「ん…………」
重い瞼をこじ開けると、見知らぬ天井が視界に映った。
ゆるい曲線を描く天井は黒の鋼材で出来ていて、二筋の天井照明が私を照らしている。病院でよく嗅ぐようなツンとする薬品の刺激臭が、私の鼻腔を微かに刺激した。
まるで病院にいるような雰囲気だ。
けれど、私はいったい何がどうなって意識を失ったのか……、
「はっ……!?」
その瞬間、私は全てを思い出して跳ね起きた。
ずぎん、と派手に脇腹が痛んで思わず身体を丸めて呻く。だがそんな事をしている場合ではない。
記憶が正しければ、私はミフユと共にベアトリーチェを打ち倒した。だが、追い詰められた彼女は何らかの「奥の手」を行使して、ミフユは私を庇って爆発に巻き込まれた。
確かその後、先生が駆けつけてくれたところで私は意識を失い──、
「ミフユは……!?」
呻きながらきょろきょろと周囲に視線を巡らせると、私が横たわっていたのは病院ではなく、もっと狭い空間であることに気がついた。
すぐ側の壁面にはスモークが貼られた窓と、様々な医療器具や薬品が所狭しと格納されている。間違いなく、ここは救急車か何かの中だ。
そして──私が探していたミフユの姿は、すぐ隣に見つけることができた。
「……………………っ!」
彼女は私と同じように寝台に寝かされて、その瞼を固く閉ざしていた。
片腕にはよく分からない点滴が幾つか繋ぎ止められ、その口は医療ドラマなんかでよく見る酸素吸入器が装着されている。
私には医療的な知識などないので、彼女がどんな状態にあるのかすらわからない。胸中の不安に突き動かされ、私はミフユの冷たい腕にそっと触れて──、
「目覚めましたか。はあ、そのまま寝ていて頂ければ新鮮な死体と何も変わらなかったのですが」
「うわあああああああああああっ!?」
唐突に背後からぼそりと声をかけられて、私は物理的に数センチ浮くほど飛び上がった。
「ぁぎ……っ!!?」
瞬間、凄まじい痛みが全身を駆け抜ける。まるで落雷にでも打たれたかのようだった。さっき身体を起こした時よりも酷い、というか、先程は覚醒したばかりで痛覚が上手く働かなかったのか。
そんな七転八倒する私を、一人の少女が見下ろしていた。
「おはようございます。八重垣チハヤさん」
「あ、ああ……おはようございます……?」
思わず挨拶を返してしまってから、私は目の前に現れた少女をまじまじと見つめた。
こちらを見つめ返す琥珀色の瞳。ショートにまとめた白髪の合間からは一対の黒角が覗いている。頭に被っているのは純白のナースキャップだろうか。
その落ち着いた雰囲気は、どこかミフユに似たものを感じさせた。
「自己紹介が済んでいませんでしたね。私はゲヘナ救急医学部の氷室セナ、と申します。先生のご用命を受け、あなた達の搬送と看護を担当しています」
その言葉を聞いて、曖昧になっていた記憶がようやく鮮明に蘇った。
私とミフユの窮地に先生が駆けつけた後。豪快に廃墟の瓦礫を跳ね飛ばしながら駆けつけた救急車に乗せられて、そこで私は意識を失ったのだ。
あの時は相手の顔をしっかり見る余裕すらなかったけれど、今ならば分かる。私とミフユを助けてくれたのは間違いなく目の前の彼女だ。
「あ……ありがとうございました。あなたがいなければ、私はともかくミフユはどうなっていたか……」
「礼には及びません。それが私の仕事ですので」
「ミフユの体調は、どうなんでしょうか……?」
「一時は危ないところでしたが、容態は安定しています。今は意識を失っていますが、じきに目を覚ますでしょう」
その言葉に胸を撫で下ろして、私は強張っていた肩の力を抜いた。
「あなたは不要と言いましたが、それでもお礼は言わせてください。それで、今の状況についてなんですが……あの後、何がどうなったんでしょうか?」
私が今の状況について問うと、ここは狭いので、とセナは外に出るよう促した。
確かに様々な精密機械が動作している救急車の中というのはなんとも落ち着かない。
私は彼女に促されるがまま、開けてもらった扉から外へと踏み出して──そして、目の前の光景に息を呑んだ。
「7.62x51mm NATO弾の補給が追いついてない! 物資班に何人か追加で回してくれない!? 弾薬倉庫にもないなら売店でもコンビニでもなんでもいいから、とにかくあるだけ掻き集めて!」
「イオリさんが小隊を連れて前線に戻るって! あんた第1小隊でしょ、追加招集かかってるよ! あと第2小隊と第3小隊と……」
「ティーパーティー所有のL118牽引式榴弾砲、全て再装填が終わりました! 五分後から援護射撃を開始する予定です! は、はい、前線に出ている各部隊には念のため再度伝達を……」
照明器に照らされた天幕の合間を色々な言葉が飛び交い、バタバタと生徒たちが行き交っている。
それはまさに戦場といった逼迫具合で、誰もが真剣に己の職務を果たそうと奔走しているのが分かった。キヴォトスでは否が応でも嗅ぎ慣れる火薬の匂いは、ここでは特に強い。それ程の武装が集められているのか、あるいはそれだけ集まった生徒が多いのか。
バラバラバラ、という轟音と共に烈風が巻き起こり、私の髪を揉んでいった。風上に目を向けると、救急車のすぐ側の空き地から戦闘用ヘリが夜空へと離陸していくのが見える。
あれは確か、D.U.で交戦したRABBIT小隊の攻撃用ヘリだ。
「夜……そういえば、いまの時間は!?」
「あなた方をここに搬送したのが昨日深夜の2時。現在は0時を少し回ったころ……あなたは丸一日ほど、昏睡していたということになります」
その言葉に、私は思わず言葉を失った。
意識を途絶させてからそれだけの時間が経っていた、ということに全く気づいていなかったからだ。
「さて、現在の状況については行政官が全て説明してくれるでしょうが……起きたばかりでは何も分からないでしょう。私の方から、簡単に説明しておきます」
戸惑いつつも、セナの有難い申し出にこくりと頷く。
正直なところ、全く予想していなかった光景が広がっているために頭の理解が追いついていない。今の私には情報が足りていないのだ。
「ここはゲヘナとトリニティの学区境界線からほど近い地点に設けられた、大規模軍事作戦の前線基地です」
「ぜ、前線基地……? つまり、ここは戦場だと?」
「ええ。ここを拠点として、ゲヘナ・トリニティ両校が合同で行っている軍事作戦が進行中です。主力となるのは風紀委員会、そして正義実現委員会ですね。それに加えて、いくつかの他組織からも生徒が参加しています」
セナが視線を向ける方向を見やり、前方を行き交う生徒たちの制服を注視する。
確かにアレは、いま名前が挙げられた組織の制服だ。天幕の布地には、大きくゲヘナとトリニティの校章が刻まれている。
「アリウス自治区にてあなたが交戦した、「ベアトリーチェ」と名乗る人物は……現在その身を異形へと変え、破壊活動を続けながらゲヘナ・トリニティ自治区の境界線付近へと進行しています」
その名前にぴくりと両耳を立てて、私は思わずセナの顔を見やった。
「私たちはベアトリーチェを倒しきれなかった。つまり「軍事作戦」というのは、ベアトリーチェの討伐作戦ということですか?」
「ええ。両校の治安維持組織、および先生の召集に応じた生徒たちが総力を上げ、標的と交戦している……というのが今の状況です。いわば総力戦といったところでしょうか。標的がどちらの自治区に侵入するにせよ、甚大な被害は避けられませんからね」
彼女は相変わらず感情があまり読み取れない顔で肯定する。
その話を聞いて、遠くの夜空から断続的に聞こえていた爆発音の正体に私はようやく気がついた。
やはり、まだ戦いは終わっていなかったのだ。私とミフユがベアトリーチェを追い込んだ末、奴は司祭たちによる干渉を受けて異形へと変貌した。そんなベアトリーチェを、今は私たちに代わって各学園の生徒たちが抑え込んでいる。
そこまで状況を整理して、私はふと疑問に思ったことを口にした。
「えっと……でも、どうしてゲヘナとトリニティが? 二校の自治区にベアトリーチェが近づいているのは理解しましたけど、あなた方はとても仲が悪いんじゃありませんでしたっけ……?」
「普段はそうですね。ですが、今回の作戦は先生が主導しておられるので。加えて、風紀委員長とティーパーティーの方々が相互に協力的な態度を示したのも大きかったでしょうか」
「あー、先生が……」
なるほど、と私は納得した。
ゲヘナとトリニティは古来から犬猿の仲であることは有名だが、その間に先生が割って入るなら手を取り合うこともあるだろう。尤も、その分先生の負担は大きなものになりそうだが。
私は一度ぐるりと周囲を見渡してから、改めて手元を見やった。
そこには、ミフユから託された「八重一文字」が美しい光沢を湛えて輝いている。腰には既に「彼岸白雪」を帯刀済みだ。
ミフユの無事も確認できた以上、あとはこの託された刀と共に為すべきことを為すだけ。
前方に目を向けると、セナは私の意図を読み取ったかのように問いかけた。
「どこかに行かれるおつもりですか?」
「ええ、この作戦を取り仕切っているという作戦本部に。戦いがまだ続いているなら、行かないと」
「……ではその前に、一つだけ伝えておきます」
私の返答に、セナは色の薄い瞳をすっと細めた。
「八重垣チハヤさん。あなたがいくら頑丈でも、とっくにその身体は限界を迎えています。可能な限りの処置は施しましたが、あくまで出血を止めているだけです。蓄積したダメージは決して消えていない」
「────────」
「私たちにとって、「死」とは縁遠いものです。だからこそ、時として死への恐怖すら希薄になる。それでもあなたがその無茶を貫き続ければ……本当に、取り返しのつかない結果を招きますよ」
空気が冷えたと錯覚するほどに、向けられる視線は鋭かった。
思わず息を呑んで、彼女の瞳を見つめ返す。その言葉は真剣そのもので、嘘も偽りも決して介在しない事が理解できる。
その上で、彼女は端的にこう告げているのだ。
────次に戦ったら死ぬぞ、と。
その言葉はどうしようもなく正しかった。私の身体はいくら応急処置が施されたとはいえ、本来動いていいような状態でないのは理解している。体を少し激しく動かすだけで全身がバラバラになりそうなくらい痛いのだから、戦闘行為などもってのほかだろう。
そんな状況で戦うことが如何に馬鹿げているかは論じるまでもないし、何よりも彼女は私の身を慮ってその言葉を吐いてくれている。
「……ありがとうございます、セナ」
そんな言葉に反論できるはずもない。
だから、私はその誠実さに感謝を述べた。
「でも……私はこの刀を、親友に託されたんです。託されたからには、このまま引き下がることはできません。だから、もう一度だけやらせてもらえませんか」
自分の論理が正しいとは思わないし、セナの理論が正しいことは間違いないと理解している。けれど論理でも理屈でもない、何か別のもので導き出された答えを信じたいと、今の私は思ってしまっている。
彼女はそんな私を、少し困ったような、それでいて優しい瞳でしかと見つめ──、
「ふぅ」
諦めるように、軽く息を吐いた。
「いってらっしゃいませ、八重垣チハヤさん。あなたはあなたが行くべき場所へ。私は引き続き、あなたの親友を診ています」
「……ミフユのこと、よろしくお願いします」
「ええ。どうか、お気をつけて」
こくりと頷くセナに深々と頭を下げて、私は生徒たちが行き交う前線基地をまっすぐに歩き始めた。
彼女が親友を診てくれるならば、きっと何一つ憂いはない。そう強く思いながら。
◆
腰に二振りの刀をぶら下げて、乱立する軍事用テントの合間を抜けてゆく。まだ本調子でない足は重く、重心もどこか斜めに傾いでいるのが分かる。
「はは……強がりましたけど、これはちょっと……」
特に足の痛みが酷くて、走るどころか足を引きずって歩くのがやっと。戦闘中は気にせず疾走していたのだが、一度アドレナリンの供給が切れてしまえばこんなものか。
ため息をついて周囲を見回す。時刻は0時を回っており、夜の闇は深い。だが各所に設置された投光器や照明が前線基地を照らし、その闇を拭っている。
お陰で私は迷うことはなく、行政官がいるという作戦本部へ向かえると思ったのも束の間──、
「あ、起きたみたいだよ!」
突然に近くから声をかけられて、反射的に振り返った。
声をかけられた方向。どうやらそこは簡易的な食堂として空間を確保しているらしく、キッチンカーを中心として幾つかの大きなテーブルと椅子が並べられていた。
いくら前線基地とはいえ、お腹が減っては戦えない。生徒たちに食事を提供する場所は必須なのだろう。
そして、私に声をかけてきたのはそのテーブルについて食事をとる生徒のうちの一人だった。
「あなたは……」
「私たちのこと、覚えてる?」
否、一人ではない。私に片手をあげて存在をアピールする少女を含む四人組は、確かに見覚えがあった。
美食研究会。
ゲヘナ学園出身の生徒だけで構成された組織であり、キヴォトスに名を轟かせる有名なテロリスト集団であり、私が百花繚乱を飛び出してから最初に交戦した生徒たちだ。
私が呆然とその名を口にすると、彼女はおかしそうに笑った。
「未だ瞳に闘志が見えます。表面上はボロボロですが、思いのほか元気みたいですね。なによりです♪」
「ど……どうして美食研究会がここに? また私を追ってきたんですか?」
「あ、警戒しなくていいよ! 私たち、もうあなたと戦う気はないから! 例の事件の犯人、あなたじゃなかったんだって?」
「そういうことです、チハヤさん。今回は失礼を働いてしまいました。こと食事に関しては虚偽など簡単に見破れるのですが、今回はまんまと虚偽の伝聞に乗せられてしまいました」
申し訳なさそうにリーダー格らしき少女が口にする。確か、名前は黒舘ハルナだったか。
とはいえ、疑問が尽きたわけではない。そもそもここは風紀委員会と正義実現委員の構築した前線基地で、そこら中をそんな生徒達が行き交っている。お尋ね者が我が物顔で滞在することが許される場所ではない。
それでも彼女らが堂々と食事をとっているのは、単に彼女らが異常に大胆なのか、今はそれどころではないということなのか、先生が追加戦力としての滞在を許可したのか。
……何となく、全部当てはまっているような気もする。
「あの! お食事を用意しているんですが、あなたもいかがですか? 少しでもお腹に何か入れたほうが、傷の治りも早くなると思いますよ!」
と、良い香りが鼻をついて私はそちらを振り返った。
見ると、お盆に乗った料理を手にしてニコニコと笑顔を浮かべる少女が立っている。
「あ──申し遅れました、私はゲヘナ給食部のジュリといいます! 今はここで、ボランティアとしてお食事を提供させてもらっているんです」
包容力のありそうな優しげな容姿に、純白のエプロン。まるで新妻みたいな雰囲気の生徒にいきなり料理を差し出され、私は若干たじろいだ。
が──湯気を立てる野菜スープの香りが胃を刺激したのか、私のお腹は盛大に音を鳴らしてしまう。
今は深夜で、つまりこれは夜食ということになるのだが、私の満腹中枢は今更そんなこと気にしていられないようだった。
「やっぱりお腹が空いてらっしゃるんですね? 今は無償でご食事を提供していますから、遠慮なさらなくても大丈夫ですよ!」
「う……は、はい……では遠慮なく」
私は若干頬を赤らめながら料理を受け取り、美食研究会の隣のテーブルに腰掛けた。
献立はスタンダードな和食のセットだ。瑞々しい焼き鮭にお味噌汁、野菜の胡麻和えに漬物までついている。流石に一汁三菜とまではいかないが、ここが戦場であることを考えれば上等過ぎる内容だ。
思えば、こうしてちゃんとした食事をとるなどいつ以来だろうか。お腹が減るのも当たり前だ。
「いただきます……」
自覚してにわかに強まった空腹感に急かされるように箸を掴み、提供された食事を口に放り込む。
その途端、その美味しさに私は目を見開いた。
「おっ……美味しいです! ありがとうございます!!」
「それはよかった! 私たち給食部の料理で喜んでいただけて、私も嬉しいです!」
本当に美味しい。全てが料亭で出される高級料理ほどに完璧、という訳ではない。けれどここが戦場である以上、得られる食材も、使える時間も限られてくるはずだ。そんな数多い制限の中で、それでも最良の料理を届けようという料理人の気概が伝わってくる。
それになにより──いつ以来かも分からない温かな料理は、それだけで涙が出そうなほど美味しかった。
「……ちょっと、いい?」
私が思わず無我夢中で箸を動かしていると、横合いから控えめな声色で呼び止められた。
箸を置いてそちらを見やると、もう一人、割烹着を着た家庭的な少女が立っている。ジュリとはまた違う類の柔らかな雰囲気を纏った子だ。やはりゲヘナ生徒なのか、隣のジュリと同じく、ゲヘナ特有の角が髪の間から覗いている。
そこでハッと気づいて目を見開く。よく見れば、私はその顔に見覚えがあった。
「私は給食部の愛清フウカ。私のこと、覚えてる?」
「あなたは……」
確かに、私は目の前の少女を覚えていた。
私が百花繚乱を飛び出してここに至るまでに、数多くの生徒達が私の前に立ち塞がった。
彼女はその中でも最初に遭遇した少女だったはずだ。今まさに隣の卓で当然のように食事している美食研究会と共に、フウカは私と戦ったのである。
「ごめんなさい、チハヤさん。風紀委員から、あなたが先生を傷つけた犯人じゃなかったって事を聞いたわ。私、早とちりしてあなたのことを……傷つけようとした」
彼女の言葉に深い後悔の感情が滲んでいるのは、この場にいる誰もが感じ取っていた。その雰囲気にあてられたのか、美食研究会までもが箸を止めている。
「その料理は私が作ったの。あなたが嫌と言うなら、手をつけなくても構わない。でも……それでもあなたが許してくれるなら、お腹いっぱい食べてくれると嬉しいな」
彼女の言葉に、私は改めて提供された食事に視線を向けた。
そも、許すも何もない。私は最初から彼女に怒ってはいないし、それはこの旅の中で戦った全ての生徒たちにも当てはまる。むしろ私が一人で突っ走って、その結果として多くの生徒に罪悪感を植え付けてしまったのだから、こちらが謝罪したいくらい。
けれど──今の彼女に私の考えを伝えるためならば、もっと単純な方法があると思った。
「────もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ!!!」
「え、えぇ……?」
私は困惑するフウカの前で卓上の料理を片っ端から胃袋に放り込み、ものの一分で全てを完食してみせた。
思いきり困惑する彼女に、私は口端のごはん粒をぺろりと舐め取りながら、空になった器を差し出した。
「よければおかわりを頂けませんか、フウカ。あなたが作った料理、とっても美味しいですから!」
「……そっか、うん。ありがとう、チハヤさん」
彼女が笑顔を浮かべて、その隣に立つジュリも安堵したように胸を撫で下ろした。彼女のような善人が、不要な罪悪感に囚われるなんてあってはならない。私にはこんな事しか出来ないけれど、せめてフウカには笑っていてほしいと願うばかりだ。
と。そんな私たちの様子を隣の卓から見ていた美食研究会が、一斉にがたんと席を立った。
「ハルナ、どうしたの?」
「ご馳走様でした。そろそろ我々も前線に向かいますわ」
ぐっ、と体を伸ばしたハルナは、当然のようにそんな事を口にした。
思わず怪訝な顔をする私たちに、ハルナは至極当たり前のような顔で告げる。
「フウカさんが罪滅ぼしをしたいと考えるように、私たちも少しは何かしておきたいのですよ。これでも少しは罪悪感を感じていますので」
「ハルナが? 本当に?」
じろりと半目でハルナを睨むフウカの瞳はまったくハルナの言動を信頼していないように思えたが、いつもの事らしくハルナはどこ吹く風で微笑を浮かべている。
「ま、勘違いで襲っちゃった相手を放って帰るのもなんだかって感じだしねー。先生にも協力を頼まれてるし、今回は力を貸すよ」
「相手は山くらいあるでっかいサソリなんだっけ? サソリって珍味って聞いたことあるよ。もし倒せたら食べられるのかなー?」
「ふふ、私は遠慮しておきますね〜⭐︎」
美食研究会のメンバーは各々の銃器を携えて、風紀委員会の戦車やトラックが集まっている方向へと歩き出す。恐らくあれに相乗りして、ベアトリーチェが居るという防衛ライン圏内──最前線に向かうのだろう。
本来は反目すべき治安維持組織とテロリスト達が力を合わせているというのはなんとも奇妙だが、敵はそれほどに強大ということか。
最後まで残っていたハルナはもう一度私に目線を向けて、優しい声色で言った。
「チハヤさん、病み上がりでしょうからあまり無理はなさらず。それとフウカさん、ジュリさん。私たちが帰ってきた時には、アツアツの朝食を所望いたしますわ」
「……はいはい。用意しておくから行ってきなさい。あんまり前線の人に迷惑かけちゃダメだよ」
「相手は強敵です。どうか気をつけてくださいね!」
二人の言葉に優雅な微笑を返して、ハルナは野外食堂を立ち去った。
そそくさとジュリが運んできてくれた食後のお茶を一息で飲み干し、口元を拭いながら目的地を見やる。
作戦本部の天幕はもう目の前だ。彼女達のように、私にも行くべきところがある。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「チハヤさんはどこに向かわれるんですか?」
「ええと、行政官がいるという作戦本部に。ご飯のおかげで元気も出ましたし、まだやれる事はあると思うので」
フウカに空の食器を乗せたトレイを返しながら、ジュリの問いに返答する。
実際、しっかりした食事でエネルギーを補給できたのは重畳だった。これで傷が治るわけでも痛みが引くわけでもないけれど、戦うための活力だけは確保できた。
「あんまりチハヤさんにも無茶して欲しくないけど……覚悟は決まってるって感じだね。ならせめて、どうか身体にだけは気をつけて」
「はい、ご馳走様でした!」
二人に手を振って別れ、生徒たちでごった返す作戦本部へと足を向ける。
こんな状態で何をどこまで出来るのかは分からないけれど──それでもまだ、私にはするべき事が残っている筈だから。