悪役令嬢転生かと思ったらゾンビパニックかい!   作:レッドアリーマー

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博滅!

 そこから、二か月あまりの時が過ぎた。

 旅路の旗のところへ行こうかとも思ったけれど、真なる太平が訪れたとは言い難い現状。

 だからこの二か月の間、私は……あと魔族たちは、目に付くアンデッドというアンデッドの全てを駆逐してまわる日々を送った。送り続けた。

 その甲斐あってかとりあえず手の届く範囲……この大陸のほとんどの場所からアンデッドを除去できた……と思う。まだ奥まった場所……つまり洞窟や屋内なんかは確認しきれていないから何とも言えないけれど、山の頂上などから世界を見渡した時、ぱっと見でアンデッドが目に入らない、というところまでこぎつけることができた。

 最近は人間の国からも兵士が出ているのが確認できている。このアンデッドの災禍が終わりつつあると人間側でも察知したらしい。

 世界の夜明けは近い。

 誰もがそう感じていただろうし、実際にそうだったと思う。

 

 この世界には「戻るべきシナリオ」が存在することを知っている私だけが、そうではないものを感じていただけで。

 同時に……ゴルズィオがいない今、ルート取りはアレハンドララスボスルート……つまりイジスやオスカルのルートになるのかと思うと首をひねらざるを得なくなるな、とか。

 

「みーつけたァ!」

 

 それはそれとして。

 ガンと鈍い音を立てて潰れるアンデッドの首と振り抜かれるショベル。

 いっちょあがりだ。

 

「ふぃー……ですの」

 

 先程高い山から見下ろした時にアンデッドが見えなくなったという話を述べたけれど、その高い山にはまだまだ腐肉が残っていることが多い。

 なおアンデッドはすべからく全て排除……が今の風潮だけど、まぁアンデッドとていち種族ですので、多少は残しておかないといけないのも現状だったりする。ゴーストや夢魔が消えるわけではないし、『不死根(デッドレス)』の消滅によって感染こそしなくなったものの死者がアンデッドになる──無論必然ではないが──法則が消えたわけでもないので気にしないでも良い……のだけど、そこはまぁ、絶滅危惧種が如何に増えないかを知っている現代人らしい感性ということで。

 その辺の塩梅から魔王やフナリエ老、そして「若い世代に任せようと」していたらしい亡霊女王(レイスクイーン)のエーテルネーアさんと日夜協議を重ね、「海抜より低い所にある洞窟にいるアンデッドは駆除しない方向で行こう」と方針が決まりましたの。

 なんで海抜を気にするかとかそんなことを決めて何になるんだとか色々言いたいことはあるでしょうが、色々話し合ってそうきまったのですわ。

 ちなみにエーテルネーアさんは私の方を見るや否や「若い子が自らを見つめ、克己と共に世界を有つ一存在になろうとする。そのきっかけは間違いなくあなたが与えたものだから、私達は感謝をしているの」と感謝を伝えてきたばかりか、「私達ならばその子たちをもう少し強くしてあげられるけれど、どうする?」なんてことを言ってきたのでアレテイアにその旨を尋ねれば、「余計なお世話」だそうで。

 なにかよくわからないけれど、亡霊同士の色々があったらしい。好きにしてくださいですわ?

 

 ……随分と時間が経ったような気がしている。アンデッド暴走からまだ三ヶ月か四か月か、それくらいしか経っていないのに。

 遠くまで来たというか。遠くに行ったというか。

 魔族に王と称えられはしたけれど、果たして私は人の国に戻って……人の王となれるのか。そも、その立場を目指せる環境にあるのか。

 あっさりさっぱりな魔族と違って人間は面倒臭い。そして……暴力だけではどうにもならない部分がある。そこを……私は、本当に。

 

「──*流石に待ちくたびれたんだけどな」

「あら、自分から現れることもできますのね、あなた」

 

 未来への展望に想いを馳せていたら、待ち人──私を──が自ら赴いてきた。

 クランパネリテ。攻略対象にして隠しキャラの一人。

 

「*旅路の旗も、『勇者の魂』も、四騎士も。君を待っているよ、ラファ・ダルクエルデ」

「勝手に待っていてくださいですわ。私にはまだまだやるべきことがありますので」

「そういうわけにはいかないんだなーこれが」

 

 声……は、今生においては初めて聞くそれ。

 振り返れば、浅黒い肌に幾つもの傷をつけたイケメンが立っていた。

 

「よ。おれの名はルドガー・モーディ。義勇軍『旅路の旗』のリーダーにして、世界が救われるのを指をくわえてみているしかできなかったちっぽけな人間だ。あんたは?」

「……ラファ・ダルクエルデ。宣言通り世界を救ってみせた公爵令嬢ですわ」

「ハハッ、すげぇ自信とすげぇ胆力だ。聞いていた通りの人物らしいな」

 

 ルドガー・モーディ。隠し攻略対象の最後の一人。

 四騎士の好感度が均一に高い状態じゃないとルート派生が行われない、「え、リベルタそこまでみんなの好感度高めておいてそんなぽっと出のキャラに現を抜かすの?」なルートのキャラクター。均一に低いと派生する魔王ルートと彼のルートはこの世界ではあり得るルートだな、なんて考えているけれど、はてさて。

 

 彼自身の人柄は「朗らかでしっかり者な兄貴分、ただし時々自責」だ。何かと欠落しているor問題児の多い四騎士や、魔王、クランパネリテ、オスカル王子といった癖強隠しキャラの中で燦然と輝く「マトモな人」であるルドガー。彼と接していると、確かにリベルタが彼に惹かれていくのも無理ないか、になる。プレイヤー視点だけど。

 

「*それじゃ、ボクはこのあたりで。またボクやボクの商品が必要になったら呼んでほしい」

「おう! 色々ありがとうな、クランパネリテ」

 

 正直そこが仲良く会話しているのが信じられない私ではあるけれど、たしかにいがみ合う理由もないので納得も勝る。

 まるで転移でもしたかのように見えなくなったクランパネリテ。「んじゃ」と呟くルドガーは……手を差し出してきた。

 

「すまんな。いきなりだし、多分アイツなんの説明もしてないだろうから混乱するだろうけどさ、道すがら色々話すから……今はこの手を取って、おれと一緒に山を下りてほしい」

「初対面の殿方の手を取れ、とは。非常識ですわね」

「貴族の礼儀に関しちゃ、確かに非常識か。すまねえな、おれは貴族を……あまり良く思わない人間だったから」

 

 ゾンビパニックなど起きなかった世界線における『旅路の旗』は、基本は冒険者や探索者的な役割を担うクランだ。ただその実態は貴族に反抗するレジスタンス的な立ち位置でもある。彼のルートに入ると王国貴族や王族と完全に敵対することになる。それくらい確執がある。

 だから今生においては関わらないものだと考えていた。なんせ私が公爵令嬢ですからね。不倶戴天の仇に等しいですわ?

 

「だった、とは?」

「あんたの話を聞いた。あんたが民に見せつけてきた背中、実際に世界を救ってしまったこと、消えることのない火種を彼らに宿したこと。特権階級で甘い蜜を啜り、民に還元することのない貴族……そういうものを嫌って立ち上げたクランだったが、あんたみたいなのがいるなら……おれたち存在意義も怪しくなる」

「伝聞だけで他者を判断するんですの?」

「だから言っただろ。聞いていた通りの人物らしいな、って。……挨拶だけで充分わかるさ、あんたがどういう為人なのかくらい」

 

 そういう気持ちのいい人物なれど、貴族のことは目の仇にしていることも知っていましたからね。

 こうして冷たくあたってみましたけれど……あの復讐心に近い炎は消えている様子。ま、ルドガーらを煙たがっていた貴族は大体が辺境伯の類なので、すでに死したかアンデッドになったか……だから怒りの炎が消えたのやもしれませんわ。

 

「申し訳ありませんけれど、手は取りませんの。一緒に下山することはできますから、あなたの言う通り、少しお話をしましょう。信用するかどうかはその後ですわ」

「おう、そうしてくれ。おれには隠すことなんてなんにもないからな」

 

 さて……鬼が出るか蛇が出るか。

 

 

 は?

 

「は? ……ですの?」

「まぁ、そういう反応になるよな。おれだって初対面のあんたにこんなお願いをするのはおかしいってわかってるんだけどさ」

 

 色々話した。今までのこと、これからのこと。

 その中で出た、「これからの人間がどうしていくべきか」という話し合いにおいて。

 

「けど、もう一度言うぜ、ラファ・ダルクエルデ。──王になってほしいんだ。これから建国する国の初代女王に」

 

 というとんでもない話が出てきて、さしもの私も鳩が豆オートライフル食らった顔をしていますわ。

 

「建国って……いやまぁそれ自体はいいとしても、なぜ私を?」

「王国からな、逃げてきた奴が多いんだよ、おれの今いる村は。アンデッド騒動の最中……丁度二か月前とかかな? 曰く、"暴虐と暴力の化身だとばかり思っていた少女がどれほど身を粉にして自分たちを助けてくれていたかわかった"とか"あの子のおかげで貴族への印象が変わったのに、今度は王族によって塗り潰し直されて最悪だ"とかさ」

 

 あー。

 オスカル王子が何かをやらかした……のではなく、アレハンドラですのね、その評価は。

 そういえば「王城にいる」とだけ聞かされていた平民難民の皆さんですけれど、どれほど数が残っているのか、というのは確認しませんでしたわね。……なるほど、逃げていましたか。それは……頑張りましたわね。

 

「いま必要なのは圧倒的なリーダーだっておれは思ってる。おれは確かに『旅路の旗』のリーダーだけど、どっちかっていうと寄り添ってやるタイプのリーダーだって自覚があるんだ。強さや言動の圧倒でみんなの光になるタイプじゃない」

「だから私を祀り上げようと?」

「言い方が悪いけど、まぁ、そういうことだ。治世を敷く賢王も戦の上手い武王も今はお呼びじゃあない。我が道を征き、自らの進んだ足跡を安全と喧伝し、後続に並ぶ力無き者たちに踏ませる……そんな覇王が必要なんだ」

 

 ……。

 まぁ、言わんとしていることはわかる。

 わかる、けど。

 

「……申し訳ありませんわ。私はダルクエルデ公爵家令嬢ですの。私に発生する責任の所在とは、王国の民に対して向けられるもの。逃げだした方には酷なことを言ってしまいますけれど、逃げださず、今なお耐え続けている方々に朝日を見せるのが貴族の務め。建国したり王になったりは……私の運命じゃないのですわ」

「これから行く村で、多分あんたは懇願される。見知った顔の人々に。それを……正面から、断れるのか?」

「ええ」

 

 迷わない。言い淀まない。

 力強く頷く。

 

「そして、言いますわ。王にはなりますの。王国の王に。だから、そうなった我が国に帰ってきなさいと。酷なことは言いますけれど、決して見捨てませんのよ。その方々が私を慕うのならば、その方々は私の民。自らの民は平民であれ亡霊であれ見捨てないのがラファ・ダルクエルデという女ですわ」

「……なんでそこまで王国にこだわるんだ? 家族がいるからか?」

「別にこだわっているつもりはありませんわ。他に国に生まれていたらその国を守っていたし、どこぞの村の出であればそこの守護者になったでしょう。……私は多分、自らを()()()()()()()()場所を、環境を、捨てることができない。ただそれだけで……だからこそ取りこぼしたくない。本当にそれだけですのよ」

 

 見捨てる、なんて。私のものなのだから、そんな勝手は許さない。

 一度私を仰ぎ見て、一度私の(かいな)に抱かれたのなら、この船が沈むまで乗り込み続けてもらう。

 

「……ぐぁー。……こりゃ無理だな。あの子の言う通りか……」

「あの子?」

「勇者だよ。今おれの村で寝泊まりしてんだけどさ、あの五人にもこの話をしたんだ。そうしたら、建国のことは応援するけど、ラファは絶対に頷かないと思う、って言われて……言ってみなきゃわかんないだろ、って出てきての今なんだ」

「ああそうだ、王にとせがむのならリベルタにやってもらえばいいのでは? あの子も大分圧倒的な光ですわよ」

「それも考えた、が……どーにもこえーお兄ちゃんたちが守ってやがるからな。あの子の使命や大義とやらが全て解けた日に改めて聞くことにするよ」

 

 賢明な判断ですわね、それは。

 確かに「過去を変える」という大目的は果たされなかったとはいえ、まだ『勇者の魂』がやるべきことは残っていますから……四騎士がそれ以外のことへリベルタの目が向くのを良しとしないのは理解できる。

 ただ……どうにも話から……四騎士とリベルタの絆、みたいなものを感じない。切りたくても切れない方の意味でならそうっぽいけど、好感度は正直微妙そうだ。

 

「ま、王だのなんだのはじゃあ忘れてもらって、おれの村でめいっぱいの感謝だけ受けていってくれ。世界を救ったのがあんただってことはもう知らされてんだ。んで、クランパネリテのやつから"*彼女、お腹が空いてイライラすることもあったみたいだから、美味しいご飯があると良いと思うよ"ってアドバイスを受けててな。今ある食材で精一杯の美味い料理を用意してんぜ」

「余計なことを、と言おうとしましたけれど、ナイスですわクランパネリテ。……もうずーっと焼いただけの肉と果実とポーション風に加工した植物しか食べていませんの。味が恋しいですわ」

「それ栄養とか……大丈夫か?」

「むしろ栄養素だけを考えて食事していますわ。だから健康ですのよ」

 

 ……もうジャンクフードの味とか忘れましたわね。

 味覚の暴力、味のドラッグ……。チーズの味で味覚を壊される感覚、もう一度味わいたいと思いつつ、こちらの世界の食事もじんわりとした旨味で美味しいんですわよねー、とか。

 ご飯のことを考えたら連想が止まりませんわ。こういうところ、普段とこう……ギャップがあって良くありません? 自分で言うことじゃありません?

 

「今日食べる飯が死ぬほど美味かったら心変わりする、なんてことは流石にないよな」

「可能性がゼロであるとは言いませんけれど、そんな王を立てたいんですの?」

「んー、その時の雰囲気次第だな」

 

 案外こだわりはありませんのね。

 ……しょうみ今の貴族……生き残っている方々であればルドガーの想いも叶えられそうですけれどね。フレイエルデ侯爵とか体現者ですし。

 リベルタ関連の話が落ち着いたら、ルドガーを王国に招いて……貴族たちを見てもらう、というのもアリですわ。王国とて今は人口を増やしたい一心でしょうから難民は歓迎しますし。

 

 王、ねえ。

 

 

 王国は王城地下牢。

 そこに彼……ワインデルデ伯爵はいた。

 凶手ヴァラーによってかけられた疑い。誤魔化しようなどいくらでもあったはずのそれは、()()()()()()()()()()()()によって言い逃れのできないものとなっていて、そうして投獄が決まったのだ。

 霧が晴れるようにアンデッドの数が減っていっているという話も出ていて、ワインデルデ伯爵が動けなくなったからなのではないか、なんて憶測まで上がっている。即ちこの渦中においてすべてを操っていたのが彼なのではないか、と。

 無論伯爵はこれを否認しているが、もはや民意は抑えられないところまできていた。

 つまり──即刻の処刑を、と。

 

「気分はどうですかい、ワインデルデ伯爵」

「……マルトムルガ?」

 

 項垂れ、"その時"を待つしかできない伯爵の前に現れたのは、彼を追い詰めに追い詰めた証拠品をこれでもかと有していた男爵。

 マルトムルガだ。彼は突き出たその腹をゆさゆさと抱えながら伯爵のいる牢の正面に座る。

 

「なんだ……僕を笑いにでも来たのですか?」

「いやいや、そんな悪趣味なことはしませんよ。アタシが今日ここへ来たのは百パーセントの善意でさァ」

 

 男爵は腰に付けていた瓢箪を外すと、その中身をこれまた持ってきていたらしいカップに注いでいく。

 中身は紅茶であるらしかった。

 

「これは……?」

「マルトムルガ家に代々伝わる秘薬ってやつですよ。人体に入ると睡眠に似た微睡を強制的に与え、眠らせ、そのまま心臓を止めやす。苦しみはなく、そして薬は十三時間ほどで分解されるために証拠も見つからない。商人はお客様の秘密を喋ったらいけねえですからね、そういうことを迫られた時用の自決薬なんですが……さて」

「……飲め、と」

「どうしますかい、と。アタシはそう聞きます。鞭で叩かれる痛み、絞縄の食い込む痛み、首の骨の折れる痛み、息の止まる苦しみ、血の止まる苦しみ。民からの罵倒、貴族からの冷ややかな目。王族からの心を砕く言葉。そういう……なんていうんですかねぇ、追い打ち、みたいなもの、アタシは嫌いで。だから情けってやつですよ」

 

 伯爵は想像した。既に何度もしている想像。自らの命の終わりの瞬間。

 苦痛なく逝けるなどと……思ってはいないけれど。それでも恐ろしいものがあった。それを。

 

「それ、置いておきます。飲んだらカップは適当に砕いてくださいや。平時でありゃこんなところになぜってなるもんも、今はどんなもんが散乱してたっておかしくない状況。……そんじゃ、アタシは失礼しますよ」

「……」

 

 何も言わないワインデルデ伯爵と、言いたいことは言い終えたとばかりに去っていくマルトムルガ男爵。

 慈悲。情け。

 

 伯爵は──。

 

 

 ──無論。

 

「アタシがそんな情けかけるわけねぇのに、馬鹿なお人だ。最後の最後まで」

「あん? なんか言ったか、マルトムルガ」

「いえいえ。民の心をまとめるためとはいえ、処刑を見世物にするのは気乗りしねぇなぁってだけですよ」

「確かにな。この手で殺してやりたかったが、()()()()()()んじゃあもう殺すしかねえ。ったく、最後の最後まで逃げやがって……」

 

 翌日、ワインデルデ伯爵は言葉を発することも文字を書くこともできなくなった状態で発見された。

 意識はある。だが、痴呆と言っていいほどにおかしくなってしまっている。

 こうなればもう牢に繋ぎとめておく意味はない。せめて王国のために使おうと処刑が決定した。

 

 まさか「意識を表に出せないだけ」であるとは誰も思わないままに。

 

 状態異常:沈黙。その効果を強制的に対象へ叩き込む秘薬。

 

「……へん、追い込まれたからって自決するんじゃあ商人の名折れ。いっときでも阿呆になって、最後に勝つのが商人ってやつだ。だから、その薬を飲んだって意識は残る」

 

 意思を伝えることも魔法を使うこともできなくなる。けれど意識はある。

 鞭で打たれ、拷問にかけられ、「狂っているフリでないことを証明する」様々なことをされても反応はできないけれど、苦痛は残る。苦痛はちゃんと感じる。効果時間はまる二日間。

 

「逃げようとした罰でさぁ。最後の最後まで逃げやがるのが許せねえから、こうなっていただきました。れっきとした私刑ですがね、どうぞ心行くまで堪能してくんなっせ」

「さっきからなにぶつぶつ言ってんだ。そんなに気乗りしねぇなら引っ込んでるか? 別に出席は必須じゃねえだろ、これ」

「ああ、じゃあそうさせてもらいやす。すんませんね、心が弱くて」

「処刑を見たくねえって気持ちを責めるやつなんかいねえよ。ゆっくり休んできな」

 

 もう一度礼を述べて、マルトムルガ男爵は処刑場を離れる。

 背後で悲鳴は響かない。断末魔も轟かない。彼は何の反応もできない──内側でどれほど苦しんでいようとも、だ。

 

 一度だけ処刑場の方を振り返って。

 踵を返したマルトムルガ男爵──。

 

「忘れ物だ、マルトムルガ男爵」

 

 その背後に立つは、その声は。

 

「ダルクエルデ公爵……なんですかい、忘れ物とは」

「これだ。割り砕いて捨てることも意思の発露の一つ。それができないままに放置されては怪しいことこの上ないだろう。──持ち帰り、綺麗に洗浄しておくといい」

 

 渡されるはカップ。昨日彼が伯爵に差し出したそれ。

 

「……見逃すんですかい?」

「娘が仕留め損なった獲物が仕留められるのを確認しただけに過ぎない」

「いいんですかい、それ言って。アタシが言いふらさないとでも」

「言いふらすことはない。意味深な言動であの子を怖がらせたことはいただけないが、お前にあの子をどうこうする動機も理由もないことは知っている。ただ……そうだな、一つアドバイスをしておく。あの子は理性と本能の使い分けができる獣だ。だが、使い分けの基準はあの子の快不快をもとにしている。──からかいすぎて種を明かす前に喉笛を噛み切られることのないように気を付けろ。後から事実を知ったとて、彼女は気にも留めないぞ」

「……親がするお子さんの評価じゃありませんね、それ。へい、気を付けやすよ」

 

 以上だ、と。去っていく……のではなく、いつの間にかいなくなっているダルクエルデ公爵。

 

「ゴードーの蔓にソルヌムはならぬ……ってやつですかい」

 

 うん、と頷いた男爵はそう締め括った。

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