『スズカ、今度の日本ダービーは、トゥインクル・シリーズ最高のレースと言っても過言では無い。ウマ娘のキャリアの中で、ただの一度しか臨むことのできない特別なレースだという事は分かり切っていることと思います。よって、“確実な戦略”を組んで、本気で獲りに行きます』
『……はい』
『よろしい。ではまず、目下脅威となりえるウマ娘の確認をしていきましょう____』
トレーナーさんの言うことは、わかる。
レースとは、いわば綿密に組まれた戦術の押し付け合い。自分の動きを押し通すか、相手に合わせて柔軟に立ち回ることによって、やっと勝利を掴むことができる。その点、私がその型にはまらない勝ち方をしてきたのは事実だ。
堅実に、確実に勝利を取りに行くなら、尚更、今臨んでいるレースが、レースの祭典“日本ダービー”ともなれば、確実性の低い“私の”逃げを封印しなければならない。そのための練習はずっとしてきたから、急な変更にも対応できると思う。
……
それだけなら、私は多分、わがままを言っていた。
でもわたしは、トレーナーさんが前々から私の走り方を心配してくれていたことを知っている。
私はそういうふうに意識しているつもりはない。それでも、私はレースの時でも、まるでタイムアタックかのように走っているらしい。つまり、ずっと全力を出しているということなんだろう。
それが、私の脚にどれほどの負荷をかけているのか、そこが、トレーナーさんは気がかりなのだ。
走ることが好きな私が、長く走っていられるように考えて、トレーナーさんが出した結論がこれなら、私は無視できない。
前の三戦、私のわがままを許してくれたのだから、尚更。
「スズカ」
頭の上で、トレーナーさんの声が聞こえた。
瞬きをすると、私はトレーナー室にいたことを思い出した。
咄嗟に顔を上げると、東京レース場のコースに、当日の立ち回りやらがびっしりと書かれたホワイトボードに、仏頂面のトレーナーさん。
惚けて見つめていたら、トレーナーさんは大きくため息を吐いた。
「……ごめんなさい、ぼうっとしてました」
「何か、気がかりなことがあるなら言いなさい。ダービーまでの時間は僅か、不安の目は潰しておきたい」
トレーナーさんの澄んだ瞳と、私の視線が重なる。
口がまごつく。外から、種類のしれない鳥の鳴き声が、言えと私を唆す。
でも。
「……問題ないです」
「本当ですね?」
「はい」
「……」
「今日はもう終わりです」の一言の後、トレーナーさんは私に背を向け、トレーナー室に一つだけ置いてあるデスクに向かった。
私は、すぐに目を逸らした。終わったのだから、もう帰るんだ。そう思って、席を立った。
そして踵を返して、扉のドアノブを捻った時、
「あまり走りすぎないように」
いつも通り、トレーナーさんに釘を刺された。
陽が落ちる時間が後ろに倒れたおかげで、空はいまだに燃えるようなオレンジ色に染まって、雲は暗く影を落として浮かんでいる。
「はぁ…… ふう」
じっとりはりつく体操着が、風に吹かれて冷たくなる。それでも、ほてった身体を覚ますにはまだ足りない。
遠くに喧騒が聞こえるが、私の周りは人気が薄い。校舎から一番距離が離れているし、真近くに鬱蒼と茂る林があって、夕方あたりになると不気味がられているから、実質私が独占できる。
そう、たった一人で走ることができる。そうすると、考えもまとまるし、気分も上がる。なんでもできる気がする。
でも、疲れているからなのか、霞の中にいるような気分は晴れない。それどころか、走ったせいで、色々湧き上がってきてしまっている気がする。
「ラスカル……」
特に、あの子へのもやもやは、形を絶えず変えて、私にまとわりついてくる。
その時、
「スーズカー!! やぁっぱりここにいたんだからもー!! 久しぶりー!!!」
コースを囲うように少し高くなった土手から、フットワークの軽い、跳ねるような走り方で外ラチを飛び越えて駆け寄ってきたのは、白い流星が前髪に入った!尊敬する先輩。
「テイオー先輩……」
「何か用事が……?」
「用事って、そんな辛気臭い表情でいつもほっつき歩いてるんだから、先輩として気にしない訳にはいかないでしょ!」
「あう」
背伸びして私にチョップしてきた先輩は、忙しなく座り込んで胡座をかいて、隣の芝をポンポンと叩く。
恐る恐る隣に腰掛け、体育座りすると、テイオー先輩は急に、意地の悪そうな笑顔を浮かべて、
「ズバリ妹のことでしょ」
「……エアグルーヴですね?」
ニシシと口を手で押さえて笑うテイオー先輩。そういうところあるからなめられてるんだと思います。とは、口に出さないでおくことにした。
「……先輩はダービーに勝ったんですよね」
「ん? ……んー」
別に何を言われようとかまやしないけども。取り敢えず話題を転換すると、テイオー先輩は口を尖らせて、頭の後ろで手を組みながら首を縦に振る。
「なんというか、レース前とか、レース中とか、どういう感じだったのかとか、教えていただけませんか」
テイオー先輩は、青い瞳で前を向いたまま、
「ただ勝つことしか考えてなかったなあ」
帰ってきたのは、まぁ、それしかないと思える答え。
どうせなら、違うことを考えているなら、それにかまけて逃げられたのに。
思わず、膝に顔を埋めていると、頭上で小さな息を吐く音がした。
「だからさ、もやもやは解消した方が良いんじゃないの?足引っ張るよーきっと」
「わかってますよぉ……」
「キミの妹にも一言言っといてあげたからさ」
「えっ」
最後の逃げ道を通せんぼした先輩の表情は、安全地帯から現場を眺める野次ウマそのもの。
唖然とする私と先輩を、夕焼け空を飛ぶカラスが笑っていた。
スズカさんの同室
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スペちゃぁぁぁん!!!!!
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ラスカル