「私は聖園ミカ。あなたに、罰を与える者だよ」
その少女が告げた言葉に、私は愕然として彼女を見上げることしかできなかった。
「はぁ……あ、うぁ……ぁ……っ」
勝機がない。もう私に戦闘行為を行うだけの体力はない。だが目の前の少女は、恐らくヒナやツルギといった、このキヴォトスでも最上位と目される少女たちと同等の力を秘めている。
つまるところ、私は完全に詰んでいる。
その事実が受け入れがたくて、こんなに頑張って頑張って頑張った果ての結果がこんな残酷なものだなんて認めたくなくて、私は呻きながら後ずさることしかできなかった。
「もしかして怯えてるの? 確かに、色んな追手から逃げ続けて……やっと切り抜けられたと思った矢先に私みたいなのが出てきたら、確かに絶望しちゃうかもね⭐︎」
彼女の瞳を見つめ返して、ゾッとした。
美しい顔立ちの上に貼り付けられたその顔は、とても正常なソレではないように見えた。開いた瞳孔の奥に、真っ白なぎらめきが私を見つめている。
それは怒りだ。先生を傷つけた私への憤怒。これまで戦ってきた生徒は、皆一様に同じ感情をその瞳に灯していたけれど、この女のソレは桁が違う。
その視線に私が恐怖を覚えた時には既に、ミカは私との距離を詰めていた。
「でもさ」
純白の翼が雄々しく開く。
ぐん、とミカがその握った拳を振り上げる。
「それって、別に私に関係ないよね?」
私が咄嗟に「彼岸白雪」の刀身を引き寄せて盾にしたのと同時、凄まじい威力を秘めた拳が躊躇なく振り下ろされた。
その速度はゆうに音速を超えていただろう。私の居合に匹敵するデタラメな速度の一撃が、私の身体をまっすぐに撃ち抜く。
「かふっ……あ゛……!!!?」
今度はガードが間に合ったにも関わらず、全身を駆け巡る衝撃は容赦なく私を吹っ飛ばした。
再び地面を何度もバウンドして、血の跡を残しながらごろごろと転がって停止する。
「なんていうかさ、みんな真面目だよねー。先生と仲が良い子程はらわた煮え繰り返ってる筈なのに、ちゃんと自分の役割から逸脱しないように振る舞ってさ。決して、感情任せの私刑にならないように己を律してる」
「げほっ……げぼっ! お゛ぇっ!? おげぇっ、げほっ!!」
「でもさ、私はそんな風に自分を抑えられる優等生じゃないの。まあ、いわゆる
私は四つん這いになって、喉奥から迫り上がってきたものを地面にぶちまけた。それは血の混じった胃液で、ツンと鼻をつく不快な匂いがした。
限界だ。本当の本当に限界が訪れている。
鼻だけじゃなく口からも血を吐いて、たぶん顔は酷い有様だ。身体の方はもっと酷い。ただ立ちあがろうとしただけで、身体中からベキバキと嫌な音がする。
「あ、立った。ふふ、そうこなくっちゃね。いくら先生を傷つけた罪人でも、一方的にいたぶるのってスッキリしないしさ」
それでも逃げ場なんてないので、立つしかない。
そんな私をまるで揶揄うように見つめていたミカは、まるで私からのハグを待つかのような自然さで、両手を広げて朗々と言った。
「あ……そうだ。折角だし、一撃くらいは受けてあげるよ。なんていうか、ボロボロのあなたをいじめるだけって
「な……」
そのあんまりな物言いに、私は思わず絶句していた。
この少女は──たぶん、私を「敵」としてすら認識していない。
今の私と彼女の間には、それくらい絶望的な差が開いている。
「っ……うあ゛ああああああああああああ!!」
その残酷極まる現実を否定したくて──私は爆発じみた咆哮をあげながら、手にした「彼岸白雪」に最後の力を注ぎ込んだ。
真一文字、全力を込めた一閃をミカの頭蓋めがけて叩き込む。
キュガッッ!!!!! という、凄まじい音がこだました。
いくらこの少女が怪物だとしても、入れば確実に意識を刈り取れる自信があった。意図的に作られたものだとしても、それが私に残された最後の勝機だった。だが、
「そ……んな……っ」
その刃先が示す結果を見つめて、私は絶望に小さく呻いた。
あらゆるものを斬り裂くその刃は、しかし彼女の頭に到達することすらなく──ミカが翳した左手によって、容易く掴み取られていた。
「そっか、この程度かぁ。ゲヘナの風紀委員長に災厄の狐、正義実現委員会まで退けたって聞いてたんだけどちょっとガッカリ。まあ、その傷じゃ仕方ないか」
私の刀を万力じみた力で掴んだまま、ミカは淡々と告げる。
「もういいや──うん。それじゃ、ぺちゃんこに潰れちゃえ⭐︎」
その瞬間、巨大な影が私を呑み込んだ。
まるで、一瞬で世界が夜になったかと錯覚するほどの異常現象。全身を突き抜けた嫌な予感に従って、私は汗の滴る顔を上げる。
宙に、巨大な岩塊が浮いていた。
違う。あれは浮いているんじゃなくて、今私にめがけて
そう判断した時に既に、ソレは回避不能の位置まで迫っていた。
「っ……ぐ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
ミカが面白がるように刀を手放した直後、私は可能な限りの力で天へと跳躍して、「彼岸白雪」の刀身を構え直した。
真一文字に斬り捨てた直後、差し渡し数十メートルはある巨大な岩塊──否、
受け身を取るまでの体力など残っていない。破壊の嵐にもみくちゃにされて、私は地面にたたきつけられた。
「かふぁ……あ゛ぁっ……!!?」
仰向けに四肢を投げ出した私は、自らが完全に「限界」とやらを超えたことを自覚した。
まったく手足が動かない。指の先一本まで力が入らず、愛刀は遠くにすっぽ抜けて転がっている。立っているのがやっとの状態から、とうとう立つのすら困難な状態に追い込まれたのだ。
だが、まだ戦いは終わっていない。争う両者のうち片方が戦闘能力を失い、しかしもう片方に戦う意思が漲っていた場合、その結果など一つしかない。
それはつまり、これから先は戦いではなく──、
「さーてとっ⭐︎」
それ以下の、単純な蹂躙になるということだ。
「──────……!!??」
遅れて、私は地面が遠く遠ざかっていることに気がついた。
周囲を埋める木々の樹冠がよく見える。それはつまり、私が森の木々よりも高くを飛んでいるということに他ならない。遅れて炸裂した激痛は、私がミカによってサッカーボールみたいに蹴り上げられたことを示していた。
宙を舞う私に重力が戻る。物理法則は躊躇なく、5階建て換算ほどの高さから地面へと私を叩きつける。
「……げふぁっ!!?」
受け身も取れずに墜落した私を、再びミカの右ストレートが吹き飛ばした。
完全に視界がブラックアウトしたと思ったもの束の間、凄絶な痛みと衝撃に消えた意識が揺り起こされる。振り抜かれた拳が、また私を吹き飛ばしたのだ。
もう、私には攻撃を防ぐ手段がない。
何度も何度も何度も何度も吹き飛ばされては意識を飛ばして、また地面を転がって、そのうち何もわからなくなって──、
「……あは、血まみれのボロ雑巾になっちゃったね⭐︎」
気がついた時には、私は血みどろで木の幹を背にして倒れていた。
「あ゛……………ひゅぅ……ぁ」
自分が起きているのか気絶しているのか、手足がどんな方向を向いているのかも分からない。黒と赤が入り混じる視界はぐにゃぐにゃに歪み、その役割をほとんど放棄している。
そんな私の頭が、強烈な力で引っ張り上げられた。
歪んだ視界の中心にミカの顔が映る。彼女が私の髪を掴んで強引に身体を起こさせているのだ、と理解したとき、
「だからさ、なに勝手におねむしてるの?」
「ぐえ゛ぇっ!!?」
鳩尾に壁をも砕く拳がめり込んで、またもや混濁した意識が激痛によって覚醒した。
「まだ終わらせないよ……まだ、足りない」
彼女は私を吹き飛ばすことの繰り返しに嫌気が刺したのか、それとも単純に飽きたのか、仰向けの私に馬乗りになって両手を私の首に這わせた。
次の瞬間、凄まじい力で首筋を両側から圧搾される。
「先生はまだ目を覚さないんだよ? とっても傷ついて、生きるか死ぬかの瀬戸際にまで追い込まれちゃったの。それも全部、あなたのせい」
「かっ……ひゅは、あ゛……あ゛っ、あ…………!!?」
「なら……おかしいよね? 最低でもあなたは先生と同じ目に遭わなくちゃ、割に合わないと思わない……?」
気道が圧迫されて酸素の吸入が止まる。視界がふっと遠くなっていくと同時に、本能的な恐怖が私の全身を駆け抜けた。
それは、間違いなく「死」に対するモノ。
私たちにとって、死なんていうものは縁遠いものだ。ベアトリーチェのような例外でもなければ、命たるヘイローを破壊することは容易ではない。美園ミカが私をどんなに痛めつけても、ただの殴り合いで私の命を奪うことはないだろう。
だが、彼女にはそれができてしまうかもしれない、と感じさせるほどの圧があった。
或いは、完全に折れてしまった私の心が、そんな想起を呼び起こしたのかもしれない。
(い……いやだ……! わ、たしは……こんな、ところで……いやだ、いや……っ……)
めきめきめき、と握り潰される私の首から不気味な音が響く。
その刹那に思い起こされたのは、なんでもない日常の光景だった。
ミフユと学校の復興案をあれこれ考えて、薄く雪の積もる校庭では小さな子たちが走り回り、先生がたまに差し入れを持って様子を見に来てくれるような。そんななんの変哲もない、私が守るべきだった光景。
先生を守れず、学校の名誉を傷つけて。こうして何も成せずに道半ばで力尽きる私に、こんな光景を見る資格なんてないはずなのに──、
(先生……ミフユさ……みんな…………ごめん、なさ……………)
目尻から涙を溢れさせながら、私が意識を手放そうとしたその瞬間。
闇に包まれかけていた視界を、真っ赤な閃光が斬り裂いた。
「……………っっ!?」
一瞬だった。
私に馬乗りになっていたミカが、横薙ぎに襲いかかってきた閃光に弾き飛ばされて宙を舞った。その輝きはミカもろともに突き進み、鬱蒼と生える木々を薙ぎ払って蹴散らしていく。
途端に圧迫されていた気道が元に戻り、得られなかった空気が肺に流れ込んできた。私はみっともなくえづきながら、必死に呼吸を繰り返して酸素を取り込む。
何が起こったのか、など考える余裕すらない。
だが──そんな私へ答えを示すように、一人の少女が私の前に立ち塞がった。
「その子に、これ以上手を出さないで」
見間違えるはずがない。
風にたなびく雪のような白髪、その手に携えた一振りの刀を。
「っ……あ……」
それは数瞬前の幻にも見た、遠く離れた天姫ヶ峰にいるはずのミフユの背中だった。
思わず驚愕の声を出そうとしたが、喉が痛くてうまく言葉にできない。私が咳き込んでいる間に、伐採され積み重なった木々の山が内側から爆ぜるようにして吹き飛んだ。
立ちこめた土煙の奥から、ミフユの一撃を受けたミカがゆっくりと姿を見せる。
「へぇ……チハヤちゃんみたいなお尋ね者にも、ちゃんと仲間がいたんだね。同じ武器を持っているみたいだし、あなたも先生を傷つけた一人ってことでいいのかな」
「面倒臭いからそういうことでいいわよ、ティーパーティーの聖園ミカ。あなたこそ、よくもチハヤを傷つけてくれたわね。あの大人にこの場所を聞いていなかったら、取り返しのつかないことになるところだったわ」
「あは。傷つけてくれたわねって……ソレ、こっちの台詞なんだけど? ちゃんと考えて話してる?」
目には見えない両者の憤怒が、二人の間で真正面からぶつかり合ったのが分かった。
大切な人を傷つけられたミカは当然としても、ミフユの怒りようは凄まじいものがあった。箱舟で私と戦った時以上の怒りを、彼女はその身体から発散させているように見える。
その異様さに呆気に取られていたが、私はようやく喉が元の調子に戻っていることに気がついた。
「みっ……げほっ、ミフユ、さん……!!」
ようやく言葉になった声は掠れきって、そよ風にすら掻き消されそうなほどだったが、ミフユはぴくりとその肩を震わせた。
聞こえていると判断して、私は言葉を絞り出す。
「どうして……ここに、いえ……それより……! だ……ダメです、ミフユさんは……帰ってください!!」
無我夢中の私が最初に言葉にしたのは、そんな拒絶の言葉だった。
突然に変化した状況に頭が混乱していて、何から話していいのか分からなくて、それでも最初に感じたのは
「わっ、私は……学校の評判に、悪影響を与えてしまいました! だからせめて、一人で全部やらないと……悪いのは私だけで、学校は無関係だと示す必要があるんです! なのに、生徒会長のミフユさんまで……私の仲間だと思われたら、学校の復興は……もう、絶望的に……!!」
私が天姫ヶ峰高等学校の副会長であることは、既にキヴォトス中に報道されている。ただでさえ私と一緒に学校の悪名まで知れ渡っているこんな状況で生徒会長までもが関与を疑われれば、それこそ学校の運営に致命的な支障が生じかねない。
それはつまり、学校を守るというミフユの夢の終焉を意味する。
私はそれが怖かった。私だけが傷つくのならいい。私が夢の途中で死んだとしても、それが私の行動によるものなら構わない。
でも──私のせいで、大切な人の夢まで終わらせてしまったら?
「これは私の責任なんです!! この、事態はっ……私が、先生を守れなかったから! だから、私は……私は、もう他の人を巻き込むわけには……!!」
そんな事になってしまったら、私はきっと耐えられない。
もう自分が何を言っているのかも分からなかったけれど、それだけは確かだった。だから叫んだ。これは私が一人で解決するべき事件で、ミフユは絶対に関わるべきではないのだ、と。
「──────ふざけないで!!」
それなのに。
空気を震わせるほどの鋭い声で、ミフユはぴしゃりと私の言葉を遮った。
思わず私は言葉を飲み込んで、彼女の背中を呆然と見つめる。
「かつて夢を諦めるなと私に言ったあなたが、よりにもよって私に夢を諦めろと言うの? 言ったはずよ。私の夢は……学校を、生徒を、大切なみんなを守ること。あなたはもうとっくに、私の夢の一部なの!」
「み……ミフユ、さん……」
「それなのに、あなた一人を切り捨てて学校を守る? 馬鹿馬鹿しい。そんなのは……目の前の現実に折れて、大人ぶって夢を諦めたかつての私と何も変わらない。二度も夢を諦めるなんて、そんなのはまっぴらよ」
ぎゅっ、とミフユが硬く刀を握りしめる。
その言葉を聞いて、私は大切なことを忘れているような気がした。
過酷な現実に心を擦り減らして、罪悪感と向けられる憎悪に考えるのをやめて、ただ目の前の目的だけを考えるようになって。
いつしかその痛みの前に、己の信念すらも見失っていたのではないか。
「思い出して、チハヤ」
かつて、一人の生徒がいたはずだ。
自分が無力で、単身では何も成し遂げられない子供であると知りながら、それでも夢を諦めてたまるかと箱舟の上で叫んだ愚か者が。
「今のあなたは、かつての私と同じだわ。それでも──色々なものに追い込まれて、大切なものに目を向ける余裕すらなくなってしまったとしても、あなたはきっと覚えているはずよ」
ミフユはこちらを振り返り、微かな笑みを浮かべて口を開いた。
「私たちが抱える夢は……一つ一つがかけがえのない、
その瞬間、ミフユが手にした刀が獰猛な駆動音を発して輝いた。
発せられた真紅の輝きが、世界を瞬く間に染め上げる。
同時に刀の鎬筋が真っ二つに割れて、その奥から力強く躍動する炉心が露出した。まるで遺物が心臓を有して、その有り余るエネルギーを放出する時を待っているかのように。
そのどこか神秘的な現象に、私は見覚えがあった。
「あの時と……同じ……」
「ザババの双杖」と呼ばれる遺物が発生させる強烈な発光現象。それは太古に製造された古代兵器が、所有者を真の所有者と認めた証に他ならない。
キッカケは何だったのか、私には想像もつかなかった。
ミフユの覚悟が遺物を認めさせたのか、何かの要因があったのか、それとも名も知らぬ誰かがそんな願いを刀にこめていたのか。あるいは、その全てなのか。
ともかく、ミフユはついにその遺物に己の価値を認めさせたことだけは確かだ。私の「彼岸白雪」がかつてそうしたように、ミフユが手に擦る遺物の真価が引き出される。
「私は私の夢をもう手放したくない。たとえ世界の全てが敵になっても、この
私がなくした輝きを秘めた薄青の瞳に、鮮烈な赤の色彩が入り混じる。その視線を再び前に戻して、ミフユは凛然と遺物を構えた。
呼応するように、破壊の天使がばさりと翼を開く。
「だから……あなたはそこで見ていて、チハヤ。かつてあなたが教えてくれたことを、今度は私が示すから」