(──そんなこともありましたね)
直哉が次期当主候補から外れたことで禪院家が何か変わったのかと問われれば、それほど変わっていない。
当主候補の序列が繰り上げになっただけで、術式至上主義も男尊女卑の風習もそのままだ。
(まあ、別に今更あの腐りきった家が変わるなんて思っていませんでしたし、もう家を出た私には関係ないことですけど)
だが、真希と真依のことは気にかかる。
(真希さんは《私が禪院家当主になる》と息巻いていましたが……)
確かに禪院家当主になれば金、呪具、情報、権力など得られるものは大きい。
それに微弱な呪力しか持たない真希が実力をつけて一級術師にでもなろうものなら禪院家の他の術師達の面目は丸潰れである。
しかし、禰々の勘では真希が求めているのはそんなものではないように感じるのだ。
(真希さんのことです。何かやりたいことがあったとしても《自分でやるから意味があんだよ》なんて言うんでしょうね)
「なっ……!? 東堂!」
すると、突然焦った声を上げたのは楽巌寺。
何事かと禰々が思考を中断してモニターに目を向けると、そこには殴り合っている虎杖と東堂が映っていた。
「宿儺の器には絶対に手を出すなと念を押したのに……!」
「ま、葵は素直に言うこと聞くようなヤツじゃないよねぇ」
顔を青ざめさせる楽巌寺とは対照的に五条はニヤニヤと笑って気楽なものだ。
何が宿儺の逆鱗に触れるかわからない以上、下手に刺激するのはマズい。
虎杖が宿儺を押さえ込めているのは平常時の話。
死の危機に瀕したり、意識を失って肉体の主導権を奪われる可能性はゼロではない。
(特級呪霊に殺害された際は反転術式で回復しただけで宿儺が暴れたという話は聞いておらん……だが、同じようなことが起こった際、再び何事もなく済む保証はどこにもない)
楽巌寺としては虎杖を交流会に参加させること自体避けたいのだが、それを言えば五条がまた駄々を捏ねるに決まっている。
だから、リスクを最低限に抑えるために絶対に虎杖を攻撃するなと楽巌寺は開始前のミーティングで生徒達に厳命した。
「最悪、交流会の勝ち負けはどうでもいい。それより生徒や教員の安全が第一。重ねて言うが、絶対に虎杖を攻撃するな。わかったな?」
交流会の責任者として楽巌寺のこの判断は間違ってはいない。
しかし、それに異を唱える者が一人。
「交流会は血湧き肉躍る俺の独壇場。それを宿儺が出てくるかもしれないから戦うな? 勝ち負けはどうでもいい? ふざけてんのか?」
「東堂! もし宿儺が暴走すればただでは──」
加茂の言葉を最後まで聞くことなく、東堂はそのまま足音荒く待機部屋を出ていってしまった。
更に楽巌寺にとって──いや、この場の全員にとって想定外だったことがもう一つ。
例の「どんな女が
それに対する虎杖の答えは「
幸か不幸か、それは東堂の質問に対する唯一の正解。
自分と好みが合致した東堂は虎杖を親友と呼び、更には呪力の扱い方を指南し始めたのだ。
(まあ、この際虎杖君には東堂君から色々と学んでもらいましょう)
頭のネジが二、三本吹っ飛んでいるのが呪術師である。
どうしてそうなった? というまともな疑問を抱いてはやっていけない。
「まあ、いいんじゃない? 悠仁と葵は色々と相性いいでしょ」
「万が一、宿儺が出てきたらどうするつもりだ」
「そうなったらちゃんと僕が責任持って止めるよ。お爺ちゃんにそんな無茶な役目押し付けないから安心して」
へらへらと笑うばかりの五条では話にならないと判断したらしい。
楽巌寺は禰々に《本当に大丈夫なのか?》と視線で尋ねてきた。
歌姫や冥冥も探るような視線を禰々に向けてくる。
(何だかんだ言っても、やはり虎杖君に対する不安は拭えませんよね)
どれだけ善人であっても虎杖は宿儺という爆弾を抱えた危険人物なのだ。
そして、その不安に拍車をかけているのが五条が監視役という点だろう。
五条は実力は確かなのだ。実力は。
だが、それ以外は問題行動が多すぎる。
(普段の五条さんがもっと真面目なら、もう少し味方も増えたと思うんですけどね)
禰々は小さく息を吐いてから口を開いた。
「一応の保険として甚爾さんに来てもらいましたから大丈夫だと思います」
「え? もしかしてそのためにコイツ呼んだの?」
「何の保険もなく虎杖君を交流会に参加させるわけないでしょう」
宿儺が虎杖を治したというのは禰々のハッタリだが、虎杖の器としての強度が不確定なのは事実だ。
万が一の備えをしておくに越したことはないだろう。
更に甚爾をこの場に呼ぶ理由にもなるので一石二鳥である。
「禰々? いくら僕だってコイツを保険にされるほど落ちぶれちゃいない──」
──んだけど。という五条の言葉は最後まで続かなかった。
壁に貼ってある呪符が一斉に赤く燃え上がったからだ。
「え……? ゲーム終了……? しかも全部
歌姫が呆然とした様子で呟いた。
呪霊討伐猛レースはどちらの陣営が呪霊を祓ったかわかるように、呪霊の消失と連動して壁に貼られた呪符が燃えるようになっている。
東京校のメンバーが祓えば赤色に。
京都校のメンバーが祓えば青色に。
札が全て赤色に燃えたということは東京校のメンバーが呪霊を全て祓ったと考えられる──が、それはありえない。
五条や夏油のような規格外の広範囲攻撃が可能な術者ならともかく、現在の東京校のメンバーの術式では広大な高専の敷地に散らばる呪霊を同時に祓うことは無理だ。
「妙だな……烏達が誰も何も見ていない」
烏の視界を共有して競技を中継していた冥冥が首を傾げる。
ついさっきまで競技を映していたモニターは真っ暗だ。
冥冥の烏まで巻き込まれるほどの攻撃が行われたとなるといよいよただ事ではない。
「
「未登録の呪力でも札は赤く燃える……」
さすがの五条も表情から笑みが消え、夜蛾は眉を顰める。
呪具を使う真希がいるため、呪符は登録外の呪力で祓われた場合も赤く燃えるように設定してあるのだ。
ということは──
「──外部の人間……侵入者ってことですか」
「天元様の結界が機能してないってこと?」
現状、一番可能性が高いのは外部からの侵入者だが、どうやって高専の結界を抜けたのか。
呪力が完全にゼロという甚爾のような特異な存在ならともかく、普通の呪詛師や呪霊が高専のど真ん中にいきなり現れるなんてことは不可能だ。
しかし、一番の問題はそこではない。
「外部でも内部でも不測の事態に変わりあるまい」
楽巌寺はそう呟くと夜蛾に目を向ける。
今、真っ先にやらなければならないことはこの非常事態の対処。
既に攻撃は開始されているのだ。これ以上、被害を広げるわけにはいかない。
「俺は天元様のところに。悟は楽巌寺学長と学生の保護を。冥はここで
「私は現在高専内にいる他の術師の方々の誘導を」
「術師の位置はわかるか?」
「監視カメラがあるので大丈夫ですよ。それと……甚爾さん」
禰々は甚爾の傍に寄ると屈むようにジェスチャーする。
そして、甚爾の耳に口を寄せると「生かさず殺さず……でお願いします」と囁いた。
(祓えとか殺せって指示じゃねぇってことはやっぱり相手の作戦には乗るつもりか。それにしても……てっきりガキ達を守れとでも言うのかと思ったが……)
しかし、禰々がそう言うのだ。何か考えがあってのことだろう。
甚爾は聞き返すことなく、さっさと部屋を出ていった。
「ほら、お爺ちゃん。散歩の時間──」
「あんまりふざけた真似してると五条さんの隠し事諸々暴露しますよ」
「いってきまーす!」
そして、ふざけようとした五条も禰々の言葉を聞いて慌てて甚爾に続く。
「まったくあの人は……」
非常事態の際、一番心配するべきなのが敵の動きや生徒の安全ではなく、五条の働きというのはどうなのだろう。
ため息を一つ吐いて禰々も部屋を出ていく。
「さて……私も仕事をしましょうか」