一話『目覚め』
皆さんは転生や憑依等を経験したことはあるだろうか?
無論、無いと思う。
一応輪廻転生は宗教の考えの一つとして広まってはいるが、
しかし、ここに居た。ノーフィクションで。
寝て起きたら、普通に生きていたら中々見かけないであろうピンクの髪──だが間違いなく自分の頭から生えてきている絹糸のように艶のある桃色の髪が目に入って、一気に目が覚めた。つまり急に体が別の物に変わった《憑依》に当たるかもしれない、そんな人間が居たのだ。
驚いた憑依者は……情報がゴッチャゴチャになっている、ミックスジュースのような混乱している脳内で、それはもう必死に考えた。
たしか、
とにかく普通の生活を送っていたのに、いきなりこんな事になってしまっているのを理解した。そしてもっと混乱した。
つまり、ベッドで目覚めたタイミングで気づいたらこの体になっていたということになる。混乱しながらも急いで事態を整理しようとするものの、以前の記憶は残念ながら一切思い出せなくて──ある種の記憶喪失状態で憑依してしまった……ということだけがわかった。
そう、もう憑依者には自分の記憶に関しての打つ手立ては残っていなかった。
だが憑依者には、知識として覚えているものであれば沢山残っていた。
箸の使い方や服の着方等の日常的に必要なことだったり、生きる上であまり必要のない雑学、漫画やアニメ、所謂娯楽の知識まで。そういう自分に関連しない物に限って覚えていた。
だがそんなものは今役に立たない。
ならば次なる手立ては、と憑依者は《この体》の記憶を覗いていく。……なるほど、どうやらこの体の持ち主はキャラクターの琴葉姉妹の片割れとして育っていることがわかった。所謂コスプレだとか、髪を染めているだとか。
そんな“後から琴葉茜になった”存在ではない。
水色の髪の妹がいる桃色の髪の姉。
“元から琴葉茜だった”存在であることが。
創作のキャラクターが現実に存在したのが先ず信じられないが、体の記憶の中では当たり前のように妹が当然「お姉ちゃん」と呼んできていたし、それに対して琴葉茜は自然に返事を返していた。
勿論、演技とか設定抜きの素の状態で。
これらを踏まえて、憑依者は
《自分が琴葉姉妹の姉の方に憑依してしまった》
《この世界はVOICEROIDのキャラが存在する》
ということがすぐに理解できた。
◆❖◇◇❖◆
他人の体に憑依した事への罪悪感は何故だか湧かなくて、むしろそこからの環境への適合は早かった。体の記憶を覗いたことで精神が一体化したからだろうか?……憑依した時にはもう前の自分の名前、性別、人間関係、住んでいた場所まで諸々、全部わからなくなっていたのも適合するのが早かった一因かもしれない。
早かった適合は例えるなら
『パズルのピース無くしちゃったけど、別のパズルのピース持ってきて埋めちゃえばいいや!』
的な考え方だった。
よく分からない自分を、新しい環境を利用して……体の記憶通りの琴葉茜に変えていった。
なんなら今は記憶喪失に関しては正直“前の自分”を気にせずに、どうするべきかすぐに判断できたから結果的にはよかったのかも?とまで思っているようだ。
勿論そんな数々の憑依者の経緯は常人が聞いても困惑するようなことであり、当然打ち明けられるはずもなく。
憑依者は、これしか道は無いと言わんばかりに憑依した日から琴葉茜のフリをして、記憶に沿うように毎日毎日日常を過ごす。
日常という名の、いつ中身が変わったのがバレるか分からない、心臓に悪いタスクを日々こなしていく。
幸いにも……憑依してから多少なりとも変わったはずの琴葉茜に対して、何故だか妹は一切の不信感も持っていないようだったので、憑依者は琴葉茜としての生活をなんとか続けていけそうだ。
◆❖◇◇❖◆
そして現在。
あれから更に日数が経ち完成したのは……
仕上げたけど一部ピースの柄が違う不出来なパズル──そんな琴葉茜であった。なんなら今でこそ記憶のマネをしているうちにすっかり関西弁も染みついたようだが、憑依した当初は関西弁も見よう見まね、エセ感が強くて不格好でもっと不出来だったと思われる。妹に言及されなかったのが不思議なくらいだ。
しかし、こんなでもバレずにいる。生き続けている。
バレないようにヒヤヒヤと生活を送っていたが、やがて琴葉茜としての姿が自然になり適応していく。
やがて憑依者は自然体で琴葉茜を演じられるようになっていき──否、演じるという表現はもう正しくないかもしれない。彼女はもうあるがままに動いているだけだ。
「お姉ちゃん、ご飯の時間だよー!」
「はーい、今行くで!……今日の朝は何がええかな?」
そして、
・琴葉茜
VOICEROIDに憑依した人……らしい。
妹に違和感を持たれないようにとヒヤヒヤとした生活を送っていたが、最近やっと慣れ始めて楽しく過ごせるようになってきた。
前の知識があるとはいえ今の常識は一切わからない為、世間知らず。
エセ関西弁の使い手でもある。
《体の記憶》に沿った生活をしているうちに、好きな物は琴葉葵とエビフライになった。