高専の五年生は任務もなく、本格的に術師として活動する前のモラトリアム。
禪院家に戻れば旅行の機会もないだろうからと私は適当に各地を巡ることにしました。
京都やその周辺は避けたかったのでまずは近場から……と思ったのですが。
「あらら……」
埼玉に入った途端、五十メートル前方に呪霊を発見。三級程度でしょうか。
それだけならいいのですが、何やら少年を追いかけている様子です。
見過ごすわけにもいきませんし、素早く周辺を見渡します。
通行人なし。監視カメラなし。これなら問題ないでしょう。
術式でサイレンサー付きの拳銃を作ると呪霊に向けて構えます。
すると、少年もこちらに気付いたらしく。
「あ、アンタ──」
「伏せてください」
少年が伏せたのを確認して呪霊の頭部に数発の弾丸を撃ち込むと、呪霊は塵となって消えていきました。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
追いかけられていた少年に近付いてケガがないか確かめます。
「ん……?」
顔を覗き込んで私は思わず固まりました。
何というか……覚えがある顔ですね。
「アンタ……何者?」
「ああ、私は禪院禰々と言います。アナタは?」
「伏黒恵……」
伏黒……記憶を辿ってみても呪術界では聞いたことのない名前です。
しかし、この顔は間違いなくあの人の……。
「なあ、アンタもあれ見えるのか?」
「見えますよ。というか私の仕事はあれに関わることですから。あの……不躾で申し訳ないんですが、伏黒君のお父様のお名前は?」
「伏黒甚爾だけど」
「あー……」
いや、もしかしたら空似の同名というだけかもしれません。
「口の右端に縦の傷が……」
「ある」
「筋肉はムキムキで……」
「ゴリラみたいな体してる」
「目付きの悪い……」
「悪いな」
「確実にあの人ですね……」
それにしても、あの甚爾さんが結婚して子供までいたとは。
しかし、今はとりあえず恵君のことを優先しましょう。
「また襲われるかもしれませんし、家まで送ります。立てますか?」
「ん」
特に足を挫いたということもないようですね。
そこから歩き出して家へ辿り着くまでの間に恵君は色々と話してくれました。
「なあ、アンタもアイツに貢いでたのか?」
「いえ、私は甚爾さんの遠縁ですよ。向こうは知らないでしょうけど」
同じ家で過ごしていても広すぎて会うことは滅多にありませんでしたし、そもそも人数が多すぎて知らない人がうろついているのも日常茶飯事でしたからね。
多分、私のことなんて名前も顔も知らないのではないでしょうか。
私が思案に耽っていると恵君が何か言いたげにこちらを見上げていました。
「どうかしましたか?」
「あのさ……さっきのが見えるなら、これ何かわかるか?」
そう言って恵君は両手を組み合わせると「玉犬」と唱えます。
すると影の中から現れたのは二匹の犬。
しかし、それは十秒ほどで溶けるように影に戻ってしまいます。まだ呪力の扱いが未熟なせいで式神の維持ができないんですね。
いや、それよりも──
「十種影法術……ですか。まさかの相伝とは……」
「とく……?」
「影を媒体にした十種の式神術……って言ってもわからないですよね。まあ、往来で出すと色々と面倒なので今は出さないでください」
職質でもされたら大事です。今、私の袖には先ほど使った拳銃が入っているのですから。
構築術式で作ったものは術式終了後も残り続けるのがメリットでもあり、デメリットでもあるんですよね。作った武器が嵩張って動きが鈍るときもありますし。
「ああ、今更ですが私が家に行っても大丈夫でしょうか?」
「アンタ、悪い人じゃないだろ。助けてくれたし」
世の中には恩を売って信用させてから悪事を働くような人もいるんですが。
「しかし、甚爾さんはともかく、ご家族にどう説明しましょう? さっきの恵君の発言からすると見えない方のようですし……不審者に襲われてたところを助けたということにでもします?」
「大丈夫。津美紀の母親はこの間ついに愛想尽かして出ていった。津美紀は日直の仕事で帰ってくるの遅い。親父は多分、競馬かパチンコ行ってる」
「ああ……」
中々複雑な家庭のようですね。あの甚爾さんがまともな家庭を築いているとは思っていませんでしたが。
そして、恵君の家にお邪魔して数十分後。
恵君に呪霊や呪力、術式のことを教えていたところで玄関のドアが開きました。
「帰ったぞ……あ?」
「お邪魔してます」
「……誰だ、オマエ」
私の顔を見た甚爾さんは明らかに警戒した表情で私のことを睨み付けてきます。
「分家筋の禪院禰々です。名乗ったところで覚えてないでしょうけど」
「何しにきやがった」
「恵君が呪霊に追われていたので念のためにここまで送ってきただけですよ。禪院家は関係ないです」
「ふん……まあ今更、刺客もクソもねぇだろうよ」
久しぶりに見ましたが凄まじい威圧感ですね。まるで野生の熊が目の前にいるような。いえ、どちらかというとゴリラでしょうか。
「それでは私はそろそろ……」
「待て」
あまり長居するのもよくないと立ち上がろうとしたところで、甚爾さんが私の前に立ち塞がってきました。
「おい、恵。ちょっと向こうの部屋行ってろ」
「ん」
恵君が部屋のドアを閉めたことを確認してから甚爾さんは私をジロリと見下ろします。
「何でしょうか?」
「オマエ、その制服来てるってことは高専に通ってるんだよな?」
「はい」
「
「そうですよ。あの家から離れたかったので」
「それじゃ次だ。五条悟と何か揉めたか?」
「入学初日に喧嘩売られましたよ。それ以来、ちょっとした小競り合いというか……多少ぶつかることはありますね」
「まさかとは思うが……高専のあちこちに罠仕掛けたりしたか?」
「ええ、まあ……色々と」
そこまで答えたところで甚爾さんの視線から逃げるように目を逸らします。
ああ、そうでした。この人、四年前の星漿体暗殺未遂の件で五条先輩用に仕掛けた罠に引っかかってましたね。
特にシュールストレミングは五感の鋭い甚爾さんにはよく効いたでしょう。
「テメェの仕業かよ……」
「まさか甚爾さんが来るなんて思ってなかったので。生きてるかどうかも知りませんでしたし」
「オマエのせいで手付けで三千万の大仕事がパァになったんだが?」
「私も五条先輩用に仕掛けたトラップを潰されたんですが?」
「オマエのクソみたいなトラップの代金と俺の報酬が釣り合うわけねぇだろうが。埋め合わせしてもらわねぇとなぁ?」
「……何をさせようっていうんですか」
「別に逃げる気なら逃げてみろよ。ちょうどチャカ持ってるみてぇだし、もしかしたら逃げ切れるかもしれねぇぜ?」
硝煙の臭いでバレバレですね。まあ、バレたところで使うつもりはないので大丈夫ですが。
立ち向かうのは自殺に等しいですし、逃げようにも五秒ともたないでしょう。トラップを仕込む隙もなさそうなので、ここは大人しく
「何がお望みです?」
「アイツに呪力の使い方を教えろ。オレにはできねぇからな。それで三千万の件はチャラにしてやる」
「……わかりましたよ。ただし、教えられるのは卒業までの一年間だけです。その後は禪院家に戻らなければならないので」
◆ ◆ ◆
「という感じで」
「マジかー……で、僕が引き継げって? せっかく目の上のたんこぶがなくなったと思ったのに……よりによってアイツと同じ顔とかさぁ……」
「
「そうなんだけど……」
五条先輩は渋い顔で腕を組んで唸っています。
やはり甚爾さんにやられたことはトラウマになっているようですね。
すると、恵君がクイクイと私の袖を引きました。
「俺、教えてもらうなら禰々さんがいい」
「えー……嘘でしょ。何で
「だってアンタ、親父に負けたんだろ?」
「はあっ!? 負けてねぇし!」
「五条先輩、口調が戻ってますよ」
子供ゆえの純粋さか、それともわざとか。的確に五条先輩の地雷を踏み抜く恵君。
「いいですか、恵君。確かにこの人は人間のクズな部分を人型に固めたような呪霊と比べても遜色ないほどの度しがたい性格をしていますが──」
「息をするように僕を罵倒すんのやめて?」
「それでも呪力の扱いは呪術師一なんですよ」
「そんなヤツが一番でこの業界大丈夫なのか?」
「君も中々コイツに染まってるね。アイツへの憂さ晴らしにボコっちゃおうかなー」
わしゃわしゃと頭を撫でてくる五条先輩の手を恵君は鬱陶しそうに払い除けています。
「今日は顔合わせだけのつもりでしたし、そろそろ帰りましょうか。私も禪院家に戻らなければいけませんから、今後の動きは甚爾さんと話し合ってください。これ、住所のメモです」
「アイツと会った瞬間に殺しにかかるかもよ?」
「そんなことはしないとわかってますから。五条先輩がその気になれば甚爾さんの住所なんてすぐに特定できたはずですし。それに甚爾さんを殺してあの人と同じにはなりたくないでしょう?」
同じにならないために五条先輩は教育という手段を選んだのですから。
「後、甚爾さんから伝言です。《リベンジ受けてやるつもりはねぇから一生その黒星引きずってろ》だそうです」
「ぐっ……あの野郎……!」
「では、確かに伝えましたよ。恵君、行きましょうか」
悔しそうな顔の五条先輩を尻目に私達は談話室を後にします。
「なあ……もし俺が禪院家にいけば禰々さんが稽古つけてくれた?」
駅まで送る途中で恵君がそう尋ねてきました。
たった一年で随分懐かれたものです。
「稽古どころか近付くことも難しいでしょうね。相伝持ちの次期当主候補と分家筋の女中では身分が違い過ぎます」
「何でそんなところ戻るんだよ」
「あー……まあ、それは大人の事情というか……」
暗に子供と言われたのが気に入らなかったのか恵君は少々不貞腐れた様子で視線を前に戻します。
「それに恵君が禪院家に入ってしまったら誰が津美紀さんを守るんですか?」
「それは……」
「大丈夫ですよ。あの人は実力だけは確かですから。私が教えるより強くなることは確実です」
「他はダメってことか」
「……ノーコメントで」