『今日も先輩と併走トレーニングをしたのよ。それが楽しくって、日が暮れるまで続けちゃった』
『今日の朝は空が綺麗だった…… とっても気持ちよく走れたわ』
『今日は…… 走ってたわ』
『こんなに明日が待ち遠しいのは久しぶり。……じゃ、おやすみ、ラスカル』
姉さんの話題といったら、いつも走ることか走ること、という感じだ。
LANEのトークルームに、通話終了の文字が飛び出たのを見て、私は顔を枕に落とした。柔軟剤の匂いと私の匂いがする。
顔をあげて、やけに静かなストーブの方に顔を向けると、足先が冷たいと感じるわけだ、月明かりに照らされる薄暗い部屋に、運転延長のボタンが赤く光っている。夜は毎日これだ。
体を縮こまらせて、昔はふかふかだったけど、今はごわごわになった布団に潜り込んだ。こうすると、姉さんに抱きしめられているように感じられるから。ちょっとは寂しく無くなる。
でも、今日はいつもと違う。頭までかけた布団に耳がしきりに押し付けられる。胸がドキドキする。早く寝なければならないのに、脳が熱い。
何故なら、明日は週末、日曜日。待ちに待った日が来たのだ。一ヶ月目の前にぶら下げられ続けた餌にありつける時が。
「……」
ただ、なんだろうか。いや、絶対何か忘れている。
私が俺であった時、俺ははっきりいってにわかで、スズカさんのことをゲームやアニメの知識でしか語れない奴であった。ただ、たった一つ、“競走馬サイレンススズカ”のエピソードとして又聞きしたものがあった。
それが、確かだが、弥生賞のことだったような。
まあ、何がどうあれ、姉さんを生で見れることには変わらないだろう。
そう思うと、疲れた脳がぼやけて、意識が沈んでいく感じが____
「わしらが行くより、お前が行く方があの子も喜ぶ」
そんな言葉を背に、私が家を飛び出して一時間弱。山がちで、家々の距離の合間に土色の畑が連なる田舎の風景の車窓は、とっくに懐かしの宅地まみれの風景に切り替わっている。
細かな振動にあくびを誘われながら、聞きたくなくても入ってくる外の音に耳を傾けてみると、やはり弥生賞の話題で持ちきりの様子。前の世界で考えてみると不思議な光景だ。
「サイレンススズカ、新バ戦から直行か……」
「あのデビュー戦だろ? 全然勝ちに行けるんじゃないかな〜、2番人気にも推されてるし!」
思わず耳がぴくついた。
「出ているレースが新バ戦だけだからなぁ、折り合い面だとかが不安だけども、他のウマ娘達は2戦か3戦かはしてんでしょ?」
「いやあその辺は正直____」
再度耳がひとりでに。
ともかく、姉さんは結構話題になっているようだ。
持ち上がった口角を隠すために、私は帽子のつばを下げた。
____前の世界では、ウマ娘に出会うまでは、競馬についてはギャンブルであるぐらいの認識しか持っていなかった。競馬場に行くなんてことはもってのほか。
今も、実際にレース場に赴くというのは指で数えるぐらいしか経験していないのだ。まして、ここは初めてだったりする。
「おお……」
だから、中山レース場の中央門前で、リュックサックの肩紐に手をかけて、声を漏らして突っ立っている帽子を被ったウマ娘を見かけた人は、田舎者と笑わないで、ただ目を逸らしてもらいたい。
牧場の野原で遊んでばかりいたからなのか、場内を適当に回っているだけで目が回ってきた。それか人が大勢集まっている場所が久しぶりだからなのか。
結局、人々の熱気と賑わいに巻き込まれ、あれよあれよとパドックに来た私は、なんとか最前列を確保、あとは時間まで柵に寄りかかっていたのだった。両親と一緒にくればもう少し心穏やかに回れたかもしれない。まあそもそも目的は違うのだが。
ともかくだ。あぁ、早く始まらないだろうか。
『____続いてパドックに登場するのはこのウマ娘!!』
そうして、パドックに現れた凛々しい姉さんと目が合ってしまった時から、始まっていたんだろう。
後にも先にもあり得ない、常識を潜ってしまったレースが。
スズカさんの同室
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スペちゃぁぁぁん!!!!!
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ラスカル