「なぜ勝手に動いていると言われましても……そうするしかなかったというか……。そうですね……そちらの部下の方々の件はただいま捜索中で……」
その頃、伊地知は上層部からの電話対応に追われていた。
なぜ勝手に動いている。
部下と連絡が途絶えた。
そもそも渋谷の状況はどうなっている。
五条はどうした。
好き放題に怒鳴り散らす上層部の老人達だが、伊地知は曖昧な返事でのらりくらりと躱して状況を悟らせない。
上層部が敵と繋がっている可能性がある以上、ここで迂闊に情報を与えて邪魔をされるわけにはいかないのだ。
(私は私のやるべきことを……)
《いつも通りやるべきことをきっちりやること》──それが伊地知への指示だった。
異常事態の中で普段通りの冷静な判断を下すことは中々難しいものだ。
特に誰か一人のミスが致命的になるこんな状況では。
(それでも禰々さんは私にこの指示を出した。なら、応えないわけにはいかない)
戦闘だけが全てではない。
情報を収集したり、適切な連絡網を組み上げることも戦況に大きく関わってくるのだから。
伊地知は電話対応をこなしつつ、手元のタブレットで今の状況を分析していく。
そんな伊地知を後ろから狙う影が一つ。
「やっぱり俺には──」
羂索に協力した呪詛師の一人──重面春太。
自分が楽しければそれでいい、がモットーの弱者──特に女子を甚振るのを好む卑劣漢である。
女子ではないが、痩せぎすでいかにも弱そうに見える伊地知は重面にとってちょうどいい標的だった。
「──こういうのが向いてるよね!」
意気揚々と伊地知の背に向かって剣を突き出した重面だったが──
「澱月!」
「うわっ!?」
横から飛び込んできた順平の式神が伊地知を掴んで逃がしたことで重面の剣は空振ってしまった。
「大丈夫ですか、伊地知さん!」
「え、ええ……助かりました」
怪我人がいたときのために巡回していて正解だった。
伊地知の無事を確認すると、順平は重面に向き直る。
「空気読めよぉ……せっかく楽しめそうだったのに」
つまらなそうにそう言う重面の顔に順平は既視感を感じていた。
里桜高校にいたときに散々見てきた伊藤達と同じ顔。
弱者を甚振って楽しむクズの顔。
一瞬だけ苦い思い出が蘇るも順平は一つ息を吐いて気持ちを落ち着ける。
今は怒りに飲まれるより目の前の敵を倒すことが優先だ。
「ま、いっか。獲物が二人に増えたと思えば」
高専に入って少々は鍛えられたものの、順平も体格に恵まれているほうではない。
更に式神はいるが、順平自身は丸腰。
重面は完全に順平を嘗めていた。
「さーて、どうしよっかなー……い゛っ!?」
しかし、順平に向かって一歩踏み出した重面の腕に突然、耐え難いほどの激痛が走る。
重面がダラダラと喋っている間に順平は静かに澱月から極細の触手を伸ばしていたのだ。
「かっ……はっ……!? うっ……」
「キロネックスの複合毒……地球上で一番強力なクラゲの毒だよ」
重面の呼吸がどんどん弱くなっていき、視野も狭窄し始める。
自分の命の危機が迫る中、それでも重面には余裕があった。
重面の術式はゾロ目を揃えるなどの日常の小さな奇跡を貯え、重面の命に関わる場面で放出するもの。
奇跡の備蓄があれば今まさに発動するはずだ。
(あれ……?)
しかし、いつまで待ってもその気配はない。
それはなぜか。
そもそも考えてみてほしい。
多くの呪詛師が過労死寸前あるいは死亡するほどにまで追い込まれているというのに、決して体を鍛えているとは思えない重面がなぜ生き残っているのか。
そう──重面は奇跡の備蓄を使って何度も過労死を回避していたのだ。
そのせいで貯めた奇跡は底を突いてしまっていた。
(俺は今日も生き延び──)
◆ ◆ ◆
日下部班──
「アイツら……去年、新宿で見たな。あんなに顔色悪くなかったけど」
「おいおい……元夏油一派まで絡んでくるのはさすがに聞いてねぇぞ」
渋谷ストリーム前にいた日下部とパンダは元夏油一派である祢木利久と菅田真奈美と対峙していた。
(このレベルがここまで大規模なテロを仕切れるわけがねぇ。地下室で五条が言った通り、黒幕は別にいる)
術師としてのレベルの低さ、更にその疲れきった顔から日下部は二人を使われている側の人間だと判断。
「夏油に心酔して百鬼夜行まで起こすようなヤツらが一年も経たずに鞍替えか?」
「違う。私達は夏油様の意志を継ぐ者。それは変わらない」
「あっそ」
一年前と考えは同じらしい。
大方、何か悲惨な過去があったせいでこうなってしまったのだろうと察するが、それは日下部には関係ない。
過去は変えられないし、この手の連中は何を言ったところで聞かないのが常。
その上、トップが死んでも延々と思想を受け継いでいくのだから尚悪い。
(普段なら話を長引かせて時間を潰したいところだが……)
日下部は屈んで膝立ちの構えを取る。
シン・陰流 居合──夕月。
「ここでサボってると後で禰々にどんな目に遭わされるかわからねぇからな」
日下部は久しく本気で仕事をすることにした。
「とりあえず取っ捕まえて情報を吐かせるぞ」
「おう!」
◆ ◆ ◆
禪院班──
「伊地知さんから伝言っス。七海さんと伏黒君が呪詛師一名を撃破。術師を入れない帳の解除に成功したっス」
「ほう。あっちのほうが早かったか」
直毘人達も帳を降ろした呪詛師を探していたのだが、伏黒と七海に先を越されてしまったらしい。
「冥冥さん達も明治神宮前駅に降りた帳を解除。東堂君がこっちの応援に来れるそうっス」
東堂をこちらに回せるのはありがたい。
普段の言動はちょっとアレだが、戦闘においては東堂の実力は高いのだ。
更に順平が重面を倒したことも伝えられると真希と釘崎は揃って「マジか!」と目を見開いた。
術師として覚醒してからまだ日が浅いというのにもう呪詛師を撃破するとは。
連続の朗報。
明るい空気が流れる中、最後に新田は言い辛そうに最後の情報を口にした。
「後、日下部さん達が……その……元夏油一派の身柄を確保したそうっス」
「何ィ!?」
「それは何とも……由々しき事態だな」
去年の百鬼夜行を知っている真希と直毘人は盛大に顔をしかめ、釘崎は一人「夏油……って誰よ?」と首を傾げていた。
「何でここでアイツらが絡んでくるんだよ。頭は去年死んだだろうが」
「それが……自分達は夏油の意志を継ぐ者だと……」
「フン……狂信者め。まったくもって度しがたい連中だな」
馬鹿は死ななければ治らないとはよく言ったものだ。
禰々にいいように使われる程度の連中が夏油の意志を継いで術師の理想郷を作るなどできるわけがない。
「黒幕はソイツら……なわけはねぇよな」
「そうッスね。日下部さんもそれはないって言ってました。ただそれ以上の情報は引き出せてなくて……」
現状、わかったのはこの件に何か夏油か夏油の思想に関係することが絡んでいることだけだ。
「まあ、いい。とりあえずこれで残りは本丸だけだな」
チラリと真希は五条がいる副都心線ホームのほうに目を向けた。
「本丸だけなんだが……不安しかねぇんだよな。禰々さんも信用するなって言ってたし、絶対に何かやらかすぞ」
「俺としては五条悟がしくじって禰々に詰められているのを肴に一杯……」
「またアニメ消されても知らねぇぞクソジジイ」
クイッと盃を傾ける仕草をしてみせる直毘人だが、真希の言葉を聞いてそれ以上は口を噤んだ。
七海班、禪院班、日下部班、冥冥班、そして順平達のサポート班がそれぞれの役割を果たし、いよいよ残るは本命の五条のみ。
しかし、五条が「大丈夫」と口にした場合、絶対に大丈夫ではないと言われている。
「どうするつもりなんだろうな、禰々さんは」
「どんなやり方にしても
そう言った直毘人の目が向けられたのは釘崎の横に置いてあるクーラーボックス。
「さぞ愉快な断末魔を聞かせてくれることだろうよ」
第五十八話読了ありがとうございました。
今回のストックはここまでです。
五条の戦闘からラストまでは一気に書き上げたいので、今回は周辺の諸々を全部片付けさせてもらいました。
いよいよ終盤というところですが、できれば今年中には完結させたいですね。
年末の仕事に追われる前に何とか書き上げられるといいのですが……。