「それでは団体戦……スタート!」
夜蛾学長の合図と同時に、カチリ、と時計の針が全て重なった瞬間──森の向こうに見えたのは目を焼く閃光。それと同時に響く耳をつんざく爆発音。
「……何仕掛けたんです?」
「《事前にトラップを仕掛けてはいけない》というルールはなかったので、手始めに時限式に改造したスタングレネードを京都校のスタート位置に大量に仕掛けておきました。事前に学長の部屋に忍び込んで競技の内容もスタート位置も把握していたので」
「さすがだね!」
「禰々さんって本当に手段を選ばないんですね……」
「何を言っているんですか、伊地知君。こんなのは序の口ですよ。朝早くからできる限り仕掛けましたからね」
その他にもワイヤートラップ、落とし穴、トラバサミ、催涙ガス、鉄条網、撒菱、爆竹など選り取りみどり。
地面、木の間、木の上、川の中。森の中は至るところにトラップが仕掛けてある。
しかも森の中を避けようと回り込むように移動すれば、そこにもまたトラップが。
シンプルなトラップに慣れていない術師は動きが読みやすく、禰々にとっては格好の獲物なのだ。
「まさに阿鼻叫喚というか……」
「五条先輩が普段やられていることが生温く見えるよ……」
「五条先輩用のトラップは色々と調節してますからね。ずっと暗殺の危険に晒されてきた五条先輩にあんなトラップは通用しません。すぐに気取られて躱されてしまいます」
しかし、交流会は殺す以外何でもあり。
今まで五条にしてきた調節は必要ないのだ。
「おっと……」
そんな中、森の中を猛スピードで駆け抜けてくる気配が一つ。
「直哉さんですね……やはり来ましたか」
他のメンバーはトラップで完全に気力を失っている。実質、直哉さえ倒せば東京校の勝ちということだが……問題は直哉が禰々のトラップをどの程度まで読んでいるか。
五条に使っているような日用品や食材を使ったトラップは禪院家で散々仕掛けた。そのせいで禰々の手札はかなり透けてしまっている。
「何年オマエのカスみたいなトラップ受け続けてきたと思っとるんじゃクソ女ァ!」
森の中から響く直哉の怒号。
禰々が直哉の動きを理解しているように、直哉もまた禰々のトラップを理解している。
スタングレネードのことも直哉だけは最初から気付いていた。
それを他のメンバーに伝えてやるほど直哉は優しくなかったが。
「トラップだらけの森の中をあんなスピードで……」
「落とし穴やトラバサミは木を足場にすることで回避。空中のワイヤートラップに触れてしまっても、ワイヤーが切れてから起爆するまでの僅かな時間で直哉さんの術式なら十分に距離を取れるでしょう。そもそも今までの経験からトラップを先読みする力もずば抜けていますから、鉄条網などの見えるトラップは簡単に躱されてしまいます」
七海は驚きのあまり目を見開いた。
五条が相手でも通じていた禰々のトラップがこうも簡単に破られるとは。
いや、しかしそれも当然か。
禰々のトラップそのものは単純であり、あくまでも相手が無警戒な部分を突くからこそ効果的なのだ。
最初からトラップに警戒を絞られてしまってはどうしようもない。
「大丈夫ですよ、七海君。何も心配することはありません」
だが、禰々は持っていた拳銃を一撫でして不敵に笑う。
トラップを潰されたからどうしたというのだ。
直哉に勝てるならトラップなんていくつ潰されても構わない。
「来ますよ」
「全員揃ってスタート位置で暢気にお喋りとは随分余裕やね。それとも……遺言でも伝えとったんか?」
森の中を走っていた間に加速は十分。
落ち葉を盛大に巻き上げながら現れた直哉は一直線に禰々に向かっていった。
だが、そこに七海が立ち塞がる。
(動きを崩せれば──)
投射呪法には二つのリスクがある。
まず、途中で作った動きを修正することはできない。
そして、過度に物理法則や軌道を無視した動きを作れば術者自身もフリーズする。
七海の狙いはそこだ。
直哉に無理な動きを作らせてフリーズさせる。
その一秒間で最低でも術式の要となる足を潰す。
「そこそこええ動きしとるけど……それで崩されるほど柔な鍛え方してへんねん」
だが、さすがに戦闘経験が違い過ぎる。
十数年の間鍛練を積んできた直哉と、まだ呪術を本格的に学んで三年の七海。
その差異は簡単には埋まらない。
七海の動きを読みきっていた直哉は、いとも容易く攻撃を躱すと、逆に七海の腹に蹴りを入れて吹き飛ばした。
「まず一人」
「くっ……!?」
すかさず灰原がフォローに入るが、それも遅い。
直哉は灰原に触れてフリーズさせると、連続で拳を叩き込む。
「うぐっ!?」
「二人目。揃いも揃ってトロすぎや。さて、と」
ザコは片付けた。
ギラリと直哉は獰猛な笑みを浮かべて再び禰々に向かっていく。
「最高速度でブチ抜いたる!」
直哉は依然トップスピードを維持したまま。
あっという間に禰々との距離を詰めていく。
それに対して禰々は拳銃による乱射で応戦するが、直哉のスピードを持ってすれば躱すことは容易い。
(構築術式のおかげで数発は余分に撃てるやろ。でも、それが何や。外れたら意味ないっちゅーねん)
狙いを絞らせないために周囲の木を利用して動きを変則的に切り返す。
じっくり嬲ってやりたいのは山々だが、それで逆転のチャンスを与えてはマヌケが過ぎる。
殺るなら一撃。全身の骨を木っ端微塵に粉砕する。
そして、直哉は最後の一歩を踏み込んだ。
銃口の向きを修正する時間はもうない。
禰々が直哉に対抗できる手段は尽きた。
(
完全に勝利を確信した直哉。
しかし──
ガクン、と。
まるでリモコンの一時停止のボタンを押したように禰々の眼前で停止する。
亜音速に達していたスピードは一瞬でゼロに。
投射呪法のペナルティである一秒間の停止。
そして、その一秒は致命的な隙である。
直哉の動きが止まったのを見るや否や、禰々は思いきり足を振り上げると──
「が……はっ……!?」
直哉の股間を全力で蹴り上げた。
いくら非力な禰々の攻撃でも、そこをやられてしまえば男はどうしようもないのだ。
脳天まで響く激痛。
噴き出す脂汗。
歪む視界。
受身も取れずに直哉は地面に崩れ落ちる。
(何や!? 何が起こった!?)
完璧に動きはトレースできていたし、銃弾も回避した。
動きが崩れる要因はなかったはずだ。
混乱しながらも何とか立ち上がろうとした直哉だが、ここである異常に気付く。
立ち上がるために手足に力を込めようとしたが、
そして、気付いた瞬間、追い討ちをかけるように股間とは別の激痛が襲いかかってくる。
「っ……!?」
恐る恐る自分の体に目を向けた直哉が見たのは膝から下が欠損した右足と、二の腕の半ばから先が欠損した右腕。そして、そこに広がる赤いペンキをぶちまけたような血溜まり。
まるで鋭い刃物で一太刀に斬ったような傷口で直哉の手足はなくなっていた。
「はぁ!?」
(俺の手足切り飛ばして設定した軌道から外したんか!?)
だが、どうやったのか。
禰々は刃物なんて持っていなかったはずだ。
しかも、手足を一瞬で叩き切れるほどの技術も力もない。
(一体何を──)
顔を上げて禰々を睨んだそのとき、直哉は周囲に何かキラキラと僅かに光を反射するものがあるのを見つけた。
それは目を凝らさなければわからないほど超極細のワイヤー。
(まさか……最初からこれが狙いやったんか!?)
投射呪法による高速移動。
その軌道上にワイヤーを張り巡らせておけば、直哉は自ら刃物に等しいワイヤーに高速で突っ込むことになる。
しかし、あんな極細のワイヤーなら森の中のワイヤートラップと同じように直哉の突進の威力に耐えきれずに切れてしまうはず。
だとしたら、あのワイヤーは禰々の術式で作られたものだ。
(俺の突進に耐えられるくらいの密度で呪力が込められとるのを見逃した? そんなド素人みたいなミスするわけが……)
そこで直哉は気付く。
禰々の後ろに控えていた伊地知に。
その伊地知の足元に広がる法陣に。
(アイツの張った結界で呪力の気配を薄めとったんか!)
結界を張っても残る微かな呪力の気配は構築術式で作った銃弾を撃つことで、その気配だと誤認させる。
禰々が呪術で戦うはずがない──今まで呪力が絡まないトラップばかり受けてきたがゆえの思い込みを利用されたのだ。
「伊地知君、ありがとうございます。交流会前に結界術の特訓をした甲斐がありましたね」
「禰々さんが色々な文献を調べてくれたおかげです。応えないわけにはいかないですよ」
「後は私がやりますから七海君達をお願いします」
「はい」
「さて……失血死されるとルール違反になってしまいますからね」
禰々は直哉に近付くと術式で作った糸で傷口を結紮して止血する。
ついでに残った手足が動かないように拘束するのも忘れない。
「《弟よりデキの悪い兄なんか
「見下ろすなや!」
プライドの高い直哉にとって弱者である禰々に見下ろされるなんてことは屈辱の極みだ。
「もう交流会も何も関係あるかい……! 何が何でも殺したる……!」
睨み付けてくる直哉を何ということもないように見下ろして禰々は「まあ、これで反省するなんて思っていませんでしたけどね」と呟いた。
「日没まではまだ時間があります」
「あ?」
すると、どうやって収納していたと言いたくなるほどの大量の道具が禰々の袖口から取り出されていく。
アロンアルファ、ブラジリアンワックス、スタンガンなどを始め、怪しい白い粉や何かもわからない毒々しい色の液体、その他諸々。
それを見てさすがの直哉も顔から血の気が引いていく。
「おい、待たんかい!? 何する気や! おい!」
「今までやられたぶんをまとめてやり返そうかと」
「がぁっ!?」
言うが早いか、禰々は直哉の口に口枷を嵌め込んで閉口できなくすると、すかさずそこに激辛唐辛子の一種であるキャロライナ・リーパーをぶちこみ、更にその上から猿轡をして吐き出せないようにしてしまう。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」
直哉の口内に広がる暴力的な辛味──否、激痛。
手足を封じられた直哉はひたすら芋虫のようにのたうち回るだけだった。
(──っ! ざっけんなや! 呪力が練れん!)
呪力で体を強化して逃げようとしても様々な痛みのせいで全く集中できない。
完全な詰み。
これから直哉に許された行為は時間が早く過ぎることを願うのみだ。
「
「えーっと、次は……」
口を塞がれながらも無理矢理叫ぶ直哉を無視して禰々が次に手に取ったのはブラジリアンワックス。
のたうち回る直哉の背に乗って動けないように押さえ込むと、その頭にたっぷりとワックスを垂らしていく。
そして待つこと数十秒。
しっかりと固まったことを確認して禰々はワックスの縁に手をかけると──
「せーのっ!」
「ウ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッ!?」
ベリッ! という音とともに直哉の金髪が剥ぎ取られていく。
「あの……あれって放っておいて大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫ですよ。禰々さんはあっちに集中してもらうとして……私達は森から飛び出してきた呪霊がいれば祓っておきましょう。灰原、まだ動けますか」
「うん、何とかいけそう」
その様子を遠巻きに見ていた七海と灰原は少々ふらつきながらも立ち上がる。
何とか呪力での防御が間に合ったこともあり、三級呪霊くらいであれば問題なく祓えそうだ。
「あれは禰々さんの個人的なものですから。私達が手を出すべきではないでしょう」
「そういうものですか……?」
「それにあの男は禪院家で禰々さんに暴力を振るっていたクソ野郎です」
「因果応報ってことだね!」
「ああ、それなら納得です」
それを聞いて伊地知はオロオロとした表情から一転して真顔になった。
伊地知にとって禰々は五条から助けてくれる神のような存在である。
そんな禰々に暴力を振るっていた人間を助ける義理はない。
そして、京都校のメンバー達も直哉を助けようとする者は誰一人いなかった。
何なら今まで直哉の横柄な態度にうんざりしていたせいで「いいぞもっとやれ」と小声で言い出す者も現れる始末だ。
もう禰々の凶行を止める者は誰もいない。
そこから日没までの凡そ五時間半、禰々は今までの鬱憤を全てぶつけるかのように直哉を肉体的にも精神的にも蹂躙し続けた。