コミュニケでポンポンとロックを掛けた俺は立ち上がり。
不貞腐れたように胡座をかくテンカワさんをおいて奥へ行く。
備え付けのプチキッチンからコップ2つと麦茶ボトルを出す。
さらに奥に進んで、適当に置いてあるちゃぶ台に。
コップを置いて、その片方に冷えた麦茶をこぽこぽと注ぐ。
水出しの麦茶を一口含んで、そのまま半分位を更に飲む。
もう一回、飲んだコップに8割ぐらいまで注いでから。
あと片方のコップにも注いで、俺の対面に置く。
その間、テンカワさんは憮然とこちらを見たままだった。
「テンカワさん、こっちおいで」
「……」
「そこ、空調効かなくて冷えるから。
風邪ひく前にこっちに移動してね」
宇宙戦艦なので、空調はフルコントロールなんだけどね。
通路とかは循環の為に基本温度は低めだったりするので。
部屋の入口とかは割と冷える現実があったりなかったりする。
ジャージ……運動着?姿のテンカワさんだと肌寒いだろう。
俺は制服のジャケットを羽織ってるのでそれほどでもないが。
まあ、風邪をひかないことに越したことはない。
その言葉に従うか、どうかを考えている素振りの彼は。
少し躊躇った後に、ゆっくりと立ち上がりこちらに寄ってきた。
座ってから俺を見る目は、なんというか不服そうである。
あー、ちょっと軽率過ぎたかもしれないなぁ、止めたのは。
いやしかし、あのまま暴れさせる訳にいかないし、なんとも。
殴っても誰も得しないのは明白だし、単純に駄目だし。
考えがあって止めたわけでもないので、ちょっと罪悪感。
何か言ってあげたほうがいいかなと思いつつ、考えつかない。
……いいや。テンカワさんが落ち着くまで黙っていよう。
「――なんで。
なんで、邪魔したんすか」
「なんでって。
……年配の方を殴ろうとしちゃ駄目です」
そう思っていたのに、思ってたより早く話しかけてきた。
なんで、と聞かれても、特に理由などないから答えられない。
適当に考えた真っ当そうな言い訳を、取り敢えず口走る。
自棄になった行動は駄目とか、勢いでの乱暴は駄目とか。
なんだろうか。本当に理由があるわけじゃないので、困る。
まさかなんとなく、なんて目の前の彼に言えるわけもない。
テンカワさんは、ユートピアコロニーの敵の積りだろうし。
客観的に考えれば提督が敵じゃないのは判るだろうけれど。
それを今の彼に理解させるのは、無理じゃないかなって思う。
俺は他人事だから、幾らでも客観的になれはするけど。
どう足掻いてもテンカワさんは、そういうわけにはいかない。
感情的な話を、理屈で説得出来る程の技術は俺にない。
「……それだけかよ」
「うん、それだけ」
「あいつは。
あいつがユートピアコロニーを壊したんだぞ」
「其処らへんの是非は知りません。
でも、年配の方を殴ろうとしちゃ駄目です」
なので、あえて言うなら相手の土俵に乗らないだけである。
これでテンカワさんが怒るならそれでもいいだろう。
俺に当たって気が済むのなら、提督に当たるよりはマシである。
……だって、提督がかわいそうではないか。
あの時火星会戦で死んだ軍人さんの数も相当だと聞いている。
フクベ提督だって、その中での生き残りに過ぎないのである。
命を掛けて守って、そして実際に命を喪った人達がいて。
偶然その中で生き延びてしまって、それで敵だと詰られるなんて。
そんなの、俺はとてもじゃないけれど可哀想だとしか思えない。
「――何人、死んだと思ってんだ。
なんで、あいつがおめおめと生き延びてるんだよ」
「死ぬべきだとでも言いたいんですか?」
「そんなこと言ってねぇ!」
「君が言ってるのはそういうことだと思いますよ」
いや、まあそうとも限らないかなぁとも思いつつだが。
多分重要なのは、おめおめとって所じゃないかなとも思うし。
死んでほしいと思ってる訳では、多分ないと確信も出来る。
要は、テンカワさんは提督に償って欲しいんだと思う。
……でも、そんなのって一体何をすれば償ったことになる?
何をしてもパフォーマンスだって逆に批判するだけだろ?
ああ、若しかしたら英雄扱いされてるのが気に食わないのかな。
英雄扱いじゃなくて戦犯扱いしろと言いたいのかもしれない。
英雄か戦犯か、どちらかにしか扱えない結果ではあるけれど。
……うん。誰にとっても戦犯扱いは都合が悪すぎる。
戦犯扱いにして、全ての責任を取らせるわけにも行かないし。
必然的に英雄になってもらうしかなかったんだろうなと思える。
自分の命令で多くの部下が死んでるのを目にして。
自分の命令の結果、守るべき人を守れなかったというのに。
――それでも英雄扱いか。これほど哀れなこともないだろう。
「……死んでないだけです。
命を掛けて、みんなを守ろうとしてたんです」
「みんな死んだよ」
「軍人さんも、ね。
提督も命賭けてたんですよ?」
火星の人が、軍人さんが死んだのは提督のせいではない。
木星トカゲが火星を攻めてきたからであり、戦ったからだ。
それを提督だけの責任にするのは、あまりに酷だと俺は思う。
――そう。命を賭けていたのだ。
見知らぬ誰かの為に、職業とは言え命を賭けていたのだ。
それを、その行為を否定されるのは、切ない。
せめてその命が、意味のあるものであったと。
塵のように消えていった灯火に、意味があると思いたい。
これは俺のただの自己満足に過ぎないかもしれないけれど。
……俺の様子が微妙におかしいことに気がついたのか。
テンカワさんは何処か困惑した様子で、俺を見ていた。
一瞬手を浮かせかけ、そして戻してから、小さな声を出した。
「誰か、知り合いがいたのか?」
「…………まあ。
友達が軍人さんやってたもんで」
「……どんな人だったんだ?」
聞かれたから、答えたけれど。あまり言いたくはなかった。
したい話では全くない。誰かに聞かせたい話でもない。
ましてや、こんな状況でテンカワさんにしたくはなかった。
だって、テンカワさんが喪ったのは故郷と知合い全てで。
俺は親友とは言え、ただの友達をなくしただけなので。
不幸比べをしたくもないけれど、訳知り顔なんてしたくない。
――でも、いいや。もう少しで俺も死ぬのかもしれないし。
溜め込んでいたけれど、一度くらいは吐き出してもいいのかも。
少し投げやりな気分で、俺は目を閉じて彼のことを思った。
「――――馬鹿な人だった。
要領が悪くて、不器用で、どうしようもない人」
一言で言えば、どんくさい。
間抜けとか、三枚目だとか、そういう言葉が思い浮かぶ。
逆に、完璧超人なんて言葉とは、もの凄く縁が遠かった。
「高校の友達だったんだけど。
一応名門なのに高卒で軍人なんかになってさ」
偏差値だけで言うのなら、上なんて後は5・6校しかない。
当然、進学する人が殆どで就職なんて年に一人いないぐらい。
確かその年も、あの馬鹿一人だけだったと記憶している。
ああ、うちの学校じゃなければもっとマシだったのかもね。
一般的にはアイツだって、それなり以上の秀才だったわけで。
中堅ぐらいまでなら、余裕でトップ走れる程度ではあった。
それなのにあの学校を選んだのも、要領が悪いうちだろう。
ギフテッドとして飛べない最上位か、飛ぶ気がないギフテッドか。
あのレベルまでくると、そのどちらかしかいないんだから。
「勉強は俺より出来なかったし、運動も俺の方がマシ。
見た目も野暮ったくて、色恋には縁が遠かった」
その中で、俺は飛ぶ気のないギフテッドだったわけで。
モラトリアム気取って、必要もないのに全単位とってたりさぁ。
行こうと思えば、高校なんて飛ばして行けたってのにね。
アイツが得意な教科より、俺が苦手な教科の方が点は上。
体動かすのは苦手だし、体格に劣る俺の方がまだマシなレベル。
休日に会っても、ほぼ黒一色。どこのラノベ主人公かっての。
当然ラノベ主人公ほどモテるわけでもなく、ただの地味な奴。
キモイまでは言われてなかったけど、まあ普通ぐらいだろうか。
特筆すべきことなんてその能力の中にはなかった。だけど。
「――でも、優しかった。
真面目で、直向きで、人を見下したりしなかった」
人当たりのよさというのだろうか。
相手のことを真面目に考えて、親身な行動が取れる人だった。
俺みたいに、相手を予測して都合よく振舞うなんてしない。
賢しげな態度なんて取らないし、自分をひけらかさない。
どれだけ馬鹿にされても、悔しい思いをしても。
その気持ちを動力源に、見返してやろうと頑張っていた。
「どんなことに対しても真剣で。
努力家で、いつ見ても必死に頑張ってた」
なんとなく、感覚的なもので摺り抜けてくるのではなく。
一生懸命だった。一生懸命、真っ直ぐ前を見て努力していた。
自分の人生に向き合って、就職と決めたのも早かった。
――それなのに、死んだ。
俺よりも真面目に人生に向き合っていたのに、呆気なく死んだ。
その場のノリで全てを乗り越えられる俺でなく、彼が死んだ。
一生懸命な努力も何もかも報われずに、ただ死んだ。
俺の知る限り、誰よりも真面目で優しかった人だったのに。
その命はまるで塵芥にように、火星に散蒔かれてしまった。
「そういう、人だったよ」
「……タキガワさんが火星に来たのは。
その人のため、なんだよな」
そうかもしれない。そうでないかもしれない。
すぐさま回答することが出来ずに、俺は笑って誤魔化した。
テンカワさんも、いつの間にか落ち着いたようだった。
――――確かに。
あの人が死んだ場所を一目見ておきたいというのはあった。
だけど、それだけではないかもしれない。
あの時、火星会戦の合同葬で俺は凄く虚しくなった。
親友だったはずの人が、その体も何も残っていないなんて。
あんな人であっても、その命に報われるものがないなんて。
俺はこの世界が平等で公平なものであるなんて思ってない。
努力が報われるとは限らないし、初期条件だってみんな違う。
だけど、俺は嫌になった。この世界で頑張るのが嫌になった。
別にこの世界から離れたい……死にたい訳ではない。
俺はただ、真面目で優しい人が報われないこの世界の中で。
真っ当に生きていくのが嫌になっただけなのだ。
オペレーターIFSつけて真っ当な職には付けなくなって。
投げ出したはずなのに、ネルガルからスカウトが来て。
勢いだけで戦艦に乗ってそのまま火星まで来てしまった。
真っ当じゃなくなったはずなのに、なんとかなっている。
こんな時にまで、また世界は不平等なんだろうか。
死ぐらいは、平等で公平なものではなかったのだろうか。
死にたいわけではない。ただ拗ねているだけだ。
死が怖くないわけではない。ただ現実感がないだけだ。
――俺は、自分の人生に向き合ったことなんて、ないから。
まるで他人事だから、俺は怖くなんかなかった。
極冠研究所に入るための、5機のチューリップとの戦闘も。
その為に動かしたクロッカスがこちらに砲口を向けても。
フクベ提督に脅されて、チューリップの中に入っても。
このままクロッカスの乗船員みたいに死ぬかもしれなくても。
それでも俺は怖くなかった。なんの実感もなかったから。
テンカワさんやプロスさん、艦長の声が響くブリッジ。
不安そうな声が幾つも周りを取り巻いても、俺は。
これからどうなるんだろうな、と他人事のように考えてた。
もしこれで死んだら、俺もみんなの所に行けるかな。
ヤマダさんやアイツにまた会えるかな、なんて。
馬鹿馬鹿しいほどに意味がない、優しい想像をしていた。