『キミの妹にも一言言っといてあげたからさ』
結局、部屋に戻ってきて、勉強机に向かっていたラスカルの顔を、私は目に入れることができなかった。そして、共用のお風呂に逃げ出した。
プラスチックの椅子が鳴らす軽い音に水の打ち付ける音、洗剤の匂いにお湯の温かさ。他の人が湯船に足をつけて波立つ水面。そこに映る私の顔は、一丁前に悩んでいる。
一人で逃げているだけの私が、私が悩んでいるのだ。
テイオー先輩がくれたのは千載一遇のチャンスなのに。
嫌われるんじゃないかって、そう思っている。
「はふぅ……」
首まで湯船の中に沈めて、全身から力が抜けて、ちょっと息苦しい感覚に浸って、頭が張って破裂しそうな不快感に襲われて、何分経っただろう。
のぼせちゃうから出なくちゃ。戻らなきゃ。
……
「ただいまぁ……」
「おかえり」
頭がくらくらする。何分湯船に沈んでいたのかわからない。からだが重い。ねむたい。
いやいや寝ない。今日こそラスカルに言ってやるんだ。
「ら、らすか____」
「もっと嫉妬して欲しいんでしょ。私が姉さんに」
あの子の寝巻きの首元、明るい栗毛の隙間から覗く白い肌に見惚れていた時だった。
「……」
また顔が熱くなってきた。今ってお風呂入ってるんだっけ。夢?
夢じゃ無い。私がラスカルを見間違えるわけがない。だって、妄想のラスカルは、そんな怖くて魅惑的な瞳をしていないから____
「うわっ」
そう思っていたら、いつのまにか私は天井を眺めていた。布団に押し倒されたんだ。
暖かくて重たいものが、私に覆い被さっているような、そんな感覚がする。
とくとくと緊張感のない鼓動が私に伝わる。あの子の匂いが入り込んでくる。目を動かすと、すぐ近くにあの子の髪が見える。
私に被さっているもの――ラスカルは、全身が熱くなってきた私と違って、全然落ち着いている。
「姉さんはいい匂いするし、暖かいし柔らかいし、いきなり押し倒すとあたふたするし。そんな姉さんを知ってるのは私だけ」
ラスカルの囁くような音色が耳に滑り込んで、背筋が震える。尻尾付近がむずむずしてしょうがない。
そんな私をさらにかき乱したいのか、ラスカルはもっと抱きしめる力を強めて、柔らかな肢体を押し付けてくる。
こうなると抗えない。
「私、それで我慢していたのよ」
もっと抱きしめる力が強くなって、ちょっと苦しいのに、もっと。
もっと……
「姉さんに嫉妬していないと思ってたの? 他の人の匂いつけて帰ってくることに嫉妬していないとでも?」
ラスカルの顔を見たいのに見せてくれない。
「全部私のモノにしちゃう想像を何度したと思っているの?」
……
「でも、そんなの姉さんじゃないからしなかっただけなの。今の姉さんじゃないと私は好きじゃ無いの。だから、姉さんは姉さんのままでいてよ、私が大好きで、私を大好きな姉さんのままで」
……
結局ラスカルに押し切られちゃった。
まぁいいか。いいや。
私も、ラスカルの肋に手を滑らせて、ギュッて抱きしめる。ちょっと肋骨がしなって、脈動がもっと鮮明に腕を伝ってくる。
「姉さんは甘えん坊だね」
「いつものことでしょ…… ラスカルの方が、今日は甘えん坊さんよ」
くすくす、と、私とラスカルの小さな笑い声が混ざって消える。
「……ありがとう、ラスカル。これで心置きなく走れる」
迷いは消えた。私は今後もラスカルに嫉妬させるし、私はあの子に嫉妬させられる。その確認ができた。
たぶん、これから何かが変わるってことはない。ラスカルがありのままの私が好きだと言っていたように、私もありのままのラスカルが好きなのだから。多分、私が一言、
“私のモノになって”
これだけで、あの子は変質してしまう。だめだ。絶対だめだ、それだけは。
だから、毎日ラスカルを抱きしめて、お互いの匂いを混ぜるんだ。これで我慢しなくちゃ。……なんだ、いつも通りじゃないか。
「……」
「……」
瞳が重い。力が抜ける。思考がぼやける。
眠い……
眩しい。
「ラスカル…… ちょっとどいて」
「姉さん」
再び、背筋がピリッと震える。
平坦な声なのに、いつも通りのようなのに、刺々しい。
眠気が覚めていく。
「テイオー先輩から聞いたの。最近は後方から相手を抜く練習ばっかりしているって」
「えぇ、だって、ダービーは逃げで行かないし____」
その瞬間、背中に回されていた腕の感覚が消えたと思えば、熱を持ったあの子の掌が、私の頬を包んでいた。
そして、初めて私と世界一可愛いくて美しい顔を合わせてくれた。
でも、わかる。
目が笑ってない。
「何で走る時に先頭に行かないの」
むにむにとほっぺを揉んでくるラスカルの眉が、少し吊り上がる。
そんな怖い顔しなくても____
「そんな姉さん好きじゃ無い。もっと自由に、好き勝手に理不尽に走ってよ。私はそんな姉さんが好きなの」
「……」
……
「え……?」
完全に眠気が飛んだ。
スズカさんの同室
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スペちゃぁぁぁん!!!!!
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ラスカル