元・艦隊司令官の執務室であり、現・司令官代理とその副官が詰める執務室。
重厚なようで意外と軽く、切羽詰まった参謀やキレ気味の司令官に思いっきりぶん殴られることを想定して頑丈に作られたオーク材のドアを押し開いた、兵站部民需折衝課のブルガリア出身のマルコ・ペトロヴィッチ大尉の目の前には、二体の屍が転がっていた。
「んぉぉ…なんだ、マルコ大尉か。イタリアーノ郵船との話はついたのか?」
「先方に多少ゴネられましたが、なんとか纏まりました。ただ、やはり護衛にある程度の艦隊は取られる模様です。こちらが…ってあっ!」
マルコは動き出した死体のうちの一つに手に持った書類をひったくられた。
「だとよクドウ。ほれ、艦隊編成の組み直しだ」
「アンドレア・ドーリア級とマエストラーレ級二隻づつで我慢してもらえ。それ以上は出さないぞ」
「…だ、そうだ。すまんが再交渉頼んだぞ、マルコ。ヘリコプター巡洋艦がつくと言えば文句は言わんだろうよ」
「り、了解です」
向かい合わせに設置された二つのソファに、それぞれ仰向けとうつ伏せにぶっ倒れているのはクドウとスヴォーロフ。ホイホイやってきたマルコ大尉から引ったくった書類を書類の積み重なった机の上に放り投げ、万年筆を手に再び動き出した。
「主力戦艦群は動かせるんだ。上陸支援にゃ十分だろう?」
「上陸だけが海戦じゃない。周辺の哨戒も必要なんだ。大体、アテネからエーゲ海を渡るだけなのになんで護衛がいるんだよ!あそこはEU海軍の裏庭だぞ!?」
ボスポラス海峡が人類の支配下にあり、他のバルカン半島諸国に比べ、比較的精強なギリシャ海軍が制海権を掌握している以上、エーゲ海は人類の海といって差し支えない。そこを渡るだけなのに、どうして護衛艦隊がいるのかと彼はゴネているわけだ。
「しかし、襲撃事件がないわけじゃない。実際、この半年ぐらいで十隻は沈んでいるんだ。貴重な石油を沈めるのに比べりゃ、安いもんだろ」
「…たまには石油より貴重なものもあるんだよ」
なるほど上陸戦の花形は戦艦と海兵隊だろう。ずらりと巨砲を並べ、一度に数十発のミサイルを投射できる戦艦の火力は圧倒的だ。
だが、その後背を守るのは?一側面に火力を集中させた戦艦の横っ腹を庇い、襲い来る迎撃艦隊や送り狼を撃退するのは、巡洋艦以下の艦艇の役目なのだ。彼らを欠いては、上陸作戦など夢のまた夢。それを取られるということは、手足を曲がれるに等しいというのが久遠の持論だった。
「それよりも、兵站課としてはクレタなんぞに構わず直接スエズに行って欲しいもんだね。立て続けの上陸作戦なんざ、兵站上の悪夢に等しいよ」
しかし兵站屋は兵站屋ならではの言い分がある。一回の上陸作戦と言えど、必要な物資は凄まじい量だ。砲弾や石油はともかく、上陸用舟艇やヘリコプター、発煙筒にバンガロール爆薬筒やバンカーバスター、果ては多連装自走式ロケット砲まで、多種多様な兵器を要するのが現代の上陸戦だ。果てしない輸送任務に飲み込まれる兵站屋としては、溜まったものではない。
「それならもう提督が話しただろう?お前も実感してるはずだ。机上演習ランキングの結果でな」
敗色のついた東艦隊から負け癖を無くすこと。それがウォースパイトが二人に明かした、このマルタ島攻略戦の真の目的だ。
「今私たちに必要なのは、戦艦でも石油でも海兵隊でもない。苦闘の果てに掴んだ勝利という、一種のトロフィーよ」
そう二人の前で言い放った彼女は、いかにもオールド・レディらしい例を持ち出した。
「オーバーロード作戦までの、数年間に及ぶバトル・オブ・ブリテンを大英帝国が耐え抜けたのは、ダンケルクという名の確かな勝利があったから。今のトリエステ艦隊にはそのトロフィーが無い。あるのは数少ない戦艦群と、負け癖のついた兵隊だけ。そんな状態じゃ、たかだか姫級一人相手でも勝てるか怪しいものだわ」
余談だが、折に触れて艦娘は媛級などの人型深海棲艦に対しては、『一隻』ではなく『一人』という数え方をする。同時期に現れ、客観的に見れば似通った特徴を数多くもつ二つの種族の間には、何かしらのつながりがあるのだろうか。
「少し気後れするけど、それでも断言するわ。たとえ私が私に乗艦して陣頭指揮をとっても、今のままの艦隊じゃ南イタリア攻略にはついていけない。要するに、今は修行の時ということよ」
ちょうど今窓の外で老朽化の見られる艦隊修復作業の音頭をとっている提督が、長い金髪を揺らして執務室を去ってから今日で一か月。東艦隊の出陣は、すぐそこまで迫っていた。
スヴォ―ロフ立案の、できる限り陸路に頼ったクレタ島への物資共有ルートは大詰めを迎え、艦隊を三つに分けて動かす久遠の立案した攻防一体の上陸戦案も佳境に突入。
三時間ほどのデスクワークののち、完成の余韻に浸りながら顔を上げた二人の視線はかち合い、男二人は固く握りしめた拳を突き合わせ、にやりと微笑みあった。
そして、数日後。
「艦隊旗艦のマストに少将旗を確認!クドウ艦長、出航の号令を!」
「あいわかった。無線機を寄こせ!……ありがとう。戦隊旗艦コンテ・ディ・カブール艦長より、戦隊の全将兵に告ぐ。これより本艦はトリエステを出航、巡航速度で南進する!第一寄港地はパトラス、そして最終目的地はクレタ島!我に続け、
艦隊内では比較的最新の戦艦レナウンの現代改修型に乗り込んだウォースパイトを筆頭に、コンテ・ディ・カブールを指揮する久遠、そしてヤウズ・スルタン・セリムの艦長に就任したスヴォーロフの三人は、トリエステ港を出港し、各々戦艦二隻、巡洋艦四隻、そして駆逐艦七隻の艦隊を率いて、冬のアドリア海へと乗り出した。
さて、意気揚々と海に乗り出した総勢三十九隻の艦隊だったが、出航から一時間もせずに、戦隊長の経験の差が如実に艦隊運動の指揮に現れ始めていた。
兵站屋出身のスヴォーロフの率いる第二戦隊は、単縦陣がかなりガタガタ。落伍艦こそ出ていないものの、他の戦隊の足を引っ張っていることは間違いない。
久遠の率いる第三戦隊は多少マシではあるが、こちらの場合は艦隊運動プログラムをフル稼働させた上での綺麗さであり、それでも空や旗艦正面から見ると、かなり凸凹が目立ってしまう。彼の場合、しばらく前線に出ていなかったことと、現役時代でも日本海軍謹製の高性能なプログラムに頼っていたことが災いした形だ。
ひきかえに、艦隊の先頭を突っ走り、アドリア海の蒼海を切り裂いて進む巡洋戦艦レナウンとその艦長ウォースパイト麾下の第一戦隊は、それはそれは見事なものだった。なんとこの御仁、補助プログラムの類を一切使わず、
「巡洋艦ルイージに、方位修正SW003、出力を六…いえ、五パーセント下げてもらって。駆逐艦リッサは進路を維持しつつ、機関出力を三パーセント上げなさい」
と言ったシンプルな指令で、レナウンとデューク・オブ・ヨークを筆頭とする戦隊は、綺麗な艦隊運動を描いてみせた。
こうしてウォースパイト率いる艦隊は、原子力機関を搭載したことで大幅に向上した巡航速度をフル活用し、足を引っ張られつつもなんだかんだ二十七ノットの快速で前進を続ける。
その、はずだった。
「っ!?て、敵編隊直上、急降下ァ!光は…なんでこった、オレンジ色です!」
「面舵いっぱい、ファランクス起動、アルバトロスとアスター30も発射用意!なんとしてでも叩き落しなさい!」
物事は上手くいかないもので、アドリア海の玄関口、オトラント海峡に差し掛かったあたりで、艦隊はブリンディシから出航したとみられる、駆逐ハ級、軽巡へ級とツ級、重巡ネ級、そして軽母ヌ級を旗艦に擁する総勢六隻の艦隊に捕捉された。しかも、当然のように全艦がelite級であり、ヌ級に至ってはflagshipである。
「艦隊防空を意識しろ!速度を落とせ!ヤウズ・スルタン・セリムとサラミスを守るんだ!」
『こちら戦艦ヤウズ・スルタン・セリム、心配は無用だ!本艦はともかく、腐ってもサラミスは新世代戦艦*1、一個戦隊くらいは守り切れる!俺らが沈む前に、敵艦を叩き潰してくれ!』
「……すまん、恩に着る!」
ウォースパイトの了承を得た久遠は、自身の指揮する戦隊の進路をわずかに西に傾け、巡航速度にとどめていたその速度を一気に最大出力である三十二ノットにまで押し上げさせる。
「個艦防空から艦隊防空へ、陣形も輪形陣に変更しろ!これより五分後に、本艦は進路を西に変更。輪形陣を保ったまま、敵艦隊へ突貫する。航空部隊の激しい抵抗が予想されるが、幸いにして連中の沿岸砲はここまで届かない。アウトレンジで叩きのめしつつ、いずれ来るであろう敵主力艦隊に備えるんだ!」
などと威勢のいい号令を飛ばす久遠。しかしその内心は、
(クッソ、せっかくバルカン半島の名所巡りができると思ったのに!パスタ野郎もパスタ野郎だ。なんで閣下まで駆り出す羽目になっているのやら…いやそもそも元を辿れば…)
などと、締まらないことに愚痴をダース単位で垂れ流していた。