この戦いが始まってから、一体どれぐらいの人が死んだのだろう。
その中には軍人さんもいたし、そうでない人も沢山いたのは知ってる。
自分の人生を生きてきて、多くは死にたくて死んだ訳ではないはずだ。
俺がこのナデシコに乗り、まだ生きているのは偶然でしかない。
これが運命だというなら他の人にも脚本を渡してあげて欲しかった。
ミナトさんではないが、その他大勢になった全ての人に、どうか。
無慈悲に押しつぶされる様に、或いは押しつぶされて死んだ人たち。
彼らの死に、何か報われるものはあったのか。意味はあったのか。
そんな益体もないことを、何度ぼんやりと考えてはやめたことだろう。
意味なんていうのは、結局は評価だ。基準に乗っとって測ったもの。
死の意味なんて、その人の人生の評価なんて、そんな不遜なもの。
一体どこの誰に下せるというのか、神様だとしても糞喰らえである。
決めるのはその本人でしかない。その本人が納得するか、どうか。
だとすれば今まだ生きている俺たちは、それを願うだけである。
彼らが自分の人生に、意味があったと思えたことを祈るだけである。
――死者を。亡くなった方を思う度に、俺は惨めな気持ちになる。
なんで死んでしまったんだろう。なんで俺じゃなかったんだろう。
死にたい訳じゃないけれど、この順番を俺は強く意識してしまう。
今の俺と、亡くなった誰かを比較して、そこに何かの違いを探して。
当然何も明確な違いなんてない。生きている理由なんて何処にもない。
何も持たない俺は誰かの生きたはずの未来をなんとなく生きている。
誰の死を悼む時にも、悲しいよりも先にただ惨めさを感じて。
その惨めさを押し殺して、俺は悲しむ人に慰めの言葉を掛けていく。
友達もヤマダさんも、そしてきっとこれからもそれは変わらない。
だから、今回もそれは同じなんだと。白鳥さんが死んでもきっと。
変わろうと思っていない人間が、まさか変われる訳なんてないから。
艦内マップで物陰に隠れる誰かに気づいてからも、そう思ってた。
――だけど。その懐から人を殺すのに十分な銃器が出てきた時に。
ヤマダさんの姿とか。親友の合同葬とか。ユキナさんの瞳とか。
とにかく、色んなものが頭の中に浮かび上がってしまったのである。
ムネタケ提督によって、あの時撃ち殺されたヤマダさん。
胸を貫かれ崩れる様に倒れたあの映像は、もう俺の手元にはない。
けれど、今度は俺の肉眼によって、新たな映像を見ることになる。
火星会戦で亡くなった全ての人の合同葬、あの中にあいつもいた。
あいつは誰かを救えたんだろうか。あいつの死に意味はあったのか。
白鳥さんの死は、更なる誰かの死を招くものになるのだろうか。
俺たちに向けられた、何も疑っていないユキナさんの輝く瞳。
俺は何も言えなかった。無邪気に送りだす彼女に何も伝えていない。
もしかしたら君のお兄さんは死んでしまうなんて、言えなかった。
判っていて何も言えず。判っていてそれを見逃してしまったこと。
判っていて判っていたと伝えずに、ただ惨めに慰めるだけだなんて。
……もう嫌だな、と思ったのである。素直に耐えられなかった。
なあなあで生きる俺に、それを耐えさせる信念など何処にもない。
背中に載せた荷物を担ぎ続ける理由がなかったから、降ろした。
だから、自己犠牲でもなんでもなく、ただ俺はその瞬間に前に出た。
状況的に気付いていたのは俺だけで、他の人に伝える時間もなく。
どうやったらどうなるかなんて判らずに、弾みで立ち上がって前に。
無計画だったから、俺が一体どうなるかなんて考えてなかった。
――そしたらドッと俺の胸元から音がした。振動が身体を走る。
横っ面から殴られたような痛み、ああ俺にそんな経験ないんだけど。
とにかくそういうのが流れて、身体がその方向に持っていかれる。
後ろにあった何かにぶつかって止まる。息が苦しくて、噎せた。
もう何か、色々考えるのが面倒くさくなってきたので目を閉じた。
どうなった所で、こんな痛みを抱えたまま動く気もしなかった。
「――悪の帝国は正義によって滅ぼされる。
それが、ゲキガンガーの結末でもある」
何処かで誰かが何かを言っているのが聞こえ。でも頭に入らない。
俺の耳は、聴覚は身体を流れる血のドクドクという音でいっぱいだ。
とにかく熱くて面倒臭くて、更には鼓動が騒がしいでうんざりだ。
誰かに抱きしめられたのを感じた。背中が暖かいように感じた。
このまま意識が切れたらどれだけ楽かと思って、でもそうならない。
俺の心臓は騒がしく、そして俺の周りはそれ以上に騒がしかった。
連続する破裂音が何度も聞こえ、そして直ぐ後に胸に衝撃が。
今度は点ではなくて、面。姿勢が変えられて、何かに被さる様に。
結ばれた紐は、確か緊急用のおんぶ紐だと何処か冷静に思った。
そして、揺れる。振り回される。頬にふさふさするものが当たり。
目を閉じたままでも、それは誰かの髪なんだろうなって思った。
だっだっと足音に従って揺れる。誰かの背中に背負われているのだ。
ほんの微かな汗の匂い。男性だけど、俺のとは違った匂い。
何処かで嗅いだように感じて、でも俺は少しだけ違うと気付いた。
何が違うんだろうと、俺は漸くにして外の世界に意識を向けた。
目を開いて、耳を傾ける。視界が熱でぼんやりと眩んで見える。
それを払う様に、大きく息を吸って吐く。胸が傷んでまた噎せた。
……うん。肺の辺りが痛くて、熱っぽく感じるだけで元気だ。
白鳥さんの背中。そして今いるのは、ナデシコではない通路。
立ち止まっているのか揺れず。代わりにみんなの会話が聞こえる。
どうやら通路の先に待ち伏せがあるらしく逃げかねている様だ。
何処かの部屋へ一度逃げ込んで。そんな話になりかけるのを。
ぼんやりとした頭で聞きながらも、いい手段だとは思えなかった。
この狭い戦艦荷物を抱えて隠れても、追い詰められるだけだ。
「――駄目、です。
鬼ごっこなんだから、逃げなくちゃ」
「タキガワくん……?」
「立ち止まったりしたら。
今よりも、状況は絶対に悪くなりますから」
鬼ごっこならば、逃げ続けなければ。隠れてしまっては駄目だ。
隠れるならば居場所を変え続けなければ、何れは見つかってしまう。
居場所を変え続けられる程、この戦艦は広いフィールドじゃない。
ぼんやりとする頭でIFSを起動する。繋げたままの艦内マップ。
ホシノさんに、俺たちの現在状況を更新したものを送りつけ任せる。
今の俺ではどう足掻いた所で、真っ当なナビゲートは出来ない。
目を閉じて、大きな背中に身を任せる。暖かくて硬い背中だ。
俺のIFSとコミュニケを経由し、ナデシコからナビゲートを受ける。
……ヤマダさんの背中も、こんな感じだったのかなとふと思った。
少ししてから、また揺れ始めた。銃撃戦らしき音もまた聞こえる。
ただ、目の前の背中から感じるこの熱を、白鳥さんの命だと感じて。
まだまだ途切れそうにない熱に、俺は少しだけ泣きそうになった。
――第一次地球木星間和平会談、結果は交渉決裂。死者はなし。
援護に駆けつけたナデシコ級第三番艦カキツバタによりみんな無事。
アカツキさんエリナさん、イネスさんもこれによって合流した。
死者が出なかった要因としては、使用された銃器の種類による。
決して大きいものでなく、貫通力についても低いものであったこと。
ボディアーマーを貫通することなく、身体を貫くこともなかった。
要は怪我人も俺一人。肋骨が多少折れただけで割と大丈夫らしい。
折れて何処かに刺さったということもないとのことで、なんつーか。
固定はされたが、痛み止めを渡されただけで終わってしまった。
熱と痛みは撃たれた反動。死にタイムは、撃たれたショック。
それに元の精神状態が絡んだだけで、走馬灯とかでは勿論ない。
……うん。要は不健康な健康体である。色々と情けない気がする。
情けないというか、そこまで心配されるレベルじゃないみたいな。
少なくとも、医務室の外にズラリと人が並ばれる様なものではない。
こう、艦長辺りが大丈夫ですかー?と見に来て終わりでいいのだ。
それで終わってくれたら、俺的には寧ろ幸いであるのだけども。
そうは行かないのがナデシコというか、ユキナさんであるというか。
目の前で目元に涙を溜めて、俺を睨むように見ているのである。
おかしいなぁ。俺は悪い事してないはずなんですけどね。
どっちかと言うと、彼女のお兄さんを身を挺して庇ってですね。
マジで怒られる3秒前みたいな状況とかね、おかしくないですか。
「――馬鹿。馬鹿。馬鹿。
本当に馬鹿、信じられないほど馬鹿」
「うん」
「ユキナそんなの頼んでない。
命賭けて守ってなんて頼んでない」
……どうしよう。何か言ったらこの子、本気で泣きそうである。
普段なら言われっぱなしになんかしないが、相手は13歳だし。
周りで見ている人も、止めてくれそうな様子には一切見えないし。
どうにかして話をそらして、クルっと上手く丸め込んだりとか。
流石に今それをここでやったら、多分後から非難轟々であるだろう。
とか思っていたらユキナさんは俺に手を伸ばし胸元を掴んできた。
「聞いてるの馬鹿。
ちゃんと自分を大切にしてって言ってるのよ馬鹿」
「いやぁ」
「いやぁじゃないわよ馬鹿。
なんで怒られてるか判ってるの馬鹿」
まず俺の名前は馬鹿じゃないけど。いやまあこの際それはいい。
こう、自分を大切にしろって言われた所でね。守れる気がしない。
自分の安全は、重要な物の中では最速で投げ捨てるものである。
なんで怒られてるかって、本当になんでなんだろうなぁ。
勢いで助けることになったのはいいけど、別に自己犠牲じゃないし。
俺自身を大切にしてないかっていうのとは違うつもりなんだけど。
そうして思わず首を傾げる俺を、ユキナさんはブンブンと揺らす。
いやいや痛い痛い、痛み止めは効いてるけれどなんか痛い気がする。
手を伸ばし止めようとして、彼女の瞳から溢れるものを見つけた。
……一番最初に感じたのは、泣くんだという意外性である。
なんで泣くかって言われたら、やっぱり今は俺についてだろうし。
出会って直ぐの俺が命を賭けたことに彼女は泣いてるんだろう。
ああうん、俺でも泣くんだと。泣く人もいるんだなぁと思った。
こうやって真っ当に怒って、真っ当に泣いてくれる人もいるんだ。
それがもの凄く意外に感じて、思わず言葉に詰まってしまった。
もし、今回の件が原因で俺が死んでしまっていたとしたら。
今ここにいる人たちは、きっと少しは悲しんでくれるんだろうな。
中には俺の死んだ意味を想像してくれる人もいるかもしれない。
だとしたら。そうやって悲しんでくれる人がいることが。
俺が生きた意味で、生きていた意味で、人生を全うした意味かも。
みんなもそうだったらなと、現実から逃避しながら俺は思った。
……いやいやだって。目の前に13歳の泣いてる女の子だよ。
どうすればいいのか判らずに、現実逃避するも仕方ないではないか。
そうやって困ってる俺に、遂に白鳥さんが助け舟を出してくれた。
「――ユキナ。
タキガワ君も困ってしまっているだろう?」
「……うん、お兄ちゃん」
「タキガワ君、助けてくれて本当に感謝する。
……これからも“ずっと”ユキナと仲良くしてくれるか?」
本当にありがたい。勢いで勿論そうすると答えかけて、一度止まる。
……ずっととは。なんというか、異様に感じてしまう言葉なのだけど。
一瞬流しかけたが、今ずっとという言葉を結構強調した気がする。
聞き返そうにも、なんというかそんな空気でもないのだが。
なんか嫌な予感が止まらずに、脳内で言葉をどうにか探していると。
周りにいる人々から、ざわり、とざわめき立つ音が聞こえてきた。
――イツキさんだ。イツキカザマ少尉が群衆を割って出てくる。
黒の長髪をサラリと揺らし、伸びた姿勢は凛として美しいと言える。
異様に静かな視線が俺を貫くように真っ直ぐと、暗く暗く光った。
ざわり、という音が止まらない。みんながざわめく音でもあり。
そして俺自身の背中が、怯え怖がり鳥肌を立てる音でもある。
俺の胸元から手を離したユキナさんも、無表情で彼女を見ていた。
「なんというか。
別にまだ、好きというほど好きじゃないんですが」
「はい」
「かと言って目の前でかっさらわれるのも。
これもまた非常にむかっ腹が立つと思い知りました」
なにがだよ。いやもう本当になにがなんでこうなるんだよ。
医務室の中と外から、おおーという感嘆の声が聞こえ更に苛立つ。
特に「言うわねぇ」とかいってるミナトさん、アンタもである。
もう何か怖いんだけど。なんでユキナさんもイツキさんもさ。
さっきまで見たいに怒ってるんならまだしも、なんで表情がないの。
その上で俺に視線が集まってくるものから本当に訳が判らないよ。
いや判る。イツキさんに、ユキナさんも白鳥さんも否定しないし。
要はそういうことなんだろうってのは、流石に俺も判るんだけど。
何故俺に、何故このタイミングで、同時に二人来るのだという話だ。
えっていうか。これって何、俺って何か言わなきゃいけないの?
この超おっかないモードの二人に、俺は何か告げないといけないの?
……無理だ。無理です。本当に無理だと思って、布団を被った。
ブーイングが飛び、布団すら貫いて冷たい視線が俺に刺さって。
銃弾よりも遥かに重大なダメージを、俺の胃に強く刻み込んだ頃。
騒がしさにキレたイネスさんがみんなを追い出すまでそれは続いた。