「みんな席に着いてくれ。HRを始めるぞ」
同期の4人と別れたオレは、およそ7年ぶりに1ーDと書かれた扉を開けた。教卓へ向かいながら、然り気無く周囲の状況を確認する。取り敢えず、問題なし・・・
いや、女子生徒たちの反応が若干おかしいな。じっと凝視してくる者や、露骨に目を逸らして俯く者。ちらちらと、窺うような視線を向けてくる者も居る。それに、みな一様に顔が赤い。今日はそれほど気温が高いわけでもないし、空調も正常なのにどうしたんだ?やはり彼女たちも緊張しているのだろうか。
一方、男子生徒からは、反感に満ちた眼差しが降り注いで来る。第一印象で拒否られた・・・?なぜだ?!
高校時代のオレならば、こんな状況など歯牙にもかけなかっただろう。他人からの評価なんて、所詮は相対的な物差しでしかない。全ては自分次第。他人はみな道具。最後にオレが勝っていれば、それでいい・・・本気でそう思っていた。
それが、いまやどうだ。彼ら彼女らの反応を気に掛けて、自らに瑕疵が無いかと動揺する始末。普通の人間としては無論、これが自然な心の動きなのだと理解はしているのだが・・・
どうにも感情というものを知って以来、自分自身がどんどん凡人への坂道を転がり落ちてゆくように思われてならない。でも、それで良いのだろう。ホワイトルームで得られなかったものを手にすることで、初めてオレはスタートラインに立てる気がするのだ。
しかし、 残念ながらいまはそんな自己分析をしている暇はない。すでに賽は投げられたのである。いかに頼りない新人とは言え、目の前の新入生たちにとって、オレは担任教師なのだから。
「おはよう諸君。入学おめでとう。オレはクラス担任の綾小路清隆だ。教師としては君らと同じく新入生だが、宜しく頼む。担当教科は世界史だ。状況によっては、女子の保健体育を除く全教科も受け持つことになっている。また、この学校にクラス替えは無いから、3年間、みんなと共に歩んで行きたいと思う」
ふぅ・・・事無かれ主義だったオレも、いまではこの程度の演技なら、問題なくこなせるようになった。騒がしかった生徒たちも、神妙な顔付きで耳を傾けている。少なくとも、かつてのオレたちよりは、まともらしい・・・
え?あぁ、担当教科の件か。便宜上、世界史を受け持つことにはなったが、大学院レベルの学力・知識を持つオレを活かすには、全教科担当という荒業が妥当、と坂柳理事長が判断したのだ。さすがに女子の保健体育だけは固辞したが。
「さて次に、君たちの日常生活についてだが、手元の端末を開いてほしい・・・」
いよいよSシステムの説明だ。この部分は、現在の坂柳体制になってから、かなり手が加えられたと聞いている。
「・・・見ての通り、君たちには既に10万ポイントが付与されている。使い道に制限はない。学校内に存在するあらゆるものを、そのポイントで購入することができるんだ。また、このポイントは毎月1日に、当月分が振り込まれることになっているぞ」
「うそ!?それって凄くない?」
「やったぜ!!」
生徒たちの反応は、まるであの日の自分たちを見ているかのようだった。やはり、高校生になったばかりの雛鳥が真実を見抜くのは、少々難しいか・・・
「ポイント支給額の多さに驚いた者も居ると思う。だが、この学校は実力で生徒を測る。つまり現時点では、君たちにそれだけの価値と可能性があると言うことだ・・・」
あくまでも現時点で、だがな・・・
そしてその後も、滞りなく説明は進み・・・
「・・・以上だ。そして最後に、この歌を諸君へ贈ろうと思う」
Sシステムのレクチャーでいちばん変わったのは、ここだろう。オレたち4人の新任教師は、まず歌唱力を試されることになるのだ。小さく深呼吸すると、オレは口を開いた。
♪ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ。豆が欲しいか、でも上げない。世の中そんなに甘くない♪
「???」
当然の如く、疑問符を浮かべる生徒たち。まあ、入学初日に担任が突然歌い始めたら、誰でもそうなるだろうな。もちろん、二次小説を読み慣れた賢明な読者諸兄なら、この場違いな替え歌の真意にお気付きだろうが。ん?オレはいま、誰に向かって喋っているんだ?
「素敵・・・」
「替え歌でも超イケてるじゃん・・・」
「なかなか
あちこちで上がる称賛の声。なぜだ?オレはただ、原曲通りの音階を忠実に再現しただけなのだが・・・どうやらこのクラスは、音楽的センスが壊滅的らしい。合唱祭など音楽系の特別試験では、苦戦を強いられそうだな。(ピント外れ)
さて、女子生徒たちが何やらアイコンタクトをとり始めている。恐らく、長過ぎるHRに飽きたのだろう。そろそろ切り上げ時か・・・
「じゃあ、入学式は1時間後だ。遅れるなよ」
そう言って退出しようとしたのだが、次の瞬間、連携した女子たちに取り囲まれてしまった。いわゆる全包囲態勢である。しかも、圧が凄い。
「なっ?!」
これはいったい、どういうことだ??早くも新人教師を潰しにかかったのか?(被害妄想)
「綾小路先生!連絡先交換しよ?!」
ふぅ、そういうことか・・・早速絡んでくる生徒たち。どうやら掴みは上々のようだが、どうして女子ばかりなんだろう?
「オレの連絡先なら、すでにみんなの端末へ入っているぞ」
当然ながら、クラス担任の電話番号とメールアドレスは、受け持った生徒全員のスマホにプレインストールされている。つまり、オレにはすでに40人の友達が・・・いや、違うな。個人的な連絡先は、まだひとつも入っていない。(泣)
「ううん、違う。先生のプライベート端末の方だよ」
絶対突破不能な包囲網の中から、特に距離感がおかしいひとりの少女が突出し、ぐいぐい迫ってくる。名前は・・・櫛田すみれ。何を隠そう、あの櫛田の妹である。このDクラスが抱える、ひとつめの不発弾だ。見てくれは、まさしくかつての櫛田桔梗そのもの。双子と言われても誰ひとり、疑う者は居ないだろう。姉以上のあざとさで、早くも担任教師のオレに取り入ろうというわけか・・・だがしかし、詰めが甘いな。
「あ!ズルい!じゃあアタシも!」
「わ、私も教えて欲しいです・・・」
ほら見たことか。
「連絡先なんて、ひとつあれば充分だろう。それよりも、入学式が始まるまでに、もっとやることがあるんじゃないのか?」
それとなく、自己紹介タイムへと誘導を試みたのだが・・・
「おはよう。失礼するわよ」
澄んだ声に続いて開く扉と、美人教師の登場に色めき立つ男子生徒・・・って、なんでお前がそこに居る?
「何の用だ?堀北・・・先生。Aクラスの方は、もういいのか?」
危うく呼び捨てしそうになり、何とか態度を取り繕う。職場の同僚が同級生だと、こういう時に却って気を遣うな・・・対する彼女は、女生徒に囲まれたオレを見て、僅かに眉根を寄せた。
「ええ、HRはとっくに終わらせたわ。単に様子を見に来ただけよ」
おい!生徒の前だぞ、堀北。その不機嫌オーラをいますぐ何とかしろ。
口には出せない思いを飲み込みつつ、オレは極力自然な感じで会話を繋ごうとした。しかし・・・
「ね、姉さん・・・」
その流れを遮ったのは、Dクラスふたつめの不発弾、堀北琴音だった。そう、改めて言うまでもなく、
「え?どゆこと?」
「うそ?まさか実の姉妹とか?」
困惑するクラスメートたち。まあ、確かにレアケースではあるのだろうが・・・さあ、どうするんだ?
「元気そうで何よりだわ、琴音。私の前ではやり辛いところもあるだろうけど、貴女の学園生活なのだから、いつも通りの実力を示して頑張りなさい。みんなも彼女のこと、宜しくお願いするわね」
教師らしい毅然とした態度はそのままに、柔らかな微笑を浮かべて話す堀北姉さん。その笑顔に、男子の大半は一瞬で堕ちたようだ・・・単純な生き物だな。これで勘違いした輩どもが告白でもしようものなら、大型コンパスでまとめて串団子にされるだろう。(通報案件)
それに、いまの長いセリフも、まぁ及第点か。姉としての想いと、教師としての立場を巧く絡めた物言いだ。さすがは元Aクラスリーダーにして、生徒会長を務めただけのことはある。かつての入学当初を思えば、その成長ぶりは恐るべきものだ。
「はい!もちろんです、堀北先生。琴音ちゃんも宜しくね?」
そしてもうひとり、違う意味合いで恐るべき存在が、絶妙なタイミングで割り込んできた。櫛田すみれだ。
「こんなに美人なお姉さんが居たなんて、聞いてなかったぞ?あとでお姉さん・・・じゃなかった。堀北先生の秘密、詳しく教えてね!約束だよ?」
やはり巧いな。内心オレは舌を巻いた。本校の教師を姉に持つ時点で、堀北琴音が周囲から反感を買う可能性は極めて高い。高校生にとって、体制側の代表である教師とは、やはり敵視すべき存在なのである。ゆえに、その家族もまた、攻撃対象になり得るのだ。下手をすれば、いじめにまで発展しかねない。
櫛田すみれは敢えてその事実に触れつつ、一方で堀北琴音を名前呼びして仲間扱いすることで、彼女にヘイトが集まる事態を未然に防いでみせた・・・先月まで中学生だった少女の成せる業とは思えない。諸刃の剣ではあるが、やはりAクラスを目指す上で欠かせないピースだ。
櫛田妹の有用性を再確認したところで、今度こそオレは切り上げることにした。これ以上、生徒たちの時間を奪うべきではない。
「わざわざ様子を見に来てくれたのか。済まなかったな、堀北先生」
いまの鈴音なら、間違いなくこちらの意図に気付いて会話に加わるはずだ。ところが・・・
「え?!ベ、別に綾小路く・・・先生の様子を見に来たわけじゃないんだからね!」
なっ??ここでいきなりツンデレ?!せっかくの高評価が台無しだぞ。しかも若干、キャラ崩壊してないか?そして周りには、多感な女子高生たち。何も起こらないはずもなく・・・
「先生たちって仲良いね!まさか・・・付き合ってるとか?」
満面の笑みで問う櫛田すみれ。ただし、目だけ笑っていない。はぁ・・・やはりこうなるな。
そのひと言に、纏う空気を一変させる女子生徒の集団。溢れんばかりの興味を伴った視線が集中する。だが、問題ない。この年頃の女子とはそういうものだ。オレだって色々と学んできている。ここは年長者として、軽妙な駄洒落でやり過ごせばいい。
「いや、付き合ってはいないぞ。オレたちは高校の同期でな。互いにすずのん、きよぽんと呼び合う仲だ」
「「「は?」」」
しかしその瞬間、場の空気が更に一変した。女生徒たちからオレへ向けられる感情は、衝撃、諦め、悲しみ。ん?渾身のネタがウケていない、だと?更には鈴音へ明確な殺気を飛ばす女生徒もいる・・・は?殺気だと??!
しかも鈴音は鈴音で、なぜだか頬を膨らませて不満げな様子。まるで、あざとくない星之宮先生みたいだ。あれ?それってもはや、星之宮先生とは言えないか・・・(大混乱)
「ふははははは!実に醜い姿だねぇ。朝からこんなものを見せられたら、私は一体どうなってしまうのやら・・・さて、どう収拾をつけるつもりなのかな?きよぽんティーチャー」
カオスの中に響くこの高笑いは、高円寺
「私は高円寺転助。将来の我が国を背負って立つ
堀北琴音、櫛田すみれ、そして高円寺転助。暴発必至の危険すぎる秘密兵器を抱えて、新人のオレにいったいどうしろと言うのです?坂柳理事長。
「あら、なにやら楽しそうですね、綾小路先生?」
と、再びの美人教師参上に、またもやどよめく男子諸君。今度現れたのは椎名だった・・・もう、どうにでもしてくれ。
「ひより。なんでもないから、取り敢えずBクラスに戻っ・・・たうわっ?!」
し、しまった!高校時代の習慣で、つい下の名前を・・・終わったな、オレ。
「きゃー!!( ☆∀☆)いきなり名前呼び?!」
「修羅場だわ!」
「二股疑惑、キマシタワ~!!」
「ふはははは!これは実に傑作だ!発射する前に自爆とは、なんとも締まらないイケメンティーチャーだねぇ」
「イケメン滅べ、イケメン滅べ、イケメン滅べ・・・」ブツブツ
もはや収拾がつかなくなったDクラス。なぜだ?教育心理学で修士号まで取得したこのオレが、どこでミスったのだろう?こうなったらもう、戦略的撤退あるのみだ。
「じゃあ、みんな入学式まで有意義な時間を過ごしてくれ・・・ほら行くぞ、堀北先生と・・・椎名先生」
「うん!またあとでね、きよぽん先生!ひより先生!あと・・・堀北先生も!」
背後から聞こえる櫛田の黄色い声に送られて、オレは実力至上主義の教室をあとにした。ていうか、そこは『すずのん先生』だろ・・・
あ、あとひとつ付け加えておくが、オレに弟や妹は居ないからな。(フラグではない)
次回第5話:そして実力至上主義の教室へ