就寝前の軽い夜食をあっさりと食べ終わり。
まだ入らなくもないお腹具合に、どうしようかと少し悩む。
満腹というには、まだ大分余裕のある感じである。
メニュー表を片手に、主にデザートを見てみる。
チラリと向けられてくるテンカワさんの視線は軽くスルー。
しかし、その中にもあんまり唆られるものはない。
「この時間はデザートやってないよ」
「なんだと」
ってそりゃそうか。まだ朝の仕込みも済んでないのだ。
そんな中で一番優先順位が低いものができるわけもない。
実際に頼むかは微妙だったが、ちょっとショックである。
けれど、何だか逆に引っ込みがつかなくなってきた。
ここは何かを頼まなければ負けな気がしてしまう。
何に負けるかって?現実に決まっているではないか。
「……なら、爽やかにスピリタスを一杯」
「だから酒場じゃないし、ないよそんなの。
っていうかアンタ未成年だろ」
「――ッちっげぇよ!余裕で成人してるよ!」
俺はエターナル17歳だけど成人はしている。
俺の故郷<クニ>では、17歳から成人なのである。
あ、正確にいうと17と36ヶ月からなんだけど。
それはともかく、勿論スピリタスは冗談である。
流石にあんなものを飲むほど、アルコールは得意ではない。
カクテルなら飲むが、それだってジュースでも構わない。
因みにスピリタス自体はこの艦に普通に置いてある。
料理長のホウメイさんが申請し、正規で購入されていた。
僅か2瓶であるが、飲む人もいないしそんなもんだ。
だから、スピリタスがあると知らないのも無理はない。
在庫を全部把握しろだなんて、俺自身位にしか要求出来ない。
そんな内部事情は置いといて、テンカワさんは驚いていた。
「――え、俺より年上?」
「うん」
「……すみません、同じくらいかと」
……俺は17歳だから大体同い年だけども?
三歳差も一歳差のどちらも、正直誤差の範囲だと思う。
学生同士ならともかく、相手は社会人と言えるわけだし。
「態度変えなくても、別にいいよ。
実際、あんまり離れてないし」
「……そう言ってくれるなら。
ごめんな、若く見えたもんだから」
ん、まあ俺の言動も見た目も、学生にしか見えない。
学生の範囲で、どれくらいに見られるかは個人差だけど。
実際学生だし、多少幼く見えるくらいは問題ない。
自分の言動で成人と判断するのが困難なのは判ってるし。
見た目にしても、平均より大分低い身長であるのが邪魔をする。
ヒール履いた艦長に負けて、ミナトさんとタイなのは事実。
――気にしてないよ。足は短くないし姿勢だって良好である。
コンプレックスにするほど低くもないし、他に目立つ汚点もない。
ただ、背の高いイケメンを見るとイラッとするだけである。
「それで、なんか飲む?
俺に出せるもんならすぐ出すよ」
「んー……それなら。
とりあえず、オレンジジュース頂戴」
「あいよ」
微妙に申し訳なさそうにしたテンカワさんは奥に向かった。
彼もまた、幼く柔らかい顔の割には案外しっかりと背が高い。
……そういえば、副長もあれで170オーバーである。
何時か削ぐ。そう決意していると、テンカワさんが戻ってきた。
「ありがとテンカワさん」
「うっす。
……ところでお客さん」
「何?」
「なんで俺の名前知ってるの?」
――その一瞬、何を聞かれているのかよく判らなかった。
そりゃ知っている。何度ナビゲートしたと思ってるのだ。
乗艦登録だって、片手間だけど俺がしたのだし、と考えて。
……どれも、俺が一方的に知ってるだけって気付いた。
登録は勿論、エステバリスの誘導も彼と接触したわけではない。
データのやり取りもモニタリングも、一方的だった。
テンカワさんからの俺の観測は、数える程。
それこそブリッジへの通信で、片隅に映っているだけの俺を。
戦闘中のテンカワさんに気付く余地があったかという話。
ぶっちゃけ、無理だ。
「そっか、君からは初対面か。
割と縁がある積もりだったけど」
「……ええと?」
「ブリッジクルーのタキガワです。
前の戦闘で、君を誘導したりしたんだよ」
君に覚えはなくとも、十分以上に関わってる積もりである。
――言外に、だから仲良くしようぜオーラを放出中。
数少ない同世代の同性である。気兼ねなく話せる相手は欲しい。
「――ごめん。
助けてくれてたのに知らなくて」
「いいよ、別に。
寧ろ、俺たちは助けられた側だから」
あの時、テンカワさんがいなかったら大変だったのだ。
状況的に、エステバリスなしではナデシコの力押ししかない。
当然、ナデシコだけでなく周辺への被害も甚大だろう。
――俺がエステバリスに乗っていたかも知れないのだ。
オペレーターIFSでノーマル用にアクセスするなど、嫌だ。
小指しか動かせないぐらいのイライラタイムは勘弁である。
敵戦力的には危険ではなかったが、彼は俺の救世主だった。
そうして、仕込みに戻ったテンカワさんを俺は見守る。
……サービスのつもりか、大ジョッキのオレンジジュースを傾けて。
いや、嬉しいよ。微妙に釈然としないが悪い気はしない。
若干間違えた気の使い方に、突っ込むか悩んでいたから。
実際に声を掛けられるまで、その人の接近に気付かなかったのだ。
……まさか、こんな時間に他のお客さんが来ると思わない。
「――お!
アンタはオペレーターだな?」
「……随分、早起きなんですね。
何かあったんですか?」
そこにいたのは、ナデシコ唯一の正規パイロット。
ダイゴウジ・ガイ改め、ヤマダ・ジロウさん。逆だっけ。
とにかく熱血系のアニメオタク。俺とは方針違いだ。
流石にもう骨折も完治に近づいてきたらしく。
片手に杖をついてはいるが、平然とした顔で歩いている。
その服は、制服ではなくラフなジャージ姿である。
そんなヤマダさんは、首を振りながら俺の隣に座った。
「ただのトレーニングだ。
日課なんだよ」
「……トレーニング?
こんな朝早くからですか?」
ふと、時計を確認するとまだ6時を回っておらず。
その割には、彼からは運動をした形跡が伺える。
簡単に言うと、微妙に汗の匂いが漂ってくるというか。
「ああ、身体が鈍っちまったからな。
少しでもとりもどさねぇと」
「鈍るって」
「俺はパイロットだからな。
身体能力が下がったら仕事になんねえよ」
――やべぇ。予想外にまともっぽい。
え、徹夜アニメフルマラソンとかじゃないんですか。
まさかの、予定を遥かに外れた常識人なんですか。
なんか、ほら。
アニメヲタの機動兵器パイロットって言ったらさ。
もっとダメな人をイメージしていたんですが。
微妙に内心、馬鹿にしていたというか。
多分に偏見の目で見ていた自分に大ショックである。
これは、かなり失礼な見方をしていたような気がする。
内心の大焦りは、どうやら彼には伝わってないらしい。
ヤマダさんは、厨房に朝ごはんの注文をしている。
見られてないのを幸いに、俺は少しだけ姿勢をただした。
「――骨折も随分良くなられたんですね」
「お蔭さまで。
前の戦闘では、アンタに迷惑をかけたな」
「あ、え、はい」
「無茶なオペレートをさせた自覚はあるさ。
アンタなら出来ると思ってたけどな」
――今更ながら、俺はお礼を言われているわけで。
そんな言葉が来るとは、欠片も想像してなかったわけで。
その上、どうやら相手は俺を以前から知っていたらしい。
今度は、テンカワさんと違って俺に心当たりがない。
関わりと言えるほどの関わりは、持っていた記憶はないが。
これでも記憶力に自信はそれなりにあるのだけども。
俺の戸惑いに気付いたのか、ヤマダさんは小さく笑った。
「シミュレータの作者だろ、アンタ。
流石に、それぐらいは把握してるさ」
「……ああ、それで」
そういう理由なのか、と一応の納得である。
いや、それだけで覚えられてたことにも驚きだけど。
流石にここまで評価を上書修正した後だと、納得するしかない。
「会えてよかった。
アンタに頼みたかったことがあるんだ」
「……俺に、です?」
聞き返す俺に、ヤマダさんは深く頷いた。
日焼けした肌に精悍な顔は、経歴通りの軍人さんのもの。
当然その瞳も、静かだけれど深い熱を秘めていた。
どんなこと、だろうか。
今一、この人の評価が安定してないので予想できない。
考えるより、実際聞いた方が早いだろうと、待った。
「――シミュレータなんだけど、さ。
追加して欲しい機体があるんだ」
「……ゲキガンガー、ですか?」
「ああ、そうだ。
弱くてもいいから、作ってくれないか?」
……やっぱり、彼の評価を定められない。
馬鹿なことを言われてると判っていても、その瞳。
間違いなく真剣なものであり、俺を見つめていた。
馬鹿げている、子どもだと切り捨てるのは容易。
だけど、それをするには、俺には躊躇いがあった。
だってそれが、この人の夢だというのは想像できたから。
「それはきっと。
君の夢、ですよね」
「ああ、夢だ。
なんとしても叶えたかった」
短い時間しか、話したことはないけれど。
彼が乗りたかったのは、エステバリスではないのは判る。
現実には叶わないからこその、代用品なだけで。
“ゲキガンガーに乗りたい”という、ちっぽけな夢。
でも彼はそれを叶えるべく、世界のトップパイロットになった。
動機はともかく、その結果と熱意は誰にも真似できない。
俺の苦手とする、努力と根性を地で行く人である。
ブレずに真っ直ぐ進んできた、そういうことなのだろう。
……俺には、眩しすぎて、ちょっと辛かった。
「頼むよ。
俺の、一生を掛けた夢なんだ」
ああ、本当に眩しいと思えた。
これを馬鹿にするなら、同じだけの結果を出して言え。
それぐらい、俺からは純粋で美しい夢だと思った。
――けれど、それを叶えるかは別の話だ。
「……お断り、します」
「なんでだ?!」
「あなたはパイロットです。
変な癖とか、付けられたら困りますから」
彼がただのオタクなら、俺は叶えていたかもしれない。
だけどヤマダ・ジロウはエステバリスのパイロットだ。
エステバリスを動かして戦場で戦う、命を掛ける人間だ。
シミュレータは、遊びではない。
戦場での動きを身体に染み付かせ、生存確率を伸ばすもの。
パイロットが無事に帰る可能性を少しでも増やすものである。
だからこそ、彼が遊びに使うことを俺は承認しない。
私用に使っている俺がいうのもおかしいが、それでもだ。
彼が無事に帰らない可能性を、増やせるわけがない。
「絶対に、影響は残さない。
俺の魂に誓う!」
「それでも、駄目です」
「なんでだ!
アンタなら判ってくれると思ったのに!」
彼が、本気で、本心から言っていることは判る。
それが浪曼であることも、その為の努力の時間も全部。
ここまでに掛けてきたのが、魂であるというのが判って。
――それでも、なお。やっぱり俺は首を振れない。
「言い方はあれですけど……。
口で言うのは簡単で、意味がないのはお判りですよね」
「……どうしたら、信用してくれる」
「あなた自身を信じさせて下さい。
それまで、変なものはお渡し出来ません」
どうしたらも何もない。
信用というのは、積み重ね成していくものだと思う。
俺は、まだ彼を信用しきっては当然、ない。
彼が、適当に作ったゲキガンガーのシステムに慣れて。
存在もしない武装に急場で頼らないとは、俺は言い切れない。
その結果彼が命を失うことを、可能性がゼロとは思えない。
いや、本当はきっとゼロに相当近いのだろう。
恐らく、彼はそれを為すために相当の努力を重ねてきたはずだ。
だけどそれでも、俺は悲劇の引き金は“作れない”。
「俺は、技術屋の末席に座るものです。
使い手に相応しいものをお出しするお仕事です」
「……」
「使いこなせると信じるから、見送れるんです。
それが、俺たちの正義であると理解してください」
生きて帰ってくると信頼できる人に。
これなら生きて帰ってこれると自信を持ってお出しする。
それが見送ることしか出来ないものの正義だと思う。
彼が、正義の味方であることを、俺は心から認めよう。
だからこそ、俺は俺の正義を彼が守ってくれると信じた。
きっとこの人なら、理解してくれると、俺は思った。
――――そして、その願いは、きっと叶った。
ヤマダさんは、少し寂しそうな瞳をしてから、微笑んだ。
その表情が諦観だと一瞬勘違いして、違うことに気がついた。
彼の瞳から情熱は消えず、更に燃えていたのだから。
「……判ったぜ。
今の俺では、駄目だってことだな」
「すいません……本当に」
「謝る必要なんてどこにもないぜ」
そう言った彼は、間違いなく、主人公だった。
ただのヒーローもどきではなく、俺は本物だと思った。
だから、驚いて、俯きかけた顔を即座にあげた。
そこには、満面の笑顔の、熱血ヒーローがいた。
「――俺の夢。
真っ直ぐ受け止めたのはアンタが初めてだ」
「……俺は、断りましたよ」
「いいんだ。
馬鹿にせずに、本気で聞いてくれたから」
きっと、馬鹿にされ続けてきたんだと思う。
真剣に聞いてくれるような人は、いなかったんだろう。
それなのに、彼は直向きに努力し続けてきたのだ。
だからこんなのは、彼には苦境なんかじゃないんだろう。
明確な目標もないのに、彼は理想を抱いて走れたのだから。
理解者も、目標もあるなら、それは平坦な道なのかもしれない。
「何時か、アンタを信頼させてみせる。
その時は、作ってくれよ?」
「……いいですよ、約束します。
敵も含めて、原作再現しちゃいますから」
これは、安請け合いなんかじゃないと俺は思った。
その約束が果たされるのが、何時かは判らないけれど。
その時が来たら、俺は全力で彼の夢を叶えようと強く思った。
――その後。
ガシガシグッグッしている俺たちを見て。
テンカワさんが“何コイツ等”っ目で見たのは余談である。