中学校からしばらく車を走らせて着いた八十八橋は伏黒の言う通り普通の橋だった。
人も車も疎らだが普通に渡っている。
街灯が橋の入口と出口にしかないため、暗くて不気味と言われればそうかもしれないがそれだけだ。
呪術的なものは今のところ見つからない。
「呪霊が確認でき次第、帳を降ろすっす」
「了解!」
しかし、辺り一帯を捜索しても呪霊の姿は確認できなかった。
ダメ元で虎杖の足首をビニール紐で固定し、橋から飛ばせてみたものの、やはり何も起こらない。
こうなれば後は気配を探りつつ呪霊が出てくるのを待つのみ。
三人並んで手すりに腰かけてひたすら待つ。
待つ──待つ──待つ。
「なあ……」
やがて沈黙に耐えきれなくなったのか虎杖が口を開いた。
「ただ待ってるのも暇だし、さっきの話聞かせてくれよ。伏黒がヤンキーボコってたってやつ」
「……別に面白い話じゃねぇよ」
「アンタ、自分の話をしなさすぎなのよ。あんな話聞かされたら気になるじゃない」
「…………。はぁ……わかった」
◆ ◆ ◆
中学時代──
「おかえりなさい。津美紀さん。恵君」
「ただいま、禰々さん」
「……ども」
二人が学校を終えて家に帰ると禰々がリビングから顔を覗かせる。
「甚爾さんは緊急で呪物の回収任務に行ってもらいましたよ」
「そうですか」
伏黒が高専に入学するまで禰々は度々伏黒家を訪れることがあった。
甚爾へ任務の依頼をするためだったり、伏黒が覚えておくべき呪霊や術式に関する資料を渡すためだったり。
今日もそういう日だったらしい。
しかし、よりによって今日来なくても……と伏黒は僅かに顔を顰めた。
「おや? 恵君、頬が少し腫れてませんか?」
「……気のせいです。それじゃ」
伏黒は何か言われる前に部屋に逃げ込もうとさっさと禰々の脇を通り過ぎようとするが、それは津美紀が許さない。
「聞いてくださいよ、禰々さん。恵がまた喧嘩したんです」
「おいっ……余計なこと言うんじゃねぇ……!」
「禰々さんからも言ってやってください。中学に入ってからずっと喧嘩ばっかりで……」
「ふむ……恵君、ちょっとこちらへ」
禰々は少し考える様子を見せると伏黒を台所まで引っ張っていく。
伏黒は少しだけ津美紀のほうを振り向いて「よくもチクったな」と軽く睨むが、津美紀はフンと顔を逸らすと部屋に籠ってしまった。
「で、何があったんです?」
「別に……何もないですよ」
向かい合って座るなり禰々はストレートに切り出したが、伏黒は苦々しい顔で俯いているだけ。
話すつもりはないらしい。
そんな伏黒を見て禰々は小さくため息を吐くと──
「大方、カツアゲを見つけたとか、イジメの現場に遭遇したとか、そんなところじゃないですか?」
「────!」
見てきたように言い当てられた伏黒は驚愕に目を見張った。
「何で……」
「何年アナタを見てきたと思ってるんです? それくらいわかりますよ」
自由過ぎる五条に比べれば伏黒の行動など至極読みやすい。
そして暴力に走るにしても夏油ほど極端に暴走するような人間でもないため、そのあたりは信用できる。
それでも津美紀が怒るのは単に伏黒のことがどうしようもなく心配なのだろう。
普通はそういうものだ。
「それで? 恵君はこれからどうするつもりなんですか?」
「どうするつもりって……」
「普通なら津美紀さんの言う通り喧嘩をやめて、代わりに話し合いで穏便に解決するのがいいでしょうね」
ただし、それで状況が改善するかは怪しい。
不良や半グレに正論をぶつけたところで聞き流されるのがオチだ。
教員へ報告した場合も同様だろう。
「下手に首を突っ込めば恵君がターゲットになる可能性もありますし、喧嘩ができないなら君は逃げるしかありません」
それもまた状況が改善したとは言えない。
結局伏黒が傷付く羽目になれば津美紀は心を痛めるだろう。
「あるいはカツアゲやイジメの現場を見ても無視するという手もありますが」
「それは……」
首を突っ込まず、ひたすら無関係を貫く。
そうすれば伏黒が傷付くことはない。
だが、伏黒は悪人がのさばり、善人が傷付くのを良しとしない。
「あの……禰々さんが俺の立場ならどうしますか?」
「そうですねぇ……少々荒っぽくはなりますが、最小限の被害で事を収める手はありますよ」
「え?」
「あの家でイジメを生き甲斐にしているような人間なんて腐るほど見てきましたからね。その対処なら慣れたものです」
どういう対処をしたのか聞きたいような聞きたくないような。
いつの間にか禰々の目からはハイライトが消えている。
こういう目をするときは大体何かろくでもない過去を思い出したときだ。
地雷を踏んでしまったか……と伏黒が冷や汗を流したそのとき。
「帰ったぞ」
ガチャリと玄関の戸が開く音がしたのでそちらに目を向ければ甚爾が帰ってきたところだった。
「甚爾さん、おかえりなさい。呪物は回収できました?」
「ああ」
台所に入ってきた甚爾は手に持っていた小箱を机に置く。
それを禰々は慎重に持ってきていたアタッシュケースの中へ。
代わりに禰々が机の上に置いたのはかなりの厚みがある茶封筒。
それを甚爾は自らのポケットへ無造作に突っ込んだ。
「さて、増やしにいくとするかな」
軍資金を手に入れた甚爾は意気揚々とまた出ていこうとするが、そこでようやくチラリと伏黒に目を向けた。
「何だ、オマエまた怪我してんじゃねぇか。五条の坊にやられたか?」
「うるせぇ」
ニヤニヤと笑いながら腫れた頬を突っついてくる甚爾の手を払い除けて、伏黒は盛大に舌打ちを洩らす。
(昔から散々バカにしてきやがって……)
五条との稽古でボコボコにされて帰ってきた日にはそれはもう笑われたものだ。
血の繋がった親子でも、規格外の肉体を持つ甚爾のようになれるわけがない。
だから伏黒は五条にいくらボコボコにされようと甚爾にアドバイスや稽古を頼むことはなかった。
「甚爾さん、ちょうどいいので何か恵君にアドバイスあります?」
「ちょっ……禰々さん!」
しかし、禰々にはそんな伏黒のプライドやこだわりは関係ない。
使えるものがあるなら使えばいいのだ。
制止しようとする伏黒を無視して禰々はこれまでの経緯を洗いざらい吐いてしまった。
「ふーん……なるほどねぇ」
事態を把握した甚爾は少々呆れた様子で伏黒に目を向ける。
その顔には「素人に反撃されるとかザコすぎるだろコイツ」とはっきり書いてあった。
仮にも呪術師最強である五条に鍛えられたのに、うっかりとはいえ素人の拳を受けてしまうとは情けない。
伏黒もそれがわかっているからこそ今回の喧嘩は禰々達にバレたくなかったのだ。
「チッ……禰々さん、こんなヤツに相談したところで──」
「まず視野が狭ェし、殴り方が甘いから反撃くらうんだよ。一撃で確実に仕留めろ。多人数相手ならそれが鉄則だ」
「え?」
「後はわざわざ正面に出ていく必要ねぇんだよ。気配を殺して背後からいきなりぶちかますくらいでちょうどいい。実際、五条の坊にもそれで一撃入れたしな」
「いや……」
「それから監視カメラがないか確認すんの忘れんなよ。できれば人目につかねぇ路地裏でやるのがベストだ。警邏にも気をつけろ」
「ちょっと待て……」
「後は相手にしっかり恐怖と敗北の記憶を植え付けて格付けを済ませておけ。報復なんてされたらダルい」
「あ、呪術規定に引っ掛かるとマズいので術式は使わないでくださいよ」
「あー、そうだな。じゃあ、呪具も渡さねぇほうがいいか。職質されても面倒だ」
「おい!」
ついに伏黒は勢いよく立ち上がった。
椅子が派手な音を立てて倒れたが、そんなことはどうでもいい。
それよりも──
「やめろって言わねぇのかよ……?」
一応とはいえ保護者なのだから暴力沙汰を起こしていれば止めるのが普通だろう。
しかし、禰々と甚爾はきょとんとした顔で顔を見合わせる。
それはまるで「なぜやめる必要が?」と言わんばかりに。
「実家出てくるときに今まで散々猿だ何だとバカにしてきたヤツらボコって出てきたからなぁ」
「私も即時報復が基本ですし、気に入らない相手は叩き潰してきましたからねぇ。それなのに恵君のことを咎めるなんてことはできませんよ」
二人の言葉を聞いて伏黒は思わず頭を抱えた。
(そうだった……この二人、そういうことに全く躊躇しねぇんだ)
敵、あるいは障害になると認定すれば誰だろうと容赦なく殲滅する。
それが最強の五条であろうともだ。
ああ、それからもう一つ──と二人は声を揃えて言った。
「「やるなら徹底的に」」