キヴォトス剣豪流離譚【完結】   作:モモのすけ

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黒服の提案

 

 二人に手を振って別れ、私は生徒たちでごった返す作戦本部へと足を向けた。

 本部の天幕には「シャーレ・コントロール/作戦指揮車両」と側面に描かれた巨大な車両が横付けされ、巨大な板状のアンテナが天に向かって聳えていた。中には精密そうな機械に囲まれたミレニアム所属らしき生徒たちが、なにやらカタカタとパネルを叩いている。

 その横を通り抜けて天幕の中に入ると、今度は所狭しと並べられた机に様々な通信機器が並び、オペレーター役の生徒たちが無線機越しに指示を飛ばしていた。

 

「正義実現委員会、第6小隊を下がらせて第9小隊を投入してください! 第10小隊から第12小隊までは出撃準備を! 怪我人は救護騎士団が受け持ちます!」

 

「火力掃射は基本的にダメージを示しませんが、それでも動きを止める程度の影響はあります! 部隊の交代を繰り返して、なんとしても火力を絶やさないようにしてください!」

 

 流石は風紀委員会と正義実現委員会、相反する学校の共同作戦だというのに指揮統制に揺らぎは無さそうだ。

 彼女らの仕事を邪魔しないよう、なるべく存在感を消して机の合間を進んでいく。天幕の最奥には壁一面にモニターが設けられ、複数人のオペレーターが無線機を握っていた。

 その中心に、私はようやく探していた人物の背中を捉える。

 

「ヒナ委員長、ツルギ委員長、聖園ミカさんの三名以外は対象との距離を200メートル以上に保つことを徹底してください! 不用意に近づけば呑み込まれます!」

 

 ゲヘナ風紀委員行政官、天雨アコ。

 彼女の視線の先にあるモニターは、山のように巨大な怪物と戦う生徒たちの姿がありありと映し出されていた。

 その姿を、怪物としか呼べぬ異形を見て思わず息を呑む。

 私が目にした時よりも遥かに禍々しく、巨大に変貌したその姿。モニター越しだというのに、あらゆる全てに向けられる殺意が皮膚を撫でるかのように錯覚する。

 そんな息を呑む気配に気付いたのか、アコはこちらを振り返って驚愕に瞳を開いた。

 

「あなたは……八重垣チハヤさん!?」

 

「こんばんは、行政官。忙しいところ恐縮ですが……状況を教えてもらえませんか?」

 

 

 

 

 チハヤが目を覚まし、作戦本部を訪ねていたちょうどその頃──。

 前線基地から外れた荒野のただ中、切り立った崖の上に二人の人影が並び立っていた。

 

「色々と話したい事が山積みでしょうが……ひとまず、ご無事で何よりです」

 

 空には眩い星空が広がり、月明かりは十分に世界を照らしている。

 その中で、夜にぽかりと陥没した穴のように深い漆黒を湛えた人影。ゲマトリアの「黒服」は視線を横に逸らし、傍らの人物にそう切り出した。

 

「………………」

 

 黒服の目線の先には、シャーレの先生がじっと立っていた。横から視線を向けられても、無言のままに荒野の彼方を見つめている。

 視線の先、距離を隔てた荒野は戦場と化していた。

 深い藍色の月光に照らされた深海のような荒野に、幾度となく爆発の華が咲いては消える。十キロメートル以上の長大な距離を挟んでなお、激闘の余波たる爆発音はここまで届いていた。

 生徒たちは苦戦を強いられているが、それでも耐えてくれている。

 一刻も早く戦場に戻りたい──その焦燥を抑えて、先生はじろりと隣の大人に視線を返した。

 

「私が不在の間、君がチハヤとミフユを唆したようだね」

 

「唆したとは人聞きが悪い。私はあくまで彼女らの意思に沿って助言と協力をしたまでです。それに、ベアトリーチェを阻止するにはあの遺物の力が不可欠でした。彼女らがアリウス自治区で彼女を倒さなければ、色彩の到来は免れなかったでしょう」

 

「それはあくまで推測だろう。それに、結果としてあの二人が必要以上に傷を負う事になったことは事実だ」

 

 先生が百鬼夜行の病院で目を覚ました時、事態は既に最終盤まで進行していた。

 八重垣チハヤは先生襲撃事件の犯人に仕立て上げられ、彼女はベアトリーチェの陰謀に一人で挑み、その中で傷ついていたのだ。それは単純な身体へのダメージだけではなく、その心にまで及んだことだろう。

 

「……が、事の発端は私が不覚をとったことに責任がある。私はいるべき時に、チハヤとミフユの側にいられなかった。君を糾弾する資格は私にない」

 

「おや。しかし、キヴォトスから放逐したベアトリーチェを仕留め損ねたのは我々ゲマトリアです。元を正せば、彼女の暴走を招いた責任はゲマトリアの我々にある……そう考えることも可能なのでは?」

 

「そうだとしても、私の負う責任が変わるわけじゃない。生徒の助けになるべき時になれなかったなら、それは私の失態だ。それに、とっくの昔に解散した組織に責任を問うというのも建設的じゃない」

 

「クックック……そうでしたね。おっしゃる通り、ゲマトリアは既に解散しています」

 

 先生は眉の間に深い皺を寄せながら、深く息を吐いた。

 

「今は、事態の収拾を測るために時間を使うべきだ。これ以上ベアトリーチェを暴れさせる訳にはいかない。黒服、君はこの事態も予測していたんだろう? 何か手段を用意しているんじゃないのか?」

 

「ええ。少し長い話になりますが、まずは情報の共有から始めましょう。そもそも、ベアトリーチェは何故あのような怪物に変貌したのか?」

 

 黒服は一度言葉を区切ってから、彼方で巻き起こる爆炎に視線を向けた。

 その爆炎を引き裂き、闇の中に巨大な影が照らし出される。

 元「ゲマトリア」所属、ベアトリーチェ。その姿形は、二人の記憶にあるものとは今や大きくかけ離れている。かつての彼女は曲がりなりにもヒトの形をしていたが、今は山のように巨大な大蜘蛛、あるいは蠍といった異形へと成長していた。

 黒服の問題提起は核心をついている。かつてのベアトリーチェには、あのような変化を遂げるだけの力はなかった筈だ。また、「ヘイローを破壊する」という剣も同様、突然に現れた出自不明の産物である。

 何らかの別要因が彼女に力を与えているとすれば説明はつくが、一体それは何なのか──、

 

「結論から言えば、ベアトリーチェの背後には「無名の司祭」が存在すると思われます」

 

 先生が抱いていた疑問に、黒服はあっさりと回答を示してみせた。

 無名の司祭。

 その単語を聞いた瞬間に、先生の背筋に微かな緊張が走る。

 

「先生もご存知でしょう。無名の司祭、かつてこの地に在った「名もなき神」の信奉者達です」

 

 先生の脳裏にかつての戦いの記憶が浮かぶ。虚妄のサンクトゥム、色彩の嚮導者、アトラ・ハシースの箱舟。様々な脅威を用いてキヴォトスを終焉へと導かんとした、超自然的な次元に立つこの世界の敵。

 そんな連中が今回も関わっている、となれば、事態の逼迫度はまた一段と引き上げられたと考えるべきだ。

 

「黒服、君はどうしてその結論に?」

 

「私は、「何故ベアトリーチェは再びキヴォトスに現れる事ができたのか」という疑問を最初に考えていました」

 

 対話を愉しむような声色で、黒服は語り始める。

 

「ベアトリーチェは、他ならぬゲマトリア(われわれ)の手でキヴォトスから放逐されました。我が事ながら恐縮ですが、その際、我々にミスはなかったと考えています。曲がりなりにも「色彩」への対抗手段を用いたのですから、彼女が自力で再びキヴォトスの地に顕現することは不可能だった。これは確実です」

 

「でも、彼女は戻ってきた」

 

「ええ。その時点で、ほぼ第三者の介入があった事は疑いようがありません。加えて、彼女はゲマトリアの記録や技術にもない「黒剣」を携えてこのキヴォトスに再臨した。この時点で、私は「司祭」達による干渉という可能性を考えていましたが──変貌した彼女の姿を見て、推測は確信へと変わりました」

 

 黒服は手元の携帯端末を用いて、どこから手に入れたのか風紀委員会の資料を表示してみせた。

 そこに表示されているのは、件のベアトリーチェの姿だ。巨大な「塔」に身体を貫かれているかのような歪な全体像が、ドローンによる撮影によって3Dモデルとして立体化されている。

 やはり全体のシルエットは蜘蛛か蠍に近しい。だがそれ以上に不穏であり、生徒たちを苦しめている要因が、その3Dモデルにはハッキリと表示されていた。

 ベアトリーチェの全身をくまなく覆い隠した、鏡面のように光を反射する漆黒の壁。

 そこに指を這わせ、黒服はニヤリと笑う。

 

「これです。彼女の体躯を覆う漆黒の障壁。あらゆる攻撃を無効化するこの障壁を、先生はかつて目にしたことがあるはずです」

 

 その言葉に、先生は瞳を閉じる。

 脳裏には天空に佇む漆黒の黒点が思い起こされていた。かつて生徒と先生の前に立ち塞がった「箱舟」が展開していた、あらゆる干渉を寄せ付けない最強の防壁。

 

「やはり、多次元解釈(・・・・・)なんだね?」

 

 その名前を出して、先生は納得したように顎を撫でた。

 かつてこのキヴォトスを滅ぼさんとした「箱舟」は、多次元解釈と呼ばれる防壁を展開してその身を守っていた。それらの技術を生み出したのも、やはり無名の司祭達であったはずだ。

 黒服の言葉通り、ベアトリーチェが司祭達からの干渉を受けて変貌したならば、箱舟と同じ障壁を纏っていることにも納得がいく。

 

「仰る通りです。多次元解釈制御……数多の並行世界を重ねて「状態の共存」を生み出し、あらゆる干渉を弾く壁とする無敵の障壁。加えて、キヴォトスの神秘を鏖殺することを可能とする「黒剣」。こんなものを与えられるものは、あの司祭達をおいて他に存在しません」

 

「彼らの目的は、このキヴォトスに存在する生徒達の抹殺。キヴォトスを放逐されたベアトリーチェは、その悲願を叶える尖兵とするのにちょうどいい存在だった……と」

 

「ええ。故に、彼らはベアトリーチェに力を与え、再びこの地へと送り込んだ。ですが、当の司祭たちが残した遺物を振るう生徒の存在までは想定外だったのでしょう。計画を破綻させられた彼らは、プランを変更した」

 

「ベアトリーチェによって色彩を再来させるのではなく、ベアトリーチェそのものを色彩に並ぶ脅威にしてしまえばいい。最初から司祭達は、ベアトリーチェが失敗した時のための第二策を用意していたのか」

 

 先生は瞳を細めて、資料にあるベアトリーチェの威容を観察した。

 彼女の巨体を貫く尖塔のような何か。これまでの推論が正しいのであれば、その正体はかつてキヴォトスに飛来した「虚妄のサンクトゥムタワー」に近しいものなのだろう。

 色彩が到来していない以上、かつて確認された精神へ干渉する光こそ発せられていないが──その不気味なシルエットは、かつての戦いを思い起こさせるには十分だ。

 

「恐らく、司祭たちはベアトリーチェに「反転現象」を発生させたのでしょう。先生もご存知でしょうが、反転現象とは生徒達の「神秘」が相反する「恐怖」へと裏返る現象です。元より神秘を持たないベアトリーチェは、本来反転などしないはずですが……」

 

「彼女は例外だ、と言いたいんだろう。あの一件があったからね」

 

「ええ。彼女は己を「崇高」へと到達させるため、かつてロイヤルブラッドの神秘を吸い上げていた。だからこそ、曲がりなりにも神秘をその身に宿していたのです。故に、不完全ながらも反転することができた」

 

 かつてのベアトリーチェは、己が「崇高」に到達することを目論み、アリウスの秤アツコを贄としてその神秘を吸い上げる儀式を行っていた。

 先生とスクワッドの活躍により計画は頓挫したが、その際にベアトリーチェが獲得した神秘がまだ残存していたとすれば、彼女が反転現象を引き起こせた事も説明できる。

 

「もっとも──その代償は大きかった。多次元解釈制御を始めとする力と引き換えに、彼女は最低限の理性すらも喪失してしまったようです。アレはもう、無秩序に膨張しながら世界を崩壊させるだけの生きた災厄でしかありません」

 

「発端となった存在がベアトリーチェであっても、体躯は変わり果て、理性すらも失った以上、あれを最早ベアトリーチェと呼んでいいのかも分からない。本当に、彼女は意思なき災厄へと成り果ててしまったんだね……」

 

「ええ。しかし残念ながら、アレは未だ幼体に過ぎません。私の推測が正しければ、現段階で二割(・・)の規模出力といったところでしょうか。本来「反転」出来ぬものを反転させた結果なのか、完全な災厄へと至るのに手間取っているようですね」

 

 黒服の提示した目算に、先生は思わず眉間に皺を寄せた。

 現状、風紀委員会及び正義実現委員会を始めとした連合組織が総力をあげて戦いに挑んでいるが、それでも「歩みを遅らせる」のがやっとの状態なのだ。

 だというのに、あの怪物は未だ本調子ですらないというのか──、

 

「時間は残されていませんよ、先生。アレが成長を完遂し、羽化を終えてこのキヴォトスに羽ばたいた時……それは、世界の終焉を意味するでしょう」

 

 先生はタブレット端末を取り出し、その画面に指を這わせた。

 シッテムの箱。このキヴォトス有数のオーパーツであり、先生にしか扱えないとされる謎多き神秘の箱である。

 

「状況は理解した。あとはあの怪物をどうやって倒すか、だ。黒服──チハヤを単身で動かせたのは、君が秘密裏に対抗策を用意するためだった筈だ。その「策」とやらの準備は?」

 

「無論、問題なく。この状況も想定の範囲内ではあります。私はゲマトリアの遺産を用い、ベアトリーチェ再封印の用意を整えました。この策が通じれば、司祭たちの干渉も許さず、彼女を今度こそ次元の彼方へと放逐できるでしょう。ですが、残念ながらその策を実現させるだけの戦力までは持ち合わせていない」

 

「つまり、その「策」とやらを実行に移すためには、私たちでベアトリーチェを追い込む必要がある訳だね?」

 

 封印といっても、黒服一人であの規模の怪物を抑え込む事が不可能であろうことは先生も理解していた。何らかの手段を用いてベアトリーチェを攻撃し、追い詰めて弱体化させた果てに、ようやく再封印の目処が立ってくると考えるのが妥当だ。

 つまり、するべき事は単純明快である。

 協力に応じてくれた生徒達の力を借りて、ベアトリーチェという災厄を打ち倒す。とはいえ、事が困難を極めるのは間違いない。

 

「戦力は十分に揃ってる。けれど、やはりあの「多次元解釈」を形成する障壁が厄介だ。これまで戦って、ベアトリーチェがその身をくまなくあの障壁で覆っている事は判明してる。アレをどうにかしない限り、ベアトリーチェは止められない」

 

 かつての戦いにおいて同じ障壁が立ち塞がった際は、「名もなき神々の王女」であるアリスが「ウトナピシュティムの本船」の力を借りて、障壁を真正面から突き破った。

 だが今や、ウトナピシュティムの本船という超兵器は存在しない。

 あの障壁は、この世界の常識や法則から大きく外れた技術だ。それに対抗するためには、同じく超常の力を有する兵器でなければならない。

 

「疑問を抱く余地はないはずです、先生」

 

 その遠回りな思考を読んだのか、黒服が傍でニヤリと呟いた。

 

「先生は、もう既にその手段をご存知のはず。だというのに──貴方は、何を恐れているのですか?」

 

 

 作戦本部を私が訪れ、行政官のアコに声をかけてから数分後。

 私は本部とはまた別の天幕に移され、やたらと高級そうなソファに腰掛けてソワソワと周囲を見回していた。

 天幕はゲヘナのものだが、中に設けられた調度品はトリニティのものらしい。目の前にはティーカップに注がれた紅茶が用意されているが、流石にスコーン等のお菓子までは置かれていない。

 いやまあ、今の時刻が夜の0時過ぎであることを考えれば当たり前なのだが。

 

「──お待たせしました、チハヤさん」

 

 私が天幕の入り口を振り返ると、やや髪を乱したアコが中に入ってくるところだった。

 

「い、忙しいところすみません。作戦本部でのお仕事は大丈夫なんですか?」

 

「お構いなく。先生の不在により私が指揮を取っていましたが、今はティーパーティーのナギサさんが代役を務めて下さっています」

 

 彼女は作戦本部に現れた私を見て、多忙な身でありながら状況説明の時間を設けてくれた。

 私がぺこりと頭を下げる中、アコは対面の椅子に腰掛ける。

 

「さて……どこからお話しすべきでしょうね。ひとまず、八重垣チハヤさん。あなたの潔白は示され、容疑は冤罪であったことが認められました。無用な戦いを起こしてしまったこと、お詫びさせてください」

 

 そう言われて、私はほっと胸を撫で下ろした。

 いや、先生が目を覚ました以上そうなるのは明らかで、美食研究会や給食部とのやり取りからも私の冤罪が晴れたことは明らかだったのだが、それでもアコのように立場ある人間が明言してくれたことは安心に繋がる。

 

「こんな場ではなく、しっかりした場所で謝罪したいところですが……現状、あまり余裕がありません。申し訳ありませんが、ミフユさんへの公式な謝罪はまた後ほどにさせてください」

 

「い、いえ、そんな。あなた達は指名手配犯を捕まえるというあなた達の仕事を遂行しただけですし、あの状況では当然のことです。それより、先生は目を覚まされたんですよね?」

 

「……ええ。百鬼夜行の病院で目を覚まされた先生は、まず百鬼夜行の陰陽部に事情を伝えました。そこから我々風紀委員会、および正義実現委員会に情報が入り、先生は二組織の協力を仰いであなた方の救出に動いたという訳です」

 

 加えて朗報である。正直なところ、私の処遇よりも先生の安否の方が気になっていた部分はあった。

 他ならぬ先生に助けられたとはいえ、私は心のどこかで、誰かに先生の無事を明言してもらいたかったのだろう。

 

「なるほど。事情は分かりましたが、よく私たちを追ってアリウス自治区にまで来ることができましたね?」

 

「それに関しては……チハヤさん、あなたは「ベアトリーチェ」という人物が犯人であると主張していましたよね。それが功を奏したんです」

 

「私の主張が……?」

 

 記憶を呼び覚まして、ゲヘナの風紀委員長と交戦した時のことを(あまり思い出したくないけれど)思い返す。

 確かに私は、相対した空崎ヒナに黒幕たるベアトリーチェの存在を伝えた。だが、それでは逃亡を続ける理由が説明できないということで、彼女の説得には失敗したと記憶している。

 

「あなたが委員長にベアトリーチェの存在を伝えた後、我々は諜報部を用いて彼女について調べました。エデン条約の争乱の裏で糸を引いていた張本人にして、先生を襲う動機を十分に有する危険人物。我々ですら把握しきれていなかったその存在をチハヤさんが知っている時点で、黒幕の存在はほぼ確定したようなものでした。嘘にしては、あまりに真をついていますからね」

 

「つまり……風紀委員長は、私の根拠も何もない主張を信じてくれたと……?」

 

「委員長は寛大な方ですから。そもそも最初から、委員長はチハヤさんの冤罪を疑っていましたしね」

 

 それを聞いて、思わず口端が緩んだ。

 圧倒的な戦闘力を有するゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナ。彼女を私のような未熟者が単身で突破できたことには疑問を感じていたが、アコの説明を聞いて合点がいった。

 風紀委員長であるヒナは、その立場故に戦いから逃げられない身だ。その上で、彼女は彼女なりに出来る範囲で最大限の譲歩をしてくれていたのだろう。

 

「ふふ、ヒナ委員長の寛大なお心があなたにも理解できたようで何よりです。そして、先生が目覚められた後の動向に話を戻しますが……先生は意識を取り戻されて早々、ベアトリーチェの存在を告発しました」

 

「そして、あなた達に協力を求めたと」

 

「正確には逆ですね。我々は今回の事件におけるベアトリーチェの存在をほぼ確定させ、戦闘準備を整えてはいましたが、戦力を動員するに足る確実な証拠までは掴めていなかった。それを確実なものにする先生の主張が得られたことで、我々の方から協力を申し出たんです。そして、状況はほぼトリニティ側も同じだった」

 

「トリニティが?」

 

「どうやら正義実現委員会とティーパーティーがベアトリーチェの存在を認識し、水面下で他組織の説得に動いていたようです。そして我々と同じく、先生の主張という証拠が提示されたことで、公に行動する事が可能になった」

 

 その言葉に少し驚いた。

 確かに私は風紀委員長と同様、正義実現委員会のイチカと、ティーパーティーの三人にベアトリーチェの存在を伝えてはいた。とはいえ、イチカとは結局のところ戦闘を避けられず、ナギサは立場上の問題で介入するのが困難という話だったはずだ。

 だが、二人は戦いの後も私の知らないところで奔走し、真の黒幕たるベアトリーチェを倒そうとトリニティ全体を動かしていたのだろう。ヒナと同様、彼女らもまた私の言葉を信じてくれていたのだ。

 そして、先生が迅速にアリウス自治区へと駆けつける事ができた事へも納得がいった。ゲヘナ、トリニティの両校は最初から戦闘準備を終わらせていて、あとは確実な証拠さえあれば行動できるという状態にまで戦力を整えていたわけだ。どちらかが戦闘準備に時間をかけていれば、私もミフユもあそこで救助されることなく死んでいたかもしれない。

 

「……改めて、色々な人に助けられましたね。私」

 

「お人よしですね、あなたは。チハヤさんは助けられた以上に、この戦いの中で多くの傷を負ったはずです。感謝どころか恨み言を述べても許される立場だと思いますが?」

 

「それは各々がするべき事をした結果ですし、だいたい悪いのはベアトリーチェですし……」

 

 苦笑しながら呟きながら、私はさっきから会話に登場しつつも姿が見えない先生のことに思い至った。

 

「そういえば……さっき先生は不在と言っていましたが、いま先生はどこに?」

 

「それが私にも分からないんですよっ。さきほど「少し席を外すからその間は任せた」だなんて言い残して消えてしまいました。まったくこんな時に、せめて何処に行ったかくらい伝えておいてほしいものです」

 

 頭の先から立ち上る湯気を幻視してしまう感じで、アコはぷんぷんと怒りを露わにしている。

 まあ先生のことだから、きっと何か事情があって席を外しているのだろう。それまでに私がしておくべきは、状況を把握して、自分のするべきことを明白にすることだ。

 

「ここまでの経緯も理解できましたし、先生についても分かりました。後は過去の話ではなく、現状について教えてください。アコ、戦況はどんな具合なんですか?」

 

 その言葉に、アコは「まさか」とでも言いたげなふうに瞳を見開いた。

 それはそうだろう。私はついさっきまで昏睡していた怪我人で、彼女は最初から私を戦力になど数えていないだろうし。

 それでも私の真剣な瞳に何かを察してくれたのか、彼女は深く息を吐いた。

 

「ベアトリーチェ……標的は、現在ここから三〇キロメートル東の荒野をゆっくりと南下しています。恐らく、ゲヘナ自治区かトリニティ自治区を目指しているものと思われますが」

 

 彼女はタブレット端末を起動し、ドローン撮影とおぼしき現地の映像をこちらに示した。見れば、そこにはかつて見た蜘蛛か蠍じみた怪物が荒野を進んでいるのが見える。

 だが──そのあんまりな大きさに、私は思わず驚嘆の声を漏らした。

 私が至聖所でその姿を見た時は、せいぜい一軒家程度の大きさしかなかったはずだ。それが今や、その十倍はあろうという巨体にまで成長しているではないか。 

 そんな中、進軍するベアトリーチェに一直線の轍を刻むように爆発が巻き起こった。榴弾砲か爆撃でも撃ち込んだのか、携帯火器では実現できない大火力のつるべ打ちだ。轟音と共に白煙が満ちて、その巨体を覆い尽くす。

 しかし。その煙を裂いて悠然と姿を見せたベアトリーチェには、一切の損傷が見られなかった。

 

「攻撃が……効いて、いない?」

 

「お察しの通りです、チハヤさん。我々は何度か攻撃を仕掛けていますが、標的の歩みを止めるには至っていません。奴の「膜」が、あらゆる干渉を防いでいるんです」

 

 そう言われてよく画面を見ると、確かにベアトリーチェはその体躯を黒々とした何かで覆っている。あの巨体に纏わりつく「膜」とやらが、攻撃を無力化している要因なのか。

 どうやらそれがアコにとっても頭痛の種らしく、彼女は神経質にこめかみを抑えていた。

 

「加えて……あの怪物は、キヴォトス中から配下となる機械の怪物を呼び寄せているようです。現在までに1000を超える数の敵を撃破しましたが、増援が尽きる気配はありません」

 

「本体は無敵なうえ、無尽蔵の兵力まで……」

 

 アコが頭を痛めるのも納得の敵だ。

 いくらここに集まった兵力が十分なものでも、その物資には限りがある。そして物資に限りがある以上、無尽蔵の敵と無敵の親玉を打倒するのは不可能だ。

 

「現状、あの「膜」を突破する方法を探しつつ、周囲の雑魚を間引くくらいの対策しか取れていません。このままでは……」

 

 と、天幕の外からこちらに向かう足音が聞こえてきた。

 思わず私とアコが入り口を見やると、ぬっ、と大きな影が身を屈めて入ってくる。

 

「アコ、いる!?」

 

「「先生!」」

 

 天幕の中に入ってきた人物は、意識を失う寸前に見た以来の先生だった。

 思わず反射的に立ち上がってから、ズキリと派手に傷んだお腹を抑えて変な声を漏らす。先生のほうは私がいることが予想外だったのか、驚きの表情を浮かべて固まった。

 そんな先生の元にフラフラと歩み寄って、その存在を確かめるようにぺたぺたと両手で触れる。

 大丈夫──やっぱり、先生は生きている。

 あの日ベアトリーチェに先生が斬られて以来、ずっと胸の奥底に残っていた不安がようやく完全に取り除かれたのを感じて、私は思わず呟いた。

 

「先生……よく……ご無事で……っ」

 

 目の奥から溢れたものを誤魔化すために、私は先生の胸に頭を押しつけた。

 肩を震わせる私の頭に、大きな手のひらが乗っかるのを感じる。そのまま先生は落ち着かせるように、私の頭を撫でてくれた。

 どれほどの時間そうしていたのか──たぶん一分にも満たない沈黙の後、私は自ら先生から離れ、改めてその顔を見やった。

 

「……ごめんね、チハヤ。君には色々と迷惑をかけてしまった。私が昏睡していた間、チハヤがどれだけ苦しい戦いを続けてきたのかは聞いてるよ」

 

「そ、そんなの……別に謝る必要なんて!」

 

「ううん、ここは謝らせて欲しい。本当に、ごめん」

 

 先生が深く頭を下げたのを見て、私はアワアワと制止しようとした。私は常々先生を守れなかったことを謝りたいと思っていたので、逆に謝られることは予想していなかったのだ。

 けれどその姿を前に、逆に頭を下げるなんてことは出来なかった。

 先生が謝罪を終えたあとも何を言っていいか分からず、私は必死で頭を回してから、先生がアコを探してここに来たであろうことを思い出した。

 

「そ、そうでした。アコを探されていたようですが、先生はどういった目的でここに?」

 

「────────、」

 

 そう尋ねると、何かを思い出したように先生は無言で私のことをじっと見つめた。

 思わずその視線に頬が赤くなりかけたが、先生の瞳は真剣だ。包帯やガーゼまみれの手足、汚れて瘡蓋だらけの肌を上から下までザッと眺めて、先生は思わずといった具合で目を伏せた。

 その行動の意図が掴めず、私は思わず首を捻る。

 

「いや、なんでもないんだ。チハヤが無事でよかった。落ち着いた話は、この戦いが終わった後に改めてゆっくりさせて欲しい」

 

「は、はあ」

 

 違和感を覚えたままの私を置いて、先生はアコの方に振り返った。

 

「アコ、色々と情報を手に入れてきたから作戦を立て直したい。皆を一度集めてくれるかな」

 

「ええ、そうだろうと考えていました。何も成果なしに帰ってたらどうしようかと思いましたよ。前線の生徒も全て呼び戻しますが、構いませんね?」

 

 まるで何かの考えを改めたように、先生はテキパキとアコに指示を出す。

 私がこの天幕を訪れた理由は、行政官から状況説明を受けるためだけではない。その上で、この作戦を指揮する先生に一つの提案をするためにここに来たのだ。けれど──、

 

「先生……?」

 

 先生の瞳はどこか、私が何かを言うことを忌避しているかのようにも思えて、私は思わず言葉を飲み込んでいたのだった。

 

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