深夜──虎杖達三人は再び八十八橋を訪れていた。
というのも藤沼姉弟を送っていった新田が有益な情報を持ち帰ってきたのだ。
「藤沼さんは八十八橋の上には行ってないっす。肝試しは橋の下で行われたっす」
「下なら虎杖も行きましたよ」
「多分、上から降りちゃダメなんすよ。呪霊が結界内にいるなら手順は大事っす」
恐らく結界内に入るための条件は三つあると新田は言う。
武田が言っていた「
藤沼の「肝試しは
そして最後にもう一つ。
「
峡谷の下を流れている小さな川。
川や境界を跨ぐ──彼岸へ渡る行為は呪術的に大きな意味がある。
すると、三人が川を跨いだその瞬間、足元からバチバチと紫電が走った。
ビンゴだ。
「────!」
目の前が一瞬にして洞窟のような景色に変わる。
結界の中に入ることには成功したらしい。
あちこちに開いた穴からポコポコと顔を出し入れしているのはモグラのような呪霊。
モグラ叩きの要領で出口を潰していけば祓いきるのはそう難しくなさそうだ。
「ん?」
そのとき──何かが走ってくる足音が三人の耳に届いた。
「あ゛?」
すると、虎杖達に続くように結界の中に飛び込んできたのは血塗。
その異形の様相に虎杖達の警戒は一瞬で最大限に高まった。
「伏黒、コイツ別件だよな?」
「ああ」
「じゃあ、オマエらはそっち集中しろ。コイツは俺が祓う」
虎杖達は素早く二手に別れ、伏黒と釘崎は呪霊を祓い始める。
そして虎杖はその場に残って拳を構えた。
やはり戦闘は避けられないらしい。
まあ、普通はそうだろう。血塗の姿を見て警戒するなというほうが無理だ。
(やっぱりこうなるかぁ……)
戦闘は想定内。問題はここから。
血塗は禰々に教えられたことを思い返していた。
「特に注意しなければいけないのは虎杖君──宿儺の器です」
常人離れした身体能力、格闘センス。いくら攻撃を受けても倒れないタフさと折れない心。
近接戦闘では壊相達でも分が悪い。
距離を取りつつ結界の外まで誘導するのがベストだ。
「無理に彼を引っ張り出そうとしても振り払われるでしょうから、まずは他の二人を確保して離脱してください。仲間思いの虎杖君なら必ず追ってきます」
(──って言ってたな)
壊相が二人を確保しやすいように血塗は虎杖を足止めしておく。
虎杖に遠距離攻撃はないが、速力は相当のもの。
油断すればすぐに距離を詰められてしまう。
また、この作戦にあまり時間はかけられない。
伏黒と釘崎が呪霊を祓いきって虎杖に合流すればより一層分の悪い戦闘になってしまう。
こちらはこれから彼らに色々とお願いをしなければならない立場なのだから反撃するのもマズい。
そして、指を取り込んでいるであろう呪霊のこともある。
今はまだ姿が見えないが、現れれば厄介だ。
特級呪霊が出てくる前に三人を結界の外に出さなければ。
(難題だなぁ……)
しかし、これだけは何としても成し遂げなければならない。
ここでしくじれば九相図兄弟に未来はないのだから。
「プッ!」
とりあえず毒を含む自分の血をこれ見よがしに地面に撒き散らしてみせる。
虎杖は猛毒である宿儺の指に耐えるほどの耐毒性を持つため血塗の毒は効かない。
分解の痛みだって虎杖は耐えるかもしれない。
だが、それでも自ら得体のしれない液体を被りにくることはないだろう。
と、思っていたのだが。
「フッ!」
(それでも攻めてくるのかよコイツ!?)
その真希を凌ぐ身体能力を存分に発揮して、当たる前に躱して倒せばいいとばかりに虎杖は躊躇なく距離を詰めてきた。
慌てて飛び退くと虎杖の空振った拳が地面を砕く。
(何てパワーしてんだよぉ! 頼む兄者ぁ! 早く! 早くソイツら引きずり出してくれぇ!)
その血塗の願いが通じたのか、ちょうど釘崎が結界の壁際を通った瞬間、結界の穴から伸びてきた壊相の手が彼女の腕を掴んだ。
完全に不意を突かれた釘崎は体勢を立て直せない。
呪霊に集中していた伏黒も反応が一瞬遅れた。
「釘崎!」
「問題ない。アンタはモグラを祓え」
しかし、釘崎は落ち着いた様子でそう告げると穴に吸い込まれていった。
こういうときにパニックにならない釘崎の胆力はさすがだが、ここで新たなイレギュラーが起こるとは完全に想定外だ。
「何だ今の……!? モグラとさっきの……どちらでもない……!?」
「釘崎?」
そして、虎杖も異常を察したらしい。
血塗への攻撃を中断し、視線をそちらに向けた。
(とりあえずは一人確保できたかぁ。もう一人も穴の近くにいるし……宿儺の器の攻撃も止んだ)
それならば今がチャンスだ──と血塗は虎杖に背を向けて走り出す。
「逃げた!?」
虎杖は「そんなのアリか!?」とでも言いたげに驚愕を露にするが、血塗からすれば予定通りの行動だ。
そして、虎杖が慌てて追ってくるのを確認しながら結界の穴に向かっていた血塗だが、ふと穴の目の前で足を止めた。
一番穴の近くにいる伏黒が追ってくる様子を見せないのだ。
「何だぁ? オマエ、まさか一人で戦うつもりなのかぁ? 危ないんじゃないのかぁ?」
「何……?」
呪霊が想定より楽に祓えそうだったせいで伏黒は自分一人でも十分だと判断してしまったらしい。
呪霊に反撃できるだけの攻撃力があったり、一人では力不足だと判断すれば撤退も兼ねて結界の外まで追ってきただろうに。
「うおおっ!」
「うおっ!?」
すると、立ち止まっていた血塗に追い付いた虎杖が隙アリとばかりに飛び蹴りを放つ。
(仕事増やすなよぉ……何でコイツら素直に退くって発想がねぇんだよぉ)
まだ特級呪霊は姿を現していないし、一旦虎杖だけでも外へ出すのを優先するべきか。
もしもここで特級呪霊を迎え撃つことになれば虎杖と伏黒を守りながら戦うのは分が悪い。
とりあえず壊相の指示を仰ごうと血塗は穴へと飛び込んだ。
「放っておいていいのか!?」
「そのまま追え! 釘崎もソイツも結界の外に出たんだ! 予想以上にメンドくせぇのとバッティングしてるかもしれねぇ!」
「……ヤバくなったら伏黒も出てこいよ……!」
そう言って虎杖は血塗を追って穴へ飛び込む。
血塗としてはヤバくなる前に伏黒も出てきてほしかったのだが、こればかりは仕方がない。
いつ特級呪霊が出てくるかもわからないこの場で自分達の事情を長々と説明している暇はなかった。
「このっ……触んな!」
一方、結界の外に引きずり出された釘崎は相手の影を捉えるなり、すかさず釘を放つと同時に掴まれていた腕を振りほどく。
「女性でしたか。これは失礼」
「げっ……」
さて、何者だ──と視線を上げた釘崎が見たのはモヒカンに蝶ネクタイ、女性物のボディハーネス、Tバックを着けた男。
思わず釘崎はその変態的なファッションに顔を歪めた。
(呪霊? 呪詛師? どっちだコイツ……)
しっかりと人型をしているため人間のように見えるが、呪力の圧からするとかなり上位の呪霊のようにも感じる。
どちらにしても適当に捌ける相手ではない。
釘崎は油断なく金槌を構え直した。
「おや? 何か勘違いされているようですね。私達に課せられたお遣いは──アナタ達の保護ですよ」
「はぁ?」
困惑する釘崎の前に壊相は指を一本立ててみせる。
「まず一つ、お伝えしておきますが、ここには宿儺の指が眠っています。そして、恐らくそれは呪霊に取り込まれている可能性が高い」
「────!」
「宿儺の指を取り込んだ呪霊が特級相当まで強化されるのはご存知のはず。しかし、アナタの術式は対象の一部を利用する術式でしょう? 特級呪霊の一部を奪取するというのは並大抵のことではありません。下手に近付けば呆気なく死にますよ」
「テメェ……何で私の術式知ってんだよ」
「教えていただいたからですよ。誰から……とは答えられませんが」
壊相が喋っている間も釘崎は頭をフル回転させて状況を整理しようとする。
だが、如何せん情報が足りない。
わかっているのは八十八橋の呪霊とは別件であるということ。
更に最低でももう一人、こちらの事情を把握している仲間がいること。
(宿儺の指云々って話も本当って確証はどこにもないけど……もしもマジだったらヤバいわよね)
できることなら結界内に戻って二人の援護をしたいが、こちらを放っておくわけにもいかない。
ここに釘付けになっている以上、釘崎は二人の無事を祈ることしかできなかった。
「そこに加えていつ暴走するかもわからない宿儺の器。特級を相手にするには不安材料が多すぎる。増援も期待できませんしね。本来なら呪霊の等級が判明した時点で退くのが正解だったでしょうに」
「何なのよアンタ……気持ち悪いくらいこっちの事情把握しやがって」
「ですから、アナタ達にはここでおとなしく待っていてもらいたいのです。我々なら指一本分の呪霊くらい対処できますから」
「はい、そうですか──なんて言うわけねぇだろ!」
釘崎はポケットから素早く釘を数本取り出すと壊相に向かって放つ。
だが、壊相も無駄に華麗なステップで易々とかわしてみせた。
「おかしいですね。合理的かつ現実的な提案をしたつもりですが」
「呪霊か呪詛師かもわかんねぇヤツの言うことなんて信じられるか!」
「ふむ……まあ、当然の反応ですね」
しかし、ここで反撃してしまえばいよいよ話が拗れてしまう。
それが禰々の縛りに抵触すれば更にマズい。
「とは言っても……信じてくださいお願いします、で聞いてくれるお嬢さんではないようですし。ここにいてくれるのなら実質保護しているようなものですが」
「何ブツブツ言ってんだコラァ!」
壊相が思考を巡らせる間も金槌を振り回しながら向かってくる釘崎。
血気盛んにもほどがある。
とりあえずはその攻撃を捌きつつ、壊相は血塗が出てくるまでの時間稼ぎをすることにした。
芻霊呪法は術式範囲の制限が緩く、対象の一部を奪取してしまえば格上にも通じる便利な術式だが、逆に言えば体が欠損するような攻撃を受ける愚を犯さなければそこまで怖くはない。
しかも、壊相は反撃を考える必要がないため、ひたすら攻撃を回避することのみに集中できる。
「どうした! かかってこねぇのか!」
「言ったでしょう。私達のお遣いはアナタ達の保護だと。保護対象を攻撃するほど私はバカではありませんよ」
釘崎の煽りにも壊相は動じない。
(乗ってこないか……逆に気味悪いわね)
また数本釘を打ってみるが、やはり躱されてしまう。
ことごとく攻撃を躱されて時間だけが過ぎていくことに釘崎が苛立ち始めたとき──
「兄者ぁ! 一人連れてきた!」
「虎杖!?」
釘崎が引っ張り出された穴から血塗と虎杖が飛び出してきた。
「釘崎! どういう状況?」
「私だってわけわかんないわよ。ただアイツ、私達を保護しにきたとか言ってたわ」
「はぁ? 保護?」
「信じられないでしょ? でもさっきからアイツ、一切反撃してこないのよ」
虎杖も壊相に目を向ける。
奇抜な格好だし、纏う気配からして普通の人間ではないことは嫌でもわかる。
だが、敵意というか害意らしきものはまるで感じない。
(そう言えば……最初のヤツも全然反撃してこなかったな。躱してるばっかりだったし)
しかし、どこまで信用したものか。
虎杖と釘崎が悩んでいると壊相が口を開いた。
「ん……? 血塗、事前の情報では後一人いるはずでは?」
「アイツ、呪霊を祓うつもりみたいだったぞ。追ってこなかった」
「何ですって? 仕方ないですね……また引っ張り出すとしましょうか──ん?」
再び結界に手を入れようとした壊相だが、それはすぐに何かに阻まれてしまった。
呪霊が展開していた結界の内側にもう一枚何かがある。
「これは……どうやらお仲間が領域を展開したようですよ?」
「え? マジで?」
「嘘でしょ……!?」
領域展開は呪術の極致。
そう簡単にできることではない。
それをぶっつけ本番で成功させたのか。
(でも、特級相当の呪霊とやり合って無傷で済むわけないでしょ)
釘崎の懸念は当然だった。
しかも、領域展開の呪力消費は普段の比ではない。
もしも呪霊を祓うより先に伏黒の呪力が尽きてしまえば最悪だ。
だが、助けにいこうとしてもそれは難しい。
「領域は外から中に入ることは容易ですが……迂闊に入ると私達までやられてしまうかもしれません。いきなり必中術式の対象を絞りながら戦うなんて高度な結界術ができるとも思えませんし」
「ってことは……」
「待つしかありません。彼の領域が閉じるか指の寄主を祓うまで」
少年院で玉犬・白が破壊されてないから玉犬・渾が使えないのは少々ミスったかなぁ……と思った今日この頃。