交流会を終えた翌日──禰々が訪れていたのは羂索達の拠点の一つであるビル。
元々はとある詐欺企業の事務所だったらしいが、何かの支度をするにも、咄嗟に逃げ込むにもそれなりに好立地。更にいい具合に負の感情が集まり、なおかつ真っ当な人間は近付かないという条件の良さもあったので乗っ取ったらしい。
そのビルの一室で今は漏瑚の怒号が響いていた。
「焼き殺されたいのかキサマ!」
「何をそんなに怒っているんですか漏瑚さん。私はただ正当な契約に基づいて仕事を依頼しているだけだというのに」
テカテカと下品に輝く壺に金ピカのライオンの置物。安っぽいサイドボードなどが置かれた、一言で言えば趣味の悪い部屋。
その部屋は今や大量の書類に埋め尽くされていた。
左右前後全てが書類の山。
壺も置物もサイドボードも何も見えない。何ならまともに身動きを取ることすら難しい。
羂索、漏瑚、花御、陀艮、裏梅は、それぞれ書類の山の間に身を縮こまらせて何とか自分が立つだけのスペースを確保していた。
「何だこれは!? これを十月三十一日の計画までに終わらせろだと!?」
「アナタ達が交流会で暴れたせいで仕事が激増したんですよ。大体、何のために呪胎九相図を盗むのに協力したと思ってるんですか。人員を確保するためでしょう?」
「キサマ……よもや無理難題を押し付けて縛りの罰を押し付けるのが狙いか?」
怒りのあまり漏瑚の頭の火山からポンッと音を立てて小規模な噴火が起こる。
しかし、禰々の「書類を燃やしたらどうなるかわかってますよね?」という言葉に、漏瑚は思わず閉口した。
「別に無理難題を言っているわけではありません。高専の補助監督ならこなせる量ですよ」
「この量をこなせるだと……!?」
「ええ。何なら嘘を吐いていないか縛りを結んで確かめてみましょうか?」
嘘は言っていない。
この量の仕事をこなせる補助監督は確かに高専にいる。
禰々と伊地知だけだが。
そして、何よりPCを使いこなせることが前提である。
手書きでチマチマとやっていては絶対に終わることはない。
「言いましたよね? 私の望むレベルで仕事をしてもらうと。できないというなら縛りによる罰を受けることになりますよ?」
「うっ……」
「我々こそ真の人間なのだ──なんて言っておきながら、この程度の仕事ができないなら呪霊は今の人間に劣るということになりますが……」
「くっ……舐めるなよ小娘が! この程度の──」
言うが早いか漏瑚は手近にあった書類を手に取って目を通すが、三行ほど読み進めたところで固まってしまった。
(さっぱり理解できん……)
人語を解したところで仕事ができるかは別の問題である。
「ふむ……そう来たか。それなら……禰々、情報追加だ」
「何でしょうか」
固まった漏瑚を横目に手を上げたのは羂索。
「九十九由基の術式の情報を」
「…………!」
さすがに呪術全盛の時代を生き、数多の危機を乗り越えてきただけはある。
その嫌らしさは禰々と遜色ないと言っていいだろう。
無茶には無茶を。
九十九は特級という肩書きを与えられているにも関わらず、高専に自分の術式情報を明かしていない。
かつて羂索は九十九の術式を探ろうと総督府に潜り込んだことがあったのだが、彼女の術式を知る者は誰もいなかった。
「どうかな?」
できないと言えば禰々は情報提供するという縛りを反古にすることになる。
(もちろんこのままでは私達は仕事を消化しきれるか怪しいし、禰々は情報提供ができないことで共倒れだ。しかし、仕事の量を減らすことと引き換えに、九十九由基の術式情報の要求を取り下げると言えば……)
九十九の術式情報を知るためには彼女自身から聞き出さなければならないが、徹底的に術式を隠している以上、そう簡単に口を割ることはないだろう。
だから、禰々はこの要求を断り、羂索の言う通りに仕事の量を減らすしかない──と踏んでいたのだが。
「わかりました」
「へ?」
禰々はあっさりと頷いた。
「九十九由基さんの術式情報ですね。彼女、今は海外なので少々お時間を頂くことになりますが……」
そう言って禰々はタブレット端末を取り出すとスケジュールを調整し始める。
羂索としてはかなりの無理難題を言ったつもりだったのだが、文句の一つも言わないとは。
「随分と意外そうな顔をされていますがどうしたんです?」
「ちなみに……どうやって情報を引き出すつもりか聞いてもいいかい?」
「その体から既に情報は得ていると思いますが……彼女には夏油さんの件で散々迷惑をかけられたので、それを盾に少々乱暴にいこうかと。夏油さんへの殺人教唆を上層部に暴露するぞ、と脅すつもりです。それが通じなくてもやり方はいくらでもありますから心配しなくていいですよ」
自分ができなかったことを平然とやってのける姿に羂索は思わず舌打ちを洩らしそうになる。
本当に何なのだ彼女は。
脅されて五条を裏切った立場でありながら、こちらに全く臆した様子がない。
イレギュラーが起ころうとそれすら楽しむのが羂索だが、禰々のそれは何か違うのだ。
(まるで笑っているこちらの様を笑われているような得体の知れない不快感が……)
「ん?」
するとそのとき、羂索の持っていたスマホからメールの受信音が響いた。
スマホを操作してメールの内容を確認する羂索。
「ふーん……なるほどね。禰々、仕事の前にもう一ついいかな。メカ丸との縛りを果たしておきたいんだけど」
「ああ、情報提供の代わりに体を治す縛りを結んでいたんでしたね。でも、なぜ今?」
「交流会で花御が京都校の生徒を負傷させたのが気に入らなかったらしい。私達と手を切りたいと言ってきた。京都校の人間に手を出さないという縛りを結んだのは私と真人だけなんだけどね」
本当に京都校の人間を傷付けたくなければ禰々のように関係者全員に縛りを結ばせるべきだった。
自分の甘さが招いた結果だというのに言いがかりもいいところだ、と羂索は肩を竦めてみせる。
「わかりました。では、真人さんはそちらをお願いします。夏油さんは嘱託式の帳に使われた呪具の詳細をまとめてください。裏梅さんは復旧費用の捻出を──」
禰々はそれぞれの性格に合わせて仕事を割り振っていく。
ここにいる五人だけではとても間に合わないので元夏油一派のメンバーやその他の呪詛師、更には受肉した呪胎九相図の三人も投入しての大仕事である。
いきなり呼び出された彼らの顔が書類の山を見るなり絶望に染まったのを羂索は見なかったことにした。
まさかこれだけ大量の仕事をする羽目になるとは予想外だったのだ。
「真人! さっさと終わらせて帰ってこい! 寄り道は許さんぞ!」
「はいはい」
漏瑚の怒号を背に受けながら真人は部屋の出口に向かおうと書類の山をかき分けていく。
手っ取り早く踏みつけて進みたいのは山々だが、五条に提出するものも含まれているため乱雑に扱うわけにはいかない。
丁寧に、しかし素早く整理しなければそれだけでかなりのタイムロスになってしまう。
よくもまあこれだけの書類を持ってきたものだと真人は感心すらしてしまった。
そして、ようやくドアが見えてきたそのとき。
「あ、真人さん。やっていいのは治療だけです。くれぐれも殺さないように」
「はぁ?」
禰々の言葉に真人は思わず手を止めて怪訝な顔で振り返った。
「生かしておいて渋谷の計画を五条悟にバラされたらどうする気?」
「私も看過できないな」
書類に目を落としていた羂索も顔を上げて真人に賛同する。
メカ丸は体を治すという対価があったからこそ、他言無用の縛りをしなくても計画をバラすような真似はしなかった。
だが、体さえ治ればメカ丸がこちらに従う理由はなくなる。
ここでメカ丸を生かしておくことにメリットはない。
しかし、それでも禰々はメカ丸を殺すことをよしとしなかった。
「アナタ達とメカ丸君の縛りは今回で破棄されますが、《仕事をしてもらう》という彼と私の縛りはまだ生きているんですよ。五条さんに渋谷の計画をバラして全てが台無しになれば仕事どころではありませんからね。彼が渋谷の計画をバラす可能性はないです。どうしても殺すというなら──」
ドンッ、と羂索と真人の目の前に置かれたのは書類が詰め込まれた大きな段ボール箱。
どう見ても一人分の仕事量ではない。
それもそのはずで、これはメカ丸用に呪骸を使うことを前提に計算された仕事量なのだ。
「彼に渡す仕事をアナタ達が肩代わりしてくれるのでしょうか? 完全にキャパオーバーしますよ?」
「うっげ……また仕事?」
「私なら終わらせられるはずの仕事が期日までに終わらなかった──そんな余計な疑問を五条さんに抱かせるリスクを負うつもりですか?」
五条の名前が出たことで羂索は露骨に嫌な顔をしてみせた。
(メカ丸を殺すとさすがにこの量は厳しいか……最悪、禰々を適当な呪詛師に始末させるという手もなくはないけど……)
羂索は一瞬だけ禰々を殺して縛りを反古にしようかと考えるが、すぐに首を横に振った。
そうすれば仕事はしなくても済む。
しかし、高専からの情報源が減る上に、五条にバレるリスクも跳ね上がってしまう。
ここで五条にバレてしまえば全てが水の泡。
それではあまりにも割に合わない。
つまり今、羂索達には《大人しく仕事をこなす》という選択肢しかないのだ。
「さあ、早く仕事に取りかからないと間に合いませんよ」
◆ ◆ ◆
とある山奥のダム──メカ丸はその奥で真人の到着を待っていた。
ここが正念場だ。
何としてでも京都校の皆に会う。
そのためにはここを乗り切らなければならない。
「来たか」
すると、部屋の入り口に真人が現れる。
「おい、何だその姿は……」
「うるさいなぁ! こっちは時間がないんだよ!」
話す間も惜しいとばかりに真人はメカ丸に近付くなり手を伸ばして頭に触れると術式を発動。
一瞬でメカ丸の欠損していた右腕と両足が構築され、ボロボロだった肌も健康的なものに。
しかし、ようやく手に入れた健康体を喜ぶ暇はない。
(俺はもうヤツらにとっては敵……ここで何とか逃げ切って生き延びないといけない)
このときのために傀儡を量産し、ダムの水中にはとっておきの装甲傀儡も沈めてある。
(真人は魂を認識した上で攻撃しなければダメージを与えられないが、それも対策してある)
メカ丸は真人を睨み据えた。
ここまで徹底的に対策しても勝てる確率は決して高くはない。
しかし、やるしかないのだ。
ここで生き延びなければメカ丸の全ては無駄になってしまう。
(だが、夏油はどうした? 俺の相手は真人だけで十分と判断したのか? 二人同時に相手をするより好都合だが……)
どこかに隠れて不意討ちするつもりか。
いや、そんなことをする必要はないはずだ。
なら、なぜ夏油はこの場にいない。
何か他にやることがあったのか。
「お゛え゛ぇぇぇっ」
「────!?」
メカ丸が色々と考えていると、突然、真人は口からビニールで厳重に梱包された巨大な段ボール箱を吐き出した。
「ふぅ……これ君の仕事だから! じゃあねゲス野郎!」
元通りの体型に戻った真人は踵を返すとすぐさまダムを後にする。
てっきり始末されると覚悟していたメカ丸は呆然とした様子で書類が詰まった段ボール箱を眺めるだけだった。
「え……?」