空母艦載機によって観測された姫級の数は、合計でなんと五隻。そのうち三隻は既知の飛行場姫、空母棲姫、そして集積地棲姫であり、何度か久遠も大和の指揮下で沈めたことのある連中である。
しかし、後の二人のリシュリュー級戦艦の様な艦内を浮かべる姫級は、EU海軍はおろか日本海軍のデータベースにも存在しない、全く未確認の姫級だった。しかも片方は一体何で出来ているのやら、船体が半透明の物質で構成されている。
また、当然のように姫級以外にも総勢三桁に届くほどの艦が紅海側のスエズ河口に集結している。彼我の戦力差は1.5倍、主力艦の在籍数に至っては数倍の開きがあった。
『それで、彼女らに動く気配はあるかしら?』
「正直、あまり良く分からないわね。ワシもあんな数の敵を見た初めてだしね…」
『どうします、閣下?私の艦隊もクドウの艦隊も、まだまだ余力はありますが』
欧州出身の上級指揮官らがこぞって首を捻る中、一人だけ広域無線の電源を切って一人熟考する男がいた。
「小笠原海域B-308:45…ガダルカナル沖H45:782…アレクサンドリア沖T-700:102…」
「おい、准将閣下はどうされたんだ?」
「わからん。さっきからずっとこんな調子だ。日本語で話されているから、何言ってるのかさっぱりだ」
久遠にあって他のEU海軍の将校に無いもの、それは大規模な艦隊決戦の経験である。
バルカン半島防衛線の一環で行われた海戦とて、せいぜいが双方五十隻程度。太平洋で久遠が従軍した南方絶対防衛圏の攻防やガダルカナル島上陸護衛戦、日米合同のパール・ハーバー奪還作戦といった、二桁の戦艦や空母、百隻を超える準主力艦、そしてそれに追随する艦隊駆逐艦による最大で彼我の合計参加戦力数百隻に及ぶ、巨大な海戦は経験していない。
ついでに言えば、こういった大規模海戦は久遠の最も得意とするところだった。新生日本海軍最悪の作戦と言われるインドネシア上陸計画ことサターン作戦において、後世の戦死研究によれば最低でも1:3と言われる絶望的な彼我の戦力差にも関わらず、激戦を生き残った陸軍将兵の全て、及び主力艦の大半と半数以上の巡洋艦と駆逐艦をアメリカ軍の勢力下にあったウェーク島まで撤退させたのは、将官が軒並み戦死した状態で指揮を執った彼の功績である。ちなみに、大淀と大和に並んで最後まで久遠の左遷とヨーロッパ派遣に異議を唱えたのは、この件の借りを返そうと頑張った陸軍だったりする。
思考の海から起き上がった久遠は、やおら無線機の電源を入れると、広域無線の周波数を艦隊に合わせ、艦隊のだれもが耳を疑うような提案を行った。
「ちょうどいいタイミングです。一週間後の二月二十日に、艦隊決戦に討って出ましょう」
一瞬の間を挟み、口々に浴びせられるスヴォ―ロフら各級指揮官の批判をものともせず、いけしゃあしゃあと久遠はウォースパイトに指揮権を要求した。
『いくらクドウ准将でも、指揮官以上の要求はやりすぎだ。ウォースパイト閣下が適任だろう』
『クリャンコフ准将のいう通りだな。准将、貴官はまだ若い。その台詞は十年以上は軍歴を重ねてから言うものだ』
口々に陸海の将軍が彼を嗜めるが、久遠は一向に譲らない。ダラダラと続いた言い争いの末、ある三十代半ばの若手少将が久遠の逆鱗に触れた事で勝負は決した。
『ええい、くどいぞ准将!そもそも、貴様のようなアジア人の考えた作戦がハマるわけがない。EU海軍のドクトリンは、机上研究とコンバットプルーフを重ねた信頼に足るものだ。
それこそ、“日本海軍の薄っぺらいそれよりもな”』
瞬間、マルコ少佐は目の前の上司の背中から、得体の知らない何かが滲み出してくるのを感じた。迂闊な事を言い出した少将を脳内イメージの自分に機関銃を持たせてミンチにしつつ、彼はやがて落ちるであろう久遠の迅雷に備えて覚悟を決めた。
暫しの沈黙の後、ようやく納得したかと他の将官が無線機を置こうとしたまさにその時、久遠は地獄の底から滲み出てきたような声で静かにキレた。
「巫山戯るなよ、エルネスト少将。思い上がるな。私が、私の部下と上司が、日本海軍が、どれだけの屍と歳月の果てにここまで這い上がって来たと思っている」
近海の平均気温が三度ほど下がったと後にウォースパイトは語るが、呑気にそんな事を考えていられたのは彼女やカヴールら艦娘くらいの物で、佐官までの上級参謀達はひたすら首をすくめて久遠の怒りが収まるのを待っていた。ちなみに、キレると一人称が変わるのは久遠の癖である。
「口の利き方に気を付けろ、艦隊保全主義に逃げた臆病者のヨーロッパ人風情が。貴様らの流した血の量が、私の流した血の量と同等だなどと二度と思い上がるんじゃない。…失礼。それで、指揮官を委譲していただけますか、中将殿?」
『ええ、勿論。もとよりそのつもりだもの。…信じてるわよ、クドウ。ぶった演説の責任くらいは取りなさい』
「お任せを。日本海軍謹製、艦隊決戦ドクトリンの叡智をとくとご覧あれ」
そう言い残し、一瞬静まり返った後に我に返って騒ぎ立てるほかの将校を無視してぷつりと広域無線を切った久遠は、代わりのその横のコンソールに搭載されている長距離無線を起動。密室で何者かに話を通し、艦長室から出てきた彼の顔はかなり満足げだった。
「カヴール少将閣下、飛行場の確保はどうなりました?」
『アンタがアレクサンドリアで確保した飛行場とポートサイドのが一つづつ、それにワシのいる盆地の上も結構広い平原は多いわよ。…何をする気?』
「野戦飛行場の設営を。とりあえず、六百機ほどの収容の準備をお願いします。ご心配なく、燃料弾薬はイスラエル方面から陸路で届きますので」
『…は?え?ちょ、待ちなさい!…あいつ、無線を切ったわね!?』
「スヴォ―ロフ、各上陸地点に駐屯している艦隊から最低限の戦力を残し、巡洋艦以上をすべてこっちに引き上げさせろ。責任は俺が取る」
『あ、ああ。わかった。…艦隊決戦か。いつぶりだろうな』
「その他の陸上部隊は可能な限りスエズ運河の河岸から退避、沿岸と内陸部の制圧に徹しろ!進軍は遅くても構わないから、可能な限りインフラを整えろ!」
矢継ぎ早に指示を飛ばし、大部隊の防衛体制をあっという間に整えさせる久遠の手腕には、ベテラン陸将のカヴールですら舌を巻いた。
タイミング良くヨーロッパからはるばる到着した鉄道車両が先行部隊の敷設した線路に滑り込み、各港湾都市に集積された物資を濛々と蒸気を上げながら前線に輸送し始めると、内陸部への侵攻速度はさらに加速。ちなみに、この時敷設された標準軌の鉄道網が後の新生エジプト国鉄の母体となった。
ともかくその日の夜には、ドラコス率いるスエズ西岸軍最先鋒の機甲部隊はナイル川流域の都市ソハーグまでの侵攻を完了させ、また東岸のカヴール率いる部隊は、イスラエル方面からはるばる海沿いにやってきたハイファ上陸部隊の先鋒であるソ連軍の機械化歩兵連隊との合流を果たした。
「よかった、無事だったのねリベッチオ!」
「うわっぷ、苦しい…ぷはっ!心配かけちゃってごめんなさい。事後処理ちょっと手間取っちゃってね…でも、亡くなったのは十六人に収まったよ。怪我人は百人弱だけど、それもなんとか野戦病院に収容できた。命に別状はないよ!」
「流石ワシの右腕ね、よくやったわ!」
「えへへ〜」
少し煤けた顔で司令部の天幕に現れ、カヴールにグリグリと頭を撫でられている彼女は、マエストラーレ級駆逐艦のリベッチオ。その朗らかな性格とは裏腹に、准将位を有するカヴール率いる海兵師団の副長である。海兵と銘打ちながら機甲大隊や砲兵大隊を有し、実数で見れば二個師団に届く規模の部隊を、カヴールと共にまとめ上げる為に配属されたのが彼女だった。
おそらく無線でクドウの指示を傍受したのだろう。胸を張ってやってきた彼女の背後には、牽引車に繋がれた大量の野戦砲と、海兵師団所属の砲兵大隊の面々が付き従っていた。
「残りの砲兵は無事か?」
海兵師団とともに行動していた機甲師団の司令官である大柄な准将が彼女に部下の安否を尋ねると、小さな准将はにっこりと笑った。
「うん!心配ないよ〜。皆、ちゃんと私に着いてきたからね」
「そうか、よかった…恩に着るよ、リベッチオ准将」
「いいっていいって。それに、今はいっぱい人手がいるからね」
そう言って窓の外を見やった彼女の視線の先には、必死の形相で土方作業に従事する数万人の兵士が、各々の道具を手に走り回っていた。
「仮設とはいえ、六百機分のスペースを一週間以内でってのは辛いな。本当にウチが機甲師団で助かった。ドーザーブレードがなかったらどうなっていたことか…」
無茶ぶりとは言え、仮にも指揮権を委譲された人間の命令である。縦割り組織の軍隊では、指揮権と命令は絶対だ。
「幸い、ローテーションで作業すれば明後日の早朝には完成する予定よ。クドウの言ったとおり、燃料も順調にイスラエルから鉄道経由で届き始めているし、どうも気の迷いじゃないみたいね。かなり周到に準備されてるみたい」
これまた新生イスラエル国鉄の始まりである。鉄道の圧倒的な輸送力によって届けられた工作機械や戦車に取り付けられるドーザーブレードは、大きく飛行場設営の効率を高めていた。
同時にアレクサンドリアの港湾にはどんどんと各上陸部隊を護衛していた艦隊が集結。また、再度のエル・アラメイン市街攻略戦も行われ、アレクサンドリアの防衛部隊が全滅したために陥落の報が届かなかった深海側の防衛隊は、陸路で侵攻してきた機甲師団に不意を突かれて陥落した。周囲の安全を確保し、戦力を集結し、決戦の準備は着々と整っていった。
「クソ、合図はまだか?もう到着していてもいいはずなんだが…」
「クドウ閣下、EU海軍の人事課長付で通信が。『一つ貸しだぞ、クソガキ』、繰り返します。『一つ貸しだぞ、クソガキ』です。…何でしょうか、これ?」
「ようやく来たか!よしよし、これで最後の準備が整ったぞ!」
そして、艦隊決戦準備期間の最終日に当たる二月十九日の早朝に、
「大規模な機影を確認!バルカン半島方面からです。数、推定二千!」
「対空無線用意!出力最大、周波数をドイツ空軍に合わせろ!以下、復唱。『一番から五番、シナイ半島航空基地へ。六番から八番、ポートサイドへ、九番から十番、アレクサンドリアへ』応答があるまで何度でも繰り返せ」
「艦隊の接近を検知!規模、七十八隻。IFF識別完了、友軍艦隊です」
「そちらにはアレクサンドリアを目指せと伝えてくれ。こちらも、応答があるまで何度でもだ」
「応答あり!航空部隊、散開して行きます。艦隊は減速しつつ真っ直ぐこちらに接近中」
ヨーロッパ史上最大の艦隊決戦、その火蓋が切られようとしていた。