こころバンド(仮) 作:誰か続き書いてくれ
美咲自身はどちらかと言えば慎重なタイプのつもりでいるが、実際は年相応に楽観的だ。悪い事態を深くイメージできず、そこそこの範疇で立てた対策の壁を想定外がぴょんと飛び越えてくることがままあった。思春期の勢いのまま制作のセオリーなども調べずにコンテストに挑んで打ちのめされたのもそうだし、仲良くなった泣き虫ポメラニアンが大財閥の総帥令嬢と知ってもフェードアウトしようとしなかったために、少しだけ嫌がらせを受けたこともある。
そういった苦しみへの上手な対処が身についたのかというとそうでもなく、大抵は黙って耐えてやり過ごすようにしていた。全力で目と耳を塞ぎ嵐が過ぎるのを待つ。屋根さえ飛ばなければいつかは止むと信じていたし、実際それでなんとかなっていた。
だが自分から外に出てしまっては元も子もない。彼女は今、嵐の前に棒切れを持って駆け出したような気分だった。世はそれを無謀と呼ぶ。
「奥沢様、機材の用意ができましたのでお確かめください」
「アッはい」
サングラスをかけた黒服に様付けで呼ばれて冷静でいられる庶民はまずいない。呼ばれた方に視線を向けると、いつのまにかこのバンドのトレードマークということになったのか、機材をすっぽり覆う白い囲いの前面にはファンシーなクマの顔が描かれていた。まさか今描いたのか。にこやかなマークと目が合って美咲の額に青筋が立つ。
ムカついたついでにじろりと財閥令嬢(feat.ミッシェル from 地蔵通り商店街)を睨むと、なにやら子供たちからねだられるままにバク宙を披露していた。
「ほっ、やあっ、それっ!」
「わ、すごーい!」
「ミッシェルかっこいいー!」
「もっとやって! もっと!」
「うふふ、それじゃあ今度はロンダートから二回転捻りとか……あた、ボク頑張っちゃうよ!」
(ポメラニアンのくせになに調子乗ってんの! ていうかその身体能力でポメラニアン名乗るな! 詐欺じゃん!)
名乗ってはいない。
「なんでこうなったのほんと……!」
助けを求められそうな相手のまるでいないアウェーな状況に頭を抱えながら口を突いて出た文句には、脳内でとっくに結論が付いていた。
この軽率な口があんなことを言ったせいである、と。
「地蔵通り幼稚園お花見会のお手伝いに参りました、花咲川高等学校の弦巻こころでございます」
(誰このお嬢様)
舌先スレスレまで来ていた言葉を飲み込んでなんとか内心思う程度に留めた美咲の目の前には、日差しを解き透かした飴細工のような髪を靡かせて、まるで大財閥のご令嬢のように瀟洒な礼をする弦巻こころの姿があった。
しかも一般庶民のはずの花音まで「同じく、松原花音です。本日はよろしくお願いします」と小国のお姫様みたいにお淑やかなお辞儀をするので、唖然とするのは美咲だけでなく先方もだった。幼稚園のすぐ目の前、公園の一角に建てられた簡素な三角屋根の運営本部に、ざわめきが密やかながら確かに広がっていくのを小市民の美咲は感じ取る。あまりに居心地が悪い。
耐えかねて、指で顎をかきながらつい一歩進み出た。
「あー……すいません、急に頭数増やしちゃって。この子らに手伝いに呼ばれてきました、えーと、奥沢美咲といいます。バイトあるんで最後まではいられないんですけど、お邪魔にならないよう頑張りますんで……」
ストリート系のパーカーを着込んだ少女のキャップを取っての挨拶に、別にハイソな私立でもない普通の幼稚園に務める大人たちがほっとした顔になった。妙なシンパシーを感じて生ぬるい空気が広がっていく中、「お、ボランティアの子たち来たかい!」とよく通る声が響いた。
人垣の奥からにこやかな壮年の男性が姿を見せた。子供たちに配る飲み物でも入っているのか、鍛えられた太い両腕にはクーラーバッグがふたつ下がっている。浅黒い顔に短い白髪、背筋もしゃんとしていて、休日に草野球とかやってそうなおじさんだなぁ、と美咲はぼんやり思った。
男性は大きな口を割って、ベンチから檄を飛ばす姿が目に浮かぶ快活さで言う。
「いやあ、三人も来てくれて助かるよ! 汁物よそって渡すだけと言っても、子供たちの分に保護者の分に、ついでに近隣の方々もどうぞとなると結構な量でね。ありがとう」
どう言う立場はわからないがそれなりに上らしい男性は本当に嬉しそうだった。感謝の視線の半分くらいが自分に向いているのには必死に気が付かない振りを決め込んで、美咲は「いえいえ、どうも……」と適当に頭を下げる。ついでに、隣の花音に耳打ちした。
「……ボランティアくらいでそんな畏まんなくていいんじゃないですか? 向こうの方が恐縮しちゃってますよ」
「ちょっと緊張してて……こころちゃんがしっかりしてるから、自分もしっかりしないとと思って……」
「空回りですって」
「そんなぁ……」
ばっさり切られてふええ顔になった花音が背の低いお婆さんに飴を渡されているのを尻目に、美咲はこころの方に近づいて行った。
「ねえこころ、今日の段取りとか全然わかんないから聞いときたいんだけど」
「あっ、ごめんなさい……なんにも伝えてなかったわね。もうちょっとしたら幼稚園から引率の先生や子供たちが来るはずだから、そうしたら子供たちの相手をして、豚汁が出来たら配膳の方に行くわ。……あ、おじさま! 手を洗えるところはありますかしら」
「はっはっは! おじさまかあ、なんか偉くなった気分だ。手洗い場はそこの調理スペースにあるよ」
「ありがとうございます! うん、そこできちんと手を洗うのよ。ハッピーバースデイの歌を歌い終わるくらいの時間がちょうどいいらしいわね!」
「偉いなぁこころは」
「え……なにがかしら……?」
こころが不思議そうに首を傾げた。無垢さ無邪気さは塵界で生きていくには無用の長物かもしれないが、彼女を見ていると少し優しい気持ちになれるのは確かだった。頭をかいぐりかいぐり撫で回すと「わっ、ふふ、くすぐったいわ!」と自分から頭を擦り付けるように寄ってくる。もしかしたら本当にただのポメラニアンなのだろうか。
「あたしがしっかりしなきゃ……」
「美咲?」
「いや、うん、了解了解。子供たち来んのね。バイトの予行演習にもなりそうだなー」
「バイト? どんなことするんだい」
「あ、えーとですね、着ぐるみ着てティッシュ配りとかを……」
すっかり気に入られてしまい世間話にもつれ込んだ美咲は内心、少しだけ面倒くさくなりつつあった。大人に絡まれるのはなんだか、自分は子供なんだとはっきり突きつけられるようで得意じゃない。無邪気で優しいこころや花音さんの方に行ってくれ、と願いを込めて視線を向けるも、こころは「あ! 子供たちが来たみたい!」と駆け出してしまった。見捨てられた気分だ。花音も優しいお婆さんに手を振って向こうに行ってしまうので、美咲も「すみません、あたしも行ってきます」と頭を下げてそそくさ離れた。
園児だけではなく兄弟姉妹も参加しているのか、保護者と共に小学生くらいの子も少なからず見受けられる。幼い弟妹のいる美咲には馴染みのある年頃のあどけない姿に少し癒されていると、その中の友達同士らしい数人が「あれ、お姉ちゃんだ!」と声を上げた。
保育士さんのご家族なんだろうかと温かい気持ちで視線を向ける。
「ほんとだ! わんこのお姉ちゃんだ!」
「わんこのお姉ちゃん! こんにちはー!」
「あ、あたしはわんこじゃないわよ……!?」
「は?」
呼ばれているのはこころだった。
美咲の頭が疑問符で埋め尽くされた。
「…………え、なにこころ、小学生にも犬扱いされてるの? 犬っころならぬ犬っこころなわけ?」
「いえ、ちょっと色々あって……い、いま小学生『にも』って言わなかったかしら!?」
「言ってない言ってない。で、どういう繋がり? ボランティア仲間的な?」
「うぅ〜……」
「ごめんごめん」
頭をぽふぽふしてやると大人しくなることを美咲は覚えた。ポメラニアンを落ち着かせている間に花音も合流すると、こちらには「あ、助けてくれたお姉さん」「ありがとうございました!」「わ、きれい」としっかり敬われている様子で、女の子に至っては羨望の眼差しで見ている。この差はなんなんだろうか。花音は嬉しいやら気まずいやら複雑な顔で「あはは……昨日ぶりだね、みんな」と応じた。
「花音さんも知り合いなんですか?」
「昨日こころちゃんに初めて会ったとき、この子たちも一緒にいたんだ」
「お姉ちゃんたちね、わんこに取られちゃったハピネスレッド取り返してくれたの!」
「わんこ強かったね……」
「うん……」
死闘があったらしい。遠い目をする子供たちから可哀想なものでも見送るような視線を向けられ、こころの背中がしょんぼりと丸くなる。本当に何があったのやら。
(……そういえば、花音さんとこころがどうして仲良くなったのか聞いてないな)
一応、こころの演奏がいかに素敵で華麗で格好良かったのかは花音の口から熱烈に語って頂いた。一緒に演奏をした仲だと言われ、特技自慢なんて日頃全くしないこころがピアノを弾けると知らなかった美咲が食いついたためだ。
ほわほわした見た目通りの柔らかい語り口だったが、もしかして出会いのエピソード自体は大事な思い出として固くしまっておきたいのだろうか。だとするとなんとも乙女チックだが、実際うら若き乙女なので可愛いだけだ。自分から話してくれるまでは聞かないでおこうと決める。
ひとり頷く美咲に、明るく元気な子供たちは臆せず話しかけた。
「帽子のお姉ちゃん、はじめまして!」
「わんこお姉ちゃんのお友達なんですか?」
「お? うんうん、そうだよ。あたしも友達」
しゃがんで目を合わせてあげる美咲は、友達と言われて嬉しげに目元を潤ませるこころが花音に撫でられているのを一瞥した。子供たちも釣られて視線を向けて、それから微妙な顔をする。
「……大変そう」
「わんこお姉ちゃんいつでもなんにでもびっくりしてそう」
「優しいけど泣き虫だもんね」
「ひぃ……」
子供たちは容赦がなかった。
あんまりな言い草につい笑ってしまう美咲にこころが一層へたれ眉になる。いじけて花音に抱きしめられる彼女を慰めるというわけでもないが、子供たちは「でもわんこお姉ちゃん、ピアノ上手だった!」と言い出した。
「ピアノ……ああ、駅前で弾いてたんだっけ。君たちも見てたの? かっこよかった?」
「すっごいかっこよかった! お歌もすごかったんだよ!」
キラキラした目でそう言う子供たちにうんうん頷く花音が視界の隅に写って苦笑する。
「こう、ぐわーっ、じゃじゃーん! って」
「えー? ちゃららん、ちゃららーん、だったよ」
「そっかー。……花音さん、なにやったの?」
「『Somebody To Love』だよ。こころちゃんが好きなんだって」
「……あー、あのピアノで入るやつですね。ロックかぁ、意外だなー」
昔の名残で幅広く音楽を聴く美咲はすぐにピンと来たが、その様が子供たちの琴線に触れたらしい。瞳のキラキラをそのまま彼女にスライドさせて感嘆の溜め息を漏らす。
「帽子のお姉ちゃん……音楽やってるの?」
「わんこお姉ちゃんみたいにピアノひける?」
う、と声が漏れかけたのを全力で抑える。片手で簡単なメロディを入れる程度ならともかく、両手できちんと弾けと言われたら白旗を降らざるを得ない。まして要求されているラインはわんこお姉ちゃんの『すっごいかっこよかった』演奏だ。
しかし、彼女にもプライドというものがある。すっくと立ち上がり、それから被り直したキャップのツバに手をやりながら「ふっふっふっ……」と不敵に笑って見せた。
「あたし? あたしはねぇ……DJなのさ!」
「おー!」
ああ、疑いの欠片もない純粋な歓声が後ろめたい。
一方、花音とこころは目を丸くしていた。
「え、そうだったの?」
「あはは……まあ、一応ホントです」
本当に一応なので苦笑いを溢してしまった。中二病だった頃の名残なのだ。
バンドの傍らなどでなくこれ自体を本業にするDTMerという人種は大抵楽器が得意でなく、それ故に憧れるものが三つある。テクニカルなバンドもの、劇伴のような荘厳なオーケストラ、そしてDTMでしかできない派手なダンスミュージックだ。
コンテストでゴリゴリのラウドポップとゴシックメタルに叩きのめされた美咲はそれらの要素が全然ないテーマパーク的な曲をよく作っていたが、それをEDMにアレンジし直して遊んだりもしている。DJ卓はそういうことをし始めた頃に、せっかくだからと格好付けで揃えたものだった。
「なんでまあ、いい感じに曲繋いだり、曲中でトラックちょっと弄ったりするくらいならリアルタイムでもどうにか、ってトコです。あんまりそういうのが似合う曲は作ってないんですけど」
「十分すごいよ! 私は機械とかあんまりよくわかんないから、使えるだけでもかっこいいと思うな」
「いやー……どもです」
ドラムを叩ける方がよっぽどすごい、とは言わないでおいた。こころがちょろちょろしてくるのは受け流せるようになったが、美人で可愛い先輩の褒め言葉はまだ少し座りが悪くなる美咲だった。
ちょっと調子に乗って喋りすぎたなーとほんのり後悔する彼女だったが、そのツケはすぐさま取り立てられることになった。
「じゃあじゃあ、これから演奏してくれるの!?」
「え゛」
さっき花音にきれいと言っていた子だ。年上に対する憧れが顔いっぱいに溢れていて、あまりの眩しさに目を逸らしてしまった。その先でこころと目が合った。彼女はすぐに真剣な面持ちで頷く。
(おお、流石に毅然と断ってくれそ──)
「……も、もちろんそうよ!」
「やったー!」
声が出なかった。
とりあえず相手が財閥令嬢であることは一旦放り出して乱暴にガッと肩を組むと、そのまま花音に子供たちの相手を押し付けて「ふえぇっ……!?」四歩五歩離れたところで問い詰めにかかった。
「……あ、あ、あの、こころさん? 何ほざいてんの?」
「だってぇ……! あんな期待いっぱいの顔されたら断れないじゃない……!」
「だからって出来ないこと言っちゃダメでしょ! あーもう、なんとか断んなきゃ……」
「いいえ、やるのよ」
強く断言されて、思わず左腕にとっ捕まえた少女をまじまじ見る。徐々に青くなってきた顔色だけ見たら頼りないが、瞳だけは揺れていない。まっすぐ、鋭く、意思が通って当然と言わんばかりに美咲と目を合わせた。
「求められたのよ。楽しみにしてくれたのよ。じゃあやるしかないじゃない……!」
入学してから数週間、美咲が一番長く一緒に過ごしてきたのはこころだから、わかる。子犬みたいに弱々しいのは態度だけで人のために何かをするのには躊躇がないお人好しで、一度やると言ったら最後まったく言葉を曲げない頑固者は、きっと隕石が降ったって演奏しようとする。それで後になって、無茶を言った迷惑をかけたとめそめそ泣き出すに違いないのだ。
「はー……ばか!」
「ば、ば、ば、ばか……!? ばかって言われた……!? えへへ……」
「友達っぽいなぁとか思ってる場合じゃないんだよ怒ってんのこっちは!」
「ひゃいっ! ごめんなさい!」
とりあえず必要なのは、何よりあのトップらしいおじさんの許可だ。楽器は最悪なくてもアカペラで国民的アニメの歌でも歌い出せば子供たちを巻き込んで大合唱できる。機材はそのついでに、すぐそこの幼稚園や商店街の事務所に使えるものがないか尋ねれば…‥そこまで考えて、美咲はかぶりを振った。
(いや、なにあたしもやる気になってんの)
「じゃ、こころはさっきのおじさんとかに許可取ってきな」
「え、ええ。……あの、美咲、お願いがあるのだけれど」
「……言っとくけどね、あたしにもなんかしろって言うのは無理だよ? 楽器とか出来ないから」
「うっ」
ああやっぱり、と彼女を腕から解放して溜め息を吐いた。
「……悪いけどさ。あたし、そこまでは付き合えないよ。そりゃ、手伝いくらいは良いって言ったけど、こんな急には無理」
「そう……よね。ごめんなさい。でも、あなたにそばにいてほしいわ」
「だぁから……! 調子のいいこと言われても流石に……ぁ」
適当に突っぱねようとしてはたと気づいた。喜怒哀楽の大きくわかりやすいこころが唇を結んで無表情になっている。ワンピースの裾をきゅっと両手で握り締める姿は怯える子供そのもので、顔色は一層悪くなっている。
酷い有様にむしろ美咲の方が、ざっと青ざめるように冷静さを取り戻した。
「こころ……もしかして、人前で演奏すんのダメ?」
美咲は昨日のふたりの演奏については聞かされているが、その前後のエピソードまでは聞いていない。こころがクラシック以外の演奏をすると倒れてしまうほどの大きなトラウマを抱えていることは、まだ知る機会がなかったのだ。
こころは頷かなかったが、否定もしなかった。
「あたしのことなんか、どうだっていいのよ。それより、あの子たちに演奏を見せてあげたいわ」
「……楽器はそこの幼稚園からなんかは借りられるだろうし、あのおじさんのテンションだったら、演奏もふたつ返事だろうけどさ。なんの曲やんの。子供たちに楽しんでもらえそうな曲のレパートリーあるわけ?」
「…………」
「ほら。行き当たりばったりでやるなんて言っちゃダメでしょ」
「……美咲の曲は、ダメかしら」
俯きがちに呟かれた彼女の言葉に美咲は耳を疑った。聞かせた記憶すら曖昧で、言われてから『そういえば、曲作れるんだって話したときに聞かせたっけ』とうっすら思い出す始末だった。クラスメイトに呼ばれてそのままスマホを押し付けてしまったが、割とすぐに戻って返してもらったはず。聞かせたのなんか本当にその一度きりだ。
「…………え、ウソ。覚えてんのあんな打ち込み丸出しのしょぼい曲」
「しょぼくなんかないわ、明るくて華やかでとっても素敵だったもの! あたし、『えがおのオーケストラっ!』も『えがお・シング・あ・ソング』もピアノで弾けるし
「ばかばかばか曲名叫ばないでよ恥ずかしい! ていうか、誰も知らない曲やったってしょうがないでしょ!」
「あたしの好きな曲だって誰でも知ってるわけじゃないわ。それなら、楽しんでもらえそうな曲の方が良いじゃない!」
「なんの騒ぎだい?」
訝るようではなく心配そうに、壮年の男性がひょっこり現れた。思えば運営本部はすぐ近くだし、そもそも自分たちはボランティアに来ている。こんな勝手をしている場合ではない……のだが。美咲とこころは顔を見合わせて、「あの……」と同時に切り出した。こころの話にときどき美咲が補足をする形でことのあらましを説明すると、男性は顎に手を添えて唸る。
「子供たちと遊ぶより親御さん同士の懇親会が主な目的でなぁ、レクリエーションみたいなものはあんまり考えてなかったんだよ。……楽器か、ピアノを持ってくるのは難しいけど、事務所の倉庫にギターだのドラムだのがある。なんとかできるよ」
「そ、それなら!」
「ああ、是非お願いしよう。楽しみにしてくれてる子たちがいるんだろう?」
「やったー! あ、花音にも声かけなくちゃ……」
「待った、こころ。大事なこと忘れてる」
美咲はこころが人前で演奏できるとは、もう少しも信じていなかった。その話をしただけであんなに真っ青になるのだ、実際に始まったらどうなるかわかったものではない。
「人前に出るのダメなんでしょ。どうすんの」
「そ、それは……別に、頑張れば大丈夫よ」
「……性格悪いこと言うけどさ。こころがしんどい思いするくらいならね、あんな知らん子たちのちょっとした楽しみなんか知ったこっちゃないよ。今すぐ帰らせたいくらいなんだから」
「う……」
「それとも何? あたしが後で使う着ぐるみでも借りてくる?」
──結論から言えば。
美咲のこの発言が、これから先の全てを大きく変えた。
「…………」
「な、なに?」
「それよ! そう、あたしがあたしじゃなくなればいいんだわ!」
こころがぱっちりした二重瞼を更にまんまるく見開いて叫ぶ。まさかと思って見つめ返すも撤回する様子がないので、美咲の方が狼狽だした。
「ちょ……冗談だって。本当に使うわけにもいかないでしょ」
「いや、大丈夫だ! 持ってこよう」
男性が右腕に作った力瘤をぱしんと叩いた。
「あれだろう、クマのミッシェル! いやあ、ティッシュ配りだけじゃもったいない使い道だと思ってたんだ」
「……え、おじさん、まさか」
「ああ、面接にはいなかったからわからんか! おじさんな、商店街の会長なんだ」
「おじさま、わたくしお家の人に連絡して参ります! ……あ、もしもし、黒い服の人? うん、少し手を貸してもらいたいのだけれど……」
(……あー、弦巻家も手を出してくるんだぁ。今のうちに逃げる? いや、おじさんが会長ってことは実質上司だしバイトの時間もバレてると思った方がいいかなぁ……)
遠い目になって逃亡計画を練るもどうしようもなさそうだったので、せめてあの人くらいは逃してあげようと花音の方に足を向ける。
「……ごめんなさい花音さん、ちょっと」
「松原様、ドラムセットはこちらでよろしいでしょうか」
「あ、はい! えーと、なんの曲やるのかはわからないですけど、たぶん普通のセットで大丈夫です!」
「かしこまりました。楽曲は奥沢様にお伺いください」
「わかりました!」
黒服に頭を下げられ子供たちに尊敬の眼差しを浴びながら、使命感とやる気に満ち満ちた顔の花音が両手を「むんっ」と握っていた。
美咲はすっ転んだ。
それからとんとん拍子で今に至る。
(あの日こころに曲作れるんだって言っちゃったのがワンアウト、子供たちの前でDJなのさとかほざいてツーアウト、どうせ無理だと思って着ぐるみ使えとか言ってスリーアウト! バカ!)
今の自分を絵に起こしたら目がぐるぐる模様で描かれているに違いなかった。内心荒れ狂っているのを昔取った杵柄にして古傷たる全身全霊のやれやれ系仕草で誤魔化していると、美咲のスマホで曲の確認をしていた花音が戻ってきた。
「ありがとう美咲ちゃん。前向きで良い曲だね! よかったら後でデータ欲しいんだけどいくらかな」
「売りに出してるものじゃないですし、全然タダでいいですよ」
「え〜、もったいないよ!」
「買い被りですって」
こころが歌うならともかく、元の音源は美咲がなんとか歌ってピッチ補正をガチガチにかけたものだ。これを渡すのはいくらなんでも恥ずかしい。美咲の苦笑いをどう捉えたのか、花音は気遣わしげに眉を萎ませた。
「本当にDJやってもらって大丈夫なの? 嫌だったら、曲を流すだけでも……」
「もう運命だと思って諦めます。恥ずかしいですけど、やるだけ頑張りますよ。一曲だけならそんな難しいこともないですしね」
「そっか。……よろしくね、美咲ちゃん」
そう言って花音は右手の平をこちらに向けてきた。可愛らしく首を傾げて、どこか無邪気に微笑む。
「……ええ。よろしくお願いします」
ぱしん、と手を合わせた。花音がスローンに向かうのを見送って、自分もミッシェルマークのDJブースに入る。
(さーて、すごいな弦巻家。なんであたしの機材そのまんま用意できて……いや、あたしが使ってんのってそもそもド定番のやつだわ。……あれ? ステムデータなんて渡してたっけ? なんで全トラック再現されて……?)
早速不可解な事態が起きていたが、もう美咲は深く考えるのをやめていた。普段使っているものより値段が一桁上がりそうなヘッドホンを付けてリズムトラックのオンオフや操作確認をしていると、ミッシェルを取り囲む子供たちや年長組の園児たちがキラキラした目を向けてくる。音量確認も兼ねて少し気の抜けたケルト風の音源を流し始めるとみんなにこにこと笑い出して、スクラッチで適当に刻みながら楽器隊の入るあたりまで行ったあたりでストップをかけると歓声が上がった。
一際大きな拍手をしていたクマが両手を上に広げると、子供たちも出番を察して道を空ける。その隙に黒服が鼓笛隊のような真っ赤な帽子とジャケットを素早く着せると、耳元につけた飾りのヘッドセットに手を添えて、高らかに宣言した。
「──さあ、音楽の時間だよ!」
(まったく、打ち合わせが雑だって)
内心で文句を垂れながら、美咲は笑顔が溢れるのを抑えられなかった。もう一度流れ出すイントロ、穏やかで気の抜けた入りでクマらしからぬ愛らしくも力強い歌が始まる。
「『トキメキ!メキ!はずませて 始めよう!オーケストラっ♪』」
歌の内容自体はなんてことない。『手を繋いで一緒になれば笑顔になれるよ』という、それだけの歌。歌詞を書いたときの美咲はすっかり参っていて、あんまりカッコよかったり力強いメッセージなんて込めたくはなかったし──もう頑張っているのにもっと頑張れなんて、口が裂けても言いたくなかった。
音源は一度スタートさせれば勝手に流れていく。必要なのは花音のドラムとこころの歌がほんの僅かに走ったり溜めたりしたときに、さりげなく調整すること。
(ありがたいことにふたりとも上手いから、こっちでそんな気ィ使うことないけど……!)
「『ボクの右手とつないだキミの左手には ピカリ キラめいて せーので、できた! まんまるスマイル♪』」
改めて客観的に聞くと顔が燃えそうなほど恥ずかしいが、こころが歌うと飴玉のような声音と相俟ってよく似合っていた。何より、彼女は全身全霊で心の底からこれを歌えるのが素晴らしい。
ずば抜けた歌唱力は歌の雰囲気に合わせて形を変え、発声も熟練のそれから愛らしく語りかけるような調子になっていた。
自分で書いた歌詞だ。少しふざけたお花畑な世界観を恥ずかしくすら思っていたのに、耳が勝手にもっと聞かせろと意識を奪いに来る。
(集中力、しんど……! でも、あたしの流してる曲が今は土台なんだから!)
ふざけたクマの格好してるくせ、歌って踊って子供たちを沸かせる名パフォーマーはこちらを振り返りもしない。
信じているどころではない。美咲がしくじる可能性なんて、彼女は最初から頭にないのだ。
(あのコンテスト曲の……ユキナ、だっけ。あの曲みたいなすごい演奏なんか、あたしにはできっこないけど)
曲の合間にスクラッチを。ドラムのフィルに合わせて余計な音源をオフに、重ねて強調するようにエフェクトを。Bメロに入ってクワイヤのような合唱フレーズ、こころが少し大人しくなったら両手を上げて観客をきちんと煽って見せる。
(主人公に花添えるくらい、あたしにもやれる)
「『キズナの色 地球の色』──『同じなんだ!』」
打ち合わせにないリタルダンド、サビ前に突然挟まれた急なタメにも対応してテンポを合わせてみせる美咲は、確かに笑っていた。
「『つないだ手をつないでこー! 大きな輪になって』!」
サビに入って美咲の小粋なスクラッチからシンプルなエイトビートへ。ぐんぐんと前に向かう気持ちの表れた曲調に、ますますこころの歌声が明るくなる。子供たちも、知らないはずの曲で嬉しそうに飛び跳ねたり、拳を振り上げたり、思い思いにはしゃいでいた。
(……こんだけ喜んでもらえたら、まあ、恥ずかしい思いしながら仮歌録ってたときのあたしも浮かばれる、かな)
今日だけでどれだけ苦笑したのやら。トラックのテンポやバランスをとりながらまた苦笑する美咲を、マーチングらしい緩急の使い分けが素晴らしいドラムで支えながら花音も笑った。こころと一緒なら笑顔になれる。演奏もすればもっと。彼女としては美咲もこの輪に巻き込んでしまいたかった。
(美咲ちゃんの曲、こんなに優しくて素敵なんだから、これが自信になってくれたらいいなぁ)
花音は美咲に少し親近感を覚えている。根本的に自分に自信がなくて、こころを主人公みたいに思っていて。出会いの話を聞いてから一生の友達になれそうな気がしていた。
その自信のなさがどこから来ているのかはわからないが、凍えるそれを温めてあげられるのはこころだけなのだろうと思って、彼女はこの強引なライブを止めることなく付き合っている。
「『にこにこ顔咲かせよう! 世界はひとつになる』」
世界を笑顔にするにはまず、すぐ側の人を笑顔にできなくてはいけないはずだ。こころがその達人であることはわかっている。
「『ボクらでつくり出そうよ! フェスティバルだ!』」
クマの中で歌い踊るこころの顔は見えないけれど、赤らんだ楽しそうな顔であってほしいと思いながら、アウトロまで跳ねるように叩き切った。
「ふぅー‥…花音! 美咲! 怖くなかったわ!」
ライブが終わり、テキパキと機材を片付ける黒服に子供たちが釘付けになっている隙に事務所へ移動したこころは着ぐるみを脱ぐと、元気いっぱいにそう言った。貸してもらった替えのシャツからワンピースへお嬢様の割に自分でてきぱき着替えていく彼女を見て、美咲はようやく修羅場を超えた実感が湧いたらしい。胸に手を当てて深いため息を吐く美咲に花音がくすくす笑った。
「そりゃよかった……こっちはへとへとだよ、精神的に」
「でも美咲ちゃん、スクラッチ入れたり効果音入れたり、すごくノリノリだったよね?」
「そっ、それは! ……ま、まあ。楽しくなかったわけじゃ、ないですし……」
帽子のツバで顔を隠そうとする美咲を、可愛いなぁ、とほっこりした目で眺める花音だった。
「さぁ! お手伝いに戻るわよ!」
「ホント元気だなぁ……体力すごい……」
「ほら、行きましょ!」
「わっ、ちょっと、手ェ引っ張んないでって!?」
「ふふふっ……美咲ちゃん、良い顔してるなぁ」
駆け出した拍子に帽子が落ちる。通り過ぎざま一瞬見えた横顔は、固い蕾がやっと開いたように柔らかな薄紅色だった。
帽子を拾って小走りで追いつくと、ふたりは手を洗い終えて配膳の手伝いに入るところだった。美咲は年長者に囲まれてすっかり大人たちの人気者と化していて、エプロンと三角巾をきっちりとつけたこころの方には子供たちがずらりと並んでいる。そっちの手伝いに行ったほうがいいかと踏んでこころの隣へ向かおうとすると、彼女は空っぽの豚汁のお椀を片手に──なにやら、同い年くらいの子に絡まれていた。
「さっきの歌、すっごくすっごく元気になれそうだったの! だから、お願い! このとーり……!」
「う、うぅ……ど、どうしましょ……あ、花音! たすけて!」
「ふえぇ……!?」
声を掛けられてしまった。その女の子はくりくりと活発そうな目をふにゃりと細めて、平伏するように短い猫っ毛の愛らしい頭をぺこりと下げる。
「はぐみたちのソフトボールチームの、応援団になってください!」