チハヤ。あなたが先生と共に「箱舟」の一件を解決したこと、そして強力な聖遺物を今も有していることは知っている。諸々の情報を考慮して、私一人であたったほうが総合的な被害は少ないと判断した」

 

 その言葉に、私は思わず息を呑んだ。

 先生と共に解決したアトラ・ハシースの箱舟をめぐる一件は、連邦生徒会による情報規制によってカイザーによる土地占拠、ならびに違法兵器保持事件として処理されている。あの事件の顛末を知るものは少なく、さらに聖遺物の存在まで知る者となればもっと限られる。加えて、あの作戦にゲヘナの生徒は一人も関わっていない。

 だというのに、ヒナは秘匿された事実を当たり前よように言い当ててみせた。

 風紀委員の力はなにもヒナの圧倒的な武力だけではない。その情報収集力も、風紀委員を風紀委員たらしめている一端なのだろう。

 

「それに」

 

 戦慄する私を置いて、ヒナは少し視線を下げて呟いた。

 

「この行動は、私の個人的な感情の結果でもあるから」

 

 小さな声で放たれたその言葉は、風に揉まれて私の耳には届かなかった。

 思わず聞き返そうとするよりも早く、何かを決意したようにヒナが顔を上げる。ほんの一瞬、ヒナの冷徹で恐ろしい瞳に何かが混じったような気がしたが、どうやらそれは気のせいだったようだ。

 彼女は気軽な足取りで廃墟の屋上から飛び降り、瓦礫の散乱した地面へと着地した。同じ高さになったことで視線が対等にかち合い、独特の沈黙が流れる。

 

「八重垣チハヤ。あなたに尋ねる」

 

 何秒かの沈黙ののち、言葉だけで空気を裂きそうな緊張感を孕んだ声が、私に向かって投げかけられた。

 

「貴方は、先生のことをどう思っているの?」

 

 ヒナから投げかけられた問いは、予想にしていなかったものだった。

 その問いに込められた真意は私には測れない。だが、これが恐らくは最後のやり取りになるであろう、という直感が私にはあった。

 刀の柄に手をかけたまま、ヒナの視線をまっすぐに受け止めて答える。どんな状況であるにせよ、その問いに対する私の答えはずっと変わらない。

 

「先生は私にとってただ一人の(あるじ)であり、誰よりも一番大切な人です。これだけは、どんな事があっても変わりません」

 

「なら、どうして先生を傷つけたの?」

 

「……私が傷つけたのではありません。ベアトリーチェという女が先生を傷つけ、私に罪を被せたんです。彼女の企みを阻止しなければ、また災厄が訪れてしまいます」

 

「それなら、あなたはどうして逃亡を続けるのかしら。己が冤罪だと主張するのなら、大人しく司法の場で潔白を証明すればいい。あなたの言葉と行動は矛盾している」

 

「それは……!」

 

 私は言葉を吐こうとして、しかし紡ぐべき言葉が見つからずに口を開いただけに留まった。

 逃亡を続ける理由は、単純に時間がないからだ。事態は刻一刻を争う。ベアトリーチェが色彩を呼び戻すまでに要する時間がどれほどかは定かではないが、先生を無力化できている間に彼女は事を終わらせるはずだ。

 だからこそ、私はここでヒナに捕まるわけにはいかない。

 だが、私の主張を裏付ける論拠も証拠も何一つとして私は提示できない。私の主張は、どこまでいってもいち犯罪者の言葉でしかなく、その正しさを証明することは不可能だ。

 ならば、きっと風紀委員長は納得しない。

 その事実に気づいてしまった私は、思わず言葉を失ってしまい──それが、罪人に許された最後の猶予だった。

 

「答えられないのね。……残念よ」

 

 ばさり、とヒナの双翼が広がった。彼女の小さな体躯から、これまでとは比べ物にならない威圧感が発せられる。

 本当に悪い冗談だ。今までも相対するだけで足が石になったかと錯覚するほどのプレッシャーを感じていたのに、どうやらヒナはまだ戦闘態勢に入っていなかったらしい。

 空気すら恭順しそうなほどの存在感を纏いながら、ヒナが一歩前に出る。

 

「私はゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナ。でも今だけは」

 

 ぞわ、と本能から背筋が総毛立った。

 反射的に私が刀を抜くと同時に、

 

「先生の生徒の一人として、貴方を倒す」

 

 瞬間、ヒナがこちらに向けた銃口が火を噴いた。

 規格外の大口径の連続射撃。あれだけの重機関銃、常人ならばただ撃つだけでも一苦労だろうにヒナの顔には汗ひとつない。それどころか1ミリすらブレのない完璧なリコイル制御を伴い、片手で易々と私に狙いを定めてくる。

 

「っ……!!」

 

 あまりに規格外な弾幕量に弾くのは諦めて、私は廃墟の陰へと逃げ込んだ。アサルトライフルやSGならともかく、バカみたいなサイズのドラムマガジンを有した機関銃の掃射を受け止め切れるとも思えない。

 ひとまず射線を切って攻撃から逃れる。そこら中に複雑な構造部たる廃墟が立ち並ぶこの街は、私にとっては最高の戦闘環境だ。掃射をやり過ごしながら遮蔽を使って接近できれば、きっと私にも勝機はある。あると思わなければやってられない。

 私が廃墟の陰に飛び込んだ瞬間、襲いかかってきた弾丸の雨が私を追って廃墟の壁に突き刺さる。そして、

 

「────────……がはっ!?」

 

 私が反撃に転じる暇もなく、壁を貫通した弾幕が容赦なく私の身体を撃ち抜いた。

 弾ける痛みと衝撃の中で理解する。盾にした廃墟の壁や柱は、まるでビスケットみたいに遮蔽としての意味を為さなかったのだと。

 

(な……ぁっ……!!?)

 

 銃弾の威力が桁外れ、なんてものじゃない。

 普通の弾丸ならいくら廃墟とはいえコンクリの壁一枚で止まる。だがヒナの攻撃は、遮蔽をいくつも貫いてなお呼吸が止まるかと思うほどの威力を伴っていた。

 恐らくは幾重にも改造を重ね、銃の威力そのものを底上げしているのだ。受けた体感、あの重機関銃から湯水のように放たれる一発一発が対戦車ライフル以上の威力。それを実現するために伴う桁外れの反動や荷重増加は計り知れないが、ヒナはまるで拳銃でも撃つかのように片手で容易く銃身を振るっている。

 改めて戦慄する私の耳に、ヒナの冷たい声が風に乗って届いた。

 

「この私から、隠れたくらいで逃げられると思ったの?」

 

 ズガガガガガガガガガ!!!と爆発音じみた銃声を響かせながら、ヒナは容赦なく立ち並ぶ廃墟街を薙ぎ払った。

 壁が破壊され、柱が砕かれ、窓に至っては余波で粉々になり、あらゆる建造物が根こそぎに砕け散って瓦礫と土煙の中に崩れ落ちてゆく。

 まさに自然災害が如き、であった。

 彼女がようやく弾丸を撃ち切る頃には、廃墟街の一区画が更地と化していた。もうもうと立ち込める土煙を見つめながら、ヒナが油断なく再装填を始めると同時に──、

 

「───────おおおおおおおっっ!!」

 

 再装填が終わるかどうかというタイミングで、私は積み重なった瓦礫の山から飛び出した。

 開いた距離はおよそ五十メートル。

 私の足なら一秒で半分は詰めれるが、ヒナが射撃を始める方が速い。咄嗟に判断を下して、私は走りながら足元に転がる瓦礫を蹴り飛ばした。

 拳大のコンクリ片が、狙い通りヒナの額へと吸い込まれる。ちょっとした鉛弾並みの速度だ。瓦礫に気を取られて僅か一秒でも隙ができれば、その合間に距離を詰め切れる。

 

「………………」

 

 が、ヒナは微動だにせずに額で瓦礫を受け止めた。

 鈍い音が響き渡ったのち、綺麗にコンクリ片が割れて地面に落ちる。

 仮にも頭に命中したというのに、ヒナに一切ダメージの兆候はない。流血するどころか、まるで風に吹かれでもしたかのような自然体だ。

 

「ふつう反射的に避けたり怯んだりしませんか!? 顔に飛んできて眉ひとつ動かさないとか、でたらめな……!」

 

 規格外の火力に加えて絶対の防御力も誇っているとくれば、果たしてどこに弱点があると言うのか。

 有無を言わさず、再びヒナの重機関銃が火を噴いた。

 ヒナめがけて全力疾走する身体を急制動をかけて、勢いよく右へと跳ぶ。私を追うようにヒナは掃射を続け、ついに私の動きに追いつくその寸前──、

 

「くっ……ぅうあああああああああっっ!!」

 

 私は道端に乗り捨てられていたトラックの陰へと身を滑り込ませて、真一文字に刀を抜き放った。

 キン、という乾いた音が響き渡り、切断されたガソリンタンクに火花が着火。急速に膨れ上がった熱と光が廃車寸前と思しきトラックを包み込み、私の姿を包み隠すほどの大爆発を引き起こす。

 ヒナは怪訝な様子で炎上するトラックに弾丸を撃ち込むが、その向こうに私は立っていない。

 

「────────────、」

 

 数秒の沈黙ののち、ヒナの背後から勢いよく私が飛び出した。

 片手に刀を握ったまま、もう片方の手で鋼鉄製の円盤──マンホールの蓋を握りしめた私を見て、ヒナは背後に瞬間移動した私の経路を悟る。

 

「あなた、下水道を伝って……!」

 

 ヒナの推察通り、私はトラックの陰にひっそりと設けられていたマンホールの中へと爆発に乗じて滑り込んだのだ。そこから下水道を伝ってヒナの反対側へと渡り、開いた距離を短縮することに成功した。

 とはいえ、ヒナの反応速度は見事なものだった。私が想定していたよりもずっと速く、重機関銃の銃口が私の脳天に突きつけられる。

 だがそれよりも速く、私は片手に握りしめたマンホールの蓋を渾身の力で投擲していた。

 

「……っ!!」

 

 流石に40キロ相当の金属塊を片手でぶん投げるのは筋繊維が悲鳴を上げたが、構わず私は左腕を振り抜いた。

 多少の攻撃ではダメージにすらならないことはさっきのやり取りで重々承知した。だから今度は怪我を負わせる目的ではなく、ただ純粋な目眩しに投擲物を使う。ヒナの視界いっぱいに鋼鉄の蓋が迫り、さしもの風紀委員長も銃口の狙いが逸れた。

 その隙に、弾丸じみた速度で懐へ踏み込む。

 彼女が照準を合わせた時には、私は刀の間合いまであと二歩の場所へと到達していた。

 ヒナの硬さは想像以上、恐らく急所に渾身の一撃を加えなければ倒せない。だが彼女の武器(・・・・・)に関してはその限りではないはずだ。いくら風紀委員長とはいえ、その重火器を真っ二つにしてしまえば戦う術はなくなる。そうなれば勝敗は決まったも同然だ。

 だが、刀の間合いまで一歩の距離に踏み込んだ瞬間。

 突如として足元から巻き起こった爆炎が、愚直にヒナへと突っ込んだ私を呑み込んだ。

 

「っ…………が……!!?」

 

 それは手榴弾の炸裂にも似ていた。おそらくは鋼鉄の破片と思しき何かが皮膚を叩き、爆炎が身体を打つ感覚があったと思った時には、私は吹き飛ばされていた。

 再び離された距離はたった数メートル。

 だがしかし、風紀委員長を相手にしている今となっては致命的な距離だ。

 

「やはり、あなたの弱点は戦い方がワンパターンなこと。遺物を手にした接近戦を仕掛けてくるのなら、最初から近づけなければいい」

 

 黒い煙の向こうで冷静に銃口を向ける風紀委員長の周囲には、よく見れば不自然に積み上げられた瓦礫が散乱していた。

 そして、先ほどヒナの至近距離に踏み込んだ際、私の右足は確かに何かを引っ掛けたような感触を感じ取っていた。

 肩で息をしながら、私は煙の向こうのヒナを睨みつける。

 

「ワイヤートラップ……ただでさえ強いくせに、私への対策まで万全ってことですか……!」

 

 どんな相手であれ、一切の油断も慢心もない。それが空崎ヒナを最強たらしめている所以なのか。彼女は最初から私が至近距離へ踏み込んでくることを予測して、自らの周囲に不可視の罠を張り巡らせていた。

 これでは迂闊に踏み込めない。

 吹き飛ばされた私めがけて、凄絶な威力を誇る弾幕が襲いかかってくる。

 

「づっ……くぁ……!!」

 

 ついに弾丸の雨を避けきれず、逃げ遅れた私の左足を数発の弾丸が撃ち抜いた。その瞬間、足が折れたかと錯覚するほどの痛みが走り抜ける。幾重もの遮蔽を経た後だったさっきの被弾とはダメージが桁違いだ。

 この弾幕をまともに喰らったら、肉体の頑強さなんて意味をなさない。いくら私が頑丈でも、まともに意識を保てるかどうか──!

 

「次」

 

 ヒナが再装填に入り、巨大な改造マガジンを装着する。

 このまま攻めあぐねては削り取られるだけだ。かといって敷設されたトラップ群を無視しては、さっきと同じことを繰り返す羽目になる。

 ならいっそのこと、ここから逃げて場所を変えてしまえば──、

 

(いや……あの空崎ヒナに背中を見せるのは悪手! 自分から逃げる犯罪者の追跡・殲滅なんて、一番彼女が得意とするところ! むしろ彼女は、私がそうすることを誘っている……!)

 

 安易な選択肢を選び取るのは危険だ。ヒナは恐らく、私を相応の脅威と認識したうえで完璧に勝利する計画を立ててここに立っている。

 どこかで彼女の予測を上回らなければ、恐らくずっと彼女の掌の上だ。

 そこまで考えて、私は狙いを定めさせまいと酷使させ続けていた両脚をぴたりと止めた。初めて私が動きを止めたことで、ヒナが怪訝な表情を向けてこちらを睨む。投降の予兆と見て攻撃を止めたのかもしれないが、だとすれば少しばかり心苦しい。

 

「光栄です、風紀委員長。あなたにここまでの策を用意させるくらいには私は強くなれたということですから」

 

「別に褒めているつもりはないのだけれど……それとも、満足して降伏するつもり?」

 

「いいえ。確かに満たされているところはありますが、私にはまだ、先生に代わって成すべきことを成す使命があります。だから、私はっ……!!」

 

 私はすう、と思い切り息を吸い込んで、

 

「私は────ここで負ける訳には、いきません!!」

 

 振り上げた右足を、渾身の力で振り下ろした。

 ッッッドン!!!! という轟音が響き渡る。

 あまりの衝撃に地面が揺らぎ、足元のアスファルトにはちょっとしたクレーターが生まれ、強烈な縦揺れによって瓦礫がぶわりと浮き上がった。

 単なる足踏み、山海経ふうに表現するなら「震脚」といったところか。刀一本で銃火器を相手にするため、身体的な能力を向上する鍛錬は毎日欠かさず行ってきた。これはその過程で習得した副産物だ。

 別に地面を揺らせたところで弾丸は止まらないし、刀が伸びるわけでもないが──積み重ねた瓦礫によって張り巡らされたをワイヤートラップにとっては、その効果は覿面だった。

 

「……くっ!?」

 

 次の瞬間、誤作動したトラップが一斉に炸裂してヒナの周囲を爆炎で包み込んだ。

 風紀委員長ならば、自分までもがダメージを負うような罠の配置はしていないだろう。だが全てのトラップが同時に作動してしまえば、周囲は完全に爆風で包まれ視界は奪われる。

 その煙を引き裂いて、今度こそ私はヒナの懐へと潜り込んだ。

 

「「──────────!!!」」

 

 互いの視線が正面から交錯する。その瞬間、ヒナが何かを悟ったように目を見開いた。

 アメジストのように澄んだ瞳の中に、決死の顔で刀を振おうとする自分が見える。

 彼女は何を思ったのか。それを考えるだけの余裕は残念ながら残せていない。ただ私は、私がするべき事をするだけだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」

 

 私は渾身の力を込めて横振りに一閃を打ち込んだ。

 刃先の速度に限れば弾丸の速度をも上回る、まさしく必殺。並の生徒であれば避けるどころか、自分が斬られたことも分からず昏倒するであろう一撃。

 だが、ヒナは最初から私の速度に対応してきた。

 それだけではない。私が武器の破壊を狙っている事を読み、自ら機関銃を後ろに放り投げた(・・・・・・・・・・・・・・)

 

(この距離に踏み込まれて、自分から武器を捨てますか!? 本当に、どこまで思い切りの良い……ッ!?)

 

 標的を寸前で失い、虚しく彼岸白雪の刃が空を斬る。

 ヒナはその隙を見逃さず、素早く私の襟首を掴み取った。接近戦に慣れている私でも咄嗟に反応できないほどの速度で、その力は万力に締め上げられているかと錯覚するほどだった。

 抵抗する間もなく、ヒナの身体は滑らかに私の懐へと潜り込み──、

 

「──────……がふっっ!?」

 

 滑らかな重心移動からなる熟練の投げ技で、私は硬いアルファルトへと叩きつけられていた。

 受け身を取る暇もなく、みしみしと全身が軋みをあげた。炸裂する衝撃と激痛。私が悲鳴を上げて悶絶する暇もなく、今度はヒナが硬いものを私の頬に押し付けてきた。

 瞳だけをグルンと動かして、押しつけられた物体を見やる。

 その瞬間、私は思わず呼吸すら忘れた。

 

「……っっ!?」

 

 ピンの抜かれた手榴弾。

 回避行動なんて取れるはずもなかった。

 ヒナが軽い足取りで後ろに跳ぶのと同時に、私は膨れ上がった爆炎に容赦なく飲み込まれた。

 

「……耐久力があるのね。手榴弾を至近距離の、それも頭部の真横で炸裂させてまだ意識があるなんて。本当に優れた身体能力。諜報部から伝えられた情報以上かしら」

 

 悠々と機関銃を拾い上げながら、ヒナが煤で汚れた白髪を払う。そんな優雅な所作とは対照的に、黒い煙の中からボロボロになった毛玉が転がり出た。私だ。

 

「はぁっ、げほっ……はあっ……そう言うそっちは随分と余裕ですね……皮肉っ、ですか……!!」

 

「純粋な賛辞のつもりだったのだけれど」

 

 至近距離での爆発を受けて、ズキズキと全身が痛む。だがそれ以上に、私は心の方が先に折れそうになっているのを感じていた。

 圧倒的な攻撃力。少しの攻撃はものともしない防御力。最初から私の動きを読んで戦いに臨む知略。咄嗟に武器を捨てて私を投げ飛ばす対応力。

 底が見えない。

 いくらこちらが攻め込んでも、ヒナは更にこちらを凌駕して反撃してくる。常にこちらの一歩先を進まれる。

 そうして同じことを繰り返すうちに、最後には私が倒れているのではないか。最強の風紀委員長に私なんかが勝てるはずがないのでは。

 

「──────〜〜づっっっ!!」

 

 そこまで考えてから、私は舌を噛んででも屈しそうになる心を奮い立たせた。

 負けない。この身で先生の代わりを果たすまでは、どんな敵が立ち塞がろうが絶対に負けてなるものか。それがたとえ、このキヴォトス最強の生徒であろうと関係ない。

 そんな私に、ヒナは容赦なく銃口を向けてくる。

 

「く……っっ!!」

 

 銃弾の雨に追い立てられるように、私は一際大きな構造物の中に転がり込んだ。

 物が殆ど撤去された廃墟のフロアには、無機質なコンクリの柱が等間隔に並んでいる。

 この程度、ヒナの破壊力の前には障子も同然だが、更地にされた小型の廃墟に比べれば多少はもつだろう。私は柱の陰に滑り込み、荒い息を無理やりに落ち着かせた。

 

(負けない、負けない、負けられるかっ……! 考えないと……あの空崎ヒナを、私一人で倒す方法を……!!)

 

 こつ、こつ、とロングブーツの硬い靴音が響く。

 私を探しているのだろうヒナは、フロアの中心まで来てぴたりと立ち止まった。

 その姿を柱の陰から見つめながら、必死に頭を回して考える。

 

(私はまだ、ヒナに銃弾弾き(・・・・)を見せていない……勝機があるとすれば、それしかない)

 

 銃弾弾き。私の反射神経を最大限に活用して、飛んでくる弾丸を着弾前に切り飛ばす技。あの技なら、再装填のごく短いタイミングを待たずして距離を詰められる。ここまで回避に徹してきた私が弾幕の中を斬り込んでくれば、流石のヒナも虚を突かれるだろう。

 その隙は、きっと私にとって最大の勝機となる。

 とはいっても、ヒナの火力は全てが桁違いだ。一発一発がイカれた威力を有する弾丸のフルオート連射。私の耳と目による情報を信じるなら、弾倉に込められた弾の容量はきっかり1000発(・・・・・)。あれを弾いて攻め込むのは簡単ではない。

 

(あの威力……正面から弾くのは精々200発くらいが限度。それ以上はこっちが弾かれる。距離を詰めるとしても、それは弾倉の底が見えてきた瞬間しかない……)

 

 つまるところ、重要なのはタイミングだ。

 速く切り込めばそのまま弾幕にすり潰されるし、遅すぎればヒナの再装填が間に合ってしまう。何度も何度も射撃開始から再装填までの射撃音を聞いているので、マガジンに詰まった弾丸が1000であることは間違いない。となると、800発目付近の射撃を避けた次の瞬間に攻め込む事が要求される訳だ。

 思わず変な笑いが出てしまう。

 掠るだけでも戦闘不能になりかねない弾丸の雨を掻い潜りながら正確に弾数を数えて、最適なタイミングで攻めなければ負けるだなんて。

 でも、もし私なんかがヒナを相手に上回るのならばこれくらいの無理は通して──さらにもう一手、ヒナの予測を上回る策が必要になる。

 

「…………」

 

 その時、ころん…という微かな音と共に私の靴に何かがぶつかった。

 どうやらさっきの攻防でヒナの至近距離に潜り込んだ際、彼女の足元に落ちていたものが外套に引っかかっていたらしい。

 それを見つめて、私はひとつの考えを実行に移した。

 

 

 

 

 柱の陰に隠れてから三十秒も経たないうちに、私は勢いよく柱の陰から飛び出した。

 どうせ隠れていてもいつか見つかるし、ヒナがその気になれば根こそぎ柱を粉砕して私を生き埋めにだってできるだろう。向こうに先手を打たれるくらいなら、こちらから先んじたほうがまだマシだ。

 

「──────────そこね」

 

 その瞬間、背中を向けていたはずのヒナがびたりとこちらに銃口を向けた。顔をこちらに向けてすらいないくせに、銃口は正確無比に私の額を狙っている。

 頭を全力で捻ると同時、耳のすぐ真横を強烈な弾丸が通り抜けていった。

 最後の攻防が幕を開ける。

 

「逃げないのね、あなたは。私と一対一で戦っても逃げなかった生徒はいつ以来かしら」

 

 静かな言葉と共にゆっくりと振り返るヒナとは裏腹に、怪物の咆哮を思わせる連射が開始された。

 発射レートの方は毎分2000発といったところか。おおよそ三十秒間、一撃一撃が対戦車ライフルを上回る威力の弾丸が破壊の嵐となって襲ってくるわけだ。

 その脅威に追いつかれぬよう、地面を蹴る脚に全力を込める。

 

「あなたも直感で悟っているでしょう。決着は近い。あなたが何かを成したいと言うのなら、この私を跳ね除けてみせて」

 

 私がヒナが有する重機関銃の性能を読み取りつつあるように、ヒナも私の動きに慣れつつあった。

 床と壁どころか天井まで使って三次元的に逃げ回る私を、しかし何度も弾丸が掠めていく。完全に捉えられるのは時間の問題だ。ばつん!!と編笠の一部が粉々に砕け散ったかと思えば、今度は風にはためいた制服の一部が引きちぎられる。

 すぐ目の前に迫る敗北の気配。

 その恐怖を呑み込んで、最後のチャンスを待ち続ける。

 

「ん゛……う゛ぅ……っっ!!」

 

 苦しい。喉が乾く、肺が痛い、足が重い。にも関わらず、目の前に迫る弾丸の奔流は少しの気の緩みすら与えてくれない。

 ほんの少し「避け方」を間違えば命取り。

 そんな綱渡りの極限状況でヒナが射撃した弾丸の数を数え、マガジン内の弾が尽きかける瞬間を待ち侘びるのは、私の体感時間を何十倍にも引き延ばした。

 廃墟を貫く弾丸。飛び散る破片。あまりの高速移動に悲鳴をあげる筋繊維。ヒナの冷徹な目線。瞬きを忘れた両目。散乱する薬莢。その瞬間を待ち侘びるように、マズル・フラッシュを反射して輝く白刃。

 極限まで高められた集中が、まるで世界を静止画のように映したその瞬間。

 

(700、750、800っ──────今!!)

 

 廃墟の床を踏み砕くほどの威力で、私は勢いよく前へと転進した。

 ヒナの顔に驚きの表情が浮かぶ。

 その一瞬の動揺、ヒナの予想を飛び越える事ができた僅かな間隙にこそ勝機が眠っている。ここが勝つか負けるかの分水嶺だ。目の前に迫る破壊の嵐に正面から立ち向かい、災害級のソレを斬り伏せる!!

 

「────────う゛、ん……ぅっっっ!!!」

 

 次の瞬間、弾丸を両断したにも関わらず、凄まじい衝撃が私の掌から全身を貫いた。

 予想していたよりも更に凄まじい威力。めきめきめき、と両腕が悲鳴をあげる。刀の方が弾かれるだなんて甘く見積もりすぎた。こんな威力の弾丸を受け続けたら、刀より前に私の骨がへし折れる。

 

「んぐ……う゛う゛ううううううううっっつ!!!!!」

 

 反射的に後退しそうになった足を、私は根性だけで無理やり前へと踏み出した。

 全てを弾く必要はない。足捌き、身のこなし、斬ると同時に回避行動を取れば弾かねばならない弾丸は半分まで減る。

 斬るものを斬り、避けるものを避ける。その取捨選択を光の速度で下しながら、死に物狂いで引き金を引き続けるへとヒナへと肉薄する。

 だが、しかし。

 

(ぐっ……なんで、もうとっくに1000発を超えっ……マガジンの弾が、尽きない……!!?)

 

「甘いわね、八重垣チハヤ」

 

 あらゆるものを斬り裂く刃の嵐が弾幕をねじ伏せながらすぐ目の前まで肉薄していても、ヒナの瞳は冷静だった。まるで、こうなることを知っていたかのように。

 

(まさ、か)

 

 その事実に思い至って、私は愕然とした。

 

(私が再装填のタイミングから弾数を読むことまで想定して……今まで、敢えて弾を残した状態で再装填を……!?)

 

 やはり、この少女は常に私の一歩先をいく。

 その絶望的な事実が確信となって心を打ち抜いた瞬間、硬い音が響き渡って力負けした刀が横へと強く弾かれた。

 それは即ち私の身を守る盾の消失であり、残された勝機の喪失でもある。

 それを私が悟ったと同時、びたりと黒々とした銃口が額に突きつけられ、

 

「終わりよ」

 

 ズガガガガガガガ!! という轟音が世界を裂き、凄絶な威力を有した鉛玉が頭に叩き込まれた。

 

 世界が真っ白になる。

 

 あらゆる脅威、あらゆる敵対者を圧倒的な力で粉砕する弾丸の雨をまともに受けて、意識を保てるはずがない。それは衝撃と痛みを持って意識を散り散りに引き裂いて、瞬く間に犯罪者を無力化する。

 だが、私のヘイローは消えなかった。

 煌々と瞬く光輪を背に、私は額から垂れた血が入り混じった瞳をくわ、と見開いた。

 

「……っ!?」

 

 今度こそ、風紀委員長の顔に演技ではない動揺が浮かんだ。当然だろう、あの弾幕の直撃を受けて意識を保てるはずがないのだから。

 だが、そもそも弾丸を撃ち込まれて失神するのは、突然に強い衝撃と痛みを叩き込まれることに耐えられないからだ。

 だから、最初から痛みを感じていればある程度の抵抗ができる。意識が飛びそうになっても、それ以上の痛みで慣れておけば意識は繋ぎ止められる。

 私はようやく巡ってきた勝機に微かに笑い、口の中に含んでいたものを血反吐と一緒に吐き出した。

 

「あなた……口内に、焼けた薬莢を……っ!!?」

 

 軽い音を立てて転がったそれは、ヒナの射撃によって撒き散らされる空の薬莢だった。

 排出された薬莢は、銃が発砲する際の熱エネルギーを受け取って超高温へと達する。法外な威力を実現するために改造を重ね、更に毎分2000発相当のレートで射撃を行うヒナの銃から排出される薬莢ともなれば尋常ならざる温度になるし、時間が経っても冷めにくい。

 だから最後の攻撃を仕掛ける寸前、それを口に放り込んでおいた。最悪まともに攻撃を受けた場合、せめて失神だけは防げるように。口の中が痛過ぎて何がどう火傷しているのか分からないが、この程度でヒナの一歩をさらに上回れたなら上出来だ。

 

 ────終わらせる。

 

 予備すらも使い果たしたヒナの銃口は完全に沈黙している。

 私は今にも刀を取り落としそうな掌に、それでも意地と気合いでかき集めた渾身の力を込めて、

 

「はあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

 ヒナの華奢な喉元に、雷速じみた突きを叩き込んだ。

 

 

 

 

 一時間後。

 瓦礫の散乱する廃墟の一角に、仰向けに倒れるヒナの姿があった。

 周囲には徹底的な破壊の跡が残り、今にも廃墟は倒壊しそうな有様だ。

 ヒナはその中心に横たわったまま、ぴくりとも動かない。

 そんな空間に、コツコツと神経質な足音が響く。現れた人影は躊躇することなく真っ直ぐにヒナの元へと向かい、倒れる彼女の顔を覗き込んで言った。

 

「委員長。わざと負けましたね?」

 

 風紀委員会行政官、天雨アコ。

 彼女の言葉が廃墟に響いた数秒後、倒れていたヒナは当然のようにむくりと身体を起こした。

 

「アコ、気づいてたの?」

 

「当たり前ですっ。私が日頃からどれだけ委員長を観察していると思ってるんですか? 委員長があれほど簡単に敗北するはずがありません! そもそも、ヒナ委員長の弾倉にはまだ弾丸が残っていたはずです!」

 

「隠れて戦闘を盗み見してたのね……ここには私一人で残るから全員撤収、と伝えておいたはずだけど」

 

 ヒナは嘆息してやや呆れた声を出す。実際に肉眼で確認していたのかそれとも小型のドローンでも飛ばしていたのか、とにかくアコはヒナが敗れるまでの一部始終を観察していたらしい。

 傍に横たわる機関銃、正確には装着された改造ドラムマガジンを見つめて、ヒナは片手でそれを取り外す。

 

「その指摘は正しい。アコも知っての通り、これには1500発の弾丸が入るから。あの瞬間……残る弾丸全てを頭部に撃ち込んでいれば、八重垣チハヤといえど反撃できずに倒れていたでしょうね」

 

 八重垣チハヤが攻め込んでくるとして、最も可能性が高いのは装填のタイミングであるとヒナは踏んでいた。そして、戦いの中で装填数を見極めてタイミングを測るくらいのことはするだろう、という予測も済ませていた。

 故にヒナは必ずマガジンの三分の二を撃ち切った時点で装填を行い、「偽の勝機」を作ってやることで勝負を決めるつもりだった。

 だが──結果として、彼女は違う選択肢を選ぶことにした。即ち、自らが敗北するという選択を。

 

「まあ、委員長がお決めになったことなのでしたら文句は言いません。それよりも、お怪我の方は……?」

 

「大丈夫よ。流石に喉へ一撃を受けるのは意識を持って行かれたけど、もう痛みは引いてる」

 

 ぱんぱん、と制服の汚れを払いながら、ヒナは小さな身体で立ち上がった。

 

「それで、八重垣チハヤはどうなった?」

 

「とっくに逃亡しましたよ、「都合よく放置されていた」風紀委員の車輌を奪って。まったく、わざわざ逃走手段まで用意しておくなんて。少々優しすぎるのでは?」

 

「これくらいは当然。代わりに、八重垣チハヤにはそれなりの手傷を与えてしまったし」

 

「まあ、「ヒナ委員長と戦って無傷で切り抜けた」なんて結果は不自然極まりません。それが知れ渡れば、風紀委員にまで先生殺害計画の嫌疑が向きかねない。車輌一台くらいは必要経費ですか……」

 

 アコは手元のタブレットを操作しながら深くため息をつく。

 彼女ら風紀委員会は、その性質上内にも外にも敵が多い。八重垣チハヤを取り逃がしたことを万魔殿が突っついてくることは想像に難くないが、ヒナが出たにも関わらず無傷で逃した、ともなれば陰謀論じみた言説まで唱えられかねない。空崎ヒナを単身かつ無傷で退けられる生徒など、このキヴォトスに存在するはずがないからだ。

 敵が多いというのはどんな状況でも厄介ですね、とぼやくアコの言葉を聞き流しながら、ヒナはアコを連れて廃墟の外へと歩み出る。

 外では既に、他の風紀委員による戦いの残骸撤去が始まっていた。指示を出すイオリの周りを、わたわたと風紀委員の生徒が行き交っている。

 そんな光景を見つめながら、ヒナはこの一件に関する考えを話し始めた。

 

「八重垣チハヤ。最初から、彼女が本当に先生を傷つけた犯人なのかという疑問はあった」

 

 現在、キヴォトスの各種メディアは指名手配犯「八重垣チハヤ」に関する事件で加熱している。

 が、風紀委員は報道が大々的になされる前から諜報部を動員し、独自に事件に関する調査を実施。同時並行で八重垣チハヤという人物の情報収集を行い、これまでの事件や彼女の所属、性格診断に至るまでを完了していた。

 

「諜報部から上がってきた八重垣チハヤの情報は、いずれも先生に危害を加えるような生徒であることを示さなかった。仮に彼女が犯人だったとしても、その行動経路には疑問が残る」

 

「これだけ注目されている犯罪者が、わざわざ委員長のいるゲヘナに逃げ込むわけがないということですね」

 

 アコの言葉に、ヒナはこくりと頷いた。

 犯罪を犯したお尋ね者が他学区に逃亡する、というのはよくあるケースだが、中でもゲヘナに逃亡する犯罪者は数少ない。

 その理由こそが、彼女ら風紀委員の存在である。

 キヴォトスで最も治安の悪いゲヘナで活動するからこそ、彼女ら風紀委員会の取り締まりは他学区と比べても苛烈を極める。そして極め付けに、絶対強者として君臨する空崎ヒナの存在。これらを考慮すれば、お尋ね者にとってゲヘナが都合のいい環境だとはとても言えない。ましてや世間をもっとも騒がせるお尋ね者がゲヘナに入るなど、ヒナに捕縛して欲しいとアピールしているようなものだ。

 

「色々と疑問は残るし、そもそも本当に先生を傷つけたのかも分からない。でも、情報を繋ぎ合わせてのプロファイリングにも限界はある。だから……」

 

「実際に戦って確かめることにした、と?」

 

「ええ。そして、ひとつの確信が得られたわ。戦いの中で、私とあの子の目線が間近で噛み合った時……」

 

 ヒナは夕焼けに染まった空を仰ぎながら、チハヤと戦った時のことを思い出した。仕掛けておいた罠を無効化され、相手の瞳に己の表情が見てとれるほどの距離まで接近を許したあの瞬間。

 

「……あの子は、先生と同じ目をしてた」

 

 静かに、ヒナはそう呟いた。

 何千何万という数のならず者や犯罪者を倒してきたヒナにとって、自らに向けられる視線がどんなものかは身に染みて理解している。

 敵意。恐怖。後悔。畏怖。混沌。憎悪。

 しかし、八重垣チハヤにはそのいずれも当て嵌まらなかった。正しいことを為そうとする者にしか宿らぬ煌めきを、ヒナは戦いの中で確かに感じ取ったのだ。

 

「先生と同じ目、ですか。委員長にしては、随分と論理的ではない判断要因ですね」

 

「まあ、以前の私ならとりあえず制圧してから話を聞く方向に動いていたかも。でも今は……先生が色々教えてくれたから。今回は、八重垣チハヤを信じてみようと思った」

 

「はあ。その色々(・・)が、委員長に悪影響を与えていないことを祈るばかりです」

 

 アコがぼやきながら、取り出したタブレット端末を何度かタップする。風紀委員の仕事はまだ終わっていない。

 

「これからどう動きますか?」

 

「八重垣チハヤに表立って力は貸せないけれど、できることがないわけじゃない。アコ、諜報部に八重垣チハヤの追跡を指示しておいて。加えて、彼女が口にした「ベアトリーチェ」と言う人物に関する情報収集も。どうにも、この事件は単純じゃない」

 

「追跡についてはもう指示を出しています。八重垣チハヤは既にゲヘナを抜け、D.U.に入ったようですね。ベアトリーチェという人物に関しては、トリニティから流れてきた機密情報に僅かに記載があったような……とにかく調べてみます」

 

「流石ね。うん、そのまま追跡と調査を続けて。状況が大きく動いた時、いつでも駆けつけられるように」

 

 ヒナは眉を顰めながら、せわしなく走りまわる生徒たちを見て呟いた。

 二人の間に、静かな沈黙が落ちる。

 

「彼女は、上手くやるでしょうか?」

 

「あの目を見た限り、八重垣チハヤは間違ったことはしないと思うけれど……それでも、あの子は決して大人じゃない」

 

 たとえ八重垣チハヤの目的が正しいことだったとしても、手段を誤ることはある。

 彼女が倒れた先生の代わりに何かを成そうとしているとすれば、それは本当に子供が担える責任(・・・・・・・・)なのか。八重垣チハヤは、根本のところで選択を誤っているのではないか。

 ヒナは思案する。

 責任の取り方を誤れば、行き着く先は背負い過ぎたものに潰されるだけだ。ヒナはその事実を、これ以上ないほどに理解している。だからこそ──、

 

「その事に、彼女が気づいてくれることを祈るわ」

 

 そう言って、彼女が去ったD.U.の方角をアメジストの瞳が見つめた。

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