「なぁ、何か今日おかしくね?」
「言われてみれば……何となく雰囲気がピリついてるわよね」
「伏黒はどう思う?」
しかし、伏黒から返事はない。
訝しんでそちらを向けば、伏黒は視線を彷徨わせながら必死に何かを思い出そうとしているようだった。
「……虎杖、釘崎。今日禰々さんと会ったか?」
「え? えっと……会ってねぇな」
「私も……」
駐車場、職員室、食堂、談話室──仕事をしている姿どころか、廊下ですれ違った記憶すらない。
休みなのかと考えたが、それはない。
先日の八十八橋の件。特級呪物の受肉体が二体絡んでいたということで色々と大騒ぎになっているのに、そんな状況で禰々が休むことはないし、休めもしないだろう。
(ということは……)
伏黒は何か嫌な予感があった。
というよりほとんど確信に近い。
禰々が何か普段と違う行動を取っている。
取らなければいけないような事態が発生している。
「オマエら……腹括れ」
「「え?」」
「一つ確実に言えるのは、これから何かとんでもねぇことが起こる」
伏黒の言葉を裏付けるように、その直後、三人のスマホから同時にメールの着信音が響いた。
「伊地知さんから? えーっと……緊急連絡。今すぐに地下室へ集合してください──何よこれ?」
「行くぞ。急げ」
「え、ちょっ……伏黒、マジでどうしたんだよ? めちゃくちゃ顔色悪いけど」
「そりゃ顔色も悪くなるだろ……こうなるといよいよヤバいぞ」
メールを読むなり、説明する時間も惜しいとばかりに伏黒はさっさと歩き出し、虎杖と釘崎はその後を早足でついていく。
途中、廊下で会った順平とも合流。
「虎杖君、このメールって……」
「あー……俺もよくわかんねぇんだけど、伏黒が言うには何かめちゃくちゃヤバいらしい」
何がどうヤバいのか聞きたいところであるが、虎杖が順平と話している間にも伏黒はどんどん先へ進んでいってしまう。
ここまで余裕がないとなると事態は相当深刻らしい。
「伊地知さん、このメールって──っ!?」
伏黒が地下室のドアを開けた途端、部屋の中は肌がヒリつくほどの緊張感に包まれていた。
術師も補助監督も顔が強張っているし、誰も言葉を発さない。
順平はあまりに重苦しい空気のせいで死にそうなほど青ざめている。
明らかに普通ではない。
いや、緊急で連絡が来ているのだから当然なのだが、それにしてもだ。
とりあえず入口で揃って突っ立っているわけにもいかないので全員揃って部屋の中ほどまで進んでいく。
「あ、ナナミン──」
術師や補助監督の間を進んでいくと七海を見つけて声をかけようとした虎杖だが、その雰囲気に思わず口を閉じた。
いつもと同じ仏頂面なのに雰囲気だけが異様な威圧感を放っているのだ。
(話しかけられる空気じゃねぇ……つーか、何あの雰囲気だけで人殺せそうなナナミン……)
すぐ隣には五条も立っていたが、やはりいつもより纏う雰囲気は固い。
それでも虎杖達を見つけて小さく手を振るだけの余裕はあるようだったが。
「や、皆来たね」
「五条先生、これって……」
「うん。伊地知から説明あるから」
それから真希達、高専の外にいたであろう術師や補助監督達が何人か駆け込むようにして地下室に入ってきたが、皆一様に表情は強張っている。
数分経って召集をかけた全員が来たのを確認してから伊地知が前に出てきた。
「皆さん、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。早速ですが緊急招集の理由を説明させていただきます」
そして、伊地知はいつかの少年院のときのように「非常事態。そして異常事態です」と前置きをしてから緊張した面持ちで告げる。
「今朝から禰々さんと連絡が取れません。スマホのGPSも確認できませんでした」
その言葉に禰々と過ごした時間がまだ短い虎杖、釘崎、順平は明らかに動揺していたが、その他のメンバーは落ち着いたものだった。
皆気付いていたのだ。
普段、休日などろくに取らない──取ってもなぜか高専に呼び出されることになっている禰々の姿が見えないのは異常だと。
そして、この失踪はただの失踪ではないということも。
「ただし、失踪の手がかりになるかもしれないものがデスクの引き出しに入っていました」
伊地知が取り出したのは分厚い書類の束。
そして、いくつかの道具だった。
「禰々さんからの指示書と、それに必要な道具です。ただし、
日時も、場所も、誰が相手なのかも、なぜ動くのかも不明。
内容は端的な指示と実行役の名前が書かれているだけ。
「恐らくは何者かに他言無用の縛りを結ばされたと考えるのが妥当かと。相手の内情を伝えられなくても、あくまでも禰々さんからの指示という形で動けば縛りを破らず対応できます」
禰々らしいやり方だ。
ルールに則った上でその穴を突く。
縛りなんてものは禰々にとって何の意味もない。
「あー、ちょっといい? その件で少しだけ情報があってさ」
そこで五条が手を挙げる。
丸っきり情報なしで動くというのもいささか厳しいところはあるだろう。
いくら禰々が信用されているとしてもだ。
「禰々がいなくなったってことは相手は割とすぐ動くはずだ。それにここ最近不審な動きをしてたヤツらがいたでしょ」
「例の特級呪霊達ですか?」
「そう。敵として想定されるのは富士山頭、雑草、ツギハギ……交流会の裏で奪取された呪胎九相図の残りの一番もいるかな。後は呪詛師もいるだろうね」
少なくとも特級呪霊が数体いるという事実に術師達の緊張が更に高まる。
ここ数ヶ月の間に連続して現れているが、本来は特級呪霊と会敵することなど滅多にないのだ。
「後、確実なのはソイツらに指示を出してる黒幕がいる。それも恐ろしく腕が立つ上に頭も切れるようなヤツが」
更なる混乱を防ぐために五条は夏油の体が乗っ取られていることは伏せる。
「まあ、相手が何にしてもまずはその指示書かな。何が書いてあんの?」
五条に促され、伊地知は一番上に置いてある指示書を手に取った。
「まず一枚目の指示ですが……信用していいのはこの指示書だけ。上層部の指示にも従わないようにとのことです。つまり──最悪、上層部から処刑されるリスクがあります」
また、この指示書自体が罠である可能性もある。
そうだとすれば自ら死ににいくも同然。
「ですから、これから作戦に参加する方々はくれぐれもよく考えた上で──」
「何わかりきったこと言ってんの?」
だが、五条はその懸念を叩き切った。
何のために自分達はここに集まったと思っているのか。
禰々がいなくなった時点でただ事でないのは百も承知。
それでも伊地知が声をかけた全員がここにきた。
もう答えは出ているも同然だろう。
「愚問でしたね……では、それぞれに指示書を配ります」
伊地知が指示書の束を分けて配っていく。
その反応は様々だ。
納得したように頷く伏黒、目を見開く釘崎、難しい顔で指示書に目を通す順平。
やはりというべきか、あの禰々の指示なのだから常識的なやり方ではないのだろう。
そして虎杖に渡された指示の内容は──
「《自己防衛》と《単独行動禁止》……?」
「んー……まあ、要するに悠仁は無理に戦うなってことだね」
「えっ!?」
非常事態だというのにまさか戦うなと言われるとは。
虎杖の顔に明らかな不満が浮かぶ。
「
「待て待て。何にもわかってねぇじゃん」
それに待ったをかけたのは一級術師の日下部。
「頼むぜ虎杖。オマエはまず自分がどんだけヤバい爆弾なのか自覚しろ」
虎杖は高専入学前に五条と話したときに言ったのだ──何で俺が死刑なんだって思ってるよ、と。
伏黒を守るために命を懸けたのに、その代償が死刑とはあんまりだと言いたくなるかもしれない。
しかし、それは
宿儺は今よりも遥かに化物揃いの呪術全盛の時代に呪いの王として君臨し、千年経っても語り継がれるような存在だ。
そんな存在を内包しているというのに五条ときたら、若人から青春を取り上げるなんて許されていないと言ってほぼ放置している。
周りの人間は思った──代わりに自分達の命が危険に晒されるのは許されるのか? と。
虎杖と接した者なら彼が善人なのはわかる。
短い青春が大事なのもわかる。
しかし、自分達のすぐ隣に爆弾が置かれているのを許容できる人間ばかりではないのだ。
しかも、虎杖は誰かを助けるためなら自らの危険を省みずに戦場に飛び込んでいくものだから、何かの弾みで宿儺が出てきたらどうするのかと周りは気が気ではない。
「オマエの死刑保留は禰々の信用と五条っつーブレーキ役がいてギリギリのところで成り立ってるに過ぎないんだよ」
虎杖が宿儺の指を全て飲んでから死刑になれば宿儺を殺しきることができるというメリットはあるが、それに至るまでのリスクがあまりにも大きすぎる。
今までなら五条が杜撰な管理をしていても禰々が何とかしてくれるという信用があったことで日下部は何も言わなかったが、禰々がいなくなったとなれば話は別だ。
五条だけで虎杖を管理など絶対にできるはずがない。
しかも、これから特級呪霊が数体出てくる何かが起こるときた。
頼みの綱の禰々の失踪、手綱が外れた五条、特級呪霊絡みの事件──トリプル役満で日下部の胃は既にキリキリと痛み始めている。
そこに虎杖が作戦を無視して動くなど冗談ではない。
「五条が特級呪霊の相手してるときにオマエが肉体の主導権を奪われたらどうする。俺は宿儺の相手なんて自殺行為ゴメンだね」
現状、完全体には程遠くとも呪いの王。
有象無象の術師が相手をするには荷が重すぎる。
しかし、放置もできない。そんなことをすれば宿儺は自由気ままに目についた人間を殺し始めるだろう。
「五条さんがいなくなっても致命的ですが、宿儺が暴走して術師、非術師が大量虐殺されるということになれば、それもまた看過できる事態ではありません」
「ナナミン……」
それに──と七海は続ける。
「虎杖君がツギハギの天敵なのは相手もわかっています。それでも仕掛けてきたということは相手は何か考えがあるということでしょう」
真人の相手ができるとすれば虎杖のように魂を知覚している者か真人の領域に対抗できる者。
しかし、相手からすればわざわざ天敵と戦う理由はないし、何なら五条さえどうにかしてしまえばそのまま逃げてしまってもいい。
五条がいなくなれば呪術界は大混乱の挙げ句に勝手に自滅するということも十分ありえるからだ。
「がっつり五条と虎杖の対策をしてきてる相手の読みを上回って倒す、あるいは退けなきゃならんって話。で、そんなことができるのはアイツだけだ」
この中にいる誰よりも禰々はその手のことに長けている。
そんな禰々の案を蹴ってまで虎杖のこだわりを通す理由はない。
そして、五条もさすがに今回は七海や日下部の意見に賛成らしい。
「いつもみたいにフォローしてあげたいところなんだけどねぇ……ここは指示通りに行動しないと怖いんだよね。だって想像してみてよ。あの禰々が何かやろうとしてるんだよ?」
五条の無下限を様々なイタズラで攻略し、甚爾をシュールストレミングで悶絶させ、直毘人の録り貯めたアニメを消し、直哉をズタボロに追い込み、東堂に激臭団子をぶつけるような人間だ。
考えを読めというほうが無理である。
その上、他言無用の縛りのせいで情報もある程度の精度しかない。
そんな状況で好き勝手に動くなど地雷原を地図なしで歩くに等しい愚行。
「犠牲が悠仁一人で済むならまだいいけど、最悪ここにいる全員が巻き込まれる。あまりにも割に合わないでしょ」
人を助ける。せめて正しい死に導く──と言っておきながら虎杖のせいで周りの人間を殺してしまっては元も子もない。
「恵達も《みんなが戦ってるのに一人だけ帰れない》とか、《自分にも何かできることがあるはずだ》とか、そんなことは絶対に考えないで。確実に指示書の内容に従って行動すること。いいね?」
「わかってますよ。むしろ一番心配なのはアンタでしょ」
一見まともなことを言ってみせる五条だったが、伏黒達から返ってきたのは呆れた視線だった。
今までどれだけ禰々の指示を無視して好き勝手やってきたと思っているのか。
「大丈夫。僕、最強だから。何とかするって」
「あ……」
いつものセリフとともに自信満々に笑ってみせる五条だが、それを聞いた途端、伊地知の顔が絶望に染まった。
「え? 何?」
「いえ、別に……」
気まずそうな伊地知の視線は手元の指示書の内の一枚に向けられている。
何かを察した五条はツカツカと伊地知に詰め寄るとその指示書を引ったくった。
「何々……《五条さんが「大丈夫。僕、最強だから」などと言い出した場合、確実に大丈夫ではないので一切の言動を信用しないでください》……ひどくない!?」
「むしろ的確な指示だと思いますが」
七海の言う通りである。
五条の「大丈夫」という言葉は、五条自身は大丈夫かもしれないが、周りの被害は全く考慮していないということ。
絶対に何かしわ寄せがくるに違いない。
「それじゃオマエら、聞いての通り今回は五条が当てにならんから各自で指示に従って動けよ。とりあえず敵の動きがあるまでは待機。すぐ動けるようにはしておけ」
日下部がそう言うと、その場にいる全員が揃って「はい!」と勢いよく返事をした。
五条の機嫌より禰々の指示だ。
禰々からの指示書の内容を頭に入れると、それぞれ散開して仕事に戻っていく。
「みんな薄情過ぎない!?」
五条の叫びが一人虚しく地下室に木霊した。
渋谷事変もまだ途中までしか書けていないのですが、これ以上放っておくと色々と忘れてしまいそうなのでとりあえず投稿を。モチベーションの維持って難しいですねぇ……。