その日、ロスモンティスは久しぶりに艦の外へ出た。
偶に甲板で日向ぼっこをすることはあったが、基本的には外出時に許可と同伴者が必要なロスモンティスには街へ行くには面倒が多かった。
だから彼女にとっては街は遠くから眺める物で、自分でそこを歩くことは想像が難しかった。
「今回はそんなに難易度の高い任務じゃ無い。気を抜いても良い訳じゃ無いが、緊張することはないぞ」
「うん。何度も作戦内容は見直したし、メモもしてあるから大丈夫」
彼女がオペレーターの試験に合格し、艦内を自由に行動出来るようになったのはつい最近のことだ。
最初はメンタルケアやリハビリから始まり、覚えている一般常識や初歩の数学の確認、アーツ学の勉強などを行なった。
彼女のアーツがどのように作用しているかの実験では、何度もトラウマが蘇りlogosが居なければロドス艦が半壊していたかもしれないほどだ。
それでもあの日、生きる事を希望した彼女には、多くの人が手を差し延べ彼女もそれによく応えた。
専用のアーツユニットを仕立ててからの訓練では途轍もない戦闘能力がある事を証明し、更に応用すれば情報戦に於いても有用な力だと分かった。
最近は滅多にパニックを起こす事もなく、また起こったとしても一人でも落ち着かせられるようになった。
そうして情緒も安定し、一通りの訓練もこなした彼女は今日初任務というわけである。
とはいえ、物資の定期輸送の護衛という危険度の低い仕事であり、ロスモンティスの気晴らしも兼ねてもいた。
「まあ、今回の任務は受け入れ物資の護衛だけだからな。
街で輸送班と落ち合うまでは、事務所でゆっくり出来るだろう。
彼らが来るまでは観光もいいかもな。
ロスモンティスは何処か周りたい所はあるか?」
本来、エリートオペレーターが付く程の任務ではないが万が一ロスモンティスが暴走した時の為、aceが同行している。
だが彼女にはいつも忙しく外勤している彼と一緒に居れるだけでも嬉しかった。
「露店とかは見て回りたいかも、でも人混みは嫌だな。
あと、基本的にはaceとはぐれないようにってケルシー先生が言ってた」
少しソワソワした様子で車から窓の外を見ながら答えた。
「そうか、じゃあ向こうの駐在オペレーターと引き継ぎした後、一緒に市場に行ってみるか」
「えー、良いなー、私も一緒に行きたいわー」
ブラウンの髪のフェリーンの女性が助手席のaceをチラリと流し見た。
「お前は向こうの備品や車輌の点検があるだろうに。
まず自分の仕事を終わらせてからだな」
いけずー、と彼女は口を尖らせため息を吐いた。
「わ、私もブリッシュシルバーと周りたいから待ってられるよ」
「お、それは手伝ってくれるって事かな〜、お姉さん嬉しいわ!
貴方が一緒ならお仕事も楽しく出来るわねぇ」
ロスモンティスはコクコク頷いて腕まくりして見せた。
細腕に見えても意外に膂力がある腕である。
「ロスモンティスをダシに楽をしようとするんじゃない……
充分一人で出来る仕事量だから、あまり真に受けるんじゃないぞ」
呆れた視線を投げかけたが、ブリッシュシルバーは明るく笑って誤魔化すばかりでまるで堪えていない。
彼女の仕事振りは優秀であるものの、最近は悩みがあるようで気が漫ろなことが多い。
それは、高いを通り越して夢想的とも言えるロドスの理念に戸惑っているのも原因だった。
勤続年数もそこそこ長いからこそ、見えてくるものもある。
このまま行くと遠からずこの会社も傾くだろうと考えていた。
「ひどいわ、流石に冗談よ!
殆どロドスで缶詰めだったでしょうし、折角外に出たなら色々見てくるべきだわ。
お仕事は大人に任せて行ってらっしゃい。予定滞在日数も長くはないし、時間は貴重だからね」
ロスモンティスはその言葉に不服そうに言い返した。
「私だってオペレーターなんだから、仕事があるんなら一緒にやらせて。
戦闘だけじゃなくて、色んな事を一人前にやれる様になりたいの」
「ははっ、ブリッシュシルバーもこのやる気を見習ったらどうだ!
ま、ご褒美を後に取って置いた方が仕事も捗るかもな。
さっさと片付けられたら俺の奢りでメシでも行くか?
川沿いのレストランが旨いらしい」
「いいわね!流石エリートオペレーター、部下の使い方がよく分かってるわ」
調子がいいことだとaceは思ったが、この気安さがロスモンティスの人見知りを軽減できそうだった。
「一応任務のおさらいをしておこう。
まず今ある荷物を事務所に届けること、備品の修理、それから美味い飯を食べることだ。
輸送班を待ち、合流後にロドスに帰投する。
感染者が表を歩ける地区らしいから、そんなに治安も悪くないだろう。
まあ、向こうで待っている間にやる事はそんなに多くは無い。
俺たちがいる間にそう大きなトラブルは起こらないだろうし、半分休暇みたいなものだな」
荒野を走るバギーも絶好調であり、エンジニアが改造してくれたサスペンションは旅程を素晴らしいものにしてくれた。
助手席のaceが昼寝出来たほどだ。
だんだん近づく都市と、遠くに見える山脈にかかる雲をロスモンティスは交互にずっと眺めている。
機械を弄るのが好きで、もちろん運転も好きなブリッシュシルバーはカーラジオから流れる知らない音楽を鼻歌で口ずさんでいる。
正しく順調そのものであった。
都市に入る前の検問もさほど待たされなかったし、道の露天から漂う美味しそうな匂いや、様々な土産物屋は目を楽しませた。
だがそれも事務所に着く前の話だ。
目的地に近づくにつれ謎の長蛇の列が目に入った。
何か人気の店でもあるのだろうか?
そんな他人事の様な感想を持っていたが、それが自分達の行く方向と同じである事を理解すると段々嫌な予感がしてきた。
予想は的中し、事務所の前まで列は繋がっていた。
aceは何かトラブルが起こった事を悟り、諦めと共にそれを受け入れた。
車両を事務所の隣に停め、最前列まで歩いていく。
玄関前には簡易なパイプ机が置いてあり、そこで私服の男が忙しそうに受付を行なっていた。
列の脇を通り過ぎ、aceは男に声を掛けてみた。
「あー、ちょっと悪いんだが此処はロドスの事務所で合ってるよな?」
「その通りですよ、申し訳ないですが列にお並びに……その制服ロドス職員の方ですね!
いやー良かった!忙しくて目が周りそうだったんです。中でラバカから引き継ぎして貰って下さい」
男は助けが来て嬉しそうに握手しを求め、次いで中に入るように促した。
「ああ、了解した。ところで君はオペレーターでは無いよな?」
「はい、臨時のアルバイトですね。この前急にラバカに頼まれまして、雑用しています」
それを聞いてaceは少し眉間に皺を寄せた。
そういう話は聞いていなかったので、おそらく彼を雇う事は人事部に許可を得ていない。
部外者を個人的に雇って業務に就かせるのは業務違反である。
兎に角ラバカに状況を説明してもらわなければならない。
建物に入ってまず目に飛び込んできたのは段ボールの山だった。
幾つかは中身が開けられたまま放置されている。
ラバカはその幾つかの山脈を、端末片手に行ったり来たりしながら中身を取り出している。
「ラバカ!この惨状は一体どうしたんだ?」
彼が三人の姿を確認すると、少しやつれた顔をまるで奇跡でも見たかの様に顔を輝かせた。
「aceさん!よくぞ来て下さいました!もう見ての通りてんてこ舞いで……」
隈が出来た目を泣きそうな、掠れた声でそう言った。
「お前だけか?此処の事務所は四人は居た筈だが他の連中は?」
「一人は一月前に辞めて、一人は病状の悪化で療養中、もう一人は一週間前から休職中ですよ。
もうホント参りました、在庫の出入やら処方箋探すのだけでも一苦労で……」
aceは絶句した。正直ちょっとした休暇くらいの気持ちでいたのだが、修羅場に飛び込んでしまったらしい。
後ろでブリッシュシルバーは苦虫を噛み潰した顔をし、何故かロスモンティスはちょっと嬉しそうな顔をしている。
確かにこんな状況では猫の手でも借りたいだろう。
「優雅なディナーはまた今度になりそうね……
私をこき使うと高く付くわよ」
「済まないが今回は使われてくれ……
ラバカ、まずどこに何が有るのか教えてくれ、ブリッシュシルバーと二人で整理しながら探していこう。
ロスモンティスは列の整理と受付の手伝いをしてくれ」
そこからはひたすらに地味な作業の積み重ねだった。
紙や端末を読み、ダンボールをひっくり返し、書類を探し、サインを書き、電話をする。
話を聞き、用紙に記入してもらい、支払いの確認を行い、次の来店の予約を確認する。
焦れた子供が泣く、野次が飛ぶ、訛りが強くて聞き取れない、控えや引換券を忘れた、お釣りが足りない。
あれが無い、これが無い、金も無い、人手も無い、休憩も無い。
最近のロドスクオリティの縮図であった。
そして、こんな時に限ってトラブルは向こうからやって来るものだ。
「感染者達は安い労働力として、我々から仕事を奪っている!
また、新たな感染源として街の無垢な人々を潜在的な危険に晒している!
彼らに不当な利益を与える組織はこの街から出て行くべきである!」
プラカードと拡声器を持った数人が列の横で叫び始めた。
「この街、治安は悪くないとか言ってなかったかしら?」
窓から喧しい連中を見て、げんなりした様子でブリッシュシルバーは呟いた。
「まあ、これはいつもの事なんですよ……数時間程勝手に騒いであっさり帰って行きます。
多分、誰かに雇われて我々に嫌がらせしてるんだと思います。
彼らは街の不良で、感染者じゃなくても突っかかっては暴力を振るうので嫌われてますよ」
「面倒な奴らが居るものね」
ブリッシュシルバーは欠伸をしながら窓枠にに頬杖を付いた。
あんまりサボるなよ、というaceの声に生返事を返して彼らの様子を眺める。
チンドン屋がいくら騒いだ所で地元民は慣れたものだろう。
だが何時もの通りなら何も起こらない筈だったが、何時間も待たされていた感染者達は気が立っていた。
一部の人が拡声器を持っている人間に食って掛かり、言い争いを始める。
途端に剣呑なムードが漂い始めた。
受付と話していたロスモンティスが仲裁に入った辺りから、更に嫌な予感が広がっていく。
ロドスの制服を着ていても、子供だと思って侮られているようで、怒鳴り声が大きくなってきた。
ロスモンティスも段々苛立っているのが分かる。
万が一、街中で彼女のアーツが発動したら厄介なことになりかねない。
「ちょっ、ロスモンティス!落ち着いて!
ace!早く来て早く!」
急いで玄関まで駆けて行く間にも声は大きくなっていく。
「感染者なんてものは厄介者なんだよ。
いつ発作が起きるか分からない上に、死ぬ時は鉱石病をばら撒いていきやがる。
どっかに隔離して押し込めておくべきだろうがよ。
爆弾がふらふら歩き回ってたらおちおち昼寝も出来やしないぜ」
「ここの人達はちゃんと治療を受けてるし、発作が起こっても適切な処置を施してあげれば心配ないよ。
感染者だって問題なく生活できるんだよ」
「ふん、感染者なんてのはなぁ、社会のお荷物なんだよ!
いつ発作が起きるかわからねぇし、さっさと荒野でくたばってくれた方が世の為人の為だろうが!」
「どうしてそんな意地悪な事を言えるの?
貴方には此処の頑張って生きてる人達の事が見えないの?」
「ガキに何が分かる。
仕事がなくなって難民になって押し寄せる連中のせいで、元々いた地元の人間が割を食うんだ。
俺たちはさっさと出て行って欲しいだけだ」
「この中にもずっと此処で暮らしてきた人も居るよ。
その人達にも出て行けって言うの?」
「身体から結晶を生やしてる奴等は皆んな化け物だよ」
常々ロスモンティスには疑問だった。
ロドスの皆んなは彼女に優しく、そういう意味では皆んな一緒だった。
鉱石病からくる病変への対処は覚えておかなければならない事だったが、それに差別意識を持った事はない。
病気は不幸だがその人のせいでは無いし、それを理由に人格まで否定されるべきではないと彼女は思っている。
「おじさんは酷い人だね」
ロドスで能力のテストをした時に一部のオペレーター達から不躾な興味や恐怖の感情を向けられた事はあるが、ここまで露骨な悪意は久しぶりに感じた。
見ず知らずの他人からでも、何も悪い事をしていないのにこの視線を浴びるのは辛いと知った。
「ちょっと!女の子相手にそんな乱暴な言葉を使って、恥ずかしいとか思わないわけ?」
駆けつけたブリッシュシルバーはロスモンティスを庇うように立ちはだかった。
「お前も感染者か?」
男は睨め付けるような視線で彼女を見据えた。
「子供を庇うのに、そんな事関係あるかしら?
女の子に暴言吐いてる男がいたら、誰だって割って入ると思うけど?」
少しの間睨み合っていたが、誰かが呼んだのか警官らしい制服姿の男達が歩いてきた。
男は舌打ちを残して他の連中と共に去って行った。
「ちょっと厄介な事になるかもしれないな……」
少し遅れてやってきたaceは警官達を見て思わず呟いた。
彼等は並んでいた人達に乱暴な口調で家に帰るように怒鳴っている。
曰く、感染者には如何なる集会も許可されていない、という事だった。
「ちょっと!騒いでたのはさっきの連中で……」
シルバーブリッシュが突っかかろうとした時、aceがその手を掴んで止めた。
「彼等とは俺が話を付ける。
なに、物資の値段交渉よりは楽な仕事さ。
だがもし長引いた時は顧客リストから、まだ薬を渡せてない患者の家に直接届けられるように準備しておいてくれ」
シルバーブリッシュは自分を落ち着かせるために一度深呼吸をした。
「そうね……私にできる事をした方が良さそうね……
あの警官達と話すよりは、紙と睨めっこしてた方がストレス溜まらなさそうだし」
「お巡りさんはさっきの人達を捕まえてくれないの?
それに、並んでた人達は悪い事していないのに、なぜ怒られて帰らされるの……」
ロスモンティスは不安そうに二人を見上げた。
大人達は困った顔をしながらも彼女に笑いかけた。
「間違った事をしていなくても、誤解から色々言われる時もある。
少し話し合えば解決出来るさ。ちょっとだけ待っていてくれ」
aceはそう言って片手を上げて警官達に歩み寄って行った。
「さあ、私たちにも仕事が残っているわ。
受け取りできなかった人達にも後で薬を配達してあげないといけないし、仕分けを手伝ってくれる?」
そう言ってロスモンティスを事務所に戻るように促した。
彼女は心配そうにaceの背中を見送り、警官達に抗弁している人々を心配しながら建物に戻った。
aceが戻ったのは日が沈んでからだった。
「今日はよく働いたわね……
貴女はもう寝た方がいいわ。色々あって疲れたでしょう?」
ロスモンティスはaceが帰ってくるまで事務所のソファーから梃子でも動かなかった。
しかし、彼の姿を見て安心したのか、直ぐに船を漕ぎ始めたので声を掛けた。
彼女は涙目を擦って欠伸をした後、大きく伸びをした。
いつもはピンと立っている耳を少し垂れさせ、ゴロゴロと喉を鳴らし、二人の肩を叩いてからふらふらと仮眠室へ向かった。
「一々仕草が可愛すぎる……
娘に欲しいわね……」
「同感だ」
二人はコーヒーを飲みながら、残った仕事をタブレットで確認していた。
「そしてこっちがオーバーワークで死んでる父親役……」
「名誉の戦死だな……」
aceが無事に帰って来て一区切り付き安心したのか、ラバカは机に突っ伏し額をくっ付け、ペンを持ったまま気絶する様に眠っている。
aceは彼を小脇に抱えて並べた椅子の上に寝かせてやり、布団代わりにジャケットを掛けた。
余程疲れていたのかラバカは身じろぎ一つしなかった。
ブリッシュシルバーは彼のように寝落ちするわけにもいかないので、休憩を取る事にして二人分のコーヒーのおかわりを淹れてaceの席に置いてやった。
「改めてお疲れ様、随分と時間が掛かったようね、警察は何て言ってたの?」
「状況は説明したんだが、感染者を集めて何を企んでいるのか延々と質問されてな。
ロドスがどんな会社なのかから説明させられたよ。
納得はしてなかったが、どうにか帰して貰った……」
肩を竦めてやれやれと呟く。
やましい事が無くても感染者が関われば、様々な事を疑われるものだ。
「暴言吐いてた連中に関しては、感染者の問題は感染者が解決しろとの事だ。
何か物理的な被害がなければ動いてくれないだろうな」
「そう、まあ無事に戻ってくれて良かったわ。
遅かったから、もしかしたら拘置所にでも入れられたかと思ってた」
「そうならなかっただけ幸運だな。
しかしお前には悪かったな、楽な仕事しか無い筈だったんだが、とんだ修羅場に巻き込んでしまった」
「この会社じゃいつもの事よ。
身に危険を感じるほどじゃ無いだけマシね」
二人は苦笑いし合ってから、大きくため息を吐いた。
会話が途切れ暫く二人は無言でコーヒーを啜っていたが、不意にブリッシュシルバーは口を開いた。
「ねえ、やっぱりロスモンティスも戦場に立たせるつもりなの?」
「ああ、そうなるだろうな。
断っておくが必要に迫られての事だし、彼女の意思でもある」
「子供にまで戦わせるんだから、ロドスの人材不足も極まってるわね。
アーミヤもそうだけど、あんな子供に戦わせるのに良心の呵責とかはないの?」
疲れが、そして他に聞くものが居ない状況が、内々に沈めていた疑問を口にさせた。
アーミヤが本当に理想を実現しようとしているのは知っているし、ブリッシュシルバーの知る範囲では会社もまたそれに忠実だった。
子供だから力不足だと言っている訳ではない。
だが幼すぎるとも思っている。
例えば、目の前のaceや尊敬出来るエリートオペレーター達が矢面に立たなかったのは何故か?
彼女は常々疑問だった。
そうだな、とおそらく話が長くなる事を予感して、aceはソファーに深く座り直した。
安物のそれは重さに抗議する様に軋んだ音を立てた。
「彼女達は普通の人間とは違う能力がある。
それは彼女達が望んでいた物じゃなかった。
だがそれらに向き合う、一番最善の付き合い方が今の形だと思っている」
「それって大人の詭弁じゃない?
少ない選択肢で一番マシな未来を選ばされてるって感じだけど」
「ロスモンティスはとある実験で特殊なアーツを使えるようになった。
だが不安定で本人だけじゃなく、周りまで傷つける程に強い力だった。
代償も大きい。彼女が記憶障害を患っているのは知っているだろう?
力の使い方と絶対にそれを暴走させない強い精神力、それから障害が彼女の生活の枷にならないような環境を作らなくちゃならなかった。
それから、ロスモンティスがどんな未来を選択するにしろ、もしロドスから離れてもそれを狙う連中から自衛できる様にしないといけない。
その結果が、ロドスが彼女に出来る最大限が子供を戦場に立たせる事っていうのは、大人として情けないものがあるけどな」
「ロスモンティスの事情は何となく分かったわ。
確かに見ていて危なっかしい所もあるし、あの力が人工的に造られたものなら狙う連中も多そうね……
ならアーミヤは?
幼い彼女を会社の代表に据えるより、例えば貴方や誰か別のエリートオペレーターが変わってあげられなかったの?
まあ、私自身が出来そうにないのに、こういう事を言うのはちょっと卑怯だとは思うけれど」
「いや、それを疑問に思うのも当然だと思う」
aceは息を吐き、遠くを見つめるように天井に視線をやった。
彼の現在は、かつて彼自身が思い描いた未来とは全く違うもので、沢山の失敗をしてきた自分達がよくまた歩き出せたものだと感心すらする。
「昔、ロドスは今のような組織じゃなかった。
ある目的の為に行動していて、そして全てが徒労に終わった。
それこそ、そのまま組織自体が機能しなくなって解散しそうになったほどだ。
それを繋ぎ止めたのがケルシーとアーミヤだった」
「目的を失って彼女しか新しい理念を掲げられる人が居なかったのね。
まあ、今のロドスはちょっと理想主義がすぎる気もするけど」
「そうだな、俺も最初聞いた時は現実的じゃないと思ったな。正直言って今でもそう思う。
それに…… アーミヤのいう理想を行くには、俺たちは失望を味わい過ぎた」
すっかり温くなったコーヒーに少し砂糖を入れ、舌で味わって一口飲む。
「勿論今までも本気でロドスの理想を行ってきたつもりだ。だが現実主義のもう一人の自分はそれは夢想だと言っている。
それでも誰かが綺麗事を初めていかなければ、この大地全てが手遅れになるとも痛感した。
今もロドスで働いている理由の一つだな。
だが……」
疲れが、そしてその未来が、途轍も無い過酷な運命が待っているであろう少女を憂いていることが、何時もより彼に暗い思いを吐き出させていた。
「自分でそれを背負う分には良いが、他人にまでその道を行けとは言えない。
でもそれじゃあ人は付いては来てくれないんだ。
こういう理想にはある種の清廉さと純粋さが必要だ。
俺たちエリートオペレーターは様々な所で大なり小なり挫折を、道徳の敗北を味わった。
それは立ち上がるのが困難なほどの絶望を俺たちに味わわせた。
もう、理想という物を唯信じるのが難しい。
それがどれだけ正しいと分かっていても、仕事だからとか、意地だからとか、そういう言い訳を用意しないと走り難いのさ。
そして犠牲にしてきたものが大きいほど、多いほど、他の道に進みづらくなる。
俺はもう、目的の為に他人を縛る事が恐ろしくなってしまっているのかもしれないな」
残ったコーヒーを一気に飲み干し、aceは底に溶け切らずに残った砂糖の粒を見つめた。
「だからこそ、若いアーミヤこそロドスの代表に相応しいとも思ってるんだ。
他人より厳しい境遇にあって、それでも自身より他人を心配して愛せる。
彼女なら純粋に希望を信じられる。人を信じられる」
「そうね。
アーミヤには確かに人を率いるカリスマがあるし、力になりたくなる魅力もある。
……歳をとってくると、色んな物を疑う様になったり、身の丈が分かったりして段々保守的になるものね」
シルバーブリッシュは温くなってもコーヒーをスプーンで掻き混ぜ続けた。
濃く淹れたそれは黒々としてコップの底は見えない。
「でも、私は不安なのよ。
大抵理想っていうのは誰かを踊らせたり、他人を都合よく動かしたりする為のお為ごかしでしょう?
会社の説明会で感染者の治療とか、武力行為含む問題の解決とか、新興企業が中々ご大層なお題目を並べるものねと思ったわ。
入ってからそれを本気でやろうとしてるのは分かったけど、手も足りないし自社を守るのだけでも精一杯。
それなりに感染者を救ってはいるけど、外に言えるほど大きな成果は未だない」
コップの水面は渦を作り、小さな泡が飲み込まれては消えていく。
「私みたいな普通の人は自分の命や生活を守るのも難しい。
ましてや理想なんて貫こうと思ったら、命を捨てる事前提になっちゃう。
貴方みたいに強いならそれでも生き残れるのでしょうけどね。
それでも何も変えられない、残せないのが普通よ」
aceは彼女の様子を窺った。
彼女の言葉は淡々としていて、どんな感情も感じ取れない。
ただ、彼には組織の中核を担っている自負があり、エリートオペレーターとして仲間の話を聞かねばならないと思った。
「この際だから聞いておきたいのだけれど、ケルシー先生って何者なの?
確かに本物の天才で色々特許持っててお金もあるのは分かるけど、それだけでこんな舟を一企業が所有するのは難しい気がするのよね。
やっぱり元貴族とかなのかしら?」
「その質問はロドスの規定に引っかかってるぞ。
他人の過去を詮索するのは褒められた事じゃない。
なんならケルシーに直接聞けば説明できる範囲で誠実に答えてくれると思うが……
まあ、雇い主に、貴女は何者ですか?と聞くのもちょっと可笑しな話か」
aceは想像してその絵面に笑ってしまった。
ケルシーが少し眉間にシワを寄せて答える所が予想出来る。
どう答えるか悩んだ後、聞きたい要点を引き出す為に逆に質問されてとても長い話になるだろう。
何者かと問われても、直ぐにそれに答えられる人はそうは居ない。
「ちょっと、これでも真面目に聞いてるのよ」
そう言いつつも彼女も釣られて笑った。
自分で言っておいてなんだが、あまりに抽象的な質問だ。
真面目な話ばかりしていた緊張が少しだけ解れる。
この話が自分の評価に影響することはないという位の信頼をロドスに置いているが、それでも理念を疑問視するような事を上司に喋るのは勇気がいる。
「あの人の後ろに何があるのか知っておきたいのよ。
ace、貴方は彼女との付き合いが長いのでしょう?
本当に信用できるかどうか貴方の口から聞きたいの。
現場で私達を何回も命を賭けて助けて、沢山の感染者達も助けてきた貴方が言う事なら信じられる」
「彼女は信頼できる。
俺より余程世の中を理解していて、俺より余程長い間この大地で足掻き続けている。
嫌味じゃなく、本当に博愛主義が服を着て歩いているみたいなヤツだ。
話が長いのが玉に瑕だがな」
最も、aceが彼女を組織の長としても信頼できるようになったのは、ロドスに入ってからかもしれない。
それまではテレジアの右腕という立場だったから、テレジアへの信頼を通じてケルシーに従っていたとも言える。
正直、テレジアが死んだら彼女はバベルから離れて単独で行動するものだと思っていた。
「ちょっと浮世離れしてる雰囲気があるし、いつも忙しそうだから中々どんな人間か掴みづらいだろうが、良い奴だよ。
ケルシーの話は回り口説く感じるだろうが、よくある権力者が言質を取られない為に曖昧にしてるわけじゃない」
医療部に居れば彼女の人間性が見えてくるが、戦闘オペレーターは会う機会も少ない。
前線でオペレーター達の信頼を担ってくれる人物に心当たりはあるが、彼はまだ居ない。
「そう、それを聞いて安心したわ。
悪かったわね、貴方の仲間を疑うような事をして……」
ブリッシュシルバーは探るような事を聞いた事に、ばつの悪そうな顔をした。
「『俺たち』の仲間だろう?
思いの強さに違いはあるが、皆んな同じ志を持ってる」
aceはブリッシュシルバーのここ最近の態度と、さっきの質問で彼女の考えていることに当たりが付いていた。
「なあ、この先不安なのは分かるがもう少しロドスで頑張ってみないか。
転職を考えているんだろう?」
感染者に関する諸問題は大体は悲劇と隣り合わせだ。
健常者の彼女が延々とそれに付き合わされるのは、正直言ってしんどいだろう。
「戦闘オペレーターを辞めて、事務の方に回ってみるのもいい。
俺はお前にロドスに残って欲しいと思ってる。
勿論無理強いは出来ないけどな」
ブリッシュシルバーは眼を合わせずに、弱々しく笑った。
ロドスは誠実な会社だと彼女も思っている。
だがそれなりにある殉職率や、鉱石病に関わる以上避けて通れない病死、社会的な差別や蔑視は精神を削られる。
そして会社として明るい展望が見えず、胸を張るほどの実績が残せない状況は息苦しい。
「良い、誠実な会社だと思うけど、それだけじゃ続けていくのはキツイわ。
別にすぐ辞めるつもりはないから安心してちょうだい。
さあ、休憩も取ったし仕事を再開しましょう!」
勤めて明るく言うブリッシュシルバーに何か声をかけようと口を開いたが、aceは結局何も言えなかった。
彼女を繋ぎ止められるのは自分ではない気がしたからだ。
閉塞感で苦しんでいるのは、ブリッシュシルバーだけでは無い。
ロドス自体が先行きの見えない苦境に苦しんでいる。
きっとそれを打破出来るのは新しい風が吹き込んで来た時だろう。
幸い、aceはそれに心当たりがある。
ブリッシュシルバーにとってはロスモンティスがそうで合って欲しい。
だが、先の事を考える前に目の前の仕事を片付けるべく、二人は机に向かって唸る事にした。