十年前──
「まだ時間あるな。一服するか」
交流会当日、家入は喫煙所へ向かって足を進めていた。
もう四年生の家入は競技には参加しないが、負傷者が出た場合に治療が必要なため、交流会に呼ばれているのだ。
殺す以外は何でもあり──というだけあって毎年負傷者は少なからず出る。
五条と夏油がいた年は火力が高すぎたため、近付こうとする者がおらず、逆に負傷者は出なかったが。
「お?」
喫煙所までもう少しというところで前方に禰々が歩いているのを見つけて家入は少し歩調を速めた。
「禰々」
「あ、家入先輩。おはようございます」
「おはよ。早いじゃん。集合まで結構時間あるよ」
「少しやることがあったので」
そのまま家入と禰々は並んで歩き出す。
寮に戻るつもりだった禰々だが、少々話したい気分になったらしい。
「勝てる算段は?」
「最強がいないから楽勝だと侮ってくれるなら好都合ですよ」
今年の交流会は五条も夏油もいない。
つまり相手は相当嘗めてかかってくるはずだ。
こちらを侮って隙だらけの相手。かつて五条達に負けた雪辱を果たそうと無駄にやる気を漲らせている相手。どちらも禰々にとってはいいカモである。
「久しぶりやなぁ」
すると、喫煙所に入ろうとした二人の背後から何者かが声をかけた。
禰々が振り向くと、そこに立っていたのは薄ら笑いを浮かべた金髪の若い男。
「直哉さん……」
「誰?」
「禪院直哉──現当主の息子の一人です」
禰々の表情は変わらない。声の調子も同じだ。
だが、目だけがゾッとするほど冷えきっていた。
「なぜ直哉さんがここに?」
「交流会に参加するためや。そやなかったらわざわざ東京まで出てくるわけないやん」
本来、御三家の人間は高専に通う必要はないはずだ。
五条は特例として、少なくとも直哉はわざわざ呪術を学びに高専に通うほど勤勉ではないし、周りの術師を見下している彼が高専に来たがるとも思えなかった。
「まさかとは思いますが……交流会で私を晒し者にするためだけに高専に?」
「どうせ戻ってくるんやし、卒業まで待っとってもよかったんやけどな。高専におる間に死なれても白けるやろ」
たたが分家の娘一人にご苦労なことだ。
執念深いにも程があるだろう。
禰々の呆れた様子に気付いているのかいないのか直哉はそのまま話を続ける。
「ところが一年のときは出てこぉへんし、二年のときはそっちのアホが大量虐殺なんぞしてくれよったせいで交流会は中止。ホンマ余計なことしてくれたわ」
盛大な舌打ちとともに直哉はそう吐き捨てた。
「まあ、あの悟君と肩を並べられるなんて思い上がっとったような身の程知らずやったらしいし? さっさと野垂れ死んだほうが世のためやと思わん?」
弱者を見下す性格は相変わらずらしい。
しかも、その基準が五条や甚爾のレベルでようやく強者だというのだから大半の人間は弱者扱いだ。
二年の時点で特級まで昇級したのだから夏油は決して弱くはない。
そして、五条も単純なノリで《親友》や《二人で最強》などと言う性格ではない。
五条が認めているのに、彼より格下の直哉が夏油を身の程知らずと評するとは。
特級は術師の格付けから斜めに外れた位置付け。
一級以下の人間の物差しでは測れないほどにぶっ飛んだ存在なのだ。
(そんなこともわからないから私なんかに足元を掬われるんですよ)
ここで揉め事を起こすのは愚策だと理解している禰々はそれを口には出さない。
やるなら然るべき時、然るべき場所で。
「この交流会で今までやられたぶん全部まとめてやり返したる。いつまでその澄まし顔でおれるか見物やな」
踵を返して去っていった直哉が十分に離れたことを確認して、禰々は息を吐き出した。
(ここに五条先輩がいなくてよかったです)
この場に五条が居合わせたなら交流会どころではなかっただろう。
せっかくの機会を潰されては困るのだ。
「今までやられたぶん全部まとめて……ですか。それはこちらのセリフですよ」
「何か……色々察したよ」
そう言って家入はタバコを一本取り出すと禰々に渡した。
火を着けて一口吸えば、舌の上に広がるのは夏油の件から一年ぶりになる紫煙の味。
呪術師はクソだと思い出させてくれる味。
「あんなのと一緒の家にいれば、そりゃグレたくもなるね」
「
立ち上る紫煙をぼんやりと眺めながら禰々は苦笑いを浮かべる。
酒なら蔵に当主秘蔵のものが山ほどあったが、酔って仕事はさすがにまずい。
ミスをすれば折檻されるし、判断力を鈍らせたまま隙だらけで家の中を歩いていれば知らない男に部屋に引きずり込まれる可能性もあった。
ギャンブルに費やせるほどの給金もなく、ドラッグは判断力と金銭面の両方に支障を来すため
そのためタバコぐらいでしかグレようがなかったのだ。
「禰々」
「何です?」
「身の程知らずはどっちか教えてやりなよ」
フーッ……と細く紫煙を吐き出して家入は小さく笑った。
それに禰々もニヤリと笑いを返す。
「もちろん」
◆ ◆ ◆
「よう」
「あ、五条先輩! おはようございます!」
交流会の集合場所に現れた五条を見て禰々と七海は眉を顰め、伊地知は「ひぃ……」と小さく怯えた声を上げる。
唯一、灰原だけが呑気に挨拶を返していた。
「何で五条先輩がここに?」
「暇だから禪院が無様に負けるところ見にきてやったんだよ」
「負けませんけどね。今回は特に負けたくないですし」
殺す以外何でもありの交流会だが、さっきの口ぶりからすると絶対に直哉は直で禰々を殺しにくる。
禪院家の力で事故として処理するつもりだろう。
つまり禰々が生き残るためには直哉を倒すか、直哉に殺される前に競技を終わらせるしかない。
「では、ルールの確認です。競技はチキチキ呪霊討伐猛レース。ターゲットの二級呪霊を先に討伐したチームの勝ち。タイムリミットは日没まで」
「日没までに決着がつかなかった場合は周りのザコ呪霊を倒した数で勝敗を決める……で、合ってますよね」
「妨害行為もありってことは術師同士で戦うこともあるよね?」
「ええ……殺す以外は何でもありですから」
競技が始まる直前、禰々は七海、灰原、伊地知とともに最後のミーティングを行っていた。
「本来は私のトラップで足止め、七海君と灰原君が攻撃、防御は伊地知君の結界で……というつもりでしたが、向こうに直哉さんがいるのが厄介ですね」
人間性は腐りきっているが、あれでも御三家の人間。
呪術漬けの毎日を送ってきただけあって知識も経験も七海達より遥かに上だ。
「直哉さんの術式は投射呪法──自分の視界を画角として事前に設定した動きを
「七海、いける?」
「攻撃を当てるのが精一杯でしょうね。術式で七:三の点を狙うのは無理だと思います」
七海の術式は強制的に弱点を作り出すため、攻撃が当たれば格上の相手にもそれなりのダメージを与えることができる。
しかし、
高速移動する相手のたった一点を狙うのは至難の技であり、そもそも攻撃が当てられるかも怪しい。
「更にもう一つ厄介な点があります。投射呪法発動中に触れられた場合、その対象も術者と同じように一/二十四秒で動きを刻まなければいけません。失敗すれば動きがガタつき、一秒間の強制フリーズとなります」
逆に言えば、一秒間に二十四回動きを刻めば無効化できるということだが、ぶっつけ本番でできる技術ではない。
高速移動だけでも厄介だというのに、触れられることも許されないのだ。
だが、それを聞いても七海達の顔に翳りはなかった。
「確かに難敵ですが、それで諦める禰々さんじゃないでしょう?」
「もちろん」
ここは交流会の場だ。
殺す以外は何でもあり──それのみがこの場のルールである。
相手が現当主の息子であろうと、真っ向から遠慮なくぶん殴れるまたとない機会。
「地獄を見せてあげますよ」
直哉の関西弁は結構曖昧なイメージで書いているので、関西弁、京都弁の有識者の方、こっちのほうが自然だよという言い方があれば教えていただけるとありがたいです。
さて、次回ですが……禰々、暴れます。