渋谷事変開始前──渋谷駅近辺。
「やるよ、菜々子」
「うん」
美々子と菜々子の目の前にあるのは大量の名簿と電話帳。
そしてボイスチェンジャーとスマホがズラリと並べられている。
羂索の計画を潰せると言われて禰々と縛りを結んだものの、まさかこんな仕事を任されるとは。
だが、それでもいい。
これで羂索の計画を潰せるのなら安過ぎる。
二人はスマホを手に取ると──
◆ ◆ ◆
渋谷の街をビルの上から見下ろしながら羂索、裏梅、脹相の三人は揃ってエナジードリンクの缶を傾けていた。
漏瑚達とは違って肉体があると色々面倒なのだ。
「「「あ゛ー……」」」
ここ数ヶ月ですっかり慣れてしまったエナジードリンクの味が口に広がる。
既に覚醒効果など気休め程度のものでしかないが、それでも飲まずにはいられない。
(ん……?)
すると、ドリンクを一気に飲み干して一息吐いた羂索は、ふと妙なことに気付いた。
「人の数が少なすぎるような気が……」
それなりに人はいるが、ハロウィンの渋谷にしては少ないように感じる。
「そのことですが……匿名でテロ予告があったらしいです」
「テロ予告?」
禰々が差し出してきたスマホを見ればアナウンサーが繰り返し同じ内容を告げていた。
本日、警察やその他諸々の機関に次々と渋谷でテロを行うと電話がかかってきたらしい。
内容は様々で統一性がなく、イタズラの可能性が高いと思われるが、念のため渋谷に行くことは控えるように、と。
既に警察が出動し、渋谷への立ち入り制限が始まっているという。
「そのせいで人がどんどん離れていっています。帳を降ろすなら今がギリギリのタイミングかと」
「なるほど……」
(禰々が何かやったのか……? いや、ずっとここにいたのは確かだ。あちこちに電話をかける余裕はなかったはず)
ならば誰かが裏切ったのか。
それもないだろう。
呪霊達の結束は固いし、呪詛師達もこの千載一遇のチャンスを棒に振る理由はない。
特に元夏油一派は夏油の体を返すという口約束を信じている限り裏切ることはない──と羂索は考えていた。
羂索が仕事で忙殺されている間に禰々が美々子達に夏油の体は返ってこないと伝えたのも知らずに。
(どこの誰だか知らないけど最悪のタイミングでやってくれたね)
羂索は考える。
こっちは数百年の悲願を達成し、数カ月間に及ぶ地獄のような労働の日々をようやく終わらせることができるまたとない機会なのだ。
イタズラ電話などに邪魔されるなど不愉快極まる。
しかし、このまま強行していいものなのか。
今回の件で重要なのは、まず五条に思い通りの動きをさせないこと。
一般人を巻き込むことで火力の高い術式及び領域展開を使わせない。
そのためには大量の一般人が必要だが、予定していたよりもその人数が少ない。
禰々の言う通り、今がギリギリだろう。
ならばいっそ今回は計画を見送り、次の機会を待ったほうがいいのではないか。
「今日を逃すと次にチャンスがあるのはクリスマスか大晦日か元旦ってところだけど……」
しかし、羂索がそう呟いた瞬間、裏梅の手にあったエナジードリンクの缶がぐしゃりとひしゃげた。
「ふざけるなよキサマ……!」
それに続いて呪霊達からも抗議の声が上がる。
「そうだ! 儂らに後二ヶ月も今の生活を続けろというのか!」
「ぶうう!」
「ない! それはない! 俺もう書類見るの嫌なんだよ! ようやく体を動かせる機会が来たのに!」
「これ以上待つのは無理です!」
反対多数。
「私も延期はやめたほうがいいと思います」
更に禰々からも反対意見が。
「私がいなくなったことで高専は今頃大混乱のはずです。何とかして私を見つけようと血眼で探しているでしょうね」
少なくとも何かあったことは気付かれている。
そして、まず探すなら近場から。
つまりはこの渋谷も含めた東京からだろう。
五条には六眼もあるし、このままでは見つかるのは時間の問題だ。
「それに今は九十九さんと乙骨君は海外ですし、甚爾さんにも九州地方への任務を依頼したので今なら高専の戦力は下がっています」
実行するなら今しかない。
増援を呼ぶ時間を与えるのはまずい。
既に禰々が色々と手を回しているため、ここで動いても手遅れなのだが。
だが、そのことを知らない羂索は少し考える様子を見せると──
「仕方ないね……裏梅、呪詛師達に連絡。今すぐ帳を降ろすように指示してくれ」
渋々ながら予定通りに計画を進めることにした。
多少のイレギュラーはあるが、それでも数百年の悲願が叶うことと地獄のような労働の日々から逃れられることを考えればやめるという選択肢はない。
それが破滅への下り坂を進んでいることにも気付かずに。
「さあ、渋谷事変を始めよう」