「――タキガワ・トオルさんですね」
「……ええと、どちら様で?」
6月。ほんのりと暑さを感じ始める、そんな日のことだった。
3年生で始まったゼミを終えて外に出た俺を、待ち受ける人がいた。
夕暮れ時の構内は、まだ明るかったが人通りは多くなかった。
赤いベストにメガネを掛けた、ちょっとばかし胡散臭い男性である。
大学に社会人がいることは珍しくもないが、彼らとは少し違った感じ。
なんというか、仕事人的な?研究者よりの人ではないと思った。
研究者っぽい人なら、理系学部に用事があってもおかしくはないのだが。
どちらにしても、俺に用事のあるおじさんに心当たりはなかった。
取り敢えず、どこのどちら様なのかを聞いてみる俺なのである。
「おや、失礼いたしました。
プロスペクターと申します、お見知りおきを」
「……ネルガル?
あのおっきい会社のですか」
「ええ、あのおっきい会社です」
差し出された名刺には、おじさんの写真と、ネルガル重工の文字。
後はおじさんの役職名と、恐らく偽名であるプロスペクターと書かれている。
……いやいや、胡散臭すぎではありませんか。これは。
名刺など見慣れていない俺にとっては、その真贋など判らない。
詐欺、とか。そういうものかと思って、すぐに考え直した。
俺個人を対象にしてきているのだ。金目当てではありえないだろう。
俺は、幾らそれなりの大学に通っているとは言え、普通の大学生だ。
敢えて普通から離れているところを言えば、それこそIFSがあるぐらい。
……俺、まだネルガルには悪戯した記憶がないんだけど。
「……どのようなご用件で?」
「あなたをスカウトしに参りました」
勿論、面と向かってハッキングしたことがない、などとは言わない。
そも俺の持ってる機材や俺の実力じゃ、大学のシステムを弄るのが精々だ。
ログインシステムをこそっと高速化するぐらいである。ボランティアだ。
というか、普通に俺のパソ子が熱暴走で死にかけるからね。
後俺の持ってるコンソールじゃ限界速度もアレだからね。
当然、大企業のガチガチのウォールなんか相手出来るはずもない。
――ってえー?
「スカウト?
…………俺を?」
「ええ、あなたを」
聞き返した俺に、プロスペクターさんは頷いて示した。
スカウトってことは、あれだろ。
なんかお仕事みたいなのを頼む的なあれなんだろ。
俺がそんな風にスカウトされるってことは、やっぱりIFS関連?
いや、だけど。ネルガルなんて大企業なら、自分とこで抱えてるだろうし。
俺の技術なんて対したものではないのは、自分が良く判っている。
プログラマとしては高速思考含めて2流もいいところ。
打込屋としてはそれなりだけど、人手で補える程度。
やっぱり、俺自身の価値はそれほど高いものではない。
「――えっと、IFSオペレーターとしてですよね」
「はい、勿論です」
「失礼ですが、すいません。
俺をスカウトする理由が判らないんですが」
「……非制限IFS所持者の人数をご存知で?」
むっ。質問に質問で、ということはともかくとしつつ。
そんなのは当然知っている。というかデータは擬似電脳の中にある。
どっかに先月発表の記事を保存していたような気が……あああった。
「公式発表だと、先月で863人」
「はい。
その内、どれだけが適性持ちかをご存知で?」
「……296人でしたっけ」
「ご名答です」
残念なことに、IFSを入れる適性とは別にもう一つ適性がある。
入れてから、それを使いこなせているかどうか。
俺は、出来る方に入った。出来ない人が何故出来ないかは知らない。
入力も出力も出来ることは出来ると聞いたことがある。
ただ、その速度が実用クラスではないとのことで。
パイロット用のIFSと変わらない程度しか出ないのでは、意味がない。
それならば、下手をすれば脳波入力とあまり変わらない。
持ってるだけでは意味がない。
悲しいことに、使えなければ意味がないのは事実だった。
「それでは、重ねて。
その内何人が、連合軍所属でしょうか」
「……いえ、知りませんけど」
「およそ4割、132人です」
知ってるわけないですの、そんなの。
思わず言いかけた言葉を胸先で止めつつ、素直に応えた。
4割。それを多いと捉えるか、どうか。人それぞれだろうか。
俺は、妥当なところだと思った。
何だかんだで必要とされるのは間違いない人材ではあるのだ。
だからこそ少しだけ、その先の言葉を予想できる気がした。
「後は、殆どが大企業に所属。
フリーの方なんて、数える程です」
「ネルガルにもいるけれど、今の仕事から外せない。
……無所属だったら、誰でもよかったと?」
「誰でも良いわけではありませんよ。
その中で、あなたが最優秀だったからです」
「引き受けてくれそうな中で、ですよね」
俺だって、俺以外のIFS所持者を調べたことだってある。
大抵が、どこかの企業の研究所や電算に所属している。
フリーの人間だったら、一本幾らで仕事をするプログラマだ。
その中で、俺はただの大学生に過ぎない。
多少頭の出来は良くとも、親のすねを齧って生きる学生だ。
なるほど、猫の手でもいい時なら、俺を誘いにも来るか。
プロスペクターさんは、困ったように笑った。
言葉が過ぎたかと思ったが、気にしていないようだ。
或いは、社会人としての冷静さなのかもしれないと思った。
「否定はしません。
ですが、あなたが必要なのも事実です」
「……どんな仕事なんですか?」
別に俺は、俺でないと出来ないようなことには関心はない。
特別であることには、それほど価値を見出さない。
元より、努力をすればそれなりには特別であれたから。
それよりも、俺自身を必要と言ってくれたことが気に入った。
せっかく手に入れた割にはそれ程役立っていないIFS。
大企業の世界にスカウトされるというのは、それは面白そうだった。
「なに、ただのデータ管理ですよ。
あなただったら、問題なく出来る仕事です」
「……そうですか」
「ただし、場所は新造の戦艦。
期間もそれなり以上の長期間ですがね」
「……!
戦艦、ですか!」
一瞬、思っていた程楽しそうではなさそうだと思い。
その直後に続けられた言葉に、流石に言葉を失いかけた。
戦艦、だ。戦艦である。新造戦艦なんて、なんと心躍る響きか。
新造戦艦ということは、つまりは実験艦ということだろう。
戦闘データの管理や、そもそもの調整。幾らあっても手が足りない。
手数が必要で、その上で出来るだけ乗艦員は少なくしたい。
それならば、俺が呼ばれるのも判る気がする。
そんな頭の中の冷静な判断は置いといて、楽しそうだと思った。
俺を見るプロスペクターさんも、掛かったと言わんばかりの顔だ。
「勿論、大学は休学していただきます。
下宿も引き払い、ですね」
「費用は」
「ネルガルが全て負担いたしましょう。
給与だって、契約金に月額と危険手当でこれだけ」
プロスペクターさんが差し出した宇宙ソロバンを見て、引いた。
いや、この金額はマジないわ。マジドン引きだわー。
少なくとも、大学生に出す金額ではない。ドン引きである。
休学、というのはどうかと思うが。しかし。
それを含めても、相応の金額であるといえるかもしれない。
それでも小さく迷っている俺に、プロスペクターさんは言った。
「他に条件はありますか?」
「……その、卒業後って」
「ネルガルでよければ」
「よろしくお願いします」
即答である。よっしゃあ、と内心でガッツポーズを取る。
いや、多分最初からそう言う意味でのスカウトも含めてたっぽいが。
それでも、色んな不安をお空の彼方にポイ捨てである。
いやはや、無軌道な学生としては、面倒事は出来るだけ避けたい。
この件で実績を積むというのも一つだし、これも一つのコネである。
未来を考えたら、これは参加するしかない。ないと俺は思った。
「出航は4ヶ月後です。
それまでは、訓練を積んでください」
そう言ったプロスペクターさんの言葉も俺の気分を損ねない。
この時の俺は、本当にテンションが上がりっぱなしだったのだ。
――両親への説明なんて、思い至ってもいなかったのだから。