虎杖悠仁入学の前日──
「禰々、ちょっと頼みがあるんだけどさー」
「お断りします」
「早いって! せめて話くらい聞いてくれない?」
「お断りします。雑事に割く時間はありません」
やっほー、と軽い調子で補助監督のオフィスに入ってきた五条さんは、またしても何か面倒事を持ってきたようです。
ただでさえアナタのせいで仕事が詰まっているというのに。
ですが今回も五条さんに大人しく引き下がるという選択肢はないようで。私の隣にある椅子にどっかりと腰を下ろして話を聞くまで居座る構えのようです。
「ああ、ちょうどいいのでこれに目を通しておいてください。次の任務の資料です」
「抜け目ないねぇ」
そのまま一分……二分……三分……と書類を捲る音とキーボードの音だけが響く時間が過ぎていき、五分ほど経った頃。先に痺れを切らしたのは五条さんでした。
「あのさ……仕事しながらでいいから聞いてよ」
「では手短にどうぞ」
「両面宿儺の指が受肉した」
「そうですか」
まあ、その件で先ほどから動いているのですが。
連絡がきた時点では行方不明との話でしたが、何がどう転がったのか受肉ときましたか。
しかし、私の淡白な反応は五条さんにとっては不満だったらしく。
「あれ? そんな反応? 特級呪物の両面宿儺の指が受肉したって言ったんだけど」
「耳はちゃんと聞こえているので二度言っていただかなくても大丈夫ですよ」
手は忙しなくキーボードを打鍵し、目はモニターに向いていますが、それでも話が耳に入ってこないということはありません。
元々マルチタスクは得意ですし。
「もっとこう《エーッ!?》とか《ウワーッ!》とか《この世の終わりだー!》って感じで慌てふためかない?」
「私がやるべきことは無意味に奇声を張り上げることではないので」
カチリ、とエンターキーを押してから五条さんのほうを向きます。
「既に虎杖悠仁の秘匿死刑の手配は済ませましたよ」
「ちょっと待って!? さっきから何かやってると思ったらそんなことしてたの?」
「それが私の仕事ですから」
ですが五条さんは大きなため息を吐いて頭を抱えてしまいました。
仕事をこなしただけだというのにため息を吐かれるとは。
「仕事が早いのもここまでくると考えものだね……まあ、いいや。頼みって言うのはそこでさ。虎杖悠仁の秘匿死刑を回避したい」
「呪術規定に則った上での判断ですが。上もそう判断するでしょう?」
「まあね。でも──若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ、何人たりともね」
「正論はお嫌いだったのでは?」
「曲がりなりにも教師だからね。大人になったってことさ」
「大人なら規則に従うべきでは?」
「臨機応変も大人のやり方でしょ」
臨機応変とルールを無視するのは別でしょうに。
しかしまあ、そんなことを言ったところで聞く気はないのでしょうね。五条さんは一度
「それで? 何でそれを私に言うんです? 報告するなら上に言ってくださいよ」
「軽く宿儺と戦ってみたんだけど、虎杖悠仁は僕が言った通り、きっちり十秒で宿儺から意識の主導権を取り戻した。彼は宿儺の器の可能性がある。だから上層部には《どうせ殺すなら全ての指を取り込ませてから殺せばいい》って言うつもりなんだけど……禰々ならそれを上回るえげつない案出して死刑執行しそうだからね」
この人は私を何だと思っているのでしょうか。
「ほら、禰々って基本的に効率最優先じゃん。宿儺の器なんて面倒の種になりそうなもの真っ先に潰しにかかるでしょ?」
「否定はしませんよ。そうですね……私が五条さんの案を覆すなら──虎杖悠仁のクローンを十九体作って一本ずつ指を飲ませてから殺す……なんて案はどうでしょう。指一本なら制御できることは五条さんが確認済みですし。それなら今すぐ虎杖悠仁を殺しても問題ないかと」
「うっわ……禰々って人の心とかないの? それはさすがに僕でも引くよ」
「
そもそも呪術師なんて倫理観をどこかに置いてきたような人達ばかりですし。
特に御三家なんて血筋や術式が全てですからね。
どういう血筋を掛け合わせればどういう子供が生まれるか。術式の有無は。種類は。呪力量は。天与呪縛の生まれる確率は。どれくらいの代償で何を得るのか。
そんな実験は御三家の汚点である加茂憲倫を筆頭に過去幾度となく繰り返されてきたはずです。
五条家だって六眼の移植くらいは試しているんじゃないでしょうか。
「その案は現実的じゃないですけどね。宿儺に耐えられる器が量産できるならとっくに誰かやっているでしょうし」
長い時間をかけて研究すれば人為的に器を作り出すこともできるかもしれませんが。精々百年と少ししか生きられない人間の寿命では無理な話です。
「まあ、他にも色々と案はありますが……要するにそれを上層部に伝えないでほしいということで合ってますか」
「うん。ついでに上層部の動きも見ててほしい。絶対に虎杖悠仁を殺そうとしてくるから」
「それ、私にメリットあります? 私の仕事が激増しただけですよね?」
「禰々は僕の夢知ってるでしょ。腐りきった呪術界をリセットする。そのために──」
「──強く聡い仲間を育てる。去年の乙骨君の件でも聞きましたね。相変わらず腐りきったままですが」
「育てるってそう簡単にいかないんだよー」
べったりと机に突っ伏した五条さんの後頭部を眺めながら、さっきの言葉を思い返します。
腐りきった呪術界のリセット。
五条さんなら上層部の老害達を皆殺しにするのは簡単です。でもそれでは首がすげ代わるだけで変革は起きません。いつまでも腐った呪術界のまま。
だからこそ五条さんは未来を担う聡い仲間を育てて呪術界を変えようとしている。柄ではない教師になってでも。
それ自体は立派だと思います。しかし、そんな理想を口にしてもう十年以上経っているんですよ。
「正直、五条さんの語る理想ってドカ食いしながら《明日からダイエット始める》とか勝負でボロ負けした後に《俺まだ本気出してないから》とか自称ギャンブラーが《絶対に倍にして返すから金貸して》って言ってるくらいの信憑性なんですよね」
「それは信じてないって言わない?」
「何なら後五十年くらいずっと《まだ仲間を集めてる途中だから》と言って引き伸ばした挙げ句、呪術界は何も変わっていないんじゃないかとすら思っています」
「いや、そんなことは──」
「ルーチンワークを自動化したり、古い文献を電子化したり、上が色々改竄できないようなシステムを作ったり、私のほうが呪術界の改革に取り組んでいると思うのですが」
「ああ、うん。それはマジでありがとう」
「まあ、いいんじゃないですか。御三家、特級呪術師、最強──好き放題しても誰も文句の言えない立場なんですし」
「人を立場でしか物が言えない人間みたいに言わないでよ!? はぁ……今日はいつにも増して言葉のトゲがすごいね……」
「本来のスケジュールなら私は今日は早めに仕事を終えて、明日は休みの予定だったんですよね。誰かさんが《仙台の杉沢第三高校に保管されてた宿儺の指が行方不明なんだってさー。ウケるよねー。夜のお散歩にでも行ったのかなー》なんて連絡を寄越してくるまでは」
数ヶ月ぶりの休暇。たった一日ですが、それでも私は楽しみにしていたというのに。その貴重な時間をたった一本の電話でぶち壊されたのですから穏やかでいられるわけがありません。
「近々代わりの休みあげるからさー」
「はぁ……わかりました。ただし、次に休みを潰されたら疲労でうっかり口が滑るかもしれませんよ」
「おー怖……じゃ、僕は上のおじいちゃん達に報告してくるから。何か聞かれても知らぬ存ぜぬでよろしく」
立ち上がった五条さんはそのまま部屋を出ていきました。
あの人のわがままはいつものことですが、今回は特に厄介ですね。
まずは宿儺の指がなぜあるべき場所になかったのか調査。
それから虎杖君抹殺に動く上層部の監視。
他にも五条さんと宿儺の戦いで崩壊した校舎の修繕依頼に隠蔽工作。どうせ五条さんのことですから帳は降ろしていないでしょうね。かなり苦しいですが老朽化による崩落とでもしておきましょうか。校長先生には申し訳ない限りですが。
後は、ほとんど望み薄でしょうが、虎杖君と宿儺の指の分離方法がないか探さなければ。
ふぅ、と一息吐いてモニターに向き直ります。
「あ、そう言えばそろそろ繁忙期が始まるじゃないですか」
私の休みは当分先になりそうです。
星漿体の件が終わったところでストックがなくなるんですが、参考までにお聞きします。後の展開としてメロンパンをボコるために夏油の闇堕ちは──
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あり。メロンパンはボコろう。
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なし。夏油様の闇堕ちなど許さない。