アガレスが名椎の浜に行った日、つまり『邪眼』に関する話し合いをした次の日である。
さて、アガレスやゴローによって抵抗軍に蔓延っていたほぼ全ての『邪眼』が駆逐されたことを機に、心海とゴロー、そして旅人は次どうするかの話し合いを行っていた。
「───一先ず、兵から『邪眼』の接収は終わりました。ただ、兵の中には『邪眼』と知って尚使い続けたいと騒いでいるようですが」
ゴローのその言葉に心海は考えるような素振りを見せたものの、いや、と自分の頭に浮かんだ考えを否定するかのように首を振り、
「この件は、あなたに任せます。私は一度、前線へ向かわねばなりません」
とそう言った。心海は勿論、『邪眼』は禁止すべきものであることから、抵抗軍内での使用を全面禁止したのだが、抵抗軍の最近の戦況が良かったのは件の『邪眼』のお陰であることも事実だった。つまり、使用を禁止した『邪眼』と、使用しすぎて生命の危機に瀕している兵士が前線から撤退し治療を受けているため、兵力不足になることはまず間違いないだろう。そしてその隙を幕府軍、そしてその将兵である九条裟羅が見逃すはずはないだろうからだ。
だからこそ、心海が前線へ赴いて今の前線を維持する必要があった。心海の目的としても、目狩り令の廃止や海祇島の待遇の改善などがあるため、できればこの海祇島優勢のまま戦争を終息させてしまいたい気持ちがあった。無論、ほぼ不可能に等しい一縷の望みにかけているだけのものではあったが。
さて、心海の言葉に首肯いて了承の意を示したゴローはそのまま『邪眼』関連の処理に向かって行った。
「…さて、旅人さん。現状を打破するためには、ファデュイに関する深い見識と、幅広い経験を持つあなたのお力が必要です。何か考えはございますか?」
旅人はその言葉に少し考え込むような姿勢を取る。その暫しの間で何を思ったのか、決意を込めた表情で顔をあげると、「ファデュイの計画を阻止する」と口にした。勿論、すぐさま心海は反論し、危険すぎると焦った様子を見せながら旅人を止めていた。
「…鎖国令によって外国から『邪眼』を持ってくることはできません。つまり、彼等の『邪眼』は稲妻国内で新たに作られたものなのでしょう。加えてあの規模を海祇島と浪人達に配布しているとなると…恐らく、国内にかなりの規模の製造工場があるのでしょう。少なくとも、私達の調査では見つかっていませんし、本土の勢力が少なからず絡んでいるでしょう」
まぁ、憶測ですが…と心海はやや苦々しげな表情を見せつつ補足した。旅人は顎に手を当てて深く考え込むような仕草を見せたものの、すぐに時間はないと思い直したのか首を振って考えを振り切った。
「いけません、危険すぎます。稲妻国内の生産工場ともなれば、ファデュイも、それに協力する本土の勢力も、そして恐らくは…金で雇われている浪人達をも警備としているでしょう。あなたにそのような危険な任務をさせるわけにはいきません」
「でも、もう時間がない」
旅人の言葉に心海はハッとした。
実際、『邪眼』の回収は極秘裏ではあるが、抵抗軍に潜り込んでいる間者によって接収の報はすぐに届けられている。無論、ファデュイとて次に狙われるのが邪眼工場であることなどわかりきっている。だが抵抗軍には兵を割く余裕がない。つまり、モタモタしていればファデュイになんの痛打も与えられずに逃げられることになる。
だが、ここで旅人を動かせば…少なくとも遅延行為にはなり、更に旅人が幕府とファデュイの繋がりを見つけて持ち帰ってくれば、海祇島どころか本土の稲妻国の民の心を動かして、将軍の考えを変えられるかもしれない。旅人は今まで数々の死線を潜り抜けてきたということは本人達の口から聞き及び、なおかつその実力の一端を先の戦で垣間見ている心海の脳裏にそんな考えが過ぎった。
しかしそれでも、心海は旅人のことを友人だと思っている。死地へは赴かせたくない、というのが本音だった。幾ら本人がモンドで龍と戦って生き延びなおかつ撃退したとか、魔神と戦って勝利していたとしても、多勢に無勢であるからだ。
「…この一件について思案する際、工場の位置に関してはずっと考えていました。巨大な工場ということもあり、その分材料の輸送も容易ではないはずです。つまり補給線から近く、見つかりづらい場所…となれば、ヤシオリ島南西部の海に面した山崖付近でしょう」
心海…とパイモンが心配そうに声を漏らした。心海は表情一つ変えることなく、旅人に言った。
「…私はもう、あなたを止めたりはしません。しかし、私達は今まで数多くの戦友を失ってきました。あなたまで…失いたくはありません。くれぐれも、お気をつけて」
少し言葉に詰まりながらそう言う心海に対して、旅人とパイモンは力強く首肯くのだった。
〜〜〜〜
最前線での視察を終えた俺は現場指揮官に仕事の引き継ぎと報告書を手渡して名椎の浜を後にした。そのタイミングで一度旅人に連絡を入れるため、指輪を弾いて話しかける。
少しして、小声で返答があった。小声で答えねばならない状況、について少し考えた俺は、
「今どこにいる?任務中なら同行する」
なるべく返答が短くなるようにそう言った。また少し間を置いて、
『…ヤシオリ島南西部、工場』
とだけ話してきた。要するに…ヤシオリ島の南西部にファデュイの邪眼工場がある、ということなのだろう。旅人をまさか一人で行かせるとは…心海を少し買い被っただろうか。
…いや違うな、と俺はすぐにその考えを消した。心海の態度を見ていればわかる。旅人を友人として見ているからこそ、行かせたくなかっただろう。だがそれでも、友人として彼を信用し、なおかつ海祇島抵抗軍の長としての判断があったからこそ、彼を行かせるしかなかったのだろう。
俺はすぐに向かう、とだけ告げると指輪を弾いて通信を終えた。
にしても、邪眼工場にたった一人、か。旅人も中々豪胆なことをしたものだが…焦っているだけなのか、はたまた自分の実力を信用しているのか、どっちなのだろうか。
まぁなんにせよ、ここで旅人を死なせるわけにはいかないし、早速向かうことにした。勿論、今まで誰にも見つからずに邪眼を製造し続けていたことから察するに見つかりづらい場所にあることは間違いないだろう。あの旅人はそれを見事に見つけてみせたわけだから、かなり頭脳明晰らしい。
少し遠いが雷元素を駆使して割と早い時間に目的地付近へ到着することができた。周囲を見回し、ある程度の目星をつけた後、指輪を通じて試しに旅人に呼びかけてみるも、反応はない。どうやら既に基地へ侵入しているか、トラブルに巻き込まれているようだ。
「…急いだほうが良さそうだな」
戦闘痕は見当たらないから、少なくともこの外側で襲撃にあったとは考えにくい。つまり戦闘が行われていたにせよそれは工場内で行われていることだ。中に入らないことには状況の把握は難しいだろう。
俺はそのまま入り口らしき場所を見つけて中に入った。旅人が残してくれた目印のお陰ですぐに見つけることができたため、心中で感謝をしておこうと思う。
さて、中は至って普通の洞窟という感じだ。恐らく迷い込んだ冒険者や幕府軍抵抗軍から工場をカモフラージュするためだろう。無論、既に工場であると割れている以上、それは意味のないものだろう。
そのまま道を進んで行くと旅人が倒したと思われるファデュイの兵士が転がっていた。それも、それなりの数が転がっているところを見るに、旅人は相当な手練であるらしい。
ファデュイの兵士達の実力は人伝だが、それでもかなりの実力を有していることはわかる。それをこうも易々と倒せるとあれば、旅人がトワリンやオセルを下したというのも首肯ける話だ。
旅人は風の国モンドで暴走していた風神の眷属、東風の龍トワリン絡みのトラブルを解決したり、復活した渦の魔神オセルと戦ったりとかなりの武勇伝がある。まぁ、どちらも彼一人の力ではないが。
さて、更に進むと工場のようになっている場所に出た。中は少し入り組んでいるものの、組織的な行動を取るには十分すぎるほどの広さはある。風元素が使えないというのはかなり不便で、不意打ちへの対処が少し難しくなってしまう。
だからこそ───
「デットエージェント、だったか。姿を消せるお前達は厄介だと思っていてな」
───俺は背後から現れた刃を白刃取りでしっかりと受け止めていた。受け止められたデットエージェントは驚いたのかすぐに距離を取ろうと地を蹴る。だが、彼の思惑通りにはいかず、その場を離れられなかった。
「氷元素ってのは便利でな。霧状に撒いておけば空気の流れがわかる。それに、いざってときにこうやって拘束させられるんだ。こういう使い方は知らないだろうな」
そして俺の右手には法器が握られている。より緻密な元素操作をするために必要だったのだ。そして俺は霧状に展開していた氷元素を凝縮し、氷柱状にしてデットエージェントの腹を打ち抜いた。
俺はそのまま襲い来るファデュイを蹴散らしつつ最奥と思われる場所へと辿り着いた。かなり開けた空間になっており、しかしファデュイの姿は見当たらない。
代わりに、笠を被った少年の姿がある。その足元には意識を失っている旅人の姿があった。俺は瞬時に踏み出しかけていた一歩を踏み出さずにその場に留まると、旅人とパイモンに外傷がなく、肩が上下していることを確認した。
恐らく、命に別状はなく薬で眠らされているのだろう、と断定した。意味ありげに紫がかった霧が立ち込めているのでアレが恐らく原因だろう。だが、旅人達の傍らにいる人物は影響を受けていないようだが、どういう仕組だろうか。
「…君が、彼女の言っていた『アガレス』かい?どんなものかと見てみれば、大したことはなさそうだけど」
彼女?と疑問に思うが、どうせ聞いても答えてくれないだろうと勝手に解釈して俺はだったら?と手短に返した。それに対して彼は俺をバカにしたように嘲笑うと、
「あはっ、天下の『元神』ともあろう者が…たかが凡人一人を随分と警戒するんだね?君の名声も力もハリボテだったってことかい?『守護』に囚われた負け犬だ、と言っていたよ?」
そんなことを言った。旅人以外から話を聞いて『元神』の二つ名と俺の力や名声を知っているということは、神から聞いた可能性があるな。それだけでも候補は絞られる。
だがいまいち、スネージナヤの氷の女皇…氷神から聞いたとは思えないのが腑に落ちない点だ。それに『守護』に囚われた負け犬である、というところも腑に落ちないな。
それはさておいても、彼はどうやら俺と口で戦うのが望みらしい。
「別にそうとは限らないだろう?それとも、お前は目の前にいる人物がどれほどの力を持つかも見極められないのか?それこそ正に凡人というに相応しいのか?ああ、回りくどく、正面から戦うことを避けている卑怯なお前がどうするかを観察しているだけだが、わからないか」
俺は口の端を持ち上げて笑うとそう言った。ピリッと張り詰めた空気が俺達の間を漂っている。いや、雷元素が物理的に火花を散らしている。そして今にも戦闘が始まらんとした時だった。
「全く、アガレス殿は喧嘩っ早いのう…」
突如背後からそのような声が聞こえ、思わず攻撃の手を止めた。そしてそれは相手も同様のようだった。そしてその声には、聞き覚えがあった。
「…神子か」
「うむ、正解じゃ。久しいのうアガレス殿」
人を喰ったような笑みを浮かべているのは500年前まで親交のあった妖孤の八重神子だった。500年前まではこのような性格ではなかったはずだが…と考えている間に、神子は少年と話している。
「…ふん、良いだろう。けど、良いのかい?それは稲妻幕府と将軍に対する裏切り行為だと思うけど」
「構わぬ。妾には童が必要なんじゃ」
二人の話が終わると同時に少年がこちらを見て忌々しげに睨めつけてくる。そして、
「…僕は、ファデュイ執行官第六位『散兵』、お前は僕によって絶望させられることになるだろうね、運命の傀儡であるお前を絶望させることなんて簡単だから」
負け惜しみのようにそう言って去って行く。そして神子が旅人を連れて鳴神大社で治療する、というので彼女と共に一度鳴神大社へ赴いてみることにして、工場を去るのだった。