「げっ……」
「よう」
五条が競技をモニタリングするための教室に入ると、そこには勝手にお茶を飲みながら寛いでいる甚爾がいた。
「何でオマエがいるわけ?」
「恵が游雲を貸してくれっつーから届けにきたんだよ。本来なら五億を一時間五万でレンタル。格安だろ」
「用が済んだならさっさと帰れよ」
「俺もそのつもりだったんだが……アイツが見物していけって言ったんだよ」
「アイツって……禰々?」
「ああ。学長には言っておくからってな」
今年の一、二年生は甚爾に鍛練してもらっていたから、その成長の成果を見ていけというならおかしなことではない。
しかし、あの禰々が甚爾に仕事でもないのにこの場に残れというだろうか。
「……僕の勘が狂ってないなら、とてつもなく嫌な予感がするんだけどなぁ」
「ただ事じゃねぇのは確かだな。報酬払えるか確認しておけよ。安くねぇからな」
何か起こる。それも並大抵のことではない。
五条はため息を一つ吐くと、自分のお茶を淹れてから甚爾の隣の椅子に腰かけた。
「心当たりはあるんだろ。何か最近忙しいらしいじゃねぇか」
「僕はいつでも多忙だよ。金なし暇ありのオマエと違ってね」
しかし、これから協力してもらうというのに何の情報も明かさないというのは無理がある。
周りに呪力の気配がないことを確認してから五条は口を開いた。
「禰々が呪詛師と通じてる。おまけに敵方に最低三体の特級呪霊がいる」
「へぇ? まあ、妥当だな。天元を除けば高専内のことを一番把握してるのはアイツだし、しかもオマエの直属だ。敵なら真っ先に手に入れようとするだろ」
「あれ? 少しは動揺するかと思ったのにそれだけ?」
「アイツがマジで敵に通じてるなら裏切ったことを気取らせもしねぇよ。大方、裏切ったふりで敵を内部から崩壊させようって算段だろ」
「特級呪霊も興味なし?」
「何で一から十まで解説してやらなきゃいけねぇんだよ……金取るぞ。昔、俺がやったのと同じ
「本命……禰々の持ってた獄門疆か」
生きた結界。源信の成れ果て。
確かにあれなら五条だろうと封印できる。
「獄門疆……実家の文献でチラ見した程度だからよく覚えてねぇが、確か発動条件があったよな」
「封印有効範囲四メートル以内に対象を一分間留めておかなければならない。それも
五条が夏油と聞いて瞬時に思い出す出来事は大きく分けて二つ。
高専で共に過ごした三年間の青い春。
そして、去年の百鬼夜行。
どちらにしても脳内時間であれば一分間を満たすには十分すぎる。
(わかっていても会ってしまえば思い出すだろうな絶対……)
偽の夏油だとわかっていても。
それほどに夏油との思い出は色濃く五条に刻まれているのだ。
「おい、遺体を乗っ取ったってのは何のことだ」
「ん? あー……実は──」
訝しげに尋ねる甚爾に五条は苦い顔をしながら敵が夏油の遺体を乗っ取った可能性を話した。
それを聞いた甚爾は心底残念なものを見るような呆れ果てた視線を五条に向ける。
「結局はオマエの適当な仕事が原因じゃねぇか。この大バカ野郎」
「いや、だって同期の遺体を解剖させるとか残酷すぎるでしょ。僕なりに気を使って──」
「普段一ミリも他人に気を使うなんてことしねぇヤツが慣れねぇことするからこうなるんだよ。しかもそれで親友を掻っ攫われてるのに気付かねぇとかアホすぎんだろ」
「あのときは他にも事後処理が色々とあって──」
「そんなマヌケだから俺みたいな呪力もねぇ猿に負けるんじゃねぇの」
「ぐっ……それは今関係ないでしょ」
淀みなく罵倒してくる甚爾に五条は顔を顰めた。
だが、それは事実だ。
五条が変に情をかけず、最初から家入に処理を任せていれば遺体を奪われることはなかっただろう。
しかも、処理が終わったことも書類で確認しただけで、実際に最後まで処理が終わったか見てはいなかった。
何が親友だ。大失態にも程がある。
「とにかく! 手口からして、そこらにいる有象無象の呪詛師じゃない。獄門疆で僕を封印した後にも何か企んでるはずだ」
「だろうな。逆に言えばオマエがとられなきゃこっちの勝ちってわけだが……オマエだしなぁ……」
「何が言いたいわけ?」
「補助監督に何から何までやってもらってるろくでなしじゃ期待できねぇって言ってんだよ」
「ぐぬっ……」
「貢がせるばかりじゃ女だって逃げていくぜ? リターンを出せてこそプロのヒモだ」
「オマエのヒモ持論はどうでもいいっての……」
「で? アイツから渡された情報はそれだけか? 他の内通者の情報なんかは入ってねぇのか?」
「ああ、それは僕も気になっててさ。結構時間が経ってるのに禰々が内通者を特定できてないってことは考えにくい。だから、内通者を更に寝返らせて二重スパイに仕立てるくらいのことをやってるんじゃないかと思うんだよね。人心掌握はアイツの十八番だし」
「どこまでアイツの世話になるつもりだよオマエは」
「……アイツが優秀過ぎるのが悪いんだよ」
唇を尖らせる五条を横目に甚爾は思考を巡らせる。
(さて、俺はどうするべきだ?)
この一件、乗るべきか、それとも降りるべきか。
敵はアドバンテージを着々と確立してきている。
仲間が今のところ確認している特級呪霊三体だけということはないだろう。
更に虎の子の獄門疆も敵の手に渡ってしまっている。
状況は圧倒的に不利。
(いや、違うな。アイツならわざと敵に獄門疆を渡したと考えるべきだ。わかりやすい切り札を持たせることで敵がそれを使うように誘導した。敵が何をしてくるのかわからねぇよりは余程いい)
しかし、さすがは歴戦の猛者というべきか。
それとも性格の悪い者同士だからか。
このとき甚爾は五条以上に禰々の考えに近付いていた。
(後手に回ってるのは痛手だし、そもそも特級がゴロゴロ出てきてる時点で関わりたくねぇんだが……それでもアイツが絡んでるってことは逆転できる
禰々は勝てない相手に策もなく噛みつくバカではない。
この一件、うまくやれば高専にも五条にも大きな貸しを作れる。
乗るしかねぇな──と甚爾はニヤリと笑みを浮かべた。
「俺の勘だが……アイツは一応敵の筋書きに乗るつもりだろうな。この交流会で何が起こるかわからねぇが、被害を最小限に抑えつつ、基本は敵の書いた絵図通りに事を進めさせるはずだ」
「その心は?」
「オマエ、マジで呪術が絡まねぇとからっきしだな……何のためにアイツが裏切ったふりをしてるのかよく考えろ」
生まれ持った才。そして呪術の英才教育。
更にほとんどの相手がゴリ押しでどうにかなってしまうせいで五条は呪術が絡まない戦い方に疎いきらいがあった。
「一、敵に渡す情報、伏せる情報の選択。普通のヤツなら脅されるまま情報を出しちまうが、アイツは絶対に渡せねぇ情報は死んでも吐かねぇだろ。二、敵の動きをこっちに伝える。今回は後者だ。敵が動いて手を晒せばそれだけ情報を得られる。敵を知らずにジタバタしたって傷を広げるだけだ」
それに、ここで下手に反撃しようとすれば違和感を感じた相手が作戦を変えてくる可能性もある。
せっかく獄門疆を渡して敵の作戦を絞ったのに、それが水の泡になってしまうのだ。
「それにオマエ、いきなりその偽物と対峙していつも通りに動けんのか? 動揺してる間に逃げられるか、まんまと封印されるのがオチだろ」
「うっ……」
その指摘に五条は小さく呻く。
あの絵に付いていた指紋を調べたとき、鑑定結果を見た五条はしばらく椅子から立ち上がることができなかった。
何なら遺体の乗っ取りがほとんど確定した今でも心の片隅で何かの間違いであってほしいと願っている節さえある。
「ここまで尻尾を見せなかったような相手だ。殺れるチャンスは一度きり。それなのに万全じゃねぇオマエをぶつけて失敗なんて笑い話にもならねぇよ」
最早ぐうの音も出なかった。
(僕だってやるときはちゃんとやるよ、って言ったところで《信用も信頼もしてませんから》で叩き切られるんだろうなぁ……)
脱力した五条はズルズルと椅子に沈み込む。
「はぁ……最強の面目丸潰れだよ」
「自業自得だな。まあ、安心しろ。オマエにだって役目はある。だから早めに敵の情報を渡してオマエがメンタルを回復させる時間を作ったんだろ」
大抵の人間は、こんな状況でも、あの五条なら大丈夫だろうと言うはずだ。
五条悟は最強なのだから、と。
だが、禰々は五条のことを過信しない。
根拠のない《何とかなる》という言葉に期待しない。
だから、五条に頼ることが不利と判断すれば、即座に使わないという選択ができる。
「何かオマエが僕より禰々のこと理解してるのすげぇムカつくんだけど」
「ついでに俺のほうが信用も信頼もされてる自負はあるがな」
「ハ、ハハ……さすがにそんなわけないじゃん」
「声震えてるぞ。何ならアイツに聞いてみろよ」
すると、ちょうどそのとき禰々が歌姫とともに部屋に入ってきた。
「あのさぁ、禰々。コイツと僕ならどっちを信用してる?」
「甚爾さんです」
一瞬の逡巡もなく答える禰々。
何を当たり前のことを聞いているのかと言わんばかりだ。
それを聞いた五条は膝から崩れ落ち、甚爾はゲラゲラと腹を抱えて笑っている。
しかしまあ、当然の答えだろう。
高い給料をもらっているくせに仕事を生徒や禰々に押し付けるちゃらんぽらんな男と、高い依頼料をぼったくられるがきっちり仕事はこなす男。
どちらを取るかと聞かれれば禰々は後者だ。
五条悟といういくらでも金を吐き出す財布があれば尚更。
「ハァー……」
「……普段テンション高いヤツがここまで落ち込んでると何か不気味ね」
「悟、そろそろ時間だ。いい加減機嫌を直せ」
机に突っ伏して、拗ねてます、とアピールする五条だったが、周りの反応は冷たかった。
ノロノロと起き上がった五条が設置されたモニターに目を向けると、既に生徒達がやる気満々といった様子でスタート位置についている。
「今でもこの競技見ると思い出すよねー。あの阿鼻叫喚の伝説の交流会」
「ルール違反はしてませんよ」
「確かに《殺す以外は何でもあり》だけどさ。オマエ、本当に殺す以外は何でもやるじゃん。翌年から《再起不能のケガを負わせることも禁止》を追加したときは学長マジ有能だと思ったし」
「まあ、私が交流会に出たのは三年生の一回だけだったので、そのルールが追加されたときにはもう四年生で参加資格自体なかったんですけどね」
そんな昔話をしているうちに開始時刻の正午は目前になっていた。
禰々は袖口から取り出したマイクを五条に渡す。
「開始一分前でーす」