保健室のドアが開いたので家入が視線を向ければ、そこに立っていたのはいつも以上に顔が青白い五条。
「お疲れサマンサー……ごめん、ブドウ糖の点滴一本お願い」
「またか。最近働き過ぎだ。食事も睡眠もろくにとってないだろ」
家入の呆れた視線には気付かないふりをして五条は空いているベッドに倒れ込む。
六眼による緻密な呪力操作で呪力切れを起こすことはない五条だが、体力はそうはいかない。
「上の連中さぁ……ことあるごとに僕を呼び出して同じようなこと何回も繰り返し喚き立ててきてマジで嫌になるよ。こっちはオマエらが押し付けてきた任務で休む間もなく西へ東へ飛び回ってるのに」
「オマエは昔から上とは反りが合わないからな。交渉役の秘書でも雇えばいいんじゃないか? スケジュールもちゃんと立ててもらえば少しはマシになるだろ」
「信用できないヤツにスケジュールの管理は任せたくないんだけど」
隙あらば……という連中はどこにでもいる。
伝えられたスケジュール通りに動いていたら、五条がいない間に好き放題されていた──なんて洒落にならない。
「授業と恵の指導もあるし……まさか仲間を育てるってことがこんなに大変だと思わなかった」
「オマエの隣に並び立てるようなヤツがそう簡単に育つわけないだろ。オマエなら上層部を皆殺しにするほうが簡単じゃないのか?」
「まーね。でも、それじゃ後釜に同じようなヤツが入って何も変わらない。それに……傑と同じことするわけにはいかないから」
「へぇ……五条が学習能力を得るとは思わなかった」
「僕を何だと思ってんの」
「クズだろ」
「ひどっ」
「ほら、針刺すから術式解きなよ」
「ん」
そうやって話している間にも家入は手際よく点滴の準備を終えていた。
「一時間で終わる。少し寝てろ」
「何か話しててよ。落ち着かないし」
「面倒なんだけど」
「えー……患者には優しくしてよ」
五条の言葉に家入は本当に渋々というようにベッドの脇に椅子を移動させる。
記入しかけのカルテを手に椅子に座った家入は少し考えた。
何か話してくれとは言われたが、こういう場合は何を話すべきなのか。
しばらく考えた後、家入は「ああ、そうだ」と呟いた。
「五条、前に《僕が救えるのは他人に救われる準備があるやつだけだ》とか言ってたな」
「ああ……言ったけど。それが?」
「なら、まずは一人助けてやれ」
「あ? 誰のこと?」
「禰々だよ」
「はぁ?」
「おい、急に動くな。点滴が外れる」
何を言ってると言わんばかりに起き上がりかけた五条の肩を押さえてベッドに戻す家入。
「で、アイツが何だって?」
「禰々の卒業祝いに二人で飲んだんだ。酔いと眠気と最後の飲み会ってことで普段より気が緩んだんだろうな。色々話してくれたよ。何で京都じゃなくてわざわざ
「僕への嫌がらせじゃないの?」
「アイツはオマエに禪院家を出る後ろ楯になってほしかったんだよ」
「へ?」
「オマエも御三家の一角なら相伝術式を持たない女がろくでもない扱い受けてるのは知ってるだろ。分家の血筋となれば尚更だ。だが、勝手に家を飛び出せばどんな扱い受けるかわかったものじゃないからな。同じ御三家の庇護下にいるのが一番安全だと禰々は考えたんだ」
しかし、加茂家や五条家に直接出向いても家に入れてもらうこともできずに追い返されただろう。
唯一接触できたのが高専にいる五条だけだった。
「ところがオマエときたら初対面でいきなり《禪院筋が後輩なんてマジありえねーんだけど》だ。最初は頭を下げてでも頼み込むつもりだったらしいが、さすがにその一言で無理だと察したらしい。事情を説明してもオマエなら更に追い討ちかけてただろうし」
昔の五条では禰々が土下座したところで鼻で笑ったに違いない。
「正攻法じゃダメ。対価として渡せるような金もない。残された手はオマエの弱味を握って交渉するか、万が一の可能性として謝りにきたところで再度頼み込むか。オマエより優位に立つための苦肉の策として考えたのがあのトラップのオンパレードだったんだ。まあ、普通に仕返しの意味もあっただろうが」
しかし、五条のメンタルの強さが裏目に出て絶対に謝るものかと意固地になる始末。
その上、夏油の件があったのが最悪だった。
当然、五条が冷静に過ごせるわけもなく、しばらくの間は八つ当たりのように尽く禰々に突っかかるし、そんな状態では交渉も何もあったものではなかった。
「せめてオマエが最初からまともに接していればここまで拗れなかったんだが……」
「だから助けてやれって言いたいわけ?」
「もちろん助けたところでオマエにメリットがなかったのは確かだ。だけど、今は違う。秘書でも雇えばいいんじゃないか? って言っただろ。信用云々は置いておいて、アイツほどオマエの性格わかってるヤツなんて中々いないぞ?」
そして、家入は「ついでにもう一つ教えてやる」と話を続ける。
「昔、禰々達が等級違いの土地神の任務で死にかけたの覚えてるか?」
「ああ、あったねそんなことも。珍しく七海と灰原も共犯になってやり返してきたときだね」
「何でアイツらまで揃ってキレてたか考えたか? 普段なら七海なんかはため息吐いて聞き流すだろうし、灰原も《強くなれるように頑張りますね!》とか言って話は終わりだろ」
「……まさかとは思うけど僕がただバカにすること以上の何かやらかした?」
「気付くのが遅いんだよバカ。そもそもアイツらのレベルで一級案件の土地神相手に死人を出さずに帰ってきたのが奇跡的なんだ。しかも、その立役者が禰々だってこと知らないだろ」
むしろ、あの撤退は褒められてもいいくらいだった。
本来なら全滅していてもおかしくなかったというのに。
さすがの七海達も命の恩人にあの態度を向けられては堪忍袋の緒が切れたというわけだ。
今更ながらその話を知った五条は呆然としていたが、その話はまだ終わりではなかった。
「あれ以降、何回かそういう等級違いの任務があったんだ。でも、アイツらは揃って軽傷で帰ってきたよ。もちろん七海達が実力をつけたのもあるだろうが……一番は禰々のおかげだ」
「何?」
「呪術界は人手不足が常だからな。等級が上の任務を請け負うこともある。本当に代わりに行ける術師がいなかった場合や、窓の雑な報告によるものもあったらしいが……明らかに情報が操作されていたこともあったそうだ。オマエに手が出せない上の連中がアイツらを殺して嫌がらせしようと考えたんだろ」
「────!」
「だが、禰々が窓や補助監督に先んじて密かに色々な情報を集めて対策を練ってくれていた。だから七海達は生き残れたんだよ」
それがなければきっと二人とも死んでいた。
「ただでさえ上に目をつけられてるオマエが今後仲間を育てるために教師を続けて、それを上が黙って見てると思うか?」
「……思わないね」
五条本人に手出しできないとなれば割りを食うのは周りだ。五条の生徒達に無茶な任務を与えて勢力を削ごうとすることも十分に考えられる。
五条も上層部の動きには常々目を光らせているが、どうしても死角になる部分はあるだろう。
「禰々はオマエ以上に性格悪いからな。性格の悪いヤツがどう動くかよく知ってるんだ。味方にするならアイツほど適任はいないよ」
これ以上理由がいるか? と家入は書き終わったカルテを手に立ち上がった。
「アイツ、戻ってくると思う?」
「何が何でも戻らせるだろ。オマエはそういうヤツだよ」
五条はぼんやりと天井を眺めながら思案する。
「あんまりあそこには行きたくないけど……背に腹は代えられないしね」
「後、禰々に会ったらちゃんと謝っておけよ」
「うっ……」
酒を飲んだ禰々のイメージは?
-
特に変化なし。ザル。
-
ふわふわして甘える。
-
普段我慢している反動で泣く。
-
寝る。
-
死んだ目で不満や闇を垂れ流し始める。
-
その他