ビルの一室では今日も今日とてキーボードの打鍵音とペンを走らせる音が響いていた。
もう何度書類の山を片付けたかわからない。
禰々から書類を受け取り、内容を確認し、必要な情報を書き込み、禰々に提出する。
受け取り、確認し、書き込み、提出する──その繰り返し。
受け取る──確認する──書き込む──提出する。
羂索達がやっていることは何も珍しくない。
世間一般の会社員がよくやっている普通の仕事の流れ。
そのえげつない量に目を瞑ればの話だが。
「裏梅さん。これ、追加の書類です」
「ぐ……ぬ……」
ドン、と裏梅の前に新たな書類の束が置かれる。
今回は五条が任務中に壊した建造物の修繕費の請求書と関係する書類だ。
本当に五条悟という男は加減というものを知らないらしい。
山は削るし、湖は吹き飛ばすし、建物は瓦礫の山に変えてしまう。
被害の規模が大きすぎるため、それらしい理由をでっち上げて偽装しているにも関わらず近隣の住民から苦情の電話がかかってくるときた。
そして、呪霊の声は非術師には聞こえないため、もっぱら対応するのは羂索か裏梅だ。
無視を決め込みたいところだが、禰々の望むレベルの仕事をするという縛りがあるため、雑な対応をすれば縛りを反古にしたと判断される可能性がある。
しかし、基本的に他人はどうでもいい彼らにとって非術師の相手はストレスしかない。
「おい……」
俯いたままの裏梅がポツリと低い声を洩らす。
一体これは誰のための仕事だ。
一体これは何のための仕事だ。
毎日毎日延々とくだらない仕事ばかり。
いや、本当はわかっている。
宿儺を復活させるために、まずは羂索の作戦を成功させなければならない。
一番の障害となる五条を封印し、虎杖に指を飲ませ、宿儺優位の縛りを結ばせる。
宿儺が肉体の主導権を永劫得るための縛りを。
そうすればまたかつてのような呪術全盛の時代が訪れる。
それまでは高専に──五条にバレないように事を進めなければならない。
そのため禰々をこちらに引き込んだのだし、仕事の遅れなどで勘付かれないようにしなければいけないこともわかっている。
わかっているからこそ大量の仕事を押し付けられても耐えてきた。
ブレるなと。
宿儺の従者としての務めを果たせと。
だが、その我慢にも限界はある。
盛大に椅子を倒しながら裏梅は勢いよく立ち上がると禰々を指さした。
「本当にコイツは協力者なのか!?」
「まあ……今のところはね」
羂索は苦い顔をしながら手にあるものを振ってみせる。
それは禰々によって嫌味なくらい丁寧にわかりやすくまとめられた資料。
二重スパイの可能性が消えたわけではないが、ここまで完璧な仕事をされては今更手離せない。
「だが、この仕事の量は何だ。やはりできない量の仕事を押し付けて縛りの罰を──」
それでも納得できない様子を見せる裏梅。
そんな裏梅を見て禰々は「ふむ……」と呟いて少々考える。
確かに飽きてくれば作業の効率は落ちてしまう。
縛りのおかげで納期は守られているが、それもギリギリだ。
ここは何か一つ鞭をいれてやらなければ。
「ああ……書類が関係ない仕事が一つありますが」
「何だ、そんな仕事があるなら早く言え」
ところがその提案に漏瑚と真人が待ったをかける。
「キサマ、自分だけ楽な仕事に逃げるつもりか!」
「それはズルいんじゃない? ムカついて芋虫にしちゃいそう」
「引っ込め呪霊! 私はキサマらのように雑事にかまけている暇はない!」
各々から漏れ出た呪力がバチバチと音を立ててぶつかり合う。
仕事そのものを放棄したいが、縛りでそれが叶わないとなれば、せめて楽な仕事をしたい。
その思いは人間も呪霊も同じである。
「では
「「「は……?」」」
しかし、禰々の口にした内容に全員が言葉を失い動きを止めた。
「仕事の内容としては五条さんを指定された任務の場所に車で送迎するだけなのですが……どなたかやりたいという人は……」
いるわけがない。
誰が好き好んで五条に会いに行きたがるというのか。
そんなことをすれば祓われることは確実だ。
「では、引き続き今の仕事をお願いします」
ギリギリと歯ぎしりしながらも漏瑚と真人は黙って書類の整理を再開する。
どんなに目の前の仕事が嫌でも五条に会いにいくよりマシだと己に言い聞かせながら。
もしも禰々が機嫌を損ねて五条の送迎を命じてくれば詰みである。
縛りによって断ることはできず、かといって禰々を殺してしまえば五条に感付かれるのはほぼ確実。
どう足掻いても逃げ道がない。
「キサマ……やはり無理難題を押し付けて縛りの罰を受けさせるのが目的か!」
「それなら最初から全員に五条さんの送迎を命令して壊滅させていますよ。むしろ命令しないうちは裏切っていないという証明になっていると思いますけど」
ぬか喜びさせられて荒れ狂う裏梅とは対照的に禰々は落ち着いたものだ。
「それに私はちゃんとそれぞれに合った仕事を割り振っていますからね。できないというならそれはただの怠慢でしょう」
「なら言ってみろ! キサマなら、どうやってこの修繕費を捻出するかを!」
「はぁ……まあ、いいですけど」
この程度のこともできないのか──そう言わんばかりの態度に裏梅の額に青筋が走った。
既に必要な額は億を超えているのだ。
銀行などを襲う手もあるが、派手に動けば高専に嗅ぎ付けられて全てが水の泡。
しかし、真面目に働いていては出費に追い付かない。
だが、それなら別の手段を講じるまで。
この程度のことは禰々にとっては何ら困難ではない。
「夏油さんから伺ったのですが、裏梅さんは千年前は宿儺の側近……専属の料理番だったらしいですね」
「ああ」
「そして、人肉を使った料理が得意だったとか」
「それがどうした」
「夏油さんは去年起こした呪術テロで右腕を丸ごと吹き飛ばされたんです。ところが今は元通りになっている。つまり欠損した手足を完全に復元できるほどの反転術式が使えるということですよね」
そもそも反転術式を使える術師がほとんどいないことから、それが如何に高度な技術かはわかるだろう。
その上、ない腕を生やすなんて芸当はそうできるものではない。
「普通は片方しか取れませんが、どうせ再生できるなら両方取ってしまいましょう。倍速で片付きますし」
「ん?」
禰々の言葉に羂索は思わず読んでいた資料から顔を上げた。
反転術式──片方──金策──羂索の脳裏を過る何かとてつもなく嫌な予感。
ひきつった顔をダラダラと汗が滑り落ちていく。
「待て。まさか──」
「
「君は人の心がないのか!?」
絶叫する羂索など知ったことではない。
今、この資金難を乗り切るには
幸いにも片方は死人、もう片方も戸籍の残っていない人間である。
違法だろうが何だろうが関係ない。
利用できるものはとことん利用するのが禰々のスタイルだ。
更に禰々は裏梅に近寄ると、ダメ押しとばかりに囁きかける。
「宿儺様のためですよ」
「宿儺様のため……」
「夏油さんと宿儺様どちらが大事かは明白ですよね?」
「宿儺様……」
「それに脳はアナタ達の知り合いでも、肉体は他人です。何も問題ありません」
「何も……問題ない……」
「おい、洗脳するんじゃない」
人間、疲れているとまともな判断などできなくなるものだ。
禰々が術式で作り出した大振りの包丁を握りしめると裏梅はフラフラと羂索へ歩み寄る。
「う、裏梅……?」
「安心しろ。キサマなら私の腕のほどはよく知っているだろう。殺すようなヘマはしない」
疲れきった今の裏梅の頭の中は仕事を終わらせることでいっぱいだ。
元々倫理観など彼方に置き去ってきているため、羂索を掻っ捌くことに躊躇はない。
「さっさと寝転べ。これ以上私を待たせるな」
「いやいや!? もう少し別の方法を──」
「なら三秒やる。その別の方法とやらを言ってみろ。この莫大な修繕費を期限までに賄える方法があるならな」
裏梅に完全に据わった目で睨まれて羂索は思わず閉口した。
かつて夏油が宗教団体を使って集めた金は既に使いきってしまっている。
現状、大金を稼ぐ術は違法なやり方しかない。
ギャンブルに残った金を注ぎ込むという手もなくはなかったが、それで負債を増やしてしまってはいよいよ詰みだ。
それでもこれはないだろう……と困り果てた羂索は「何かもっとマシな案はないのか」と禰々に視線で問いかける。
すると、羂索の視線に気付いた禰々は一つ頷くと──
「すぐに麻酔用意しますね」
「違うそうじゃない」
いやどうも大変遅くなりまして……未だに見てくれている方々はお待たせして申し訳ありません。年始早々からの風邪→風邪(二回目)→インフルエンザA型という体調不良コンボからようやく少し回復しました。これからまた少しずつ書いていきますので気長にお待ちください。