タイトル回収兼日常回です
時系列はクレタ島攻略の少し前、パトラ港での艦隊整備で生まれた一か月弱の臨時休暇の間(2020年十二月頭ら辺)の出来事になります
「珍しいな、軍人がこんなとこを歩いてるなんて」
「しっ!聞こえたらまずいよ。あの人、たぶん結構偉いよ?」
「どうせ若造と小娘だろう?大した地位じゃないさ。そんなことよりとっとと持ち場に戻って仕事を続けろ!」
周囲の人間から浴びせられるひそひそ声をしっかりと耳でキャッチしながら、ちょっとした(艦隊司令&副司令)地位についている軍服姿の久遠とウォースパイトは、冬の閑散としたパトラの街並みを歩いていく。
「できれば夏に来たかったわね。夏服ならここまで目立つこともなかったでしょうし」
「その場合、別の意味で閣下は目立つと思いますがね…」
本来なら上陸部隊を載せた輸送船弾と合流するだけの、いわば集合場所に過ぎなかったパトラだが、久遠艦隊が深海側とのドンパチで想定以上の損傷を食らったため、一か月弱パトラに留まる羽目になったのである。
佐官を含む大半の人員には臨時休暇が与えられ、これ幸いと上陸部隊の指揮官と作戦の見直しを行おうとした二人も、
「まったく…ワーカホリックもほどほどにしなさい!せっかくギリシャくんだりまで来たんだから、二人とも少しは羽を伸ばすこと!いいわね?ジャ、ワシはアテネに行ってくるから!」
と、上陸部隊の司令官に軍港の指令所から半ば強引に追い出され、彼女自身もどこから取り出したのかトランクケースと一眼レフを手に、ロングスカートとコート姿で、その豊満な胸部装甲を揺らしながら嵐のように出かけて行ってしまったのであった。
「……せっかくだし、服でも買いに出かけますか」
「それもそうね」
そして、しばし呆然と突っ立っていた二人は、そういえば二人して私服の一枚も持っていなかった事に気づいた久遠の発案で、ふらりとパトラのメインストリートに歩き出したのであった。
観光シーズンの過ぎ去ったパトラ港のメインストリートはかなり閑散としており、軒を閉ざした店も多い。ただでさえ深海棲艦の脅威を受けて港湾都市の観光収入は年々減り続けている現状で、店を開けておく余裕のある事業主などそうはいないからだ。パトラで有名なカーニバルが開催されるのは一月から三月にかけてのことである。
「おや、あそこの店は開いてますよ。創業は…たまげたなぁ、1645年だそうで」
「マラサス衣装店?なるほど、いかにも老舗といった感じね。行く当てもないし、入ってみましょうか」
三、四階ほどのビルが所狭しと立ち並ぶ市街の一角、雑居ビルの半地下に、隠れ住むようにマラサス衣装店は軒を構えていた。
薄汚れた木製の看板にはかすれたペンキで店名が英語とギリシャ語で併記されており、埃まみれのガラスドアの取っ手にかかるのは『OPEN』の文字。閉店寸前の店にも見えるが、どうも営業中らしい。埃の裏から、微かに裸電球の橙色の光が漏れ出ている。
「お邪魔しま…うぇっほ、うぇっほ、うぇほ…いやホコリえぐ!?ちょ、ま…」
「こういうところ、人間は不便よね。私は艦娘だか…くしゅん!は、ハクシュン!…ごめんなさい、クドウ。私もこれは無理だったわ」
「まっだぐ、ぅあんだいあんだい人の
凄まじいしわ枯れ声とともに出てきた店主は、滝のように顎ひげを蓄えた老人だった。
「客だ客だ、客だからそのハタキだけはうわ何をするやめくぁwせdrftgyふじこlp」
「クドウ!?しっかりしなさい!」
盛大に埃を吸って見事に大破着底したクドウを気にも留めず、店主はウォースパイトに向き直る。
「で、あんだは
「……ええ、私も、そこで伸びている方も立派にあなたを訪ねてきた客よ。とにかく、窓を開けてちょうだい?それだけで少しはましになるわ」
かくして窓が開け放たれ、十分後にようやく生き返ったクドウは店主に腕を引っ張られて店の奥へとさらわれてゆき、あとにはぽつんと一人ウォースパイトが残された
どうしようもない手持無沙汰で回りをぐるりと見渡すと、いつの間にか彼女はぐるりと周りを衣装ラックに囲まれていた。
「この衣装、全然埃がついてない…」
肌触りの良い薄手のワンピースから、もこもことした厚手のダッフルコートまで。マラサス衣装店の品ぞろえは幅広い。
「このロゴ、見覚えがないわね…もしかして、独自ブランドかしら?」
背中のタグに入っているロゴは、古ぼけた平屋建ての店をかたどったもの。かすれた屋号はマラサスだろうか。明らかにこの衣装店と繋がりがあるブランドだ。
「お目が高いですな、お嬢さん。そこに掛かっているのは全て、私の店の自慢の品ですよ」
「ひゃぁ!?」
唐突にかけられた声にかわいい悲鳴を上げ、声の主を探そうとあたりを見渡すも、店内は三百六十度衣装ラックばかり。人っ子一人見えやしない。
「ああ、驚かせてすいませんねぇ。ここですよ、ここ」
「あら、そこに。申し訳ありません、見つけられず…」
「ほっほっほ、よいのですよ。そもそも、この店を見つける人自体、かなり稀なのですからな」
どこからともなく現れた、ころころと笑う老いた女店主は、多めに見積もっても身長僅かに百四十cmちょっと。なるほどこれでは見えないはずである。まるでノームだとウォースパイトは思った。
「さて、そんなお嬢さんには。こちらなど如何でしょうか」
そう言って彼女はラックの森の奥に引っ込んで行き、しばらくしてふた揃いの服と靴を手にゆっくりと歩み出てきた。
「こちらはこの辺りの冬用のものでございます。なにぶん暖かいですからねぇ。少し北の方にゆけば、秋物としてもお使いいただけるでしょう」
一つ目はオーソドックスな膝丈スカート・Vネックシャツ・厚手のカーディガンの三点セット。濃い緑色のカーディガンに、ライトベージュのシャツと煌めくサファイアのネックレスがよく映える。
「そしてこちらが、お嬢さんの故郷の冬の為の物でございます。こちらは私共自慢の一点物、たとえノース・ヨークシャーの冬であろうと、暖かく過ごせるでしょう」
しれっとウォースパイトの故国を言い当てた店主。そう言って差し出されたのは、確かにイギリスで最も寒い地方の冬をも乗り切れそうな一式だった。
下は膝下まである丈長の黒いフレアースカートで、分厚い生地はどことなくタータンチェックを思わせる。裾のところはこげ茶色のレース生地と、コリント様式のキャピタル(円柱の頭頂部に掘られた彫刻)を思わせる唐草模様が入っていた。
上着は先ほどのものと同じような深緑のジャケットだが、こちらはかなり生地が厚めに造られている。さらにその上から、こちらも肌触りの良い何某かの毛皮の黒いケープを羽織り、仕上げにケープの上から百合の花をあしらった大きめのネックレスをつければ、軍人ウォースパイト少将はどこへやら。鏡の前に立っていたのは、一人の英国貴婦人であった。
「ぜぇ、はぁ、ひどい目にあった…っと、失礼しました、ご婦人。さて、少将閣下は…」
「あなた、クドウ…よね?ウォースパイトなら私よ、私」
「「どうしたの(んですか)、それ?」」
無精髭をきれいにそられ、ぼさぼさだった髪もきれいにまとめられ、拙いながらも押し付けられた服を身につけた工藤は、見違えるほどまともになっていた。
紺色の厚みがある長ズボンの上にカジュアルなワイシャツを羽織り、その上から冬用ロングコートを羽織っているだけなのだが、身長百七十五弱のウォースパイトを上回るほどの長身の久遠にはやたらと似合う。
狐に摘まれたような顔で暫く突っ立っていた二人だが、店主の咳払いで我に帰った。
「それで…お支払いは?」
「「現金で!」」
財布を取り出し、余りにも良心的な価格にたじろぎつつ支払いを終えた二人は、軍服を脱いで薄手の私服に着替えると、店主夫婦に丁重に礼を言って店を出た。
その後、バルカン半島とペロポネソス半島を結ぶ橋まで足を伸ばした二人は、のんびりとコーヒーを手に、ベンチに座ってコリントス運河を往来する数々の船を眺めていた。
「あら、ウィンドジャマーじゃない。それも割と新造の。まだ走っている物なのね」
「ウィ…何ですって?」
「ウィンドジャマーよ。クリッパーから派生した大型帆船のことね」
「はえ〜…てっきり一次対戦前に絶滅したものとばかり」
「一次大戦の後も使われていた娘も結構いたのよ?」
戦列艦のようなカラーリングの商用帆船が通り過ぎてゆくのを眺めながら、近くのカフェで買ってきた紅茶を二人は啜る。
「二人分で十二ユーロ(千六百円ほど)はちょっとぼったくりじゃないですかねぇ…」
「しょうがないじゃない。安くするためと思って、頑張りましょう?」
高騰する茶葉の価格に文句を垂れつつ、群青の紙袋を手に、私服姿の二人はゆっくりと軍令部は歩き出した。
「止まれ、何者だ!民間人の立ち入りは禁止されている!」
「東地中海艦隊司令官代理のウォースパイト少将と、主席参謀のクドウ大佐だ。通してもらおう」
「嘘をつくな!クドウ大佐がそんな小洒落た格好するわけがないだろう!」
「オイ今何つったこの野郎」
なお、憲兵隊が二人を二人だと認識できず、軍令部の門前で一悶着が起きた模様。